99.どこまで本気?
別れる前に少しだけ話をしたい。
一人だけここから引き返すフレートゲルトは、レインティエの話を直接聞く、最初で最後の機会になるかもしれない。
そう思ったがゆえに、交渉役のナナカナに要求した。
「いいよ。さっき言った通り、私はレインの義理の娘だからね。一緒に住んでるから話せることも多いと思うよ」
ナナカナがこれを承諾し、少しだけこの場に留まることになった。
サララの木の根などに腰を下ろした。
そしてケイラは、白蛇族の四人中三人に囲まれた。
「――え、じゃあなんだ? 親父がどこぞのジジイと番にさせようとしたのか? ひでーな。そりゃ逃げもするわな」
ジータという若い男が、遠慮を知らない子供のようにずけずけといろんなことを聞いてくるのを、ケイラは努めて冷静を装い答える。
初対面でここまで個人的なことをまっすぐ聞いてくる男なんて、ケイラには初めてだった。
問題はあったが、一応は貴族社会で生きてきたケイラである。
……というか、庶民でさえここまで無遠慮な者は珍しいかもしれない。
「なあカラカロ」
「う……うむ。そうだな……」
「ジータ。ほかにも聞きたいことがあるだろう。聞け。早く聞け」
いや、そもそもこの布陣だ。
まず、ジータをけしかけているのはタタララだ。
ケイラはタタララに嫌われている……いや、警戒されていることはもう察している。それゆえに、直接話しかけて聞き出そうという気はないようだ。
タタララに言われるまま、色々と質問をするジータ。
彼は軽薄に笑いながら、思いつく限りの質問をしている。だがその笑いはカラカロという大柄な男に向いている。
何かあるのだろうか。
ケイラには彼らの人となりがわからないので、何とも判断しづらい。
そして、カラカロという大男。
話を振られて頷くだけの者なので、ジータよりもわからない。
「あの、私からも質問をよろしいでしょうか?」
ジータの発言が止まったところでケイラは割り込む。
が――
「レインの話なら本人に直接聞け。どうせ二、三日で会えるからな。それよりおまえのことをジータに教えてやれ。私はどうでもいいがジータが知りたがっている。そうだよな?」
タタララがばっさり切り捨てる。
そしてジータをけしかける。
「――好きな男とかいなかったのか? 二十七だろ? これまでに一人や二人いてもおかしくねぇだろ」
ジータはけしかけられるまま仕掛けてきて、
「――いねぇのか? そりゃよっぽど周りにいい男がいなかったってことか。だってよ、カラカロ」
「――うるさい。聞いていた」
カラカロは面倒そうに頷くだけ。
理由がよくわからないまま、ケイラは彼らの強引なチームワークで転がされている。
そんなケイラたちから少し離れたところで、フレートゲルトはナナカナと話していた。
そして早々に看破されていた。
「レインより気になることでもできた?」
「えっ?」
「ちょっとわかりやすいよ。視線とか。気の配り方とか」
何せ一対一の会話である。
フレートゲルトが何を気にしていて、誰を見ていて、本当に話したいことを我慢しているのか、ナナカナには完全に丸わかりである。
普段のフレートゲルトはもう少し冷静だし、視線や気配りにも気を付けている。騎士は貴族に関わるシーンも多い。
多少礼儀知らずでも、不敬な態度までは許されない。
――しかし、急遽普段のままではいられなくなったのだから、仕方ない。
「……ナナカナちゃん、ちょっと個人的かつ内密な話をしていい?」
そして、ここで別れたら二度と会えない可能性の高い、生きて辿り着けない場所に住んでいる彼女らである。
もうバレたのであれば、隠す必要もないだろう。
「何? 名前はタタララで、番はいない。白蛇族の優秀な戦士で、今のところ好きな男もいない。他人の色恋沙汰が好きで、でも自分でする分には興味がないみたい。
他に聞きたいことはある?」
子供の身で交渉役を任されるだけあって、非常に話が早い。
「タタララさんって言うのか」
「うん」
「歳は?」
「十八。もうすぐ十九になるはず」
「同い年か……」
「え? フレートゲルトって十八歳なの? 見えないね」
「老けて見える?」
「うん」
はっきり言われると少々胸が痛い。
「……あのさ。会ったばかりの子供に相談するのもおかしいとは思うんだけど、聞いてくれる?」
「うん。何?」
「俺はこれまで女に縁がなくて、モテることもなくてね。……タタララさんを口説きたいって言ったら、どうしたらいいと思う?」
「本当に子供に相談することじゃないね」
それはフレートゲルト自身もよくわかっている。
だが、本当にもう二度と会えないかもしれないのだ。
なんなら、こっぴどく振られても、もう二度と会わないと思えば思いきれる気がする。
「どこまで本気かによる、としか言えないなぁ」
「どこまで本気か?」
「――タタララは戦士だから」
ナナカナは淡々と語る。
「そっちはどうだか知らないけど、白蛇族の多くが男は戦士で、女は家庭を守る。この形に納まるの。
見たところ、フレートゲルトも戦士みたいなものだよね? まずその時点で噛み合わないんだよ」
白蛇族の夫婦の形は、こちらとあまり変わらない。
似たようなものである。
ただ、今回の場合。
タタララは戦士だ。
彼女の夫になるのであれば、夫婦の役割が逆になる、と。
ナナカナはそう言っている。
「レインってさ、結構偉い人なんじゃないの? 身分がある人、と言った方が正しいのかな」
「……なぜそう思う?」
フレートゲルトは内心驚いていた。
レインティエは、よほどのことがなければ、祖国での自分の身分や身元は話さないはずだ。
現にナナカナのあやふやな言葉は、確証がないからこそである。
しかし、根本的に文化が違うであろう場所に住む者に悟られるとは、思えない。
「言動の端々から、としか言いようがないよ。なんとなくそう思ったから。手も綺麗だったし。ケイラも元は使用人って言っていたし。
きっと働かなくていい暮らしをしてたんだろうなって。キゾクってそういうのなんでしょ?
まあこの辺のことはどうでもいいんだけど――」
――交渉役に選ばれるわけがよくわかった。蛮族の子供だと思っていたら本当に痛い目に会いそうだ。
「レインはそういうのを捨てたんでしょ? それくらい本気で私たちの集落に来たんだよ。
一年前、ここで初めて会った時、レインは骨を埋める覚悟で来たって言ってたよ。
聞いた時は信じなかったけど、今は信じてる。
フレートゲルトはどうなの? どこまで本気で、どこまで捨てられるの?」
どこまで本気なのか。
そんなの、今抱いた気持ちに、即答なんて。
できるわけがない。
そこまで軽率な判断は下せない。
「――もうはっきり言うけど、フレートゲルトはタタララのために剣を捨てられるの?」
捨てられない。
急にそんなことを言われても、返事なんてできるわけがない。
「今タタララに何を言おうと、最終的にはそういう話になってくると思うよ。
この場ですぐ決められないなら、今はその時じゃないんじゃない?」
と、ナナカナは座っていた木の根から立ち上がった。悔しいほどに引き際まで弁えている子供だ。
そう、引き際だ。
フレートゲルトは、もうナナカナを止める言葉がない。それを見越してだ。
――これ以上この話を続けるほどの本気さえ、まだ、持っていなかったから。
こうしてフレートゲルトだけを残し、白蛇族の四人とケイラは霊海の森へと消えていった。
いや。
「――タタララさん!」
フレートゲルトは走り出した。
「……あ?」
タタララが怪訝な顔で振り返る。
そんなタタララの正面で、言った。
「俺は、フレートゲルトだ」
「…? ああ、知っているが」
追いかけてきて何を言うかと思えば、名を名乗った。
「頼む」
「頼む……って、私に? 何を?」
会ったばかりどころか、これから別れて二度と会わないだろう二人だ。
この期に及んで頼むとは。
いったいなんなのか。
「――俺の名前と顔を、忘れないでくれ。俺はフレートゲルトだ。ちょっと老け顔で、君と同い年の十八歳。夏の終わり頃に十九歳になる」
「え、十八? ……私と同い年? 本当にか?」
名前も顔も興味はないが、唯一年齢は気になった。顔と歳が合っていない。少なくとも二十歳を越えた顔立ちに見える。
「……頼む。忘れないでくれ」
「よくわからんが、わかった。こんなことをされたら早々忘れられそうもないしな」
ふっと、タタララは笑った。
おかしなことを言う男の発言に、凛々しく結ばれた顔を少しだけ解いて見せた。
「……!」
フレートゲルトは息を飲んだ。
――あ、俺結構本気かも、と思い知った。
そうして、今度こそ五人と一人は別れた。