104.ケイラがいる生活(本)
ケイラがやってきた。
会った時こそ身軽に動ける旅装だったが、翌日からはシンプルなワンピースにエプロンという格好になった。
色合いもデザインも地味だがメイド服に近い印象を受ける。
「――まだ慣れません。いえ……まだというか、慣れる気がしません」
やはり私同様、白蛇族の薄着問題は受け入れづらいようだ。
私だって、下着みたいな格好でうろうろする集団の中で一年過ごした今でさえも、少々戸惑うことがある。
いずれケイラも慣れるのか、それとも一生慣れないままなのか。
私的には、どちらもあり得ると思う。
だって私がそうだから。
「――見事な赤身肉ですね」
元々がメイドだっただけに、家事全般は呑み込みが早い。
準備期間で慌てて身に着けた付け焼刃しかなかった私と比べれば、ケイラは本職だからな。
すぐに白蛇族の女性の仕事に慣れるだろう。
「――料理に関してはレイン様の方がすでに熟達していると思いますよ。私は料理をする機会がほとんどなかったので、基本しか知りませんから」
準備に半年。
そして一年間の実戦。
世の一般的な主婦と比べると、まだまだ赤子の手をひねられるような一歳半の経験だが、さすがに一気に追い抜くのは勘弁してほしい。
細やかな気遣いができるケイラなら、すぐに上達するだろう。器用だし。
私は細かい作業が好きなだけ、みたいなところがあるから。まあ料理自体も好きにはなったが。作るのは楽しい。
「――はぁぁ…レイン様の子供……」
赤子を抱いて悩ましげな溜息を吐かないでほしいんだが。あと顔。男が勘違いしそうな恍惚とした顔をしているけど、そんな顔で赤子を見ないでくれないか。
「――お名前は決まりましたか?」
アーレと相談して決めるつもりなので、まだである。
「――ここがレイン様の畑ですか。……この黒い棒は?」
黒長芋である。
煮て良し焼いて良し砂糖にもなるという、甘い芋……という認識をしている。
ケイラがわからないように、少なくともフロンサードにはない野菜なんだよな。
春になる直前に、畑は準備した。
私が世話をしている規模程度では、趣味の意味合いが強いが、それでも食料が作れるのだ。たとえ収穫は微々たる量でも決して無駄にはならない。
さて。
あと案内するべきところは……ああ、そうだ。
「――ナマズの養殖池ですか」
飲み水の確保や水仕事をする場所として、川に案内する。
働き者の女性たちが井戸端会議をしていたので、軽くケイラを紹介しておいて、それからタタララの作った養殖池に連れて行く。
どうやらケイラもナマズは食べたことがないようだ。いずれ食べる機会は来るだろう。きっと近い内に。
パッと見で土塊魚ことナマズの姿は見えないので、増えているかどうかはわからない。
ただ、秋に放流した個体がここで生きているのは間違いない。
春になってから、野菜くずなどを入れると底の方で魚影が見えるようになったから。
きっと今は、土の塊という意味の名を持つだけあり、池の底の泥の中に潜んでいることだろう。
「――……森の向こうとこちらでは、根本的な生態系が違うのかもしれませんね」
私もその辺を疑っている。
最後に案内したのは、集落の内側か外側か微妙な位置で放逐している、名ばかりの牧場だ。何せ基本は放置しているから。
異様なヒツジ、血走った目をした馬、そして邪悪なヤギと、恐ろしい家畜たちが住んでいる。
……でも、冬の間は私くらいしかエサを与える者がいなかったせいか、最近ちょっと本気で懐いてきつつある。ヤギが可愛い……ダメだ。奴は邪悪だ。気を許すな。
――そんなこんなで、一通り集落の案内と仕事を説明した。
一年前は私がしてもらったことを、今年はケイラにすることになるとは、本当に微塵も考えていなかった。
人生、何があるかわからないものである。
その日の夜、タタララ、カラカロ、ジータがやってきた。
アーレの出産だなんだで、帰還の報告ができなかったからだ。
「苦労を掛けた。飯を用意したから食っていけ」
改めて報告するようなことはないが、アーレの労いの言葉とささやかな宴席が用意された。
冬の間、異様に好評だったしゃぶしゃぶ……こちらではやることそのまま「茹で肉」という名前が付いてしまったそれが提供される。
日中は随分過ごしやすくなったが、まだ夜は寒い。
それに、冬を越えた古い肉を消化する必要もあるので、肉をたくさん食べられるようにこの料理が選ばれた。
最初は自分で料理するという形に戸惑っていたようだが、やることは簡単なので、すぐに慣れた。
そして恐ろしいペースで食べ酒を呑む戦士たちと家族のために、私はただただひたすら肉を薄切りにし続けるのだった。
食事が落ち着いた頃、神蛇カテナ様がすーっと現れた。
「あ、噂の……」
ケイラは、巨大な白蛇の登場に少し驚いていた。
しかし事前に「神の使いはこういう方だよ」という噂を聞いていたので、いきなりの初対面というほどではなさそうだ。
私はいきなりだったけど。驚いたよ。事前学習とか予習とか、すごく大事だと思う。
「レイン、子を――カテナ様、子に祝福を頼む」
アーレに言われて、私は寝かせていた双子を抱えてアーレの隣に移動する。
そして、私たちの前にカテナ様がやってきた。
ゆっくりと頭を近づけ、赤子たちの額に触れる。
「ありがとう。カテナ様」
傍目には特に何もなかったように見えるが、無事祝福は終わったようだ。赤子も可愛いがやはりカテナ様も可愛いな。
そうだ、可愛いといえば、化鼬のサジライトだが。
昨日の今日であまり変化はなく、常に赤子の傍にいるようになった。やはり守っているつもりなのかもしれない。
そして今は……カテナ様が来てからは、部屋の隅に移動して伏せている。
怯えているようには見えないが、いつも通りでもない。
カテナ様が動物や魔獣を退けるという話は本当なのだろう。
まあ、蛇には見えても本物の蛇ではないからな。そういうものなのだろう。
「それとカテナ様。あの女を集落に迎えたいんだが」
言われるまま、カテナ様はケイラの方へと向かい――その足でするすると彼女に巻き付いた。おお……傍目に見るとちょっと怖いな。襲われているようにしか見えない。
「……あ」
そうして、少し戸惑っているケイラとカテナ様と見詰め合う――と、ほんの一瞬、ケイラの暗緑色の瞳の色が変わった気がした。
一年前は当事者だったのでわからなかったが。
……カテナ様に気に入られる、魂を欲されるって、ああいうことだったのか。
「ありがとうございます、カテナ様」
ケイラ本人も何かしら感じ入ったようで、自然とお礼の言葉を口にした。
そして、言った。
「あの、アーレ様。今カテナ様が、番ができたら子を許すと……言ったような、気がしたんですが……」
えっ。
「そうか。よかったな。カテナ様は神の使いだ、子を宿せない女を治すことなどたやすい」
あ、そう……なんだ……
「カテナ様、ありがとうございます……!」
涙ぐむケイラは、カテナ様を抱き締めた。
一年前は私も同じようなことをして、しっかりアーレに注意されたが。
しかし今回アーレは何も言わなかった。
さすがにケイラが感激している理由がわかったからだろう。
そして私は思った。
――言葉掛けるの早くない? それで考えると私かなり遅くなかった? と。
なんか、こう。
なんだ。
……私やっぱりカテナ様に嫌われているんじゃなかろうか。