126.鉄蜘蛛族の集落で 14日目
鉄蜘蛛族の集落にて 記録14日目
ハールが倒れた。
魔獣の狩猟と集落の指揮を執っていた黒蜘蛛族の族長が、病に倒れた。
魔獣の襲撃は落ち着いてきた。
だが、黒蜘蛛族は順調に倒れている。
順調。
予想通りだからこの言葉を使っているが、違和感しかない。
病に倒れることがわかっているのに、予防さえもできない己の無力さをひしひしと感じる。
フロンサードを建国した初代聖女なら、こんな事態も何とかできたはずだ。
死者こそまだ出ていないが、重傷者も随分増えてきた。
子供と老人だが、このまま行けば黒蜘蛛族全員が対象となるだろう。
14日目が終わった。
最短で代替わりが完了していれば、本日でこの苦難は終わっていたのだが、まだ次の代は来ていない。
これも予想はしていた。
そう都合よく、最短で代替わりが行われる可能性は低いだろう、と。
今は只、一刻も早い代替わりを望むばかりだ。
14日目
黒猪 4頭
爆頭虫 1匹
甘鋼樹 1体
毒霧狼 7匹
病にて隔離した者
男 25人
女 30人
子 24人
幼 12人
流行り病にて隔離
男 7人
女 9人
子 6人
幼 2人
※子は5歳以上12歳未満 幼は0歳以上5歳未満
「……」
もう溜息も出ない。
ついに族長ハールまで倒れた。
患者の数をちゃんと数字に起こして、鉄蜘蛛族の半数ほどが病に罹ったことを思い知る。
看病も手当も夢中でやっているからあまり意識しないが、こうして数字で見ると……
…………
なんか一周回って逆に気にならなくなってきたな。
これはもはや災害で、人の力で抗えるものではない。
だからこそ神の加護なのだ。
これほどの被害が出るのであれば、私が抗ってもどうしようもないだろう。
きっと私より強く聖女の力を継いでいる父上や兄上でも、どうしようもないと思う。
癒しの力があったとしても、私たちは神じゃない。
神の使いと同じことをしようだなんて、それこそおこがましいだろう。
別に諦めるというわけではない。
これまで通り、やるべきことをやるだけだ。
――政は、割り切りだ。
出た被害はどうやっても戻せない。
そこを考えるより優先すべきは、被害をどれだけ抑えることができるか、また被害に対する対処である。
私は少し思い違いをしていたのだ。
病の蔓延を抑えることは、最初からできなかった。
なのに抑えようとしていた。
それができなくて苦心していた。
できないことをやろうとして、案の定できなくて、それで不満を唱えるなんて。
それも神の御業を真似しようとするなんて。
やはり、おこがましい。
「……よし」
気持ちが軽くなり、身体を投げ出すようにして敷物に横になった。
やるべきことは変わらない。
一人でも多く病の進行を押さえ、時を稼ぐ。
神の御業には届かないまでも、せめて時間稼ぎくらいはやってみせよう。
そうじゃないと、祖先の聖女に顔向けできない。
「大丈夫みたいよ」
帰ってきたカラカロと入れ替わりで起きて、今日も一日が始まる。
朝の支度をして、患者を診て回る……と午前中が終わるので、重傷者だけ診て回り、族長の家で台所に立つ。
黒龍族のトートンリートがふらりとやってくるのも、いつものことになった。
作った朝食を並べて、ハールが不在になった辺りのことを聞くと、彼女は平然と答えた。
「なんだかんだで十日以上はハールの指示で動いてたからね。だいたいの勝手はもうわかるっていうかね」
なるほど、経験でなんとかなると。
……そう言われると、患者たちの動きも同じか。
今なら、誰がどんな病に罹ったからどうしよう、なんていちいち指示は聞いていない。
その辺の勝手は私もわかるし、初期から看病している女性たちもわかる。
「ま、あたしには最初からあんまり関係ないけどね」
朝食を並べながら、私は「そうだな」と頷く。
「ハールは夜の指揮を執っていたから、昼は関係ないのか」
「うん。適当に場所を割り振って魔獣が来たらぶっ殺して、壁が故障したら報告するとかだね。どうせあたしら戦士なんてバカばっかだからね。それ以上の難しいことはできないよ」
カラカラと笑うトートンリート。彼女は明るいなぁ。
「ただ、あたしらよりおまえらの方がきついとは思うよ」
「ん?」
朝食を並べながら、言葉の意味がわからず彼女を見ると……笑みとも哀れみとも取れる微笑を浮かべていた。
「魔獣は殺せば終わりじゃん? でも病って簡単に殺せないでしょ? 子供とかさ、ずっと苦しんでるのを見てるしかないってさ、きついよね。そういう苦しみってあたしじゃ耐えられないかも。自分のことならなんとでもするけどさ。
そういう意味では、あたしよりレインの方がよっぽど強いのかもよ?」
…………
「もしかしてこれじゃ足りないのか?」
この不自然でわかりやすいおだて方。
トートンリートの前には、六人前くらいの肉団子と鍋ごとのスープが置かれているのに、これでまだ足りないと言うのか。
「はっはっはっ。おまえのもよこせよ」
私が台所に立つようになってから、毎日聞いているお決まりの台詞を、今日も言われてしまった。
嘘だろう。
これだけ作っても、まだ足りないというのか……食欲すごいな。
気持ちを入れ替えて、随分楽になった。
私は神ではない。
神の御業を真似ることなどできない。
私にできるのは、進行する忌まわしき病どもの足を引っ張りまくってやることだけだ。
――病自体は止められない。
――だが、必死で進行を食い止め、絶対に死者は出さないぞ。