13.婆様への相談
「――婆様、よく来てくれた」
狩りから戻ってきたアーレ・エ・ラジャは、「これから客が来る」と告げた。
誰かと問えば、あの蛮族蛮族しているシャーマンの婆様だという。
晩飯に呼んだから彼女の分も作ってほしいと言われて、「アーレ嬢のおかわりがなくなるけどいいか?」と問うと、ものすごく嫌そうな顔をして了承。
そして、予定通り婆様がやってきた。
「……フン!」
彼女は、すっかり腰を据えつつある私を一瞥すると、プイと顔を背けた。
私と婆様が会うのは、白蛇族の集落にやってきた時以来だ。
どうにも生活サイクルがまるで違うようで、姿を見かけることもなかった――と思っていたが、婆様は家に引きこもっていることが多いらしい。そりゃ見かけることもないわけだ。
婆様は四十四歳で、現在の女性の中では最長老ということになっているそうだ。
無論この集落では長生きな方に分類されるとか。
見た感じ、健康を損ねているようには見えないし、老いも感じないが。年相応に見える。腰だって曲がっていない。
「婆様、話があるんだ。だがその前に晩飯を食おう。ゆっくりしていけ」
「そこの外から来た男が作った飯か。そんなもんいらんわ!」
吐き捨てるように言った婆様の言葉に、家長と子供は素早く反応した。
「――やった! 婆様の分貰うね!」
「――待てナナカナ! それは元々我のおかわりの分だ!」
予想外の反応だったのだろう我が家の女たちを見て、婆様は一瞬きょとんとした顔をする。
「ダメだよ。これは婆様の分だから」
私は食べ盛りの家長と子供を止め、婆様を見る。
「アーレ嬢が話したいことも関係あるから、食べてくれ。そのために用意した」
「…………はあ」
婆様は私を睨むと、……脱力して溜息を吐いた。
「わしはもう歯が弱いんじゃ。硬いものは食えん」
なるほど、本当は「食べたくない」ではなく「食べられない」だったか。
だが想定内だ。
「柔らかいものを準備したから大丈夫だと思う。もし無理なら残していいから」
「……フン。早う用意せんか」
「…………くっ。まあまあ、じゃな」
しっかり完食した婆様は、実に悔しそうである。素直になれば楽になると思うんだが。なかなか気難しい人だ。
なお、今夜のメニューは、アーレ・エ・ラジャとナナカナもお気に入りのハンバーグ。それと鳥の骨から出汁を取った野菜スープだ。婆様の分の赤身肉は、入念に刻んでおいた。
まあ、それでも、本来の物よりあらびきではあるのだが。
アーレ・エ・ラジャの昼食に持たせる肉団子を始め、私のレパートリーは日々改良を加えている。
知らない食材を試してみたり、集落の女性たちにどんなものを食べているか聞き込みをしたり、神蛇カテナ様に試食をお願いしてみたり。カテナ様は進んで食べることはないが、勧めると食べてくれる。非常に可愛い。
「なあ、婆様」
食べるものも食べたところで、アーレ・エ・ラジャが本題に入る。
「今日の飯はうまかったか?」
「まあまあじゃ! うまいとは思……少しだけな! 少しだけじゃ!」
本当に気難しい人だ。
「ならば、婆様も塩の量は少なめがいいのだな?」
「あ? ……ああ、塩か。そうじゃな。わしはもう若くないから、塩が多すぎると食べられん」
――いろんな人に話を聞いた結果、集落全体で、料理に使われる塩の量は多い傾向があった。
そして、大抵言うのだ。
「子供の頃は塩辛かったが、もう慣れた」と。
アーレ・エ・ラジャがそうだったことを思い出し、よく夕食時にやってくるタタララも同じ。ナナカナは自分で作っていたのを好機と、自分の分だけお湯だの水だの入れて薄めて食べていたそうだ。
「我も最近になって塩と酒の量を控えろと言われた。そこの男にな」
「……」
まだ本題が見えない婆様は、私を一瞥し、アーレ・エ・ラジャに視線を戻す。
「どうも身体に悪いらしい。塩を取り過ぎるのも、酒の量が多すぎるのもな。それで寿命が縮んでいるのではないかと言われた」
「……寿命が?」
「婆様はいつから塩を控えている? それが理由で長生きできているのではないか? 確かあまり酒も呑まなかったよな?」
「ああ。……ああ、そうか。塩か」
と、婆様は何かを思い出したのか、遠い目をする。
「いつだったか、わしも不思議に思ったことがある。塩と酒か。道理で女の方が長生きするはずじゃな」
そう、それだ。
私が聞き込みをしたところ、やはりというかなんというか、女性の方が長生きしているという情報はあった。
「男たちの多くは、塩の多い飯で酒を呑むからの」
それが戦士である、と。
昔からのしきたりで、狩りの後は浴びるように酒を呑むのが戦士だと言われてきたらしい。
だが、肝心の酒が、かなり癖が強い。
酒精は強いわえぐみはあるわで、かなり好みが分かれる。
その酒を呑むための、塩分過多の料理だった。
要するに、塩でごまかしながら酒を呑み、酒で鈍る舌がより強い塩分を求める。
この循環で、全体的に塩の量が多い料理が根付いたわけだ。
「ああ。我も真似をしていたが、あれはよくないらしい。今なら我も同じ意見で、よくわかる。身体に悪そうと言うナナカナの感想も理解できる。婆様もだろう?」
「そうじゃな。口に合わないだけではなく、身体に入れることが恐ろしくなるほど受け付けん。身体に悪そう、か。まさにそれよ」
ちなみに、だ。
「そう思ってる女性は少なくなかった」
私は婆様に言った。
「私の調べによれば、塩気の強い料理に慣れている男性には内緒で、塩分適量の自分用の料理を作っている女性が何人もいた。今のアーレ嬢やナナカナ、婆様と同じ考えの人たちだ」
白蛇族は戦士の立場が強い男社会なので、あまり大っぴらには言えないらしいが。
しかし、料理を始めとした「女の仕事」をしている私には、色々と教えてくれた。
まあ、ここでは戦士じゃない男など男として見られていないのかもしれないが。
「婆様、族長として頼みがある」
「なんじゃ」
「婆様の知識から、塩の食べ過ぎや酒の呑みすぎは身体に悪いことを広めてくれないか?」
「おまえがやればいいじゃろう、アーレ。おまえは族長じゃろうが」
「若い族長より、年寄りの言葉の方が説得力があるだろう。命が懸かっている、だから今すぐにでもそうしたいのだ。
それに……我の言葉は向こうの集落には届かん。反発されるだろうしな」
「……ふん。まあいいじゃろう」
と、婆様は立ち上がった。
「アーレよ。あえて自らが動かん判断、族長として実に頼もしいぞ。これからも集落のことを考えた判断を下せ」
「ああ。前族長に恥じない戦士でいよう」
よかった。話が丸く収まったようだ。
「それと――」
キッと、婆様が俺を睨みつけた。
「おまえがわしを婆様と呼ぶな! 言っておくがな! わしはまだおまえを認めておらんぞ! 夫婦の儀式を済ませるまでは認めんからな!」
お、おう。……でも一応認める気はあるのか。
「だそうだ。レインよ、そろそろ婿入りするか?」
――来た! この流れなら言える! プロポーズのチャンス……いや待て! まだだ!
気持ちは空回りするほど逸っているが、強い意志で急停止させる。
まだ集落に来て二週間と経っていない。
最長で半年も様子を見る時間を貰っているのだ、まだ結論を出すには早いだろう。
白蛇族についても知らないことは多いし、もっと知ってからちゃんと伝えるべきだろう。
それに――この集落には、最大の問題が手付かずで残っている。
この状態で婿入りは、それこそいつかナナカナが言った通り軽率だと思う。
「はは……そうだなぁ。もう少しかなぁ」
曖昧に笑って誤魔化しておいた。
「なんじゃこの男は。アーレの何が気に入らん」
「そうだぞ、レイン。いつでも夜這いに来ていいと言っているのに。まだ来ないのか。我は待っているんだぞ」
「慎重なのと優柔不断なのは違うと思う」
…………
なんか知らないが女性たちに、しかもナナカナまで参加しての総攻撃を食らったので、私は抵抗することなく洗い物に逃げることにした。
入り婿が嫁と娘とついでに長老に勝てるわけがないのだ。