140.その頃のカービン家 後編
「好きな女性ができたの?」
思いがけないフレートゲルトの発言に、カリア・ルービーの不機嫌が一瞬でひっくり返った。
瞳の奥底に見えた心の闇が、興味と関心にきらきら輝き出す。
――カービン家の三兄弟は朴念仁だ。
幼少から騎士団長である父の背を見て、騎士になるために鍛えてきた。
その結果、女性の扱い一つ知らないまま身体だけは大きくなった。
女性への興味の代わりに、騎士道だ剣だ兵法だと、古臭い武人のようなことばかり興味を示す。
どこの戦乱時代の功に焦る若造だ、と何度思ったことか。
見目の良い次兄も例外ではなかった。
カリアが死に物狂いで手に入れようと思った男だが、根底にあるのは「狼の群れに放り込まれた仔羊を守りたい」という保護欲からだ。
見た目によらず女慣れしておらず、騎士志望としては将来有望だが貴族令息としては純粋すぎる。もちろん褒め言葉ではない。
その内、いや、近い内に罠にはまってろくでもない女と婚約して結婚してろくでもない人生を送るだろうな、と。
そう思った瞬間から、カリアの恋愛が始まったのだ。
ろくでもない女に渡すくらいなら、自分が保護しよう、と。
みすみす見逃す手はないと思えるくらいには、いい男に見えたから。
それに、アレなら浮気しようが愛人を作ろうが絶対に看破できる自信があったから。一生手のひらの上で転がせる自信があったから。
今ではもう、手離せないくらい夢中だ。
付き合いが深くなった今、家の付き合いも増えた。
そして三兄弟全員が同じようなタイプだと知り、……まあさすがに現騎士団長である父フィリックがしっかりしているので、いざという時は最終的にはどうとでもなると安心はしたが。
――そんな朴念仁で純粋な三兄弟の末っ子が、まさか女の相談を持ってくるとは思わなかった。
騎士だか剣だか知らないが、そんなものばかりに興味があり、どうせ相談事もそっち関係のどうでもいいやつだと思えば。
それがまさかの恋愛相談。
面白そうな話を持ってきた。
義姉として面白半分で協力してやってもいいと思えるくらいには、面白い展開である。
「座って。ゆっくり聞かせて?」
控えていた使用人に椅子を持ってくるように指示を出し、カリアはフレートゲルトに同席を勧めた。
――その様子に、ジャクロンはひそかに胸を撫で下ろした。夕食後に出かける予定だった観劇は、楽しく過ごせそうだ。
「ほう……いいじゃない」
自ら狼の前にやってきた子羊が語った話は、更にカリアの予想を裏切った。
面白い。
思わず溜息が出るほど面白い。
どこぞの外面がいいだけの令嬢にちょっと優しくされただけ、その見てくれに騙されて惚れ込んだ可能性は大いにあると思ったが、そんなことはなかった。
というより――全てが予想外だった。
「おまえ、意外な……いや、意外っていうほどは知らないか」
次兄ジャクロンは普通に驚いていた。
末の弟の女の好みなんて聞いたことがなかったから。
まさか、まさかである。
「おまえは強い女が好きだったのか」
末っ子であろうと、幼少から鍛え抜いてきたカービン家の三男である。
弱いわけがない。
実際その強さと誠実さを買われて、フロンサード王国の第四王子の友人として付けられていたほどの実力者である。
そんな末っ子が、まさか自分より強いと思える女が気になる、なんて言い出すとは思わなかった。
「いや、俺にもわからないんだ。何しろ初めてのことだから……」
フレートゲルトは語った。
一ヵ月前に、一度会っただけの女性が忘れられない。
何をしていても、ふと、彼女のことを思い出してしまう。
そんな状態がずっと続いている、と。
「で? 問題なのは、なかなか会えない距離にその相手がいる、というところかしら?」
「そう、……ですね。きっと一生忘れられない女性なのは自分でもわかっているんで、……俺もいい歳の男だし、きっと俺が口説かないと何も始まらないのは、わかっているつもりです」
思案気に言ったフレートゲルトに、カリアは少し驚いていた。
三男は思ったより、前向きだった。
ジャクロンなんて奥手も奥手で、カリアが完全に外堀を埋め尽くすまで、己の好意を示すことさえなかったのに。
なるほど、三人とも同じようなタイプに見えたが、実際はやはりちょっと違うのだ。
「でも、もし俺がその女性を口説く……一生一緒にいたいと願うなら、俺はこの家を出る必要があります。
今まで俺を育ててくれた父や兄弟、騎士団の先輩方の期待を裏切って、全てを捨てる覚悟でいかないといけない。
それはきっと、認められないことだと思うんです」
カリアは思う。
フレートゲルトが気になっている女性は、恐らく平民。これは間違いないと思う。
そして最大の問題にして障害なのは、相手はフロンサード王国の人じゃないのではないか、と。
だから、もしもがあるなら、全てを捨てて自分が移住する形で、フレートゲルトは考えている。
相手を自分の方に呼び込むことを最初から考えていないのは、それが不可能だからだろう。
全てを捨てて。
そう言えば――
「あなたが一時修道院に預かってほしいと頼んだ女性も、何か関係があるの?」
去年の冬から、春まで。
ルービー家領内にある修道院で、とある女性を預かってほしいと、フレートゲルトに頼まれた。
多くは聞かなかった。
少し調べて、察しがついたから。
預かった女性は、王城に勤めていたケイラ・マート。
フレートゲルトは、彼女を逃がす算段を立てて、それを実行した。
実際、マート子爵家の周辺がかなりきな臭いことになっていたので、その辺の兼ね合いから、もうフロンサードから出るつもりなのだろう、とカリアは考えた。
ケイラと面識はないが、同じ女性として同情する点は多々あったので、ほんの少しだけ助力したのだ。
そんなケイラが修道院から出たのは、確か一ヵ月前だ。
一ヵ月前に消えたケイラと、一ヵ月前に出会いがあったというフレートゲルト。
無関係なのかどうなのか。
「すみません義姉上。その辺の事情に関しては、父から口止めを……」
「ああ、そうなのね」
じゃあ深追いはできない。どうせ深追いしても口は割らない。
「――なあフレ」
さてどうしようか、なんと声を掛けようか、と思っていると、ジャクロンが語り出した。
「うちは親父もまだまだ現役だし、後継ぎであるオズ兄も健在だ。俺はルービー侯爵家に婿入りするかもしれないが、だからって実家と無関係になるわけじゃない。
おまえは三男で、婚約者もいない。身軽だろ? おまえがいなくなっても別に誰も何も困らないんだ」
「ジャック兄……」
「気になる女ができたなら、行け。カービン家の男ならうじうじ悩む前に口説きに行け。後のことは気にするな」
――外堀を埋め尽くすまで愛を囁くことさえしなかった男が、弟に偉そうに語っている。
カリアが冷めた目で見ていると、ジャクロンは「弟の前でくらい言わせてよ」とばかりにちょっと悲しげな顔をする。あの顔は「好きって言え」と散々追い回した挙句に言わせた時の顔だ。
見た目に寄らず、中身は少し情けない男だが――そんなところが可愛いとカリアは思えるようになった。
「どうせ忘れられないなら、行ってくればどう?」
「義姉上……」
「無理なら諦めて帰ってくればいいわ。騎士に復帰はできないかもしれないけれど、いざとなればルービー家で雇ってもいいし、剣の腕が確かならいくらでも仕事はあるでしょう。
あなたもわかっているようだけれど、それは一生引きずる問題よ。
あの時やれることをやればよかったと、そう思う悩みだわ」
そう思ったから、カリアはジャクロンを手に入れた。
考えうる布石を全て打って手に入れた。
そうしてよかったと思っている。
「あなたがいなくなった後のことは、オズマイズ様やジャックがどうにかするわ。わたくしもできることをする。
だから、行ってくるといいわ。思いの丈を伝え、なりふり構わず必死で口説いてきなさいな。必死な男は必死なりに伝わるものがあるのよ」
すっかり夕陽が沈み、空が暗くなってきた。
「もう少し考えてみる」と、フレートゲルトは席を立った。
「あれは行くわね」
「行くと思うか?」
「ええ。あなたより腰抜けじゃないもの」
「昔の話だろ。今はそんなことはないぞ?」
「本当に? ――っ……生意気だわ」
言葉ではなく態度で示された。
急に頬に唇を寄せられ、カリアは少し胸が苦しくなった。