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008.一歩進んだ演奏会

 若干は省略しつつもだいぶ長い一人語りになってしまったが、姫香は相も変わらず静かに聞いてくれた。

 穏やかに緩やかに、柔らかな表情で。


「凄く悔しいけど」


 若干の沈黙の後、姫香が口を開いた。


「綿原の言っていることはもっともだと思う。私、考えすぎちゃうんだよね」


 うんと手を伸ばしてぐったりすると、「はあ」と小さなため息を漏らした。


「意識するな、緊張するなって思えば思うほど意識しちゃうのは駄目だよね。だったら綿原の言うとおり、それを受け入れないといけないのはわかる。それ含めての歌だもんね。逃げちゃいけない」


 力のない笑顔が儚げに見える。姫香は「楽しむことかあ」と呟いた。

 歌を、緊張を楽しむこと。それは姫香にとって、あまりにもぼんやりとした形だ。

 だけど少しでも、意識を傾ければきっとその形は、はっきりと浮かび上がるだろう。時間はかかるかもしれないが、きっと。


「……っよし!」


 先に姫香が立ち上がって声を上げた。


「ありがとしゅーへー。あと悔しいけど綿原にも。でも言わないでね、悔しいし知られたくないし腹立つし」


 足蹴にした男に対する憎しみが手に取るようにわかる。


「それじゃあそろそろ歌うね。少しでも緊張をほぐせるようにがんばるからっ」


 そうして姫香は準備段階に入った。以前のときの深呼吸や体を伸ばしたりと。


「しゅーへー、なにか歌ってほしい曲ある?」


 そうだなあ。と再び音楽室でのことを思い出す。あのとき大音量で鳴り響いたピアノ。夏穂さんが俺のことなど気にせずに弾いていたあの曲。

 名前を思い出した。そしてあれは花の名前ではなく、宇宙を意味していることも。


「『コスモス』って歌えるか?」

「え? あ、うん」


 変なことを言ったつもりはないのに、間違いなく姫香は一瞬戸惑った。

 ……よくよく考えてみたら確かあの曲は。


「歌えるけど、ソプラノでいい?」


 そうだった。合唱曲だったことを忘れていた。こんなことなら違う曲にすればよかった。


「……お願いします」


 恥ずかしながらもいつもの場所へ向かう。

 もはやお馴染であるベンチが舞台。そのちょっと離れたところが観客席。椅子はないので立ち聴きではあるが。


 ベンチに立つ姫香は、どことなく落ち着きを払っている気がした。

 あくまでもそんなふうに見えるだけで、実際は相当緊張しているに違いない。その証拠に足元が震えている。


「歌詞、ちょっぴりうろ覚えだけどいいかな?」


 もちろん構わない。首を縦に振ると、にこりとする姫香。そろそろ、演奏が始まる。

 姫香の歌声が聴こえた。このメロディ、懐かしい。やはり知っている曲だと余計に聴き入ってしまう。姫香の一直線な歌声が俺に強く伝わってくる。この曲、歌詞も相まって曲調が姫香に合っている。


 そして、四分弱の演奏が終わった。


「……どうだった?」


 不安気に様子を伺う姫香だが、俺は穏やかに答えた。


「今日は結構、落ち着いて歌えていたと思う」

「……ほんと?」

「姫香自身は自分で歌ってどう思ったんだ?」


 首を傾げている。


「うーん……なんだかよくわからなかったの」

「そうなのか?」

「うん。なるべく緊張とかそういうの考えないようにしたんだけど、そしたら頭の中がいろんなことでごちゃごちゃになっちゃったの。あと、歌詞を思い出そうとしてたのもあって余計に混乱しちゃって」

「緊張から離れていたからガチガチにならなかったんじゃないか? 少なくとも今回は、いままでと比べたらのびのびと歌えていた気がするぞ」

「そうかなあ……実感ないや」


 主観じゃわからないものでも客観ならわかるものだとつくづく思う。歌以外に関してもだ。


「ただちょっと、いい意味でも悪い意味でも勢いが弱かったかな。メリハリがないというか、盛り上がりに欠けるというか……」

「前の方が勢いあったの?」

「ああ。今回は緊張から離れた分、力まなかったから弱くなったんじゃないかな」


「そっかあ」と俺から視線を外して空を向く姫香。便乗して空を見るが、月が見えない。本当に雨が降りそうな気配だ。少し肌寒いし、長袖の下にTシャツじゃ駄目だったなと思っていたら、隣から「っくしゅ!」と可愛らしいくしゃみが聞こえた。

 赤色のカーディガンが暖かそうなのに。顔をうつむかせて恥ずかしそうな姫香。生理現象なんだから気にすることはない。


「そろそろお開きにするか? 風邪ひいても困るし」

「うん、そうだね。寒いし」


 立ち上がって向かい合うと、鼻を軽くすすりながら姫香は笑顔で言った。


「しゅーへー、今日もありがと! どうやって歌えばいいか、少しだけわかってきたかも。しゅーへーが教えてくれたアドバイスのおかげだよ!」


 間接的に俺が介入しているだけで、実際は幸也のおかげなのだが言わない。

 姫香自身もわかっているだろうし、なによりあいつのおかげと思うのが腹立つのだろう。


「緊張の意識がなさすぎても、あんまりよくないってのもわかったしな」

「うん。かといって意識し始めるとまた駄目になるから、落ち着いていけるようにしないと。悔しいけど、受け入れて楽しまなくちゃ、ね」


 緊張のせいで力んでしまうが、逆にないと弱々しくなる。極端だからこそ、適度に緊張を持たなければいけないことがわかった。確かに幸也の言うとおり、ほどよい緊張がないと最大限の歌声を引き出せない。

 なかなかに難しい話だが、課題は見えてきた。

 悔しさが顔に浮かんでいるが、俺を見て微笑み直す姫香さん。なんか面白い。


「またこれからもよろしくね、しゅーへー」

「ああ、これからもがんばろうな」


 小さいお辞儀と同時に今度は俺がはっくしょん!

 やっぱり今夜は冷える。

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