176.次に備えて
アーレが寝た後、私も彼女の隣に横になり少し寝た。
こう見えても、私もオーカの看護に着いて夜を明かしたところだ。
看護の間に仮眠は取っているが、充分な休息とは言えないから。
昼頃に起床し、昼食の準備をして、アーレを起こした。
「――うん。少し寝足りないが、まあいいだろう」
起きる気配もなく熟睡したアーレも、かなり疲労が取れたようだ。私の癒しの力も使ったので、多少はその甲斐もあっただろうか。
「なあアーレ。海の生物は食べたことがあるか?」
「いや、ないな。東の地は海が遠いから、見たこともない。話を聞いたことがあるだけだ。だが魚なら食ったことがあるぞ。一緒に食っただろう」
釣りに行った時とかナマズの話だな。
「それは淡水……まあいいか」
いずれ海に興味を抱くようなことがあれば、説明すればいい。
「これは貝という海の生物の汁だ。口に合うといいが」
ホタテの干物で作ったスープと、野菜炒めだ。今日はアーレがいるから、何かの肉を薄切りにして入れてみた。
「おまえの作った物に文句などあるか。――うん、うまい!」
椀によそったスープを躊躇なく啜り、アーレは大きく頷いた。
「いいな。味……ではなく、美味さが濃い感じがする。いいじゃないか」
うん。ダシの旨味が利いている。
そんな簡単な昼食を取りつつ、私はこれからの予定を伝える。
曰く、オーカの看護をする、と。
ここに連れて来られた目的そのものを継続したい、と。
「もうする必要はないだろう」
案の定アーレは少々不機嫌になったが、私は譲るつもりはない。
「理由はどうあれ、やり始めたことだから最後までやり遂げたいんだ。もしここで見捨てるようなら、私が連れて来られた意味さえなくなるだろう? これまで精一杯治療してきたことが無駄になるのも嫌だし」
「おまえは甘いな」
「そうかな?」
別に感情だけの話じゃない。
あれだけの大怪我の治療法の確立と、容体の経過の確認観察、新たな技術である黒糸の効能の実験。
気持ちに嘘はないが、実験と経験であることも確かだ。
これから先、白蛇族が……いや、アーレがもし大怪我をするような時があれば、この時の実験と経験は無駄にはならない。
何もできずに見殺しにするようなことがあったら、悔やんでも悔やみきれない。
まさか怪我人を作るわけにはいかないので、これはこれで貴重な体験であることは間違いないのだ。
治療をさせるために攫って来た?
私の方こそ、治療における実験体を拒否する気はない。
それも白蛇族以外で、身内以外で試せるのだから、むしろ望むところだ。
――だから、もう少し交渉すればきっとこじれなかったのに。結論を急ぎ過ぎなんだ。
「いいかな?」
「いいぞ。おまえのあの話があるし、我も族長オーカと話をする必要があるからな」
そうか。
まあ何にせよ、許可が貰えたならいい。
「それに、我にも他にやることもあるかもしれん」
「それってキシンが言っていた魔獣の討伐か?」
「そう、それだ」
そうか……その魔獣って、一部族の族長オーカが右腕を失うほどの大怪我をした相手なんだよな。
かなりの強敵であることが伺える。
正直、アーレには戦ってほしくないんだが。
「討伐に協力する理由は? キシンの頼みだからか?」
「いや――知らない魔獣と戦う経験は、今後の無駄にならないからだ。我らの集落の近くで初めて遭遇して何もわからないまま戦うのは、それこそ危険だろう。
ここで討伐の経験をしておけば、次があった時に安心だ。
知らない魔獣に後れを取って、おまえや集落が襲われたら堪らないからな」
……へえ。
やっている内容はまるっきり違うが、やる理由は私と似ているんだな。
次に備えて、か。
大事だよな。経験って。
それがあるだけで次は余裕を持って迎えられるんだから。
「それに、単純にキシンが手伝えと言う魔獣に興味もあるしな。あの女、あれで金狼族の次期族長なんだ。我と同じくらい強いんだぞ」
ああ、ライバルみたいな関係なんだな。あるいはケンカ友達か。
「とりあえず、今日はこれからあいつと呑んで、もう少し詳しく聞いてみようと思っている」
こんなところに来ても、やっぱり酒は呑むのか。
まあアーレだからな。そりゃそうか。
「わかった。私は……そうだな、夕食を作りに一度戻ってくるよ」
いつもなら、このまま明日の朝まで、オーカの近くに控えているんだが。
しかし容体も少しばかり安定してきているので、四六時中一緒にいる必要はないだろう。何かあればミフィが知らせてくれるだろうし。
「わかっ……一度戻る? どういう意味だ?」
「あ、夜は怪我人の傍にいようかと」
「我を放っておいて?」
「え?」
「我と怪我人、どっちが大事なんだ?」
私と仕事どっちが大事なの、みたいな聞かれ方したな……こんなケースもあるのか。
想定外だったな。
どう答えるのか正解なのかわからない。
――君を幸せにするために仕事をしているんじゃないか、というベストアンサーは私も知っているんだが、比べる対象が違うからな……
「そんなのもちろんアーレに決まっているじゃないか。おっと時間だ、そろそろ行かないと」
「おい。おい! おーい!」
言葉と態度が違うと言われそうだが、ここで離脱しないととんでもない泥沼にはまりそうな気がしたので、緊急脱出した。
あの質問の形態は危険だ。
次に備えて、私なりの角の立たない答えを考えておかないと。
オーカの怪我は順調に治っている。
損傷がひどかった胸の傷は、黒糸のおかげで治りが早く、治った先からまた黒糸で接いでどんどん傷口を塞いでいく。
黒糸は、回収しなくていいようだ。
オーカの身体と一体化し、私の指から減った分は、疲労と同じように休息などで再び伸びて元通りになっている。
使いすぎれば目に見えて減ると思うが、それでもいずれはまた、この形に戻るのだろう。
別物だったはずなのに、今では完全に私の一部になっている。
本当に不思議だ。
神の使いとは何なのか。何度となく考えてしまうが――やはり答えは出ない。
ミフィと少しだけ今後の話をして、夕方には家に戻ってきた。
「呑め! 呑めよ!」
「もうダメぇ、だめぇ……ムリぃ……ごめんゆるして……」
家には酔っぱらいの嫁と、嫁に酔い潰された嫁の友達がいた。
ちょっとほっとした。
そうだよな、白蛇族が異様に酒に強いだけで、よその部族もやたら強いってわけじゃないよな。
黒龍族のトートンリートもかなり強かったが、金狼族はそうでもないようだ。
「あ、レイン! なんか食い物作ってくれ!」
「はいはい」
まず酒の肴か。
それから食事もだな。
台所に立つ私に、アーレは呑み相手であるキシンが酔い潰れたせいか私に話しかけてくる。
「明日の朝、オーカを襲った魔獣を討伐しに行ってくる」
ああ、結局行くことにしたのか。
「どんな魔獣なんだ?」
「吸老樹という煮ても焼いても食えんやつだ。我らの集落の近くにもいるやつだな」
「道理で名前を聞いたことがあるはずだな」
私は見たことはないが、木そのもの、みたいな魔獣らしい。
ちゃんと乾かせば薪の代わりになるから、燃料として無駄にはならない。
「それが成長して、魔法を使うようになったらしい。見たことがないほどの巨木なんだとさ」
ほう。
まあ、アーレが討伐できると判断したなら、私は送り出すまでだが。
「でも確か、発見するのが難しいって聞いた気がするが」
何せ木そのものらしいから。
それに人間くらい大きな獲物は襲わないから、探し出すのも困難だと誰かが言っていた気がする。
オーカが襲われたのは、森の上空を飛んでいた時だそうだ。
だったら吸老樹は森の中にある一本の木ということになる。
「それがな、オーカの血の匂いが木の中からしたらしい。それで見つけたと言っていた」
「血の匂い?」
「オーカは右腕を斬り飛ばされたんだろう? その右腕を取り込んで養分にしているんだ。その血の匂いでわかったと言っていた。金狼族の鼻は優秀だからな」
…………
え?
「右腕、あるのか?」
肉を切る手が止まり、振り返る。
「キシンの話ではな。なんだ? 何か気になるか?」
……気になる、と言えば、気になる、のか?
左手を見る。
完全に己の一部になっている、本当は糸でできている、黒い薬指と小指を見る。
黒糸は人体と一体化する。
つまりそれは、人体と人体を違和感なく繋ぐことができる、ということだ。
まさか、もしかしたら、もしかする、のか?
――試したい。ぜひとも試しておきたい。次に備えて試したい。
「アーレ。もし可能なら、右腕を回収してきてくれ」
もしかしたら、オーカの右腕を接ぎ治せるかもしれない。
ダメで元々だし、すでに失われているものなら、試してダメでも損はないだろう。
まあ失って何日も経っているので、望みは低いとは思うが……
でも、奇跡が起これば、オーカはまた戦士として復帰できるかもしれない。
試すだけ試してみたい。
ないことを祈るが、次があった時のために。




