102.放心した朝
アーレに呼ばれて飛び起きた。
そして彼女を見て、すぐに悟った。
「――えっ!? 来た!?」
苦悶の表情で横たわっている。
陣痛だ。
これまでに断続的に来ていたが、今度こそ恐らく……
タタララたちが森の向こうへ旅立ってから、約一週間後の深夜。
いよいよアーレの様子と自己申告から、出産が間近に迫っていることを知らされた。
ここ最近は、私もアーレと一緒に本家の方で泊まり込み、いざという時に備えていたが――
その「いざという時」が、いざ来てしまった。
「がんばれよアーレ! 婆様を呼んでくる!」
私は大急ぎで明かりを点けて、靴を履く間ももどかしく、裸足で家から飛び出した。
「――ぬわぁ!? なんじゃ!? 夜這いか!?」
出産が終わるまで留まる予定だった婆様は、今はすぐ傍の家に住んでいる。
私はその家に突撃すると、寝ている婆様を叩き起こし、引きずるようにして家から引っ張り出した。
「アーレが! アーレが!」
「お、おぉ!? 産みそうか!? わかったから一度離さんか! それとおまえあとで殴るからな! 杖で殴るからな!」
語彙力が死ぬほど焦っている私の様子から、察してくれたようだ。
「ミタとカレコとジーニを呼んで来い! あと水を汲んでこい!」
「わかった! アーレを頼む!」
私は走った。
ミタ、カレコ、ジーニは集落の高齢の女性たちで、産婆でもある。
事前に「もうすぐだから」と話を通しておいたので、彼女たちはすぐに応じてくれた。
焦るあまり、いきなり家に飛び込んでしまったせいで、カレコの夫である戦士に「夜這いかおまえ!」と怒鳴られ殴られたりもしつつ、私は集落中を走り回った。
水を汲んで家に運ぶと、もうできることはない。
あとは、ただただ、待つばかりである。
遠くの空が明るくなってきているのを、じんじん痛む顔で気ばかり逸りながら立ち尽くす。
と――
「邪魔だから預かってなっ」
家のドアが開いたと思えば、ぽいっと化鼬を放り出した。――誰からも可愛い可愛いと甘やかされていたサジライトは、初めて受けるぞんざいな扱いに呆然としている。
そんな驚いた顔で固まるサジライトを抱き上げて、私は待った。
フロンサードでは、出産は命懸けだと言われていた。
出産もそうだし、産後も大変だという。
私は男だから、知識だけで分かった気になれるだけだ。
きっと本当の意味では、一生理解はできないことなのだと思う。
白蛇族の出産は、楽だという話だ。
出産で母体が危険になることもないし、結構簡単にすぽーんと産まれるらしい。
そもそも信じらないことに、妊娠から出産まで三ヵ月から四ヵ月という短い期間だというのだから、あまり心配はいらないのだろう。
――などと頭で思っていても、心配と不安で圧し潰されそうだ。
きゅー!
思わず腕に力が入ってしまったようで、サジライトまで圧し潰してしまいそうになった。今は構ったり可愛がる余裕はないので、その辺で遊ばせておこう。……振り向きもせず走り去っていったな、あいつ。
今、ドアを一枚隔てた向こうで、嫁ががんばっている。
そして、私にできることはない。
待つことしかできない。
朝陽が昇る。
婆様を始めとした女性たちがやってきて、どれほどの時間が経っただろう。
ものすごく待っている気がするのは、私の心が落ち着かないからか、それとも本当に時間が経っているからか。
簡単に産まれる、心配するな、と多くの女性に言われた。
……長いような、皆から聞いていた出産より時間が掛かっているような気がするのは、それこそ私の気が逸っているからだろうか。
…………
そういえば、アーレのお腹は通常より大きいと、何人かに言われたな。
…………
難産? 難産なのか?
卵生だから安心って聞いていたが、まさか卵生じゃないのか? 卵生じゃないから難産で時間が掛かっているのか?
母体は大丈夫か? そもそも妊娠・出産が三ヵ月から四ヵ月って本当なのか?
え、今更だけど卵生って何? 卵で産まれるって――
「――殿下!」
えっ。
懐かしい呼ばれ方をして思わず振り返ると、懐かしい人がこちらに走ってくる姿があった。
見間違いかと思ったが、見間違いじゃない。
一年前までは、十年以上近くにいた人だ。
「ケイラ!」
本当に来たのか。
来るという予定で動いてはいたが、いざこの集落に彼女がいるという光景は、いささか信じられ――
「――レイン! 産まれたよ!」
「……!」
全ての思考が吹き飛んだ。
アーレとの空間を隔てていた邪魔なドアを思いっきり開き、私は家の中に飛び込んだ。
「アーレ! 大丈夫か!」
彼女は横になったままだが、私を見て疲れた顔で笑った。
「一人ならもう少し楽だったらしいがな。双子だ」
「双子!?」
探すまでもなく、婆様とミタが毛布に包んで抱いている赤子が目に入る。
双子。二人。
お腹が大きいとは聞いていたが、まさかの双子。二人入っていたのか。
「無事産まれたぞ。よかったな、レイン。男と女の両方じゃ」
「両方!?」
白蛇族の夫婦は、だいたい一人しか子供を産まないらしい……という話は耳に入っているが、正確には「一人」ではなく「一度」なのかもしれない。
いや、そんなことはどうでもいい。
「だ、大丈夫なのか!? 泣かないけど……!」
見る限り、赤子は小さく、動いている。
ちゃんと生きている。
でも、泣かない。
産まれたての赤子は、泣くものだ。
泣かないとあまりよくないらしい、と学んでいる。
「白蛇族の赤ん坊は泣かん。敵に見つからんよう声を上げない習性があるんじゃ」
「声を上げない習性!?」
妊娠・出産の期間といい、卵生といい、この辺も私の常識とは違う文化があるようだ。
「じゃあ、大丈夫なんだな!? 赤子も無事でアーレも死なないな!? 本当だな!?」
「うるさい奴じゃな。おまえの子じゃ、早う抱け」
婆様とミタから、赤子を受け取る。
小さい。
これもフロンサードとは違う。
向こうで言うところの未熟児のサイズだと思うが、これがこちらでは普通なのだとか。
目も開いていないし、髪も生えていない。
顔もしわしわだ。
……でも、なんだろう。
こう、なんか、込み上げてくる感情は、なんだろう。
――朝から慌てて焦って気が逸って不安と心配に駆られて、そして今、放心している。
ただただ手の中にある温もりを、とても愛しく感じていた。