109.奥手だから
「――レイン! レイン! ちょっと!」
…? なんだ?
抑えた声で名を呼ばれ、辺りを見回すと……ナナカナの家の影に隠れているカラカロが、半分だけ顔を覗かせている。
「何をしているんだ?」
完全に不審者だぞ、それ。
子供の家の近くに潜むなんて。
しかも女児の家だし。
「いいからちょっと来い」
…………
昨日の今日か。
自問自答して決断した上で来たのであれば、悪くない早さだと思う。
ただ、ここで呼ぶのは私じゃなくて、ケイラであるべきだと思うんだが。
ケイラは私よりよっぽど大人だから、私から必要以上に口出しする必要はないだろうし。ちゃんといい相手を選ぶだろう。
……あんまり言いたくはないが、女児の家の影に潜む大男には、ちょっと任せられないところがあるが。
もしカラカロが抱くケイラへの気持ちを知らなかったら、この場は乗り越えてあとでこっそりアーレに言いつけていたかもしれない。
それくらい危険なことをしていると自覚は……まあ、ないだろうな。あったらさすがにそこには隠れないだろう。
――昼を過ぎた頃である。
ついさっき昼食を済ませ、さあ午後の家事に取り組もうかと外に出たところで、不審者カラカロに捕まった。
一応、やってきた理由に心当たりがちゃんとあるので、少しだけカラカロに付き合おうとは思うが。
「ちょっと場所を移そう」
子供の、それも女児の家の傍で男二人がひそひそしている状態は、とてつもなく体裁と外聞が悪い。誰かに見られたら大変だ。
隠れるのも面倒なので、自分の家に通すことにした。
狭いけど、まあ、話をするだけなら充分だろう。
「私に何か用か?」
カラカロを通して向かい合い、改めて問う。
「う、うむ……その、ちょっと相談が、な……」
なんかもじもじし出した。
筋肉ムキムキでバキバキの大男が、窮屈そうに身体を丸めてもじもじしている。
本当に奥手なんだな。
アーレの求愛もアレだったし、ジータの求愛もひどかった。
が、二人とも好意だけはちゃんと伝えていたんだよな。それが一番大事なことだしな。
あの二人と比べると、カラカロは非常に奥手だ。
でも、必要以上の応援はできない。
ケイラにとってもカラカロにとっても一生の問題だ。
双方の合意と歩み寄りで気持ちが噛み合い、そして男女の仲を育てるためには、あまりお膳立てはしない方がいいだろう。
結婚するまでも大変かもしれないが、結婚したあとの方が長い付き合いになるのだ。
子供の恋愛じゃないんだから、何もかも周りが場を整えるというのも、よくないと思う。
「どうした?」
だから、私は急かすことなく、カラカロの言葉を待つ。
色々とわかりやすい男だが、ちゃんと、カラカロの言葉で言ってほしい。
――ケイラに気がある、と。
「……なあ、レイン、おまえはケイラとは付き合いが長いんだよな?」
「ああ。かれこれ十年くらいかな」
ケイラが私の専属メイドに付いたのは、私が六歳か七歳の頃だ。
それからずっと、私の身の回りの世話をしてくれた。
「ケイラは何が好きだ?」
贈り物作戦か。定番だよな。
「花は好きだよ。大きいのも小さいのも好きみたいだ」
だから、彼女の誕生日には毎年、王族の庭に咲く花で花束を作って送っていた。あと手作りの小物を。栞とか喜んでくれたっけ。
「花か」
カラカロは思案気に顎を撫でる。
「……今の季節なら、黄花草が取れるな」
あ、いや。
「カラカロ」
「ん?」
「食べられる花が好きなんじゃない。普通の花が好きなんだ」
黄花草なら、去年の春、食料としてアーレが採ってきたものを食べた。
花弁を一枚ずつむしって油で焼くと、パリパリになって結構おいしい。芋を薄くスライスしたものを揚げたような感じになる。
食べてみた感じでは、塩を振るのもいいが、砂糖を振ってもおいしいかも、と思った。
「普通の? 食えないやつか? ……何のために?」
観賞用じゃないかな。
これも文化の差なんだろうな。私たちにとっては花と言えば、大抵が観賞用だ。
でも白蛇族は食べられるかどうかで価値が決まる節がある。
「あ、虫花は?」
「それ食虫植物だよな? 違う。役に立つ立たないで考えないでくれ」
ナナカナの畑に傍に、虫除けとして植えられていたのを覚えている。今年は私も自分の畑に植えようと思っている。
「そ、そうか……難しいな」
「いや、カラカロが難しく考えすぎなんだと思うが」
花が好きって教えて、こんなにもあれこれやり取りすることがあるのかと、私は驚いているよ。
「ケイラに何か贈るのか?」
「い、いや…………なあレイン、おまえ口は固いか? 固いよな? 固いと言え」
じっとりとした目で見据えられ、ゴリゴリの筋肉を使って威圧してくるカラカロだが、さすがにもう筋肉は見飽きたし見慣れた。集落に来て一年だからな。筋肉にはもう慣れた。
「悪いが、私はアーレに聞かれたらすぐに口を割る。口は固くないぞ」
下手な隠し事は夫婦仲が悪くなる原因だからな。
入り婿はそういうのに気を付けないと。
「……わかった。ならアーレ以外には言うな。いいな?」
好きな女性ができたのってそんなに慎重になるほどの話か、と言ってやりたいが、無言で頷くだけに留めた。
「……俺は、ケイラが、好き、かもしれん」
うん、知ってる。
丸わかり。
周りの皆も知っているんじゃないか?
……なんて、言わない方がいいな。
カラカロは想像以上に奥手で純情らしい。私より年上のはずだが……まあ、人にはそれぞれのペースもあるもんな。そういうこともあるか。
「カラカロはケイラが好きなのか」
「たぶん! たぶんだからな!」
なんで断言しないんだよ。もう断言しろよ。
「……で? たぶんケイラが好きなんだな? それで私にどうしろと?」
「協力しろ」
あ、ここはストレートなんだ。
「カラカロとケイラが番になれるように、私に協力しろと?」
「番まではちょっと早い! ……今はまだ、もう少し仲良くなりたいだけだ……」
…………
まだるっこしい。そして面倒臭い。
「カラカロ。あなたは男だろう」
「ぬ……」
「ぐずぐずしていたらケイラは他の男に取られるぞ。絶対にだ。すぐにカラカロの手が届かなくなる。
あなたはそうなったジータをずっと傍で見てきたんじゃないのか? あれを見てなんとも思わなかったのか?」
「…………」
「ケイラが欲しいなら……やることはわかるよな?」
うつむくカラカロの、バッキバキに固い三角筋をポンと叩く。
なぜこんな立派な筋肉を持っていて、こうも奥手なのか……筋肉関係ないか。
「あなたは戦士だ。獲物を見つけたらどうするんだ? どうしても欲しい獲物だ。たくさん戦士たちも同じように狙っている。
あなたは諦めるのか? 違うよな? 先手必勝で仕掛けるよな? 獰猛かつ勇敢に仕掛けるはずだ。
そこに私の協力が必要か? いらないよな?」
戦士じゃない私が、戦士を説く。
ギラリと向けられたカラカロの両目には、はっきりと苛立ちが見える。……小さな密室に二人きりだからな。さすがに怖い。
「――さっき聞いたことは忘れろ。おまえの協力などいらん」
うん。
「それでこそ戦士カラカロだ。ケイラなら双子の面倒を見ているから、行ってくるといい」
「フン」
カラカロは鼻を鳴らして、巨体からは想像もできないほど素早く、音もなく、私の家から出ていった。
まさに獲物を狙う戦士のようだった。
……はあ。怖かった。
殴られるかと思った。
あの体格に殴られたらちょっと洒落にならない。三角筋もすごかったし。
張りつめていたものが緩み、脱力していると……
「おい」
うおっ! カラカロが戻ってきた! な、なんだ!? 最後に一発殴っとこうってアレか!?
「俺を見ていろ」
「え?」
「俺が逃げないように、後ろから俺を見ていろ」
…………
ケイラがそんなに怖いのかよ。本当に奥手だな。