173.落とし処
――落とし処が必要になるだろう。
予想していた通り、アーレが私を取り戻しに来た。
族長か、代理を務める族長の番は必ず集落に残るものだから、決まり事としてはアーレが来るかどうかは怪しいところがあったが。
でも、まあ、来るだろうと思っていた。
それが私の嫁だから。
本人に聞いたところ、一応、我慢して集落に残るつもりはあったらしいが。
しかしナナカナに「レインのことを気にしている今の状態じゃ居ても役に立たないから」みたいなことを言われて、送り出されたらしい。
だが、アーレが来るにしろ来ないにしろ、白蛇族は錆鷹族に報復をしなければならない。
部族とは、小さいながらも立派な国である。
周辺国に舐められたら国の威信に関わる。
威信を失えば国民に示しがつかなくなり、そうなれば民は王の言うことは聞かなくなる。流出もありえる。
困った時に助けが呼べないし、弱味に付け込まれて攻め入られることもあるだろう。
やられたら抗議する。報復する。
これはただ単に恨みを返す、仕返しをするという意味だけではなく、今後の自衛に繋がるのだ。
やられてもやり返さない相手なら、いくらでも奪ってやればいい。
品がないやり方だが、しかし、民を守るべき国は綺麗事だけではやっていけない。
時には汚い真似もしなければならないし、時には人道に悖る選択を選ぶのが為政者である。
――これからアーレがするのは、そういうことである。
家を出たアーレの後をついていく。
「広場に人を集めてある」
家の前で待っていた族長代理ヨーゼが告げる。
彼もまた、これからアーレがすることの道理を弁えていた。
「おまえは族長代理だったな?」
「ああ」
「ならばおまえの命は貰う」
「……わかっている」
ヨーゼは道理を弁えていたし、覚悟もしていた。
連れてこられた私の扱いからしても、そうだろうなという印象である。
なんとなく、族長代理を任されたのが彼である理由も、わかる気がする。
族長はともかく、代理は強さはいらないから。
それより判断力が求められる。
そうじゃないと、私が代理を務められるわけもないからな。
ヨーゼの案内で広場にやってくると、錆鷹族の者たちが地に膝をついて待っていた。
真新しい怪我を作った戦士たち。
特に日常と変わらないとばかりの穏やかな老人たちからは、諦観の念を感じる。
これからのことを考えて顔色が悪い女たち。
状況がよくわかっていない子供たち。
そんな彼らの先頭に、ヨーゼが跪いた。
そしてアーレが、彼らの前に立った。
「――我は東の地に集落を持つ白蛇族の族長アーレ! おまえたちが連れ攫った我の番レインを取り戻しに来た!」
えっ、と声を上げたのは、この集落でそんなことが起こったことを、まったく事情を知らなかった者たちだ。
私もオーカの看病ばかりしていたから、錆鷹族との交流はほとんどなかった。
私がここに連れて来られたことさえ、知らなかった者もいるだろう。
「今の内に覚悟しろ! 我ら部族に戦を仕掛けたのはおまえたちの方で、おまえたちの戦士はついさっき我が叩き潰してやった!
ゆえにこの集落はもう我らのものである! 生かすも殺すも我の気持ち一つだ! 我の気分でおまえたち全員を皆殺しにすると心得よ!」
え、気分で決めるの?
……まあ、明確な法やガイドラインがあるわけじゃないから、信賞必罰も族長の裁量に寄るんだろうな。
しかしそれにしても、気分か。
気分一つで皆殺しか。
錆鷹族の多くが「皆殺し」に反応しているので、その「皆殺し」が気分で決まるのは別にいいようだ。
引っかかっているのは私だけか。
改めて、こちらはとんでもない地だと実感させてくれる。
「――族長代理ヨーゼ! 前に出ろ! 今からおまえの首を刎ねる!」
え、刎ねるの? ここで? 子供もいるのに?
…………
ヨーゼが処刑されるのは仕方ないのだろう、と思っていた。
これはやらなければならないことで、誰かが責任を取らないといけないことだから。
この状況で真っ先に責任を取らされるのは、族長代理であっている。
「……」
ヨーゼはまっすぐな鋭い目で立ち上がり、アーレの前に歩み出てきた。
微塵も迷いはない。
その目、その態度は、命を捧げる覚悟ができている証拠だ。
――自分が罰を受けないと、集落の誰かが、あるいは全員が死ぬとわかっているからだろう。
…………
やれやれ、仕方ないな。
「――アーレ」
腰の鉈剣に触れたアーレの耳元で、私は小さく囁いた。
「止めるなと言ったぞ、レイン。黙って見ていろ」
睨まれた。
これまでに見たことがないほど冷徹な瞳で。
一瞬腰が引けそうになってしまったが、構わず囁く。
「――アーレ。殺すのはよくない」
「あ?」
「――族長なら、罰を与えると同時に得も取るべきだ。ここで錆鷹族の誰かを殺したって、白蛇族には何一つ得るものがない」
ヨーゼを殺したって、集落の全員を殺したって、白蛇族は何も得られない。
私を攫われたというマイナス分を補填するだけで、プラスになるものがない。
いや、ここで中途半端な罰を下しても、遺恨が残る可能性があるだけだ。
だからナナカナは、一人殺すなら皆殺しにしろと言ったのだと思う。
でも、アーレがそれをしなければいけないという理由もよくわかる。
だからこそ代案が――落とし処が必要で、これに近いになるだろうと予想していた私は、その落とし処を考えていた。
「さっきアーレは言ったよな? この集落は自分のものにした、と。
ならば猶更、安易に命を奪うべきではない。
恩を売っても恨みは買わず、罰を与えて私たちも得をする。そんな形に納めてみないか?」
「……」
アーレはずっと、冷徹なままの瞳で私を見ていた。
そして、話が終わったと見て、言った。
「この話にそんな小細工が必要か? 我はただおまえを攫った害虫どもを潰したいだけだが? 後腐れなくしたいならやはり皆殺しにする。躊躇う気はない」
……そうか。そう簡単に意思を曲げる気はない、と。
そうだよな。
アーレはちゃんと族長だもんな。
筋が通らないことは好まない、強い嫁だもんな。
そうだよな。だったら仕方ないよな。
「――アーレ」
「もういいだろう? 我はなんと言われても――
「――嫌いになるぞ」
「……え?」
「――私はあなたのことを嫌いになるぞ。安易に人を殺すような女性は好きじゃない」
「…………」
…………
「汚い言い方だな」
「すまない。だが本心でもある。殺すなとは言わないが、殺す必要がない者を殺さないでくれ。頼むから」
「……よかろう。おまえの話を聞いてやる」
……よかった。
説得できるかどうかは確証はなかったが、今回はなんとか止めることができたようだ。
…………
あとは、族長アーレの意思を曲げさせるに足る提案を私ができるかどうか、か。
やっぱり殺す、皆殺しだ、なんてこともありえるだろうから……慎重に話を進めないと。
……ん?
囁けるほど近かった距離だが、アーレは更に身体を密着させてきて、こっそり私の手を握った。
私の肩に頭を預け、小さく囁く。
「――我のこと、嫌いにならない?」
…………
「なるわけないだろう。大好きだよ、アーレ」
「我も好き……」
…………
こんな時にこんな感じでごめんな、ヨーゼ。
君にはたぶん聞こえているだろうけど、わずかにも顔に出さない胆力に感謝する。