198.変な気の使い方をして察しろと怒られた
暑さのピークを過ぎたと実感できる頃には、すぐに気温が下がり始めた。
日中はまだまだ暑いが、夜は過ごしやすくなってきたと思う。
夏の終わりが近づいてきていた。
今年も無事、白蛇族は戦の季節を乗り越えようとしていた。
――そう、いよいよなのである。
いよいよ、断罪の雨が降る。
「何? 断罪の雨についてじゃと?」
ある日、手土産持参で婆様の家を訪ねてみた。
怪我をした戦士たちの治療だ調薬だと、何かと顔を合わせる機会は多かったが、ここのところゆっくり話す機会はなかった。
折を見て相談したいと思っていたが、その折がなかったので、もう待たないことにした。
「実は――」
家の中に通され、自然と薬作りを手伝わされる流れになりつつも、相談する口は特に文句もなく内容を述べる。
というのも、ちょくちょく相談はしていたのだ。
私の中にある空を飛ぶ蜥蜴の加護……言い換えると「怒りを鎮めよ」と気を遣われるアレをどうにかしたい、と。
鉄蜘蛛族の集落でこのことが判明して以来、婆様には何度か相談はしていた。
ただ、婆様もこういうケースは初めて聞いたらしく、少し時間をくれと言われていた。
彼女がいつも……今はかぶっていないがいつも頭に装着している夢見狼の頭蓋骨を介し、人ならざる者からの情報収集をするからと。
そして何度か相談し話し合った結果、やはり罪を洗い流し赦しを与えるという断罪の雨こそ、空を飛ぶ蜥蜴の怒りを鎮められるのではないか、という結論に至った。
私の中には、あの白いドラゴンの魂が入っているらしい。
人に殺されたばかりの、人を心底恨んでいるであろう生物の魂……もはや残留思念とでも言った方が近いかもしれないそれが、加護という形で入り込んでいるそうだ。
今のところ大して変化を感じないが、いずれ魂は西へ行き、力だけを残して去っていくとかなんとか。
私の指先の力が増すのであれば歓迎はしたいが……
それより、出会う神の使いがこぞって「怒りを鎮めよ」と言うくらいには意思が伝えづらいようなので、それだけは早急にどうにかしたいところである。
要するに、もう神の使いに気を遣わせたくない、という話だ。
「それよりおまえ、新婚旅行の準備はできとるのか」
「準備は順調だけど、それよりとか言わないでくれ。旅行はアーレがいつも急かすから大丈夫だ」
あれだけ日常的に、毎日のように新婚旅行を楽しみにしていることを遠回しに、あるいは直接言われれば、準備せざるを得ないだろう。
というか、そもそもこの相談も、新婚旅行を憂いなく行うための準備の一つだ。
今を逃せば、また一年後の断罪の雨を待つことになるから。
「どこに行くんじゃ? 王都か?」
「いや、王都は避けるつもりだ。行っても二、三日くらいになると思う」
聖国フロンサードの王都は、私の地元だ。
ないとは思うが、知り合いに会うと非常に面倒だ。
そもそも人が多いところにアーレたちを連れて行くのはリスクが高すぎる。
「森を越えたすぐ近くに領地を持つ、辺境の地がいいと思う。あそこも森の恵みと流通の関係で、それなりに栄えているから。それにいざとなれば森に逃げ込める距離でもあるし」
それに、ウィーク辺境伯は蛮族たちと繋がりがあると思う。
いや、繋がりではなく、黙認をし続けている節がある。
あえて挨拶をするつもりはないが、きっとその意を汲んで見逃してくれるだろう。
もちろんバレないならバレない方がいいと思うが。
「ウィークか……」
「そういえば、婆様の留学先も……いや旅行の話はいいんだ。私の加護の話を」
「なあレインよ。一つ頼んでもいいか?」
「いや私が先に相談と頼み事を」
「リーナルに手紙を渡してくれんか。辺境伯の息子じゃ」
…………
リーナル・ウィーク辺境伯か。
まさかこの地で、向こうの辺境伯当主の名が出るとは思わなかった。
息子。
そうか。婆様の認識は昔のままなんだな。
「渡すのは構わないが……未練があるのか?」
「いや。未練ではないな。ただ、わしが捨ててやったあと奴が幸せになったかどうかが気になるだけじゃ」
……そう。
「婆様の大恋愛の相手って、リーナル・ウィーク卿だったんだな」
婆様の嘘みたいな恋愛話では、相手の男は育ちのいいぼっちゃん、みたいな言い方で誤魔化されてきたが。
ここに来て、明確な名前が出てきた。
驚きはしたが、さすがにこのタイミングで名前が出れば、婆様とどういう関係なのかくらいは想像がつく。
老いはしているが、婆様は今でも美しい。
きっと若い頃は相当美人だったのだと思う。
将来の辺境伯が見初めるほどに。
「……わしが一方的に捨てたからの。別れだけ告げてこっちに帰ってきた。その後のことはずっと気になっておったんじゃ。
あいつは、わしと番になるためなら全てを捨てると言いおったからな。わしを探して森に入って野垂れ死にでもしとらんか心配でな」
野垂れ死にだけはないがな。
リーナル・ウィーク卿は、今は立派な辺境伯だ。まあ私は接点がなかったからあまりよく知らないが。
「それはわかった。それで私の加護の話なんだが」
「懐かしいのう。……やはり未練なのかの? 今でも時々、あのままリーナルと一緒になっていたらと考えることがあるんじゃ。若かったからのう……」
「……」
これはなんだ。
誘われているのだろうか?
……年寄りに意地悪するような趣味はないから、私から言うのも特に問題はないが。
「婆様も旅行に行きたいのか? 一緒に行くか?」
「族長夫妻が行くのだ、わしまで行ったら統率に問題が出るじゃろう」
「私の加護の話は?」
「行くなら一人でゆっくり行ってくるわい。変に気を遣うな」
「私の加護の話は?」
「それにしても懐かしい。全てが色褪せた思い出じゃが、リーナルのことだけは鮮明に」
「私の加護の話は?」
「――しつこいのう! 雨にでも打たれてろ!」
……ひどい結論だ。
「何も情報なかった?」
「なかった! これだけ話題を避けとるんじゃ、変な方向に気を遣わず察しろ! そもそもおまえはなんで空を飛ぶ蜥蜴の魂なんぞ受け入れたんじゃ! 面倒臭い!」
そう言われたらぐうの音も出ないが。
「よくわからんものをよくわからんまま平然と受け入れるな!」
ごもっともです。
契約書はよく読んで内容を確認してからサインしろ、と言われているようで恐縮です。