第四章 二十四時間闘えますか?
第四章 二十四時間闘えますか?
―――1―――
「之雫 佐萌亞。その者達を引き渡しなさい」
本隊の、隊長らしき灰色の髪の女性が厳かに言った。之雫とは、多分、佐萌亞の苗字なのだろう。
「之雫 佐萌亞」
佐萌亞は、ぐっと唇を噛む。そして、一度蹲ると靴の踵から細い針を一本引っ張り出した。それを、
「佐萌亞!」
何をするのか分かってしまった幻不と塔画は、同時に彼女の名を叫んだ。
「わたしはこの者達に破れ、命を救われました。空の戦士として、柚亞仁様の騎士として、失格です」
「貴女が、その二人を引き渡せば、その必要は無くなりますよ」
「いいえ」
佐萌亞の意思は強いらしく、隊長の言葉にも耳を貸さない。
「やめろ、佐萌亞。必要無い。さっき約束したじゃないか。私達は死なないって。こんな奴等には、絶対に殺されない!」
堪らず、幻不も説得を始める。
「これは、わたしのけじめだ。空の民としての」
説得も叶わず、佐萌亞は針を首に突き刺した。
佐萌亞は一度天を仰ぎ、ぶるり、と身体を震わせると泡を噴いて前のめりに倒れた。
「佐萌亞!」
駆け寄って抱き起こしてみるも、既に佐萌亞に息は無かった。あの針には、強い毒が塗られていたのだろう。針の刺さった部分からは、深紅の筋が一つ鎖骨に
向って走っている。
「そんな」
けじめ。それは分かる。敵に情けを掛けられて恥をかくよりは、自ら命を絶つ、なんて、珍しい事ではない。しかし、
「目の前でされちゃあな」
流石に応える。幻不は微かに自分の頬が緩むのを感じた。あと数分でも佐萌亞との付き合いが長ければ、或いは涙も零していたかもしれないが。今は、苦し紛
れの笑みだけ。塔画は佐萌亞の傍らに片膝をつき、俯いて唇を噛んでいる。
佐萌亞の亡骸に向かっていると、自然に本隊に背を向ける形になる。ここで隊長が幻不の首を目掛けて剣を振り下ろしたのだが、幻不は簡単にそれを右腕で防
いだ。刃を掴み、軽く力を込めると、隊長の剣は粉々になってしまった。
「まあ、仕方が無いか」
狼狽する隊長を背中に、幻不は佐萌亞に手を合わせると、すっと立ち上がった。
「お前がけじめを守ったのならば、私もお前との約束を守ろう」
殺されはしない。佐萌亞との約束を胸で唱え、幻不はサバイバルナイフを抜き、塔画は爪を填めた。
「掻き鳴らす気か?」
「有名な格言にあるじゃない? 殺られる前に殺れって。それとも何? 佐萌亞が自分より強いって言ってた奴等に手加減して、約束破る気?」
「いいや。そうだな、仕方ない。佐萌亞の弔いに、」
幻不はスラックスの右ポケットから、バタフライナイフを取り出す。
「大量殺戮と行こうか!」
幻不が床を蹴って跳び上がり、何十列にもなって並んだ本隊の中に飛び込んだ。両手のナイフを逆手に握り、右足を軸にくるりと一回転。飛び散る深紅と倒れる
兵隊。一歩踏み出し、目の前に居た兵隊の喉元にナイフを突き刺す。接近戦は速度が命。身軽に飛び跳ねはがら、次々と兵隊を血祭りに上げて行く。
塔画はぎりぎりまで相手を引き付けてから、無間琴を爪弾いた。音も無く、兵隊の身体は見事にパズルになる。
―――2―――
「しゃんしゃんしゃんしゃん」
七人の女性によって鈴が鳴らされ、
「しゃんかしゃんかしゃんか」
別の七人の女性によって錫杖が振られる。
あの後直ぐに、瑪品の煙で曇った部屋の中で儀式が開始された。雷馬は床に書かれたモンの上に、身体に空瑪を絡み着けられたまま寝かされ、純白の装布を
纏った琉葦芙に見た事の無い植物の枝で身体を撫でられていた。
突然頭の上のドアが開き、誰かが式場に入って来た。琉葦芙がその人の足元に跪く。
――柚亞仁?
頭はそのままで眼球だけを動かし、雷馬はその人の姿を見た。
「!」
先程会った柚亞仁は、白い布で台に括り付けられていたが、頭の上に立っていたのは、白銀の髪を肩に流した蛋白石色の瞳の女性だった。二〇代後半の、気
の強そうな女性。あの、双子の片割れの名前を叫んでいた少女と同一人物だとは思えない。
柚亞仁が薔薇色の唇を開いて、
「 」
何かを喋った。
「 」
何を言っているのか分からない。雷馬の耳には、呻き声にしか聞こえなかった。その呻き声が、止まる事もなく続けられる。女性の声ではあるのだが、聞いている
と意識が沈んで行くような、身体が重くなって行くような。決して心安らかにはならない。寧ろ不快ですらある。
「 」
それが、どのくらい続いただろうか。体内時計もすっかり狂ってしまった。頭が重くなって、物を考えるのも億劫になってくる。
うぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ。
甲子園のサイレンのような、ダムの放水警報のような、嫌な音が聞こえて来た。出所が何処なのか、確かめようとは思えない。背中が熱くなって来た。床が熱せら
れているのかと思った。しかし、床に触れている手は熱を感じない。
うぅぅぅぅぅ。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんかしゃんかしゃんか。
「 」
サイレンと鈴と錫杖と呻き声。それだけでも充分不快なのに、今度は床が波打ち始めた。胃の中がぐちゃぐちゃと混ぜられて、気持ちが悪い。
――最悪。
薄れて行く意識の中で、雷馬は本音を吐き捨てた。
―――3―――
あれから、三時間は経っただろうか。
「畜生」
幻不は舌打ちした。負けているわけではない。けして負けてはいないのだが、数に差がありすぎる。こちらは二人なのに対し、相手は倒しても倒しても廊下の向こ
うから湧いてくる。
「何人居るんだ。この兵隊」
風を切って、鉛の礫が幻不の頬を掠めた。
「ったく……」
細い傷が走った左頬に手をやり、幻不は奥歯を噛み締める。後方に目をやると、塔画が奮戦していた。流石に大量殺人武器である無間琴でも、塔画の現在の
体力では、この数は難しいと見える。
自分も塔画も人より体力はあるが、何時までも続くようでは、危険だ。
――どうする?
幻不はその焦りを相手に覚られないように平静を装い、ナイフを握り直した。
それから三時間と二〇分が経過し、一度たりとも止まる事無く、戦い続けているというのに、全く終わりが見えない。
室温はそれほど高くないというのに、額が濡れる。
瞼に垂れて来た液体を拭った時、
「幻不!」
塔画の声が耳を突き、背後に気配を覚えた。振り向きざまに、相手の鳩尾に肘鉄を埋め込んでやる。
「背中に来るとは、卑怯な……。いや、こんな小物に背中を取られた私が未熟なんだな」
汗で張り付く前髪を掻き上げ、迫って来た者の肋骨の間にナイフを叩き込む。
ふわり、と鼻先を蜘蛛の糸に似たものが漂った。無間琴である。
「幻不! 伏せて!」
塔画の叫びに従い、幻不は大人しく身を伏せた。塔画は弦を爪弾き、十メートル先までの障害を粉末にした。同時に、ぐらり、と体勢を崩す。
「無理すんじゃない」
塔画の肩を掴んで転倒を防ぎ、再び奥から湧いて来た障害に舌打ちする。
「どっかに、水さえあればな。居場所は掴んでるっていうのに」
「水?」
「コップの水じゃあ駄目なんだ。川の水とか、雨水とか。上水道でも構わない」
しかし、辺りを見回してみても蛇口はおろか、窓さえ無い。
「畜生」
幻不はボビンを投げて、障害の頚動脈を切断した。障害は深紅を噴き上げながら首と胴を分けて倒れたが、確実に、糸の速度が落ちて来ている。
「こうなるんだったら、港で拾っておけば良かった」
幻不は倒した障害の獲物を拾い、死体を飛び越えて来る障害の軍団に飛び込んだ。他人の剣は、矢張り使い手の癖が着いている為に腕に合わない。これでは
入手して一週間のナイフの方がまだ使い易い。しかし、ナイフで接近戦をやる程の体力は残っていなかった。
依然として障害の数に終わりは見えない。
能力を発動させようか。しかし、能力は体力を大量に消費する。今の状況で使っては、相打ちになる。それでは意味が無いのだ。こちらが生き残らなくては。
その時、大気が後方に流れた。窓の無いこの空間で、物体が動かない限り大気は動かない。障害は迫って来ているが、それのよって起きた動きではなかった。
「馬鹿! 止めろ!」
塔画が、両手に大気を集めていたのである。大気は凝縮され、球体を成す。
放たれた大気の弾丸は高速で障害にぶち当たり、一列縦隊に並んでいた障害の心臓部分に風穴を空けた。続いて幻不が剣を飛ばす。一本で一人しか始末出
来ないが、この際贅沢は言っていられない。
一度後方に目を向けると、水を頭から被ったのかと錯覚する程に身体を濡らした塔画が、壁に寄り掛かっていた。
「塔画!」
「気にしないで。大丈夫よ」
「信じられるか!」
「わたしの心配をする体力があるなら、倒して頂戴」
確かにそうである。
幻不は足元に刀身が日本刀に良く似た剣を二本発見し、拾い上げた。ナイフより長さのあるこれならば、充分数を稼げる。使い慣れない両刃より、幾分使い易い
だろう。
「少し休んでろ」
呼吸を整え、床を蹴る。首を狙って剣を振り、次々と斬首刑に上げて行く。悲鳴を上げようとも、障害の一人がボーガンを放って来ようとも構わない。体液を頭から
被りながら、斬って棄てる。攻撃は最大の防御、とばかりに幻不は殺戮に及ぶ。
相手が天馬であったなら、相手の死後の事も考えただろうが。相手が違う為に何も感じない。ただ、稽古の藁束を斬るように薙いで行く。
そこで、障害の体臭でも深紅の匂いでもない、全く違う匂いがした。愛着のある、何よりも身近な匂い。
――これは!
幻不は天井を見上げた。
天井と壁の交わる部分に、明らかに色の違う部分がある。匂いはそこから漂って来ているのだ。
幻不は歓喜に頬を染めた。
――地下水!
塗装の間から地下水が染み出している。
「三秒ばかり頼めるか?!」
「了解……!」
塔画は無間琴の弦を発する。幻不は、その染みに糸を刺した。そして念じる。
――ここだ。来い!
――我が魂の従者、
「晶鬼!」
その叫びの直後、染みの中から光輝く一振りの刀が姿を現した。
柄は白銀で蔦が絡まったような細工が施され、燻銀の鍔には瑠璃、翡翠、珊瑚、琥珀、真珠の粒が填められている。柄尻から垂れた漆黒の紐には、円盤型に
切り出された瑪瑙が着けられているが輝いているのはその石達ではない。清水の如く、透き通った刀身だった。
晶鬼は槙永と同じく、鋼雅の死後行方を晦ましていた。しかし幻不がこの世界に転生したと同時に剛神から降りて来て、水の中で幻不が呼ぶのを待っていたの
だ。港で幻不が触糸で探っていたのは、これの居場所。
何百年も待ち続けた使い手との再会を喜ぶ暇も無く、晶鬼は戦闘に突入する。
刀身に藍白色の炎を抱き、障害に向けて一振り。空を斬り、炎は氷点下三百度の衝撃波となって障害を焼き尽くした。液化した酸素が床を走る。
「うっ……」
汗の雫を落として、幻不の身体が揺らぐ。
矢張り、晶鬼を扱うには体力を消耗しすぎていたようだ。
――まあ、作業効率が上がったから良いとするか。
幻不は再び炎を呼び、晶鬼を振った。
晶鬼の導入で、確かに作業効率は上がった。一度に百人二百人と湧いて来ていた障害が、四〇人三〇人と数が減ってきている。兵隊のストックが底を付き始め
たと見える。
その時聞こえた、違う音。
しゃんしゃんしゃんしゃん。
しゃんかしゃんかしゃんか。
――金属音?
今まで聞こえなかったものである。
「何だ?」
「若しかしたら、佐萌亞の言っていた儀式が始まったんじゃない?」
「なら、もう一踏ん張りだな」
俄に活気付く。手の甲で汗を拭うと、笑みさえも現れた。
晶鬼と無間琴が、障害が仕掛けて来る前に処分する。倒れた障害を飛び越えて、金属音を追う。
「待てっ!」
辛うじて負傷だけで済まされた障害がボーガンを構えたが、二人は振り返る事も無く全力疾走。本当は一休みしたかったのだが、そうすれば雷馬が殺される。
ここまで来たのだ。死なれては困る。佐萌亞や障害達の死が無駄になるではないか。そう考えると、更に死なせるわけには行かなくなった。絶対に連れて帰る!
廊下は何処までも一本かと思えていたのだが、終に果てが現れた。
T字路である。
右か、左かどちらかなのだろうが。音は聞こえるのに、どちらが近いのか、判断が出来ない。
「どっちだ?」
「貴女は、どっちだと思う?」
「同時に獲物を向けて、音が近い方に踏み込んでみるか?」
呼吸を整えながら、幻不は晶鬼を構え、塔画は弦を張り巡らせる。
次の瞬間、粉末になったのは目の前の壁だった。