117.鉄蜘蛛族の神の使い
「おぉ……」
鉄蜘蛛族の族長ハールの案内で、森に踏み込む。
もう一人やってきた男性は、私たちの荷物を持っている。
ただでさえ鬱蒼とした森で暗い上に、しかも夜。
更には、ハールたちは灯りらしきものを持っていない。
白蛇族は夜目が利くが、白蛇族の特徴を持たない私とケイラは、足元さえまったく見えない。
だが、杞憂だった。
どういう原理なのか、ハールが歩く先から、左右にある草木の中から百合のような花が開き、薄ぼんやりと緑色に発光するのだ。
まるで道を照らすように、次々に咲いて光る。
それでもよく見えないくらいには暗いが、闇の中に浮かぶ緑色の光は目に優しく、なんとなく見える程度には明るい。
そんな百合の道をしばらく歩くと、頭上でひゅんひゅんと何かが飛んでいた。
「――鉄蜘蛛族だ。奴らは糸を使って木々を渡り移動する」
なんだろうと見上げた私に、タタララが説明してくれた。
ああ、なるほど。糸で。
ハールたちが来た時もそれで移動してきたのか。
糸で移動か。
森なら強い、と言われる彼らの理由の一つだな。糸ね。もし自由に出せるのであれば、罠を張るにも最適だ。特に森ならいくらでも張り巡らせることができるだろう。
「ひっ」
ケイラが小さく悲鳴を上げた。視線を向けるとカラカロが「大丈夫だ」と答え、手に持っていた何かを離した。
「……えぇ……」
羽の生えたムカデ、か?
速度は遅い。ゆるゆると身体をくねらせながら、私の目の前を通過して、森の中に消えていった。
飛ぶムカデ?
子供の頃、虫の標本を作ったりするくらいには虫が好きだった。
図鑑もたくさん見たが……さすがに羽のあるムカデなんて見たことがないし、聞いたこともない。
――いや、驚くのも今更か。
霊海の森のこちら側の、生き物の生態がまるで違うなんて、過ごした一年間で何度も実感してきたじゃないか。
……飛ぶムカデかぁ。動物や魔獣の生態も興味深いが、同じく環境に合わせて進化してきたのであろう虫の生態も面白いな。
きっと他にもたくさん、私の見たことがない虫がいることだろう。
時間があったら探してみよう。
「――キノコ!」
キノコの人であるシキララが、ぼんやり紫に発光するキノコを発見して興奮している。
ハールが「食えるがまずいぞ」と言うと、嬉々として採取した。とりあえず食べられるなら試したいのだろう。
興味を引く生態系と見たことのない動植物に目を奪われつつ、しばらく歩くと――ようやく彼らの集落に到着した。
すごい。
森のど真ん中にあるちょっとした広場のような場所には、何かの胞子だろうか、色とりどりの光球が数えきれないほど浮かんでいる。
幻想的な光の中、ツリーハウスと言っていいのだろうか?
深く根を張った大木を利用して、木の上に家が建てられていた。
彼らが糸を利用して木々を飛び移るからこそ、高い場所に住居を構えているのだろう。
……それにしてもすごいな。この広場以外にも、森の中にもツリーハウスが点々と存在している。
もしかしたら、この森の一ヵ所ではなく、広範囲に鉄蜘蛛族は住んでいるのかもしれない。
私とケイラは、白蛇族以外の集落は二度目。
昨日お世話になった青猫族の集落は、白蛇族とあまり大差はなかった――夜見ただけなので、ちゃんと明確な違いはあるかもしれないが。
しかし、ここは。
なんというか、根本的な成り立ちからして、まったく違う集落の形である。
「こっちだ」
呆気に取られている私たちに、先導するハールが声を掛けてくる。
しばらくここに泊まるので、見惚れる時間はあとからいくらでも取れるだろう。今はハールを追い駆けよう。
「長旅で疲れていると思うが、休む前にまずはオロダ様に……我らの神の使いに挨拶をしてくれ。
わざわざ来てくれたのにすまないが、あの方が認めないと集落に迎えられないんだ」
なるほど。
その辺は白蛇族と同じか。
案内された先は、ここらでは一際大きな大木と、それに見合ったツリーハウス。
恐らくは糸で一気に移動できるであろうハールは、わざわざハシゴを利用して先に行き、それから私たちも続く。
ドアのない開けっ放しの家の奥に、それはいた。
赤い複眼を持つ、巨大な蜘蛛だった。
「ひ――」
ケイラがまた悲鳴を上げようとして、手で押さえて留める。
うん、わかる。
人より大きい蜘蛛だ。これは私も怖い。
この方と比べると、神蛇カテナ様のなんと可愛らしいことか。
蛇は苦手って人も少なくないかもしれないが、ある意味、動物としては可愛い形の方に入るかもしれない。
この方はすごい。
なんというか……蜘蛛自体も本能に訴えるような造形をしているが、それが更に大きいのだ。威圧感がすごいし、存在感なんて圧倒的だ。
「オロダ様。客人だ」
ハールが巨大蜘蛛型の神の使いの前に跪く。
その後ろに続くようにして、私たちも彼の方の前に座した。
そして、私は深く頭を下げた。代表だから。
「――白蛇族の者です。この度は、偉大なる神の使いの代替わりという節目に、微力ながらお力になりたいと馳せ参じました。
どうか我ら白蛇族を迎えていただきたい」
後ろで、一緒にやってきた者たちも頭を下げる気配がした。
すると――意識の中に言葉が浮かんできた。
――大義。
――歓迎。
――感謝。
――恩。
――怒りを鎮めよ。
ああ……うん。
どうやら認められたようだ。
「怒り? 誰か怒っているのか?」
どうやらハールにも同じ言葉が聞こえていたようだ。
というか……怒り云々は、たぶん私だけに向けられたやつだと思う。私にもよくわからないが。
「……まあ、オロダ様が認めたのであれば問題あるまい」
ハールは身体をこちらに向け、深く頭を下げた。
「――おまえたちの力を貸してくれ。よろしく頼む」