16.大狩猟が始まる
ファル・ケと言うらしい。
やはりというか当然というか、名前を聞いてもまったく何がなんだかわからなかった。
こちらの古い言葉で、黒くて長い芋、という意味で黒長芋だ。一応芋の分類になるらしい。
アーレ・エ・ラジャの庭先で、ナナカナが育てていた家庭菜園の野菜である。あの黒いニンジン擬きのことである。
聞けば聞くほど、不思議で不可思議で不可解な野菜だった。
まず、何を置いてもまず「黒い」。
外だけではなく、中までしっかり黒い。炭のように黒い。割るとしっとりしていて黒く、かすかに甘い香りがする。
まず、春から秋まで育てられる。冬はさすがに育たないそうだが、温度管理さえできたらオールシーズン育てられそうな気がする。
それくらい強くて育てやすい、白蛇族では一般的な野菜である。
だいたい十日前後で食べられるまでに育つ辺り、そして水分にさえ気を付ければ腐らず長期保存できることも、頼もしい限りである。
「で、できた……!」
そんな黒長芋の味や香りから、私はいろんな試行をしてきた。
芋扱いをして、蒸して潰して焼いてみたり。
甘みが強くて、食事の一品というよりはデザートに使えそうだった。
それとこちらの方が重要だが、集落の外側でほぼ放し飼いとなっている異様なヒツジや邪悪なヤギ、血走った目をした馬辺りが柵を壊して寄ってきた。黒長芋は家畜のエサにもなっているが……どうもこの調理方法で発生する香りは、奴らが異常に好むものらしい。怖かった。特にヤギの顔が怖かった。
ニンジン扱いをして、煮たり焼いてみたり。
まあこの辺はすでに白蛇族でもやっていることだったが。味もニンジンみたいだった。ただ、歯ごたえはまるで違うが。シャキシャキしていた。ゴボウかと思った。これ肉団子やハンバーグに入れるとアクセントになって美味である。
そうやってなんだかんだと試していた私は、どう扱っても必ず感じる「甘み」に注視した。
そして辿り着いたのだ。
「何ができたの?」
庭先で火を起こし、鍋を煮詰めていた私の傍に、家の掃除をしていたナナカナがやってきた。
「これ! これだよ!」
本来黒長芋が持つ甘い香りが、凝縮されて強く立ち込めるので、家の台所は使えなかった。
たぶん屋内でやったら壁や家具に匂いが染みつくと思う。
怖い家畜どもが来ないか心配しつつ、色々と試し――ついに完成した。
「……何これ?」
鍋の底に残った、真っ黒なペースト。
見た感じは黒長芋を蒸したものに似ているが、含有する水分があれより圧倒的に少ない。
「まるでウン」
「それ以上は女の子が言わないでほしい」
見た目はぽいかもしれないが。匂いが全然違うんだし。いやそれ以前に、私の義娘としてはあまり言ってほしくない。
「舐めてみろ」
と、私は混ぜるために使っていた木ベラでペーストを少量を取り、ナナカナに差し出す。
「……甘い」
指に取って舐めたナナカナは、目を丸くして呟く。果物や、大元の黒長芋とも違う、恐らくは初めての甘みに驚いたのだろう。
「砂糖だ」
これを更に水分を飛ばし、結晶化させれば、たぶんなる。
少しばかり癖があるが、それでも立派な真っ黒な砂糖になるはずだ。
「これは何に使うの?」
木ベラにわずかに残ったペーストを取りつつナナカナは問う。
「料理にも酒にも使えるが、やはり一般的には菓子かな」
酒に関しては、すでに仕込みは済んでいて、温度管理をしている集落の酒蔵に置かせてもらっている。
だいたい一シーズン……三ヵ月から四ヵ月の放置でできるらしいので、五つほど異なる酒の実の配合や水、各種スパイスなどで様子見だ。
砂糖の量が確保できれば、次の酒の仕込みには、これも入れることができるだろう。酒造に関して書かれた本によると、砂糖も使うといいらしいから。
「カシ?」
「ああ。お菓子だね」
女性や子供には甘味が良いと聞いている。
この砂糖さえあれば入り婿である私の発言力がきっと増すはずだ。
急に理不尽な理由で怒られたとて脱出の糸口に、あるいは最後の希望となってくれるに違いない。
――妻が優しいのは新婚の内だけ。
フロンサードの入り婿の八割が言い切った金言である。宰相殿は悲しそうに「人の皮を被った悪魔とはいるものですよ」とまで言い切ったくらいだ。きっと新婚とそれ以降では明確な違いがあるのだろう。
それが、私がこれから歩まねばならない道だ。
そんな険しい道に、まさか丸腰で向かうわけにはいかないだろう。こういう武器が、防具が、きっと私を助けてくれるはずだ。
「ふうん。いつ作るの?」
「とりあえず直はやめようか」
ナナカナが木ベラを直で口に入れ出したので、止めておいた。この食いつき方はどうだ。この集落でも甘味は心強い武器と防具になってくれそうだ。
菓子は、だいたい小麦粉を使うものである。あとバターとか。調べた結果、白蛇族の集落には小麦らしきものがないからな。もちろんバターもない。邪悪なヤギのチーズはあるが、チーズは貴重品らしい。邪悪なくせにチーズは非常においしかった。
「これの使い道はもう決まっているから、しばらくは無理かな」
たくさんの黒長芋を使っても、少量しか作れないのだ。菓子に使うには圧倒的に量が足りない。
このわずかな砂糖で、何を作るのか。
――当然調味料である。
「不思議な味だな。甘い肉など……しかしまずくない」
できたての砂糖で早速作ったのは、ソースである。
果実類各種、搾れば油が出る実、匂いが強烈な香草とスパイス、酒、塩、そして砂糖。
それらを混ぜ合わせて煮詰めて冷ました、どろどろの黒いソース。フロンサードで味わったねっとりした甘みと塩辛さがまあまあ再現できて、意外と完成度が高くなった。
早速、家長アーレ・エ・ラジャとついでにタタララに夕食がてら献上したところ、反応は悪くない。タタララに至っては無心で薄切りの牛肉にソースを絡めて食べている。
「これが大狩猟で作る料理か?」
「その一つかな。料理ではないし」
ソースだし。調味料だし。砂糖を使う料理には、量が確保できないだろうし。
「もうじき、よその部族の女たちが手伝いに来るぞ。何か作るのであれば早めに決めろ」
ああ、そうか。
大狩猟の準備も着々と進んでいるし、そろそろ来客が集まり出すのか。
それから数日の後、アーレ・エ・ラジャが言っていた通り、少しずつよその部族の女性たちがやってきた。
青い髪が特徴的な青猫族。
大柄な女性が多く、男はもっと大きいという戦牛族。
大なり小なり黒い翼を持ち、実際短時間なら飛ぶこともできるという黒鳥族。
それぞれの部族から、五人ずつ。
計十五人の女性たちが、大狩猟に向けての準備に参加する。
そして更に数日後には、各部族の戦士たちもやってきた。
夏を目前にし、すでに暑くなってきた、この時期。
魔獣がもっとも活発になる直前である、この時期。
いよいよ大狩猟が始まる――