144.黒鳥族の大狩猟 1
集落を出て二日後の昼、アーレを先頭にした白蛇族の戦士五十名超は、目的地に到着した。
昼を大幅に過ぎた、夕飯にはまだ少し早いかという時刻だ。
このままもう少し進めば黒鳥族の集落へ着く、というだだっ広い荒野。
そこには、先に到着していた他部族たちが野営支度を広げていた。
「――白蛇族が来たぞ!」
誰かが叫ぶと、今回主催を勤める黒鳥族の男女がわらわら出てきて出迎える。
黒鳥族は、短時間だが空を飛ぶことができる部族である。
背中に黒い羽を持ち、黒髪の者が多い。
そんな奴らの集落は、切り立った断崖絶壁の際にある。
今到着した荒野側……入り口とは反対にある崖から臨む眼下は、果てのない森である。
黒鳥族の飛行能力は限られるが、高さを利用して滑空すると、長距離を風のような速さで移動することができる。
壁にぶつかる風が上に抜けてくる。
その風を捕まえて飛ぶことで、個々の持つ飛行能力を超えた力を発揮し、森を掌握している。
そのため縄張りは広く、上空を支配する黒鳥族は、かなりの曲者となる。
地上での殴り合いはそうでもないが、状況と環境で大きく強さが変わる部族は、そう珍しくない。
まあ、その辺はさておき。
「アーレ! 来たな!」
濡れ羽色の長い黒髪を揺らしながら、長身の男がやってくる。
黒鳥族の若き族長リトリだ。
右の頬に走る大きな傷跡が、奴の男ぶりを更に上げている。
「来たぞリトリ!」
二十を少し超えた、族長としてはまだ年若いリトリ。
春に十八歳となり、強さ自慢で名を広めていたアーレ。
ほぼ同年代の強者同士だけに、小さい頃から自然と友好関係ができていた。
――アーレを巡って、リトリとジータがやりあったりしたこともあるのだが、過去の話である。
「族長になって番ができたんだってな。おめでとう」
目の前までやってきたリトリは右手を差し出す。
「ありがとう。おまえはまだか? 彩鳥族の女と付き合いがあるとか言っていなかったか?」
アーレはそれを握り返す。
握手の文化は今はなく、昔の名残だ。
特に戦士の握手は、利き手を無防備に預けるという意味から、古くから親しい者同士でしかしない。
アーレとリトリのこれは、小さい頃になんとなくやってみてから、再会するたびになんとなくやるようになった、
習慣のようなものである。
「まだだ。その女と番になる約束はしているんだが、どうも彩鳥族の方で色々あるみたいでな」
「ほう」
その「色々」とやらは気になるが、今はいいだろう。
去年と一昨年の白蛇族にも色々あったし、とてもじゃないが立ち話だけでは済まないくらい長くなる。
「今回、彩鳥族は来るのか?」
「来るはずだが、まだ来てない」
そんな軽い挨拶をして、「すぐ飯を用意するから、休んでくれ」とリトリは行ってしまった。主催側は忙しいのだ。去年のアーレも忙しかった。
「――休んでいいぞ! よその部族と揉めてもいいが、殺すなよ! 殺されるのもダメだからな!」
指示を待っていた白蛇族にそんな号令を出し、アーレは黒鳥族の集落へと向かう。
「タタララ、付いてこい」
「わかった」
そして、タタララを伴って歩き出す。
先に手伝いに向かわせていた白蛇族の女たちに、労いの言葉を掛けにいくのだ。
よその部族からたくさん声を掛けられながら、集落で働いていた同郷の女たちに声を掛けて、黒鳥族の知り合いにも顔を見せて挨拶をして。
それが終わったら、今度は外で同じように野営して待つ他部族への挨拶だ。
顔見知りばかりだが、族長としては初めての顔合わせになる者は少なくないので、しっかりやっておかねばならない。
戦牛族の新族長ルスリス。
赤熊族の族長ベイトマ。
青猫族の族長ロララ。
金狼族の族長の娘キシン。
距離の関係で、去年白蛇族主催の大狩猟に参加できなかった連中も来ている。
この前代替わりがあったばかりの鉄蜘蛛族や、戦闘が得意ではない飢栗鼠族や虹羽族は、今頃は獲物を追い立てていることだろう。
予定では、あと二、三日中に、狩場に追い込む手筈となっている。
まだ来ていない彩鳥族のような部族もいるようだが、間に合うだろうか。
「あぁ? 女が族長だぁ? どこの雑魚部族だぁ?」
そして――知らない部族も来ている。
「…? おまえは誰だ?」
肉厚で体格がいい、ぶわっと髪が逆立った男たちだ。数は十人ほど。
格好こそどこの部族も似たような薄着だが、アーレの知っているどの部族とも毛色が違うというか、始めて見る部族に思える。
「ほぉ、いい女じゃねぇか! 来い! 可愛がってやる!」
無遠慮に伸ばしてくる手を払い、もう一度だけ「誰だと聞いているんだ」と問う。
「なんだてめえ! 抵抗すると殺すぞ!」
「だから……いや、もういい」
一応、何かを起こすなら部族と名を言い合ってからするものだが、アーレはもうやめた。
ここにはたくさんの他部族がいて、よその族長たちもいて、このどうでもいい騒ぎを見ているのだ。
ここで引くようでは、アーレは白蛇族の族長として侮られる。舐められる。今後対等の付き合いができなくなる。
戦士として、族長として、そんなことは許されない。
「――おまえたちがどこの部族の誰でもいい。無名の戦士として不名誉に落ちて死ね」
金色の瞳に狂気の光を宿し、アーレは男たちに襲い掛かる。
「アーレ。こいつら灰獣犬族の流れ者らしいぞ。自分たちの集落を作りたいとかでここまで流れてきたんだとさ」
「そうか」
勝負は、勝負にならなかった。
素手のままのアーレが、絡んできた男たちを圧倒して、終わりだ。
「――命は助けてやるから、今すぐに自分の集落に帰れ。今すぐにだ。おまえたちでは族長に守られていないと長生きできんぞ」
集落からはみ出し者が出るのは珍しくない。
だが、根本的に弱いのでは、集落の外ではやっていけない。
新しい集落を作りたいなら作ればいいが、それをしたいのであれば、強いというのは大前提だ。
彼らは弱すぎる。
十人がかりでもアーレが一方的に勝てるくらいに。
「じゃあ酒でも呑むか」
「そうだな。黒鳥族が作る闇林檎の酒は好きなんだよな」
「タタララは甘い酒が好きだな」
「おまえも好きだろう」
「まあな。でも甘すぎると逆にな」
「塩でも入れろ」
白蛇のアーレ、灰獣犬族の流れ者を締め上げる。
十対一の勝負で無傷の勝利。
腕自慢の戦士アーレに、新たな伝説がまた一つ増えたのだった。