160.彼らの集落へ
「――普通に交渉した方がよかったんじゃないか?」
あっという間に拉致誘拐されて、そのまま半日ほどミノムシ状態で南に飛び、休憩で一旦地面に降りた。
もう陽は傾き、そろそろ夕方に差し掛かろうとしている。
私は変わらず縛られたままだが、軽い食事を取る彼ら……族長代理ヨーゼが、私を攫った理由を淡々と説明した。
曰く、族長オーカが大怪我をして死にそうなので助けてくれ、だそうだ。
鉄蜘蛛族の集落の件で、私の名と功績が尾ひれを生やして過剰かつ不必要に売れ、広まってしまったようだ。
「そんな時間はないと判断した。それに、断られたらそれこそ選択の余地がなくなる」
……断られたら、か。
確かにアーレと交渉して決裂した場合、私が移動することは絶対になくなる。
私自身が個人的に助けたいと思っても、アーレの命令が否であるなら、動けなくなるだろう。
「そもそも時期が悪いだろう。東の地では、今は戦の季節と呼ぶのだろう? こんな時に優秀な治癒師をよそに貸し出す族長などいない。
だから攫った。
交渉したところで決裂するのは目に見えていた。ならばもう、戦士が不在の間に連れて行くしかないと」
…………
そうだな。時期が悪いな。
鉄蜘蛛族の代替わりの時も、春先で時期が悪かった。
困難や災難とは、人の都合を考慮しないで突然やってくるからな。
だが、そもそもだ。
たとえ夏じゃなくても、アーレは私をよそに送り出すことは、いい顔をしない。
鉄蜘蛛族は、親交があったから私を行かせたのだ。
きっと私の知らないところで、彼らに世話になったこともあるのだろう。
しかし、この者たちは違う。
親交がない、遠い地の部族である。
助ける義理は皆無であり、また本人が言った通りこの時期に私を送り出すことは絶対になかっただろう。
交渉の余地は、最初からなかったと私も思う。
「それにしても、さすがは族長の番だな」
「ん?」
「攫われたというのに随分落ち着いている。騒ぎもしないし縄を解けとも言わない」
「ああ……ここまでのことをやった上に、事情も分かったしな。何を言おうが解放しないだろう?」
仮に解放されても、こんなところに置いて行かれるのも困るし。
私は戦士じゃないから、こんな十数名の戦士に囲まれている状況で逃げられるとも思えないし、単独で白蛇族の集落に帰れる気がしない。
帰る途中で魔獣に襲われて儚くなってしまうことだろう。
そういう意味でも、時期が悪い。
飛んでいる間、眼下にたくさん魔獣を見たしな。私は戦えないぞ。
「だが、族長アーレは怒るぞ。きっと死に物狂いで私を取り返しに来ると思うが」
「その時は平伏する」
平伏。
謝るのか。潔いな。
……そうか。そこまで考えているなら、もう私から言うことはないな。
何も考えずにやったわけじゃなくて、覚悟を決めた上でやったのなら、何を言っても無駄だろう。
「あとどれくらいで着くんだ?」
「夜には到着する予定だ」
そうか。
飛行速度はかなりのものだった。
それで半日も飛んでいたのだから、この地点でも、白蛇族の集落からはかなり離れていることだろう。
錆鷹族の集落は、もっと遠いわけだ。
「――はあ、はあ、はあ、はあ、ぜえ、はあ、はあ、はあはあ、あっ、はあ、はあ、ぜえ、はあ、はあ、ぜえ、ぜえ、はあ、はあ」
あと、ほかの者たちはともかく、私を吊るして運んできた戦士は、地面に倒れ込むほど疲弊している。
私が言うのもなんだが、疲れる前に交代した方がよかったんじゃなかろうか。
「……俺たちの族長は、もう助かる見込みがない」
はあはあ言っている戦士を見ている横で、ヨーゼが溜息を漏らした。ひどく疲れた顔をしている。
「最初は族長を連れて行くことも考えたが、地に宿る神の使いの加護から抜けたら死ぬと思った。もういつ死んでもおかしくない状況なんだ」
地に宿る加護か。
そう、確か、それが各部族の縄張りになるんだよな。白蛇族の畑の作物の育ちがいいのも、地に宿る加護のおかげだ。
他にもいろんな恩恵がありそうだ。
人に、己が眷属に活力を与えている。
ありそうな話である。
「族長は動かせない。だからおまえを連れていく。もうおまえの噂にすがるしか方法がないと判断した。おまえが最後の希望なんだ」
なるほど、藁にもすがる気持ちで、ってやつか。
「悪いが、私には大した力はないぞ。死にそうな者を助けるなんて力も――」
「ダメだ! 絶対に助けろ!」
と、言ったのはヨーゼではなく、彼の傍にいた女性の戦士だ。
「うるさい!」
そしてぱちーんとヨーゼに殴られた。
「レインに無礼を働くな! 口の利き方にも気を付けろ! こんな卑劣なことをした以上、せめて丁重に扱うと決めただろうが! 尽くせ!」
地面に転がる私に対して「尽くせ」って言うあなたも大概尽くしてなんて……いや、まあいい。
…………
やりづらいなぁ……悪いことするならするでもう仕方ないけど、せめて恨んでもいい程度の悪人であってほしいんだが。
そうじゃないと、がんばって彼らの要望を叶えたくなるじゃないか。
それからすぐに、また彼らは飛んだ。
私を吊るして疲労困憊の彼が、疲労困憊のまま、また私を吊るして飛ぶ。
大丈夫だろうか?
ふらふらしてないか?
なぜ他の者に代わらないのだろうか。
私の不安も大いにあるが、運ぶ彼も可哀想だと思うんだが。
不要な不安と強風に煽られて身体が冷えてきた。
西の彼方に陽が沈む。
吊るされた状態で見る地平線に沈む夕陽は、とても美しかった。
陽が沈んでも明るかった西の空が、いよいよ闇夜に沈んでいった。
夜になっても、まだ飛んでいる。
遠目に見えていた、山頂に雲が掛かるほどの高い山が、どんどん近づいてきた。
どうやらあそこに向かっているらしい。
そうして、星空と月夜に照らされた空飛ぶ戦士たちは、山の中腹にある集落へと着地した。
当然、吊るされた私も到着した。
……ちょっと地面に引きずったことは、さすがに根に持ってもいいだろう。丁寧に降ろさなかったことは許さないからな。