09.神蛇カテナ
家に上がり、アーレ・エ・ラジャに勧められるまま盃を持たされる。
一人で台所に立ちテキパキ動いているナナカナに申し訳ない気持ちを抱きつつ、彼女が注いでくれた酒を口に含む。――ナナカナも疲れているだろうに、本当に申し訳ない。明日からはナナカナの仕事のいくつかは私が受け持とう。
「お……」
茶色に濁った酒精の強い酒である。
酒の味よりえぐみと雑味の方が勝るという、なかなか野性味の突き抜けた独特の酒だ。
なるほど。
酒造文化はあまり発展していないのか。恐らく主原料を詰めて放置しているだけ、みたいな造り方をしているのだろう。
アーレは実に旨そうに二杯目をあおっている。すごい飲みっぷりだ。私より二つ年下だという話だが、私では到底かなわないほどの貫禄だ。
囲炉裏に入れた火で一間の家が温かくなってきた。
ガラスのはまっていない窓は閉めてあるので、外の様子は見えないが、きっと暗くなっているだろう。春の夜はそれなりに冷える。
「――できたよ」
ナナカナが大振りの椀に入った煮物だかスープだかを運んでくる。私は立ち上がって、せめて運ぶくらいの手伝いをする。
……肉と野菜を煮たものだな。匂いも少々えぐみの強い肉の匂いがするだけで、スープといっていいのか……うーん……まあ、煮たものだな。
「この肉は何の肉だ?」
「牛だよ」
「牛か。牛肉か」
牛の肉は硬いんだよな。きっとそれは共通認識で、だから一口大に小さく切ってあるのだろう。
「白蛇族がよく狩る獲物だ」
つまり、アーレ・エ・ラジャが仕留めたものか。どうにか保存していたものだろう。
「群れの牛は強いんだ。一度に三頭以上を相手にする場合、こちらに死者が出る。いかに孤立させるかが狩りの基本だが、逃げ足も速いし、何せ光るからな。まともに光を見てしまえばしばらく何も見えなくなる。その後はだいたい撥ねられるぞ」
…………ああ、うん。
途中までは納得しながら聞いていたが、どうやら私の知る牛とは違う牛の話らしい。牛というより魔獣の一種だろう。牛は光らないから。
それにしても――からい。塩辛い。
「少しばかり長旅だったからな。我が家で酒を呑み飯を食うとほっとする」
言っていることはよくわかる。
なんだかんだ言って結局我が家が一番落ち着くからな。
でも今は、この煮たものの塩辛さの方が気になっている。
どれだけ塩を入れてるのか、案外ナナカナが味付けに失敗したのか。
なんて考えていれば、アーレ・エ・ラジャは美味しそうにガツガツ口に詰めては酒で流し込むという、恐ろしい食べ方と呑み方を披露している。
ナナカナも普通に食べ続けている。
この様子だと、どうもこれがこの家の家庭の味らしい。
……一先ず、今日のところは、何も言わずに食べよう。
到着して早々に「これ塩入れ過ぎじゃない?」なんて文句のようなことは言えない。ナナカナが作ってくれた気持ちも含めて言えない。
ああ、塩辛い。
肉が堅い。
でも肉はまずくはない。
一緒に入っている真っ黒な輪切りのなにかは、さっき畑で回収したニンジン擬きだろうか。
見た目に寄らずこれが美味しい。すっと歯が通る程度に柔らかく、甘い。これが入っていないとちょっと食べきれなかったと思う。
「――族長、カテナ様を連れてきたよ」
そんな夕食の最中、外からそんな女性の声が掛かった。
「入れてくれ」
酒が入り、多少腹も膨れたことで眠そうな顔になっているアーレ・エ・ラジャが言うと――
「うわっ!?」
びっくりした。
外の女性が開けたのだろうドアの隙間から、するすると入ってきたのは、白い紐……いや、蛇である。それもかなり大きな蛇だ。
全長は、私の身長を少し超えるくらいか。私の腕より少し太いくらいで、人は無理だがウサギくらいなら二、三羽は軽く呑み込めるくらい大きい。
蛇か。
図鑑に乗った絵では見たことがあるが、実物を見るのは初めてだ。それも真っ白な蛇である。
「呼び立ててすまなかった、カテナ様」
え、これ? これがカテナ様? 族長よりシャーマンより上の、部族の重鎮?
そのカテナ様は、勝手知ったるという風に家に上がると、「何か用か?」と言わんばかりにアーレ・エ・ラジャを見詰める。
――あ……これか。
右目が金色で、左目が朱色。
白い大蛇というだけでも神秘的なのに、更に神秘的なカテナ様の両の目の色を見て、なんとなくわかった。
確か、集落にいると言っていたな。神の使いが。
「この新入りの男を認めてほしいのだ。――レイン、いつか話したと思うが、この方が神の使い、神蛇カテナ様だ」
やはりこれが……いや、この方が。
「お初にお目にかかります。レインティエと申します。よろしくお願いします、カテナ様」
蛇に名乗って挨拶するというのもなんだかおかしな感じはするが、これは間違いではないはずだ。
と――カテナ様はしばらく私を見詰めると、するすると寄ってきて、身体に巻き付き始めた。え、なにこれ。ちょっと怖いんだが。
「……」
振り落とすわけにいかず、振り払うわけにもいかず。
反射的に動きそうになった身体を意志で抑え込み、カテナ様のやりたいようにやらせておく。
いざとなったらアーレ・エ・ラジャが止めてくれるはずだと信じて。危険はないだろう。ないはずだ。……頼むから痛いこととか怪我することとかしないでカテナ様。
カテナ様は胴や腕や首に巻き付くと、私の顔のすぐ目の前で、じっと私の瞳を見てくる。
じっと。
金と赤の瞳が、私の瞳に映っている。
……なんだこれは。なんという深い色。なんという……あっ!?
「な、なんだ今のっ!」
自分でもよくわからない感覚に襲われ、思わず大声を上げてしまった。
今のは、なんだ。
自分の中の何かが、大切な何かが引きずり出されそうになった。
「気に入られたな」
アーレ・エ・ラジャは「当然だな。おまえは我が気に入った男だ」と、カテナ様も今の不思議現象も気にせず今すぐプロポーズするべきか迷うことを言う。
「カテナ様がおまえの魂を欲したのだ」
「た、魂……」
それはなんだ――と言いたくなったが、今の私はそれっぽいものを、霊海の森でたくさん見てきた。きっとああいうのだろう。
「難しく考える必要はない。どうせ死後の話だ。おまえが死んだら、おまえの魂はカテナ様がカカラーナ様の下へ連れて行く、というだけの話だ」
カカラーナ様というのは、白蛇族の始祖である女神の名前だ。そしてカテナ様はカカラーナ様の使いだと、そう言われているそうだ。
私の死後、魂を連れて行く、か……
霊海の森でたくさん、見飽きるほどいろんな不思議を見てきただけに、本当にそういうのもあるのかもしれない。
でも、まあ、確かに、今気にしても仕方ないのだろう。
――それよりだ。
「……」
蛇。蛇か。
きっと動物、あるいは害獣としての蛇は、人にとっては恐ろしい存在なのだろう。毒を持っていたり、小さな隙間から入り込んだりと、命に関わる外敵とも言えるかもしれない。
しかし、この白蛇。
神蛇カテナ様はどうだ。
こうしてじっと見ていると……なんだかどんどん可愛く見えてきた。恐る恐るカテナ様の身体を、白い鱗を撫でると、ひんやりしてすべすべしている。手触りは良い。
「……カテナ様……」
鎌首をもたげてまだ見ているカテナ様の頭を、ゆっくり抱き締めてみた。
ああ……
手触りも思い入れも何もかも違うのに、部屋に置いてきたククーラちゃんを思い出す……こうしているとなんか落ち着く……
「おい、なぜカテナ様をそっと抱き締める。あまり気安く神の使いに触るな」
――確かにその通りだ。神の使いを抱き締めるなど不敬極まりない。
「なんか可愛くて」
そっとカテナ様を離すと、彼だか彼女だかは、するすると俺の元から離れて囲炉裏端でくつろぎ始める。
気分を害した風ではないので一安心だ。きっと大らかな性格なのだろう。
「……それは我よりもか?」
「えっ」
「我よりもカテナ様の方がかわいいと。そう言っているのか?」
…………
どうやら大らかな神の使いではなく、嫁候補の方が気分を害していたようだ。