169.問題は数日前から
穏やかに微笑みを讃えて現れた白い女に、錆鷹族の反応ははっきり二つに割れた。
誰だかわからなくて戸惑う者たちと。
誰であるかを理解した者たちだ。
族長代理を務めているヨーゼは、判断に迷った。
来るのが早すぎる、ということはない。
そろそろ来るだろうと思っていた。
――問題は、ここで会ってしまったことだ。
錆鷹族は武装している。下手をすれば血気盛んな戦士が手を出しかねない。
そうなれば戦争だ。
火種さえあれば燃え上がりそうな部族もたくさんいる。
最悪、南の地と東の地という、一部族同士の衝突では済まない大惨事になりかねない。
ここ百年くらいは平和だっただけに、暴れたい戦士も少なくないのだ。
だが、今問題なのは、ヨーゼが気づいていないもう一つの問題の方だ。
「おまえは白蛇族の――」
ヨーゼが言いかけた瞬間、すでに殴られていた。強かに。殴り飛ばされていた。
自分たちの代表が派手に殴り飛ばされた。
それでも誰も何も言わなかったのは、白い女が異様な殺気を放ち出したからだ。
女は微笑みながら静かに告げた。
「一人でも逃げたら皆殺しだ。まだ命は取らないから安心しろ。まだ、な。
抵抗はしてもいいぞ。武器も好きに使え。
我一人だけだ、必死でやれ。
だが――おまえたちが負けたら錆鷹族は我のものだ。それくらいの覚悟は当然できているよな?」
こうして、白い女一人と錆鷹族の戦士たちによる衝突が起こった。
小規模であり目立たないそれだが、これは立派な部族間戦争だった。
――そしてもう一つの問題は、白蛇のアーレは噂に聞く以上に強かった、ということだ。
これほど一方的な人数の差があっても、たった一人の女をねじ伏せることができない。
しかも素手のままだ。
武器など使うまでもないと言うかのように。
それなのに、戦士たちはなすすべもなく一人、また一人と倒れていく。
ヘドロがまとわりついて飛べなくなった鷹が、一方的に白蛇に襲われ飲まれていくような。
もはや悪夢であり、地獄だった。
「――な、なんだこれ!? おまえ……アーレか!?」
ひっそりと行われた部族間戦争は、ほんの短い時間で決着がついていた。
全てを平らげてなお、笑みを浮かべて物足りないと殴り蹴り続ける白い……いや、赤い女が、新たにやってきた乱入者を振り返る。
「なんだキシンか。おまえもグルか。構わんぞ。別に。なんでも」
「は……何が!? おまえなんだ!?」
到着したら錆鷹族の戦士たちがやられていた。
ここにいないはずの女が潰していた。
それだけの事実しかわからないキシンは、戸惑うばかりだ。
――知っている好敵手とはまるで違うアーレの姿も含めて。
このまとわりつくような、ねばりつくような、一度捕らえたら絶対に逃がさないと主張しているかのような殺気と殺意は何なんだ。
そんな、完全に殺す気で来ているアーレが、返り血で真っ赤になった白蛇の女が、微笑みながら歩いてくる。
「今の我は強いぞ。全盛期のキガルスにも負ける気がしない」
そうだろう、とキシンは内心認めてしまった。
実際さすがにそれはないと思うが――少なくとも、何かと張り合っていた今の自分よりは、今のアーレの方がはるかに強いと認めてしまった。
風格か。
覚悟か。
それとも違う何かか。
あるいは――本気で殺す気になっているからか。
今のアーレには、逆立ちしたって勝てる気がしなかった。
事は数日前の白蛇族の集落までさかのぼる。
「――やめろ! そいつアーレのところの鼬だ!」
近場の森に狩りに出ていた女戦士たちの下に、きゅーきゅー鳴く黒い毛玉が駆け寄ってきた。
危ないところだった。
獲物として反射的に狩られるところだったが、咄嗟に止められてなんとか事なきを得る。
そんな状況を知ってか知らずか、族長の家の化鼬は、いつになくきゅーきゅー激しく鳴いて何かを訴えてきている。
「どうしたおまえ?」
「腹減ってるんじゃないの? シキララ、キノコやれよ」
「嫌だ。――ああやめろっ。私のキノコっ」
嫌がるシキララからキノコを巻き上げて与えてみるが、とりあえず食べたが変わらずきゅーきゅー鳴き続けている。
なんというか……ちょっと異常である。
「これ、集落に何かあったんじゃないか?」
「何か? ……確かにちょっと気になるし、一旦帰ってみるか」
「そうしよ。――シキララ、泣いてないで帰るぞ」
「なんで泣いてるの?」
異変を感じた女戦士たちが、かなり早めの帰途につき。
――そして、族長の番が攫われた事実が発覚する。
「誰がアーレに言うの?」
「私は嫌だ! アーレ絶対暴れる!」
「暴れない気がしないよね……なんでこんなことに……」
「……シキララ、ここはおまえの出番だ」
「今からおまえをキノコを殴る」
集落は大騒ぎで、きっと戦士たちの下に使いは出ているだろう。
もうじき別の地に狩りに行ったアーレも帰ってくるはずだ。
問題は、誰が事実を告げるのか、だ。