165.到着が怖くなる
「おいキシン! 勝手に動くな!」
と、今度はヨーゼがやってきた。
きっと今回ばかりは本当に怒っているのであろう鋭い目でキシンを睨むが、そのキシンもヨーゼを睨み返した。
「おまえが『今オーカとは会わせられない』とかふざけたことを言うからだろうが。金狼族の次期族長が来て、なんで族長が会わないんだよ。ふざけんなよ」
「……見ての通りだからだよ」
「だったらそう言え。話もできないくらい大怪我してるからだって。変に隠しやがって」
どうやらこの見舞いに関して一悶着あったらしいが、それはさておき。
「話なら外でしてくれないか? オーカが起きる」
見舞いだろうがなんだろうが、患者の枕もとで揉めるのはやめてほしい。
ようやく助かる可能性が出てきたのに、万が一にも傷に障るようなことはするな。
キシンはチラッと私を見て、またヨーゼを見た。
「あとこいつは誰だ?」
神事の間から出てきた。
出入り口で待っていたミフィにオーカを任せ、私はこれから就寝である。
「――そうか。腕がいいと噂の治癒師を攫ってきたのか」
そして、一緒に出てきたキシンとヨーゼは、私が誰でここにいる理由を話していた。
変に隠さないし誤魔化さない辺りに、錆鷹族とキシン……というか、キシンの部族との仲の良さが伺える。
ただ、ヨーゼは私をどこから連れてきたのかと、なんという名前かは、意図して明かさなかったようだ。
どんな理由かはわからない。
……いや、わかる気はするが。
腕がいいとまた評判が広がれば、またどこかの部族に狙われかねないからだろう。
確か、キシンの部族は金狼族と言ったか。
聞いたことがないんだよな……
こちらの生活にも慣れたが、まだ一年ちょっとである。
白蛇族の集落がある東の地でも、まだまだ知らないことが多いのが現状だ。
そんな有様なので、南の地の情報までは、とてもじゃないがまだ構っていられない。
普段であれば親交が結べないほど遠い地なので、それも仕方ない気もするが……
いや、知らないことは罪か。
族長の婿としては猶更だ。
「で、オーカは助かりそう?」
陽の下で見るとより鮮やかな金髪を風に遊ばせるキシンの灰色の目が向けられ、私は「このまま行けば」と答えた。
外傷の治療手段は、黒糸という有効なものができた。
だが安心はできない。
感染症の心配も俄然あるし、失血量も心配だ。
もちろん体力と抵抗力が落ちている現状、病気も怖い。
それと、アーレの強襲が最も怖い。
特に夜中に忍び込んできて錆鷹族を一人ずつ暗殺するという、私が気づいた時には死者が積み上げられているパターンが怖い。止める間がない襲撃が怖い。
まず交渉から入ってほしいが……アーレがどこまで怒っているかが明確にわからないので、本当にどう出るかわからない。
「助けてくれよ。あいつは友達なんだ。もう戦士としては死んだかもしれないが、それでも生きてりゃいいこともあるだろ」
「……そうだな。全力を尽くすよ」
キシンの心配が伝わってくる。
よその部族の次期族長、だったか? そんな存在に心配されるなら、オーカは一角の戦士として、また族長として認められていたのだろう。
医者でもない私が傲慢にも医者の真似事をしている身で言うのもなんだが、私が助ける人は、せめていい人であってほしいとは思う。
まあ、患者を選ぶというのもまたひどく傲慢なことだが。
宛がわれた家で就寝し、昼頃に起きた。
「お、もしかして海が近いのか?」
食材を納めている食糧庫の中を覗けば、海産物がちらほら見えた。
外から見える範囲には、海らしきものはなかったはずだが。
でもこれは間違いなく海水魚だと思う。これは貝かな。こっちは……あ、これはわかる。ホタテの干物だ。
あと、虫の食材も多いな。
鳥に近い有翼族だからか、こういうものを好むのかな。
……虫食はあまり抵抗はないが、食べ慣れていないと食中りを起こしそうな気がするから、今はやめておこう。今体調を崩したら大変だ。患者の世話どころじゃなくなる。
うん、とりあえずは見覚えのある食材だけ使うか。
ホタテの干物を戻したスープと野菜炒めを食べて、家を出る。
今日もいい天気だ。
空が近い。
――この高い山全域が、錆鷹族の縄張りなんだそうだ。
麓には森が広がり、中腹辺りからは岩肌が続いている。
中腹辺りであるこの集落も、地面は岩である。
少し下ったところに畑があり、錆鷹族の女性と子供が野菜を作っているそうだ。
もちろん、戦士は狩りである。
今頃は野を駆け獲物を追い回し……てはいないか。結構な速度で飛べるからな、錆鷹族は。
集落の場所が場所だけに、ここは交通の便が悪すぎる。
というか、ここに至る道らしい道がないのだ。
つまり、空から来るしかない。
……いや、それは語弊があるか。
来るのは楽じゃない、と言った方が正しいだろう。現にキシンは岩肌の山を登ってここまで来たようだし。
つまり、いつアーレが来てもおかしくないということだ。
怖いな……
嫁は私を助けに来るはずなのに、当の私はむしろ襲われる錆鷹族側の心情に近い気がする。
小さい子供たちが駆け回っている。
女性たちが立ち話をしている。
老人たちもいる。顔を突き合わせて何をしているかはわからないが、時々楽しそうに笑い声を上げている。「総取りじゃぁ! 総取りじゃあ!」と騒いでいるので、賭け事でもやっているのかもしれない。
平和である。
錆鷹族の集落も、白蛇族の集落に負けないくらい平和である。
きっと、アーレが来るまでこのまま平和だ。
アーレが来たら、どうなるかわからない平和だ。
血に沈むのか。
死体を積み重ねるのか。
……いつ嫁がやってくるのかと考えると、汗がにじむし動悸が早くなる。
この平和を脅かすであろうアーレの到着が、怖くて仕方ない。
…………
こんなこと考えちゃダメなんだろうけどなぁ。
族長として当然の報復をするだけなのだから、それをひどいなんて考えてはいけないんだろうけどなぁ。
でも、なぁ。
嫁が人を、それも子供を殺そうとするのは、やっぱり止めたいなぁ。
まあ、精々嫁の気が変わるような言葉でも考えていようか。