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005.これからもよろしく

 数分間の演奏が終わり、俺のところへ駆け足でやってきた。


「どうだった?」


 返答に困った。正直に言うのは簡単なのだがどうにも気が進まない。

 いいときはすらすら言葉に表せるけど、その逆の場合は言葉に詰まる。

 つまりは。


「……先週と比べてるんだよね?」


 黙っている意味を汲み取ったのか、姫香が言う。どうやら姫香自身も気付いていることなのかもしれない。


「遠慮しないで大丈夫だよ。正直に詳しく言ってくれた方が、助かるから……」


 本人がそう言うのなら言うしかない。本人が気にしていることを、第三者にも指摘してもらいたいのだろう。

 そうすることで、自分をより深く知ることが出来る。


「とりあえず、座るか」


 ベンチへ座り、少し感想をまとめてみる。

 姫香も勘付いているので、なるべく短めに。


「とにかく固かった」


 また要約しすぎた。急いで続けた。


「なんていうか表情や動きに声、とにかく全体が固くて、辛そうに、緊張しているのかのように感じたよ。いや、歌自体は凄く上手いし、一所懸命歌っているように見えたんだけど」


 述べている間、俺は姫香の顔を見ないようにしていた。


「先週の様に心には響かなかった。響いたのは耳元だけで、高さも感じなかったよ」


 つまりは先週とは全く違う、なんの付加要素もない、ただ歌が上手いだけ。

 素人が失礼な物言いだがこれが本音だ。先週と今週、どちらがいつもの歌声なのだろうか。


 ……言いすぎたかな。そっと姫香を見ると特に表情の変化はなかった。それどころか真剣に頷き、納得しているように見える。

 そして、姫香は温かく微笑んだ。


「正直に答えてくれてありがとう。しゅーへーの言ってることは間違ってないよ。私、極度のあがり症なの。普段はそこまでってわけじゃないんだけど、歌になるとどうしても固まっちゃうんだ。聴いてくれる人が一人でも、相当ね」


 先週と今週の違いは観客の意識。先週は誰もいないと思ったから。

 そして今日は、俺の存在を把握していたから。


「だから今回は上手く歌えなかったってことか」

「言い訳だよね。緊張したからって、結局はそれも含めての本当の実力なのにさ」

「でも自覚はしてるんだろ? なら場数さえ踏めば、先週みたいに歌えるんじゃないか?」


 余計なことを言ってしまったと後悔した。もしすでに場数を踏んでいるとしたら、失礼にあたる。

 そんな無礼な物言いに腹立てることなく、姫香はさっきより声の調子を落として苦笑いしていた。


「どうしても駄目なの。何度やっても、何度がんばっても失敗しちゃって、少しでも意識しちゃうだけで倒れそうになるの」


 不意に思い出す。あの演奏を終えた後の、不気味な光を放ったナイフ。

 夜風が少し、冷たい。


「それでも今日は歌えた方なんだよ。自信持って言えることでもないけど……」


 少しだけ、俺に聴かせようとした理由がわかってきた。問いかけてみる。


「それで、あがり症を治したいのか?」


 いきなり確信をついたのか、姫香は若干の戸惑いを見せている。


「歌は好きなんだろ?」


 歌が好きだから弱点を克服したい。それなら道理に合っている。

 この質問ならすぐに頷くと思っていたのだが、沈黙が続いてしまった。


「……嫌い、なのか?」


 言い方を変えてみる。すると、姫香はようやく口を開いた。


「嫌いじゃないよ。嫌いじゃないけど、歌うことは好きにはなれないの。だから答えられなくて」


 でも、と続ける。

 低めのトーンが、いまの姫香の気持ちを表している。


「でも、音楽そのものは好き。曲を聴いたり、楽譜を見たりするのは大好き」


 だから、と更に続けた。


「歌うことも好きになりたい。歌うことが楽しいと思いたいから」


 まっすぐな瞳が俺に向けられ、心からそう望むように言葉を連ねていった。その声が、俺の耳から心へそっと伝わっていく。


 歌うことは好きじゃない。でも好きになりたい。


「しゅーへーが言ったように、私はあがり症を治したい。治すのは無理でも、少しでも克服出来れば、人前でもちゃんと上手に歌を届けられるようになれれば、きっと……」


 歌うことも好きになれる。多分、他の思いも込められているのかもしれない。


「でも、本当は」


 いきなり風が強くなった。木々が揺れ葉擦れの音を立てる中、姫香は動じずに口を動かしていた。

 ただ、その声は自然の音にかき消されて聞くことは出来なかった。

 まるで聞かせたくないかのような、一瞬の強風。


 姫香はベンチから立ち上がり、数歩歩いて両手を後ろに組むと、さっきまでの暗い雰囲気が嘘だったように笑顔で振り向いた。


「今日は本当にありがとう。遅くまで付き合ってくれて、それに歌まで聴いてもらってごめんね。でも、来てくれて嬉しかった」

「来たのは俺の意志だからお礼も謝ることもいらないって」


 俺も腰を上げ、笑みつつも冷静に言葉を返す。解散の流れに傾いていることに内心は焦っていた。

 まだなにも解決していないのに、帰るわけにはいかない。


「なあ、もし迷惑でなければいいんだけどさ」


 俺が最後に質問してからの間、ずっと思っていたことを聞いてみる。


「もしよければ、聴き役にさせてくれないか?」

「聴き……役?」


 もともと丸い目を更に丸くさせて首を傾げる姫香。言葉足らずだったか。


「単刀直入に言う。俺は、水無瀬姫香の歌声をもっと聴きたい。それも姫香が納得する出来ならなおさらだ」


 適度に間をおき、噛まないよう続けた。


「だから俺は、姫香が緊張せず歌えるまで何度でも聴きたい。俺が協力出来ることは大してないだろうけど、観客として聴くことぐらいは出来る。どうすればさほど緊張しなくなるか、俺なりに考えたり調べたりすることぐらいも出来る。いままで頑張って駄目だったとしても、もうすぐで克服出来るかもしれない。もう少しでなにかきっかけが掴めて上手く歌えるかもしれないだろ」


 人に思いを伝えるだけでも緊張するし、それが上手く伝わっているか不安にもなる。終わった後の相手の反応も怖いし、場合によっては恥ずかしさも込み上がる。

 ましてやそれらに歌の技術を介入するとなると、難易度はどれだけ上昇するのだろうか。

 それでも、どんな場面にも必要なものが絶対に存在する。俺にはあるだろうか。


「勇気を出して、諦めないで歌ってほしいんだ。あのときの様に心が震える歌声を、俺だけにじゃなく、いつか皆にも聴いてほしいから!」


 感情が高ぶっている。拳に力が入り、心臓が荒く鼓動していた。体が少し、熱い。


「だから、もしよかったら……あがり症を克服するまで、いや、歌うことを好きになるまで、聴き役として手伝いをさせてくれないか?」


 終始静かに聞いてくれたものの、俺の熱弁に多少の驚きを見せていた姫香。

 知り合ってまだ日が浅い級友に、姫香はなんと答えるだろうか。


「しゅーへーは、優しいね」


 姫香の表情から微笑みが咲いた。俺の拳の力が抜け始めていく。


「そういうのって私からお願いするべきなのに、逆にお願いされるとは思わなかったもん。でも、とっても嬉しかった。私もね、さっきも言ったようにあがり症を治したい。自信を持って、人前でものびのびと歌えるようになりたい。だから、改めてこちらからお願いするね」


 俺との距離を縮め、小さくお辞儀をした。


「どうか、私の歌声を聴いてください」

「ああ、俺でよければ」


 二つ返事で快諾した。体の火照りは風で冷まされ、感情も平静に戻ってきた。

 

「これからよろしくな、姫香」


 今後の高校生活も含めての挨拶。仮に今日の出来事がなくても学校では会うことになる。会話するかはわからないが。

 

「うん! こちらこそよろしくね、しゅーへー!」


 思った。初対面のときとはえらく違う表情だ。あのときは警戒心百パーセントだったから無理もないが、なんとも姫香には怒よりも喜の方がよく似合う気がする。

 なんてことを考えていたら、俺の顔を覗き込むように「でも」と姫香が尋ねてきた。


「しゅーへーはどうしてそんなに私の歌声を聴きたいと思ったの? その、嬉しかったけど、そんなに聴かせるほど上手いってわけでもないのに」


 なんだそんなことか。俺は柄にもなく不敵に笑ってみせた。


「だって俺は、水無瀬姫香のファンだからな」




 家の明かりは玄関と台所のみ。両親はすでに就寝中で、姉貴は靴がないところ外出もしくは外泊だろう。風呂から上がり、自室で横になり考える。


 最後に姫香が尋ねてきたこと。ファンだから、という理由は冗談でもあるし本気でもある。

 実際、あの歌声をもっと聴きたいというのが本音だし、少しだけ歌に興味が湧いているのも事実だ。どうしたらあんなに上手く歌えるのだろうか。

 そして、姫香のことだ。姫香は、緊張して歌えないから歌を好きになれないわけではない。しかし、緊張せずに上手く歌えれば、好きになれるきっかけを掴めるかもしれないということ。

 わからないのは本質的な部分。どうして、歌うことが好きになれないのか。


 あのときのナイフを持った光景を思い出してしまった。もし、歌えないわけが、好きになれない理由があのときと関係していたら。

 もし、好きになることを諦めた結果が、あのときの場面だったとしたら。ちっこくて華奢な身体から、鮮血が飛び散ったとしたら。




 徐々に、意識は薄らとしていく。もう今日は、寝よう。

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