第五章 大将戦
第五章大将戦
―――1―――
ドアの反対側。柚亞仁が顔を向けている壁が砕け、女達は思わず鈴と錫杖を止めた。
「何者だ!」
手にしていた鈴を下げ、琉葦芙が怒鳴る。幻不は、
「名乗る名など無い」
言い放って、塔画を伴い、つかつかとモンに踏み込んだ。
「近付くな!」
がちょん! 鈴が足元に飛んできたが、目も向けずに雷馬の髪に絡んだ空瑪を毟り取る。
「贄に触れるな!」
肩に激突した錫杖さえも無視し、雷馬の頬を叩く。
「起きろ。帰るぞ」
眉が微かに動いたのを見ると、雷馬を右肩に担ぎ上げた。踵を返すと、行く手に琉葦芙が立ちはだかった。そして周囲をぐるり、と取り囲む女達。
「何故、私達の邪魔をする?」
「あんた達が生贄にコイツを選ばなければ、殺さずに済んだんだ」
何を、はあえて言わずにおいて幻不が一歩踏み出す。
「逃がさぬ!」
女の一人が幻不の左腕を掴んだ。幻不が腕を一振りすると、女はモンの中心に転がる。
そして一斉に、他の者が顔を青くした。
「早く退きなさい! 百瞑!」
百瞑と呼ばれた女は慌てて立ち上がったが、直後に肉片になった。
「そんな!」
「なんて事!」
女達が揃って同義語を叫ぶ。幻不は一切の興味を示さず、先程空けた穴に向かった。
「幻不、待って」
塔画は、しっかり状況が把握出来たらしい。幻不の背中に手をやった。
「何だ」
「ちょっと見てみなさいよ」
モンの中心に、百瞑の体液を巻き上げながら小さな竜巻が出来ている。そして女達がうろたえている。
そして、今迄突っ立っていた女が竜巻に向かって一歩、踏み出した。
「柚亞仁様!」
「いけません!」
女達が柚亞仁を抑えるが、柚亞仁の瞳は竜巻しか映していない。
「いに、しま」
顔に歓喜の笑みを浮かべて、瞳に涙を溜めて。一歩一歩、柚亞仁は竜巻に近付いて行く。
「駄目です! 柚亞仁様!」
「李亨洲様は同族の血を呑んでしまいました! 近付いてはなりません!」
この慌てぶりは尋常ではない。
しかし、幻不にとっては他人事だった。破滅するならば勝手に破滅すれば良い。雷馬を無事に取り返せたのだから、ここには用は無いのだ。
「幻不、まずいわ」
「何が不味いってんだよ。いいじゃねぇか。こいつ等が生きようが消えようが、知った事じゃねぇ」
「貴女、疲れて感が鈍ってるのね? 正常時の貴女なら、わたしより先に気付いたんだろうけど。口調も完璧におかしいわよ」
さあ、どうだろうな。
そう呟いて何気なく後方に目を向けた時。柚亞仁が女達を引き摺りながら、モンに踏み込んでいた。女達が軽いのか、柚亞仁の力が強いのか分からないが、問
題はそこではない。
柚亞仁は女達を引き摺りながら両腕を広げ、そして、
「いにしまぁ」
竜巻を抱き締めた。
「柚亞仁様ぁ!」
柚亞仁を羽交い絞めにしたまま、琉葦芙が悲鳴を上げた。柚亞仁は五体を引き裂かれ、竜巻に巻き取られる。半身を吸収して、同時に力を得たのか、竜巻は巨
大化した。
幻不は咄嗟に左手で塔画の襟首を掴み、穴から廊下に跳ぶ。
間一髪。巨大化した竜巻は部屋に居た女達全員を引き裂き、吸収した。
竜巻はうねりながら、人とも、獣とも形容し難い姿に形を変えてゆく。そして、地上目掛けて、跳んだ。
地上には、人間がいる。何の抵抗力も持たない人間が。
「幻不!」
何とかして! 塔画の叫びはよく分かる。しかし、
「何でも私に頼るんじゃないよ」
そうは思うが、仕方が無い。
幻不は、ずるり、と肩から雷馬を降ろした。
「おい、起きろ!」
肩を揺さ振って、頬に往復平手打ちと耳朶抓り。
「こら!」
ごつり、と脳天に鉄拳を落とした時、漸く雷馬が目を覚ました。
「あれ……? げんぶ、ちゃん? とうがちゃん? なんで、ここに居るの?」
「説明は後でする。それよりお前、私を輪廻の輪から外せ」
「え?」
意味の分からない幻不の発言に、雷馬は目を丸くする。しかし今は緊急事態。急がなければ。
「刃・優一族の魂を支配するのは、明一族にしか出来ない事なんだ。私の魂を開放しろ」
「やった事無いよ! そんなの!」
「前世でお前の息子がやった。母親のお前に出来ない筈が無い」
無理矢理な理屈だが、今は出来なければならない。
「念じればいい。この身体じゃあ、能力も体力も足りねぇし、今は、鋼雅の身体にならなきゃ市内の人間が死ぬんだ」
雷馬は、左手を幻不の額に翳し、目を閉じて念じた。何を念じればよいのか分からなくて、一応、鋼雅の姿を思い出してみた。
目に石の門扉が見え、自分の指先が鍵の形になって門扉の中心にある小さな鍵穴に填まる。左に捻ると、右脇を風が吹き抜けた。
その風と同時に塔画が見たのは、青い影だった。青い鎧に身を包み、晶鬼を携え、項で一つに束ねた白銀の髪を靡かせて駆け抜けたのは、
――鋼雅?!
武将・冴翊鋼雅だった。
―――2―――
竜巻――李亨洲が昇って行った天井の穴に飛び込み、李亨洲を追う。先程までの疲労感は消えていた。身体が突然成長したというのに、身が軽い。
進行方向に李亨洲の姿を見つけた。間も無く、李亨洲は夜空に飛び出す。
夜空に飛び出すと、槙永が現れて合流した。手綱を握り、高速で夜空を駆け上る李亨洲を追い駆ける。
飢えた李亨洲は空高く飛び上がり、遠くに煌めく街の灯に向かって身体を大きく広げた。
晶鬼の柄尻の瑪瑙が赤く燃え上がる。鋼雅は晶鬼を握る。刀身に咲いた純白の光。距離を詰め、一直線に晶鬼を振るった。
―――3―――
「大丈夫? 雷馬」
肩を組み、半ば引き摺るようにして塔画は雷馬と共に廊下を進む。そこで思い出した。
――あの急斜面を登るんだわ。
勘弁して下さい、と言いたくなったが、誰に言えば良いのか分からない。ああ、それこそ、女皇に言えばよいのか。
「言ったら、シナリオ書き換えてくれるかしら。女皇陛下」
書き換えてはくれないだろうな、と結論を出す。
魂の開放――つまり魂を、輪廻を経て手に入れた現在の肉体から取り外し、その魂があるべき器を時の彼方から召喚し、魂を納める。時間の法則も生命の理も
、全てを無視したレッドカードでは済まされない反則技。武芸に優れた刃と、智謀の優を統べる明は、剛神の魂の管理者である。
魂の開放は最上級レベルの術で、幻不を鋼雅に戻した雷馬は、その直後に倒れ、意識を失った。その為、今は塔画が二人分動かなければならない。
「幻不ぅ」
地上に戻ったら人間が皆死んでた、なんて嫌だからね! 幻不が今戦っているだろう地上を見上げ、塔画は内心絶叫した。
「優の長殿?」
突然聞こえた女の声に、はっとして顔を上げる。そこの立っていたのはスマリだった。服は天馬独特の臙脂色の衣装だったが、顔は変わっていない。身体は替え
ていないようだ。
「貴女、どうして?」
「邪魔者の処分に来たのですが、粗方、片付いているようですね。貴女方の仕業でしょう?」
スマリは足元の転がった障害の頭を軽く蹴った。自分達と天空人以外は物・家畜以下、の思想を持つ天馬らしい動作である。
「刃の長殿は、どちらに?」
塔画は天井を仰いだ。
「地上よ」
「成程。ヒムル、ソウナ」
スマリが声を掛けると、背後で障害の首を切断しながら、遺体を廊下の左右に寄せていた二人の男が顔を上げた。
「お二人を地上までお送りして」
「いらないわ! 情けは無用よ!」
誰が天馬なんかに助けられるもんですか! 塔画の叫びに、スマリは気分を害した様子も無く、無表情で言った。
「それでは私達が困るのです。私達が此処に来たのは、貴女方を邪魔者達に殺させない為。大部分処分したようですが、まだ残っている可能性は充分にある。そ
の生き残り達に、今の貴女が勝てますか? 若しお二人が殺されたとしたら、困るのは私達だけではないのですよ」
優と、明の臣と民。長が消えて最も被害を蒙るのは、この二つだ。
「ご理解して頂けたのなら、ヒムルとソウナに付いて行って下さい。ご安心下さい。休戦協定は守ります。もし邪魔者の生き残りがあった場合は、この二人が命に代
えてもお二人を守りますし、必ずや、安全に地上にお送りします」
「貴女は、どうするの? スマリ」
スマリは天井を仰いだ。ただ単に天井を見たのではない。天井の遥か向こうにある、地上を見たのだ。
「刃の長殿を、迎えに行きます」
待っていて下さい。必ず、連れて戻りますから。
スマリの言葉が、塔画にはとても頼もしく聞こえた。
「分かったわ。絶対、幻不を連れて来てよね」
「約束しましょう」
それでは、とスマリは一礼し、儀式の行われていた部屋に入った。そこからあの穴を登って行くのだろう。
「此方へ」
ヒムルとソウナが手を差し伸べる。塔画はヒムルに背中の雷馬を預けた。
――頼んだわよ! スマリ!
そして再び、地上を仰いだ。
―――4―――
スマリは一度の跳躍で、地上に出た。
――ここは。
式場の真上、穴の出口は商港にある広い駐車場の真ん中だった。
パレスニュータウンのあの家から、三キロ程離れている。そこまで、あの基地は地下深く、広く枝を広げていたのだ。ここまで造るのに、一体どのくらい時間が掛か
ったのだろう。奴等がこれを造っている間、何故気付けなかったのだろうか。自分がもっと早く気付いていれば、明の長はあんな目に遭わずに済んだのに。
スマリは内心舌打ちし、刃の長を探した。
すると、前方十時方向に、鷹とライオンとトリケラトプスを足してゴジラで割ったような姿の巨大なモノを、麒麟に跨った一人の戦士が追っているところを見つけた。
――あれか!
街に向けて広がった異形の者は、多分邪魔者達の一種だろう。それを追う戦士が、剣を振り上げた。
白い光が一直線に異形の身体を走る。異形は光と共に爆発した。まるで星が消滅するような閃光。そのあまりに強烈な光に、スマリは目を細める。
「鋼雅殿!」
そして光の中で、戦士が落馬するのを見た。
駆け寄り、麒麟が拾いに来るよりも先に戦士を抱き留める。
「こうが……」
しかし腕の中にあったのは戦士ではなく、小さな身体の、子供だった。
「長殿」
安堵の溜息と共に、スマリは気を失った幻不に微笑んだ。役目を終えた晶鬼は柄尻の瑪瑙だけが残り、漆黒の紐ごと幻不の左手首に絡み付く。槙永は、宙を蹴
って漆黒の夜空へ跳んだ。
―――5―――
「ボロボロじゃん!」
幻不の目を覚ましての第一声がこれだった。
確かに、ボロボロである。上に羽織っていた上着の裾は豪快に裂け、ベストには斬り倒した障害達の体液が染み着いている。白かったワイシャツもベストと同様で
、スラックスからは血が滲み、裂け目からは火傷した脚が見えている。顔の右半分も、李亨洲が消滅する際の高温に晒されて、赤くなっていた。致命傷ではないに
しても、傷の数は十や二十ではない。
「千人斬りの後で充分体力を消耗しているのに、前世の身体に戻ったりするからですよ。その上あの大立ち回りをやったのでは、ダメージも絶大でしょう」
ここは、あの大穴の開いた駐車場。照明は、十数メートル離れたところを走っている道路の外灯しか無いので薄暗いのだが、二人にはそれでも充分だった。
幻不はアスファルトの仰向けに転がり、スマリはその横に立って幻不を見下ろしている。
「大立ち回りってなぁ……。そんなに暴れていないぞ? 私は」
「麒麟を走らせるだけでも充分、身体に負担が掛かるんですよ? その時の身体は『鋼雅』でも、元はその身体なんですから」
「敵のお前に説教されるとは、思ってもいなかったぞ」
幻不はスマリを見上げて笑った。
「今お前とやり合ったら、確実に負けるな。身体が全く動かないんだ」
「暫く、兵を休ませましょう。貴女はその有様ですし、私も、兵を増やさなくてはならないですし。何より、万全ではない貴女を倒しても、私は全く嬉しくはない。他の
者も、同じ意見でしょう。私の方も、貴女の方も」
「そうしてくれると助かる」
幻不は夜空を見上げて、深く呼吸した。夜の冷たい空気が肺に染み渡る。呼吸が出来るのは、生きている証だ。そして全身の痛みも、生きている証拠。
李亨洲を斬った瞬間、身体の力が抜け落ちて、「あぁ、死んだな」と、そう感じたのだが、こんな時に限り、いつもは全く嬉しくはない痛みも嬉しく感じる。
相打ちなんて御免だ。自分の命と引き換えに世界を守る、なんて柄じゃない。それは正義の味方にやらせておけばいい。幻不としては、自分と仲間が生きてい
なければこの世界などあっても無くても同じなのだ。
そこでポツリ、とスマリが語り始めた。
「貴女が、冴翊幻不が戦場に現れて初めて、我等は滅亡の危機に追い込まれました」
「何だ、いきなり」
「まぁ、聞いて下さい。それから、五〇代後、冴翊鋼雅は娘・燐雅に長の座を譲ってからも戦場に立ち続けて、再び長の部隊と私の部隊を含む七つを残して壊滅
しました」
昔話である。天空人なら三歳児でも知っている話。
「しかし、あと一歩。あと一戦で滅亡させられるといった所で、貴女は重傷を負い、亡くなりましたね。冴翊幻不の頃も、冴翊鋼雅の時も」
「それがどうした。中途半端なところで死んで、私にとっては悔しくてしょうがない過去なんだ」
「今度の貴女は、」
その時、海風がスマリの唯一紐やピンで束縛されていない前髪を揺らした。
「私達を滅亡させますか?」
「させて欲しいのか?」
何をしても腕が痛むので、腹筋だけで上体を起こし、挑戦的な微笑を浮かべてスマリを見上げる。スマリもまた、三十代の女の顔で笑った。
「強い敵がいるのは、良い事ですから」
「同感だ。敵は強ければ強い程良い」
今世も頼む、と右手を差し出す。スマリは払い除ける事もせず、右手を握り返して来た。
まったく、バケモノが化けた身体だというのに、憎らしい程、人並みの体温がある。そして手の弾力さえも、人間と同じだった。この姿の真の所有者はもう、この世
には居ないというのに。皮肉なものである。
「私は、貴女を何と呼べば良いのでしょうか。今は、人間の名前があるでしょう」
「名前、か? 人に名前を尋ねる時は、自分から名乗るもんだろう? 親しき仲にも礼儀ありってやつ」
矛盾しているような気もするが、この場合は特別だ。
「それは失礼しました。私は、ウエダフジコと申します。暫くこの身体と社会地位を使うつもりでいますから、名前は当分変わりませんよ」
「ウエダは、上方漫才に水田か? フジコ? 峰富士子か? それとも、藤の花? 不二か?」
「文月の子供と書きます」
幻不は空に指を走らせた。上に田に、文月の子。
上田 文月子。
「難解だな」
「そうですか? 古風で、良い名前だと気に入っているのですが」
確かに、一時期の流行りに流された名前でもないし、個性的な漢字遣いには面白味もある。しかし、学校の出欠確認で、教師の誰か一人は読み方に首を傾げ
る名前だろう。
近年稀に見る名作だな、と幻不は感想を述べる。
「私の名前もお前に負けずと雅やかで良い名前なんだよ」