188.タタララが言い出した
「タタララとケンカした」
戦の季節も終わりが見えてきた頃。
珍しくアーレが目に見えて怪我をして帰ってきて、憮然とした顔でポツリと漏らした。
「……この怪我?」
顔と身体に痣、擦り傷。
この手の怪我はいつものことだが、とにかく数が多い。魔獣相手だと、怪我が少ないか大怪我かの両極端が多いのだ。
何事かと思えば……そうか。ケンカか。魔獣じゃなくて人が相手か。
「勝った?」
今日もいつも通り足を拭きながら問う。
普通なら「なぜ?」とでも聞くべきだろうか。
だが、話しづらい理由でケンカしたかもしれないので、アーレが言うつもりがないなら聞く気はない。
私が関わらずとも、いずれ仲直りもするだろうしな。
「勝っても負けてもいない。あいつとは何度もケンカしたが、いつも決着がつかん。互いの手を知り過ぎているからな」
知り過ぎている、か。
集落の皆は、特に同年代は皆幼馴染というくらい距離が近い。それこそ生まれた時から付き合いがある、というくらいだ。
アーレとタタララもその例に漏れず、その中でも特に仲が良かったのだと思う。
「タタララの方が二歳年上だったか?」
「ああ。物心付いた頃にはすでに近くにいた。小さい頃からずっと一緒だった。……お互い戦士になると決めてから、少し関係は変わった。だが本質は今も変わっていないと思う」
「本質?」
「我の姉のような存在だ。いつも何かと気にかけ面倒を見てくれていた」
……なるほど。確かに今と変わらないかもな。
「レイン」
足を拭き終わったところで、アーレは憮然とした顔で言った。
「今すぐタタララの家へ行け。話を聞いてこい」
え?
「今すぐ?」
「気持ちが落ち着かないからな、早く決着を付けたいんだ。……あいつの話を聞いて、どうにか話をまとめてくれ。我では話にならん。またケンカして終わるだけだ」
……こうなると、さすがに聞かざるを得ないな。
「なぜケンカを? ケンカの理由は?」
アーレとタタララが殴り合いになるような理由だからな。
戦士としての信念に関わるか、譲れない何かか……そういう私には理解しがたい大層な理由がありそうなものだが。
正直、理解できない話をまとめるなんて芸当、私もできる気がしないんだが。
できることなら、こういう大きな前振りから、すごく下らない理由で揉めていてやれやれしょうがないと仲裁に入って簡単に解決、みたいな流れであってほしい。
ぜひそっちのケースであってほしいのだが。
内心身構える私に、アーレはやはり憮然とした顔のまま口を開いた。
「タタララが白蛇族の集落を出たいと言い出した」
…………
残念。
下らない理由じゃなくて、大きな前振りに見合う大層な理由だった。
「言っておくが、おまえのせいでも……いや、そうではないな。とにかく行って話を聞いてきてくれ」
しかも、二人の仲違いは私のせいかもしれないという、不吉な言葉が出掛かったではないか。
……これはさすがに、行かないという選択は取れないな。
どんな話を聞かされるかかなり不安だが、タタララの家に行ってみよう。
「――レインか」
タタララの家がどこかは知っていたが、実際尋ねたのは初めてだ。
基本的な家の構造はどこも同じのようだが、やはり内装というか飾りというか、壁に掛けられている武具類が違うところは住人の色がよく出ている。
去年の冬、病気の子供を治療するため方々の家を訪ねたが、家の構造は似ているが、どこも違う印象はあった。
タタララの家は、槍の予備が多いようだ。
三十本以上あるし色形も全部違うので、コレクションのようでもあるが。
きっと全部実用的であり、獲物に寄って使い分けるのだろう。
そんなタタララは、アーレと同じように傷だらけになっていて、今女性二人から治療を受けているところだ。
治療しながら睨まれている。
両方とも知っているが、片方は話したことはないな……もう片方はララキィだ。彼女とは面識がある。……面識があるんだから睨むことはないだろ。
まあ、その、なんだ。
確かに、今から夜になろうという時刻に、一人暮らしの女性の家に男が来たとなれば、ただならぬ誤解を招きそうではある。
それは認めるが、断じてただならぬ関係などではない。
もっと言うと、嫁を裏切ることなど怖すぎてできるはずがない。私の嫁は族長アーレだぞ。それくらいはもう知っているだろう。
だから、私を睨まないでほしい。
「アーレから話を聞いてこいと言われてきた。タタララ、私に相談してくれないか?」
という要件だから、睨まないでほしい。……タタララは本当に女性にモテるんだな。
「そうだな。きっと相談するならおまえになるんだろうな。上がってくれ。――おまえたちは今日は帰れ」
タタララにはっきり帰れと言われた女性二人は、ずっと私を睨みながら、家を出て行った。ララキィはいいだろ、睨まなくても。知り合いだろう。私がどういう者か知っているだろう。
少々釈然としないものがあるが、タタララの勧めに従い家に上がることに……あ、いや。
「夕食まだだろう? 手土産に骨付き肉を持ってきたから、準備をするよ」
さっきの女性二人が準備だけはしていったようなので、後は器に盛るだけだ。手土産の肉はすぐ焼けるし。
「ああ、頼む。――レインが私の家にいるのは、なんだか違和感があるな」
「そうだな。私もだ」
私が台所に立つ姿は、大体アーレの家でしか見られない。タタララが見てきた私の姿はそればかりのはずだから。
夕食を出して、骨付き肉を炙って、火の入っていない囲炉裏を挟んでタタララと向き合う。
「――うん、うまい!」
豪快にむしゃりと骨に付いた肉を噛みちぎるタタララ。
スパイスの調合に成功してからは、族長宅では割とよく出る酒の肴である。
元の光る牛が美味いので、こちらも文句なしで美味い。
通常なら捨てるくず肉扱いになっていたらしいので、捨てる部分を無駄なく利用できる面は、主夫として嬉しい限りだ。ゴミも減るし。
「この肉な、塩だけではこうはならんのだ。もっと固い気もするし、食いづらい。いくらでも真似はできるが再現は難しい味なんだ」
手間を掛けた分が味の差、肉質の差になっているのだと思う。
「どこまで聞いた?」
脂の付いた指を舐めながらタタララが聞いてくる。
「白蛇族の集落から離れたい、とあなたが言い出したからケンカになった、くらいかな」
ただ、これはあくまでも直接的な理由である。そういう意味ではまだ本題に入っていないのだ。
「うん。その通りだ」
だろうな。
「なぜだ?」
問題は、それを言うに至った理由、動機である。
アーレが聞いてこいと言ったのも、その辺のところを指しているはずだ。
「理由は三つある」
三つ。
タタララは指を三本立てて、指折り一つずつ語り出した。
「まず一つ目。おまえが先日食わせたドーナツという食い物。あれが美味かったからだ」
「えっ」
まさか。
どんな理由が飛び出すかと思えば、ドーナツ?
なけなしの小麦粉を使った、必要な材料が全然足りなくてやはり出来栄えが悪かった、あのドーナツ?
「二つ目は、私の婿を探すためだ。事ある事に……レイン、おまえの作るうまい飯を食うたびに思っていた。
私もおまえのような婿が欲しいと。ドーナツを食ったところで踏ん切りが付いたんだ。
探しに行きたいんだ」
は、あ、そう……
確かに、料理に関してはアーレよりもナナカナよりも、誰よりもタタララが気に入ってくれていたとは思う。
その気持ちの現れが、あのナマズの養殖池だ。
そこまでするほど気に入ってくれた……というか、ナマズのみに限らず、私が思うより気に入っていたようだ。
「三つ目は、おまえには少し言いづらい」
……?
「タタララが言いづらいなんて珍しいな」
いっそアーレの代わりに言いづらいことを言っている印象があったのだが。
そんなタタララが、言いづらい、か。
「言葉にしたらアーレに殺されるかもしれなくてな。これくらいで察してくれ」
…………
あ、もしかして、アーレから私を奪いかねないとか、そういう感じのアレですかね。
だったら、うん、言葉にしなくていいと思う。