表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/7

第二章 捜索を始める、馴染み始める。

第二章  捜索を始める、馴染み始める。   


―――1―――


「おかしい」


 幻不はソファの上で胡座を掻き、腕組みをして眉を顰めていた。


 雷馬が出て行ってもう一時間になる。


「出かけてくるね」


 奴が耳元で言って十分後、幻不は眼を覚ましていた。雷馬が単独行動をとるのは珍しい事ではない。一人で買い物に行く事もあるし、外部の人間との交流も無


いわけではない。しかしどうも、嫌なものを感じる。幻不の予感が百パーセント的中するとは限らない。外れる事もあるし、こんな嫌な予感は外れてくれた方が助か


る。しかし、そう感じているものに限って当たってしまうのが幻不の第六感だ。


――何があった?


――雷馬。


 何度も呼び掛けているが返答が無い。


――雷馬。


 こんな事は以前にもあった。、雷馬が姫様と呼ばれていた時代に。


 あの頃、自分は雷馬より二つ年上で、二万の兵を率いていた。初陣を迎えて暫く経った十四の秋。二戦目で、初黒星を喫した直後だった。戦闘で負傷した自分


に、当時の長であった幻不の父は明の姫様の警護の任を与えた。正直憂鬱だった。何せ相手は姫様(・・)である。間違っても、自分はそう呼ばれた事は無かった。


何より、いずれは戦隊を率いる武将となる為に育てられてきた身。幼い頃から呼び名は幻不様。若しくは()だった。短期間だが幼名で呼ばれていた時期もある


。しかし『姫様』は一度も無い。


 姫様だなんて、どんな世間知らずなお姫様なのだろうか、と思って会ってみると、絶句した。


 初めて会った時、その場には雷馬の父である明王と御母堂と、幻不の父である刃王・玄蓁(げんしん)がいた。第三者が沢山同席していたため、雷馬は猫を被っ


ていたのだ。


「お初にお目に掛かります。第七十八代明長、杏朱(きょうしゅしゅ)楠安(なんあん)が娘。杏朱莉華(りっか)と申します」


 青い畳に正座して、深々と頭を下げた雷馬こと莉華は、一見、可憐で大人しそうで。それこそ『姫様』に見えた。


「不束な娘ですが、宜しくお願いします」


 別に嫁に貰うわけではないのに、御母堂は涙ぐんでいて。正直、困った。


「御心配しなさんな。手負いではありますが、一応は儂の娘です。姫様をお守りする為には命を惜しみませぬ」


 何言ってやがる! この馬鹿親父‼ 幻不は危うく叫ぶところだった。幻不は気付いていたのだ。姫様の顔の下にある本当の顔の存在に。


「アナタって、戦で負けて戦場からサセンされて来たんでしょ?」


 両親と親父が居なくなって、二人で城の空中庭園を歩いていたとき、莉華は笑いながら非常に無邪気に言った。


 幻不は本来ならば、「戦場を踏んだ事も無い小娘が何を言うか」と、殴ってやるところだった。しかし、相手は本当に何も知らない姫様である。それに、負けて戦


場から弾き出されたのは事実だ。それ故、幻不はただ、生返事を返すだけにしておいた。


「警護なんて嘘っぱちよ。あたしはこの城から出た事が無いの。だから天馬に命を狙われる事も無いわ。本当にあたしの警護をするのなら、城を守っていた方がい


いのよ」


「では、楠安様と太君(奥様)は何故私に姫の警護を依頼されたのでしょう」


「簡単よ。あたしの遊び相手」


 ずっと城の中に居るのだ。友達も欲しいだろう。そして警護と称して誰かを側に付けるのは、よくありはしないが、珍しい事ではない。しかし、それに武人である幻


不を使うとは中々妙な発想である。苦し紛れの最後の策、とも取れる采配だ。


「アナタも大変ね。あたしの警護に付けられた人は、アナタで十人目になるけど、三日持った人は一人もいないわ」


 最長記録で二日と七時間だったのよ。


「記録塗り替えて頂戴ね」


 それから、幻不の口から溜息の出ない日は無くなった。毎日毎時間、事ある毎に溜息が出る。ある日は近道だ、と壁を砕き、邪魔だと柱を斬り、庭に水をやると言


って貯水槽の水を抜き、城内にいる兵からカツアゲまでやらかした。


「まったく」


 深く溜息を吐き、幻不は明王に戴いた自室の長椅子に転がった。


「お疲れのようね、幻不」


 その場には塔画がいた。彼女は明城に楽師の臨時講師として招かれていた。当時の塔画は幻不より一つ年上で、楽師としては勿論、薬師、軍師としても手腕を


発揮していた。


「ああ。大変、お疲れだ」


 辞めていった奴等の気持ちが分かるような気がする。あれには一時間だって付き合ってはいられない。最長記録保持者は、よく二日と七時間も我慢出来たもの


だ。


「でも、貴女だって結構やんちゃしてたじゃない? 昔」


「アレを『やんちゃ』で片付けるな。それにな、いくら私でもカツアゲまではやってないぞ」


「似たようなものじゃないの」


 塔画は床に胡座をかいて、愛用の琵琶を抱えた。


「わたしは、昔の貴女を見ているようで楽しいけど」


「見ているだけの人間はいいな」


 当事者は苦しいんだ、と不貞腐れたように言って、幻不は枕を抱えてうつ伏せになった。寝る体勢である。


「一曲弾きましょうか?」


「弾いても良いが、私は聴かないぞ。寝るんだから」


「耳は何時でも起きているでしょう? じゃあ、適当に弾くわね。子守唄代わりにして頂戴な」


「子守唄になればな」


 案の定、塔画が弾き始めたのはお世辞にも子守唄とは言い難いモノだった。高音と低音の入り混じるハイテンポの曲で、古典芸能には無用な高速の撥捌きを要


求される曲でもあった。明の楽師の卵達に、毎日こんなモノを教えているのかと思うと、明の音楽界の先が思い遣られる。


 幻不は、雅な楽器で演奏するには些か不似合いな曲を枕に眠りに就こうとした。しかし。


 ―――――――――‼


「?!」


「どうしたの?」


 突然跳ね起きた幻不に、塔画も思わず撥を止める。


「何か、聴こえなかったか?」


 青鋼石の瞳には戸惑いの光が溜まっている。しかし塔画には、幻不がそれ程までに動揺している意味が分からなかった。


「いいえ」


 何も聴こえなかったけど?


 いいや聴こえた、と額に手をやって、幻不は眉を顰めた。胸騒ぎがする。嫌な予感がする。幻不は一応、声を掛けてみた。


――姫。


 返答は無い。寝るには少し早い時間だが、休んでいるのならそれでも構わない。


――姫。


 二度目の呼びかけにも返答は無かった。無視しているのならば、それで良いのだが。



「あのとき、」


 幻不は顔の前に垂れて来た髪を掻き上げた。


「私はどう、対処した?」


「絶対記憶の貴女の口からは聞きたくなかった言葉ね。転生し過ぎてボケたのかしら」


 帰って来た塔画が、制服のジャケットをソファに投げた。


「忘れたのなら教えてあげるわ。貴女はね、あの後、使用中の能力の波動を追う事が出来る人間を使って、不審な能力使用をしている者を探したのよ。結果、一

で空を飛んで明城を離れて行く者を発見したわ。それが、雷馬――あの時は莉花だったわね、彼女を抱いていたのよ。意識不明のね」


 塔画は幻不に、自分が所有している携帯電話を差し出した。


「今、この世界にそれが出来る者はいないわ」


 差し出された携帯電話と、


「分かってるでしょう?」


 塔画のこの言葉。


 それが指している剛神最高の軍師の策を、幻不は気付いてしまった。


「ああ」


 幻不は大人しく携帯電話を受け取ると、ある番号を入力した。



―――2―――


「はい、こちら柘榴会本部です」


 選挙カーの鶯嬢のような、耳に響く女性の声がした。


 幻不はここに電話をするのは初めてで、少し緊張していた。


「教主と話がしたいのですが」


「申し訳ありません。只今教主は地方に出ておりまして……」


 得体の知れない人間からの電話は直ぐに教主に回さない。良い心掛けである。しかし、話が出来ないのでは意味が無い。その時の為に、幻不は取っておきの


手を持っていた。


「では、『ケイシロウおじさん』に話があるんですが」


 鶯嬢は暫く止まった。その間、三秒はあっただろうか。


「お待ち下さい」


 鶯嬢が受話器を置いてすぐ。保留音が流れるよりも前に、


「シア様ぁ!」


 エニが出て来た。


「嗚呼っ。まさか貴女から電話を戴けるとは思っていませんでした!」


 幻不から電話を貰ったのが嬉しかったらしい。幻不の隣に立っている塔画の耳にも、はしゃぐ声が届いている。


「おい、落ち着け。エニ」


 幻不は眉を顰め、呆れた顔をしていた。正直、この男だけは頼りたくなかったのだが。この際背に腹は換えられない。


「先程はすまんかった。あれから考えたんだが、一日くらいなら、お前の親戚をやっても良いかと思ったんだ」


「本当ですか?!」


「ただし、条件がある」



「力を貸してほしい」


―――3―――


 柘榴会本部は高層ビルの立ち並ぶビジネス街の中にあり、六〇階建てで、外から見ると窓ガラスは鏡のようになっていて内部が覗けないようになっている。正面


玄関には『柘榴会本部』と書かれたガラスの看板が慎ましやかに掲げられていた。玄関ホールは広く大きく、天井にはガラスのドームが乗っていて、上質のソファと


テーブルが並び、手入れの行き届いた観葉植物が其処彼処に飾られている。床は磨き抜かれた白大理石で、天井から注ぐ日光が跳ね返されて眩しいくらいに


明るい。何処かの高級ホテルのロビーのようだ。受付に座っている可愛らしいお姉さん達の制服も品が良く、更にそう見える。信者なのだろうか、多すぎない程度


の人が行き交い、広さから生じる寒々しい空気を無くしていた。


 行き交う人々やソファに座った人々。その中の数人が場違いに外見年齢の若い二人を見付け、訝しげにこちらを見ている。どうする? と塔画に眼を向けられ、


幻不は受付嬢に話をしてみるさ、と受付に歩み寄ろうとしたとき、


「シア様ぁ――――――‼」


 誰のものか一目(聴)瞭然の何とも喧しい声が玄関ホールに響き渡った。


 柘榴の神子・シアはエニ一人だけの信仰対象ではなく、柘榴会全ての信仰の対象らしい。その証拠に通行人も受付嬢も、皆一様に眼を輝かせている。


――いかん!


 それに対し、幻不は青くなる。


――目立ち過ぎだ!


 しかし焦ったところで、無駄だった。


 柘榴会の信者と言えば柘榴の神子・シアの信者である。幻不はてっきり、柘榴の神子・シアを信仰しているのはエニだけで、信者は皆教祖であるエニを信仰して


いるのかと思っていた。幻不が知っている宗教は全て、教祖様々! と神よりも教祖を崇めているので、ここも同じだと思っていたのだ。しかし、他所は他所、ウチは


ウチである。ここは、全てが柘榴の神子・シアを信仰しているのだ。


 玄関ホールにいる全ての人間の輝く瞳を身に受けて、幻不は冷水が汗腺から噴出すのを感じた。その時、幻不の隣に居た塔画が一歩退いた。幻不はその動き


には気付いたが、何の為の動作なのか分からず、十一時方向から走って来たエニに抱きつかれて、漸くその意味を悟った。



―――4―――


 通された部屋は天井が高く、綺麗なガラスが張ってあり、玄関ホール同様観葉植物が並んでいた。しかし床はフローリングで、玄関ホールで受けた眩しさは感じ


られない。部屋の中心にある階段はこの部屋の上部に続いているらしい。高価で洒落たマンションの部屋のようにも見えるが、庶民的な紺色のソファと細かい傷が


見えるガラステーブルが、この部屋に親近感を感じさせているのかもしれない。


「ここはワタシの居住スペースなんですよ」


 エニのその言葉を裏付けるように、テーブルの下には新聞が一週間前の物から今朝の物までが積んである。それが半ば崩れかかっているため、整理整頓を毎


日几帳面にしているのではないと見える。散らかりそうだから掃除する。そんな具合だろうか。


 エニが給湯室――居住スペースなのだからキッチンと言うべきか――から丸い木製の盆を持って来た。そしてそれに乗せて来た二つの中身の異なるカップを、


幻不と塔画の前に置いた。幻不の前には珈琲。塔画の前にはジャスミンティー。どちらも素朴な素焼きのカップの中で白い湯気を立てている。


 幻不は眼を見開き、塔画はニヤリ、と笑った。


「貴女方の好みは、調査済みなんですよ」


 誇らしげに語るエニの言葉が正しければ、珈琲は濃く、ジャスミンティーは無糖の筈。幻不は漬けた糸が真っ黒く染まる程に濃い珈琲を好むし、塔画は紅茶もハ


ーブティーもストレートで飲む。そして最近はジャスミンティーを愛飲している。何処までも調べ上げられるのは良い気がしないが、蜂蜜たっぷりのホットミルク等出


されるよりは良いだろう。


「頂きます」


 それに先に手を付けたのは塔画だった。幻不も、薬物を警戒していたのではなく、幻不が手を出すよりも先に、塔画が手を出していただけだ。


「美味しい」


 そして塔画はにっこりと微笑む。なんとも愛らしいその笑顔は、幻不には不可能な芸当である。


「早速だが」


 幻不は見事に濃い珈琲を一口頂き、カップをテーブルの受け皿に戻すと、向かい合うユニグマを見据えた。


「何がありました?」


 エニも馬鹿ではない。幻不がただ考え直しただけで自分の所に電話を寄越すわけがない。何か非常事態があったのだ、と彼は感づいていた。


 気付いていたのなら、話は早い。


「お前が先刻、部屋に来た時に私以外にもう一人いただろう? 茶髪で、黄色人種ならではの肌色の」


「あの可愛らしいお嬢さんですね? 覚えていますよ。彼女の身に、何かあったんですか?」


「ああ。拉致されたらしい」


「らしい?」


 胸を張って堂々と言い切った割に曖昧な言葉なので、ユニグマは首を傾げた。


「お前達の言葉で言うと、テレパシー、と言うやつかな。それで何度も呼びかけているんだが、返答が無いんだ。寝ていても、レム睡眠なら返答出来るんだが」


「では、ノンレム睡眠状態なんですか?」


「若しくは、空瑪(からば)を使われているか」


「カラバ?」


「植物なんです」


 聞きなれない言葉の登場に、首を傾げたエニに塔画が解説する。


「わたし達の世界に自生している蔓性の植物で、一株に白と紫の二色の花を咲かせるんです。その花にはあらゆる能力を無効化する能力があります」


「つまり、シア様の送ったテレパシーが届かない、という事ですか?」


「ああ。花が株から切り離されてから枯れるまで、条件にもよるが、平均して五時間。しかし枯れる前に交換すれば、その効果は持続する。空瑪は、強い力を防げ


ば防ぐ程、寿命が減る。しかし、数があれば、」


 そんなものは無視出来る。厄介な植物だ、と幻不は苦々しげに眉を顰めた。


「では、そのお嬢さんを連れ去った方々は、シア様の世界からいらした方なのですか?」


「いや。別の世界から来た連中だ。剛神には私達と天馬しかいないからな」


「しかし、その植物はシア様の世界にしか無いのでしょう? どの世界にもあるのですか?」


「それは分からんが、この世界にもあるだろ? 邪悪なものを払う植物が。多分、空瑪に似た効果を持つ植物なんだろうな。若しくは、一度剛神に降りて採取して


行ったか。まあ、何れにしても厄介な事に変わりはない」


 普段あまり喋らないくせに多くの文字を吐いたので、喉が渇いたらしい。幻不は珈琲をカップの半分まで喉に流し込んだ。冷めかけた苦い珈琲を飲み下して、幻


不は再びエニと向き合う。


「それで、だ。こちらの声が聞こえないのならば、今の奴は電源の切れた携帯電話だ。しかし圏外には出ていない。奴を捕らえているのは能力者だ。その能力者


の波動を追って、居場所を突き止めて欲しい」


 科学の進化した現代、携帯電話やPHSの電波を拾い、居場所を突き止める技術がある。エニが幻不発見に使用したのはその能力者版で、能力者の発する波


動を拾う。しかし、電源の入っていない携帯電話が電波を発しないのと同じく、力を使用しなければ波動も発生しないし、追跡も出来ない。


「空瑪でこちらからの声を遮断していたとしても、相手は雷馬だ。あれを抑えるのに少しでも何らかの能力は使う筈。この世界の人間にそう頻繁に能力者が産まれ


る事もなかろう。天馬とは休戦協定を結んでいるから、能力を使っているとしたら、そいつ等しかいない」


「休戦って何よ」


 聞き捨てならない単語の登場に、塔画は血相を変えて幻不の腕を掴んだ。


「後で説明してやる」


 幻不はその手を解いた。



―――5―――


「これが、ザビロウです」


 幻不と塔画はエニに連れられ、管理室にやって来た。


 管理室には巨大なスクリーンがあり、その前には長机が幾つも並んでいる。それに座って何やら作業をしているのは、青い軍服を着た二十代〜三十代前半の男


達だった。


 エニに声を掛けられた男がキーボードをパタパタ叩き、巨大スクリーン(メインモニターと言うらしい)に出したのは、無数の気泡が上へ上へと昇って行く、青い水


の中の映像だった。


「ザビロウはこのビルを治める人工知能なんですよ。まだ、研究段階ですが」


 照明の点け消しから空調、故障箇所の通報など、人工知能といっても、そんな細々とした事がザビロウの仕事なのだという。


 そんなもの、人間でも出来るだろうに、と思うのだが。そんな問題ではないらしい。子供の遊び相手は動物でも充分だし、人間の世話は人間が出来る。それでも


、世界の科学者達が力を合わせて『アシモ』を作ったように、人間の力で人間の代わりが出来る知能を作るのが、本題のようだ。更なる進化は、ものぐさでは成され


ない。


「会話は出来るんですか?」


 出来たら凄いな、と二人は思った。


「簡単な受け答えなら、出来ますよ。でも感情はありませんし。そうですね、カーナビを想像して頂けると助かります」


 目的地を訪ねる。目的地まで言葉で誘導する。目的地近くになって「目的地周辺です」と教える。カーナビゲータが話す言葉はこの程度だ。これを想像して頂け


ると助かります、という事は、ザビロウの言語能力はその程度なのだろう。残念。


 エニがザビロウに声を掛けた。画面の中で一際大きな気泡が上がった直後、


「何か、ご用、ですか?」


 途切れ途切れだが、女の声が返って来た。女の声といっても。成分の八割方電子音で、一昔前の留守番電話のメッセージの声に似ている。


「『パワートレースシステム』起動」


「了解、しました」


 突然、ポン、とモニターに日本地図が現れ、ある県がズームアップされる。県の東端に軽快な電子音を立てながら、赤い光が灯った。


「ズームアップ、します」


 光を中心にズームアップされ、モニターが一つの町の詳細な地図になる。その光の位置を確認し、幻不はニ、と笑った。


「助かったぞ、エニ。ザビロウ、職員の皆さん、御協力感謝します」


 と踵を鳴らして幻不はドアに向かって跳んだ。塔画もそれに倣い、驚異的な跳躍力で瞬時に二人はドアの前に並んだ。


「シア様!」


「無事に雷馬を連れて戻したら、浦安の鼠王国でも大阪の映画村にでも何処へでも付き合ってやる。戻るまで待っていてくれ」


 顔色を変えたエニに手を振って、幻不と塔画はビルの中から姿を消した。



―――6―――


 水が落ちる音がする。その音が反響して微かに帰って来るあたり、この部屋は結構な広さがあるのだろう。


 雷馬は瞼を上げた。


 まず飛び込んで来たのは白い天井だった。照明が何処にあるのか分からないが、周囲の色彩を識別出来る程の明るさがある。頭を巡らせると、二メートルと少し


と考えられる然程高くはない天井が何処までも続き、壁が見えない。自分が寝かされている台(若しくは床)も白だった。


 そこで、雷馬は信じ難いものを見た。


「何これ!」


 台(若しくは床)に広がった自分の髪が、栗色ではなく黄金に輝いていたのである。日本人で髪の色が薄い人間は沢山いる。染めて金髪になった人間もいる。


白人種となれば、金髪など珍しくもない。しかし、この折り紙の金色によく似た色の髪の持ち主は、自分以外には居ない筈だ。つまりこれは自分の髪。


 他の二人は産まれた時から黒髪に茶の瞳など此方の世界の色彩を持っていて、力を使う場合のみ、天空人の頃の色彩が戻る。だが雷馬の場合は逆で、肉体


が魂の影響を受けているらしく、髪や瞳の色は天空人の頃と同じになっている。黄金の頭髪と、紅玉の瞳。いつもは目立たないように栗色と茶色に色を変えている


のだが、気を失った為にその術が切れたのだろう。頭を無理矢理上げて、胸を見てみる。そこに、嫌なものがあった。


 白と紫の花を着けた蔓が、身体に巻き付いている。


 空瑪だ。


 空瑪はあらゆる特殊能力から身を守る為に防壁を張る。その防壁は目で見る事は出来ないが、衝突すれば弾き返されてしまう。空瑪を身体に巻きつけられた状


態で力を使えば、防壁で押し潰されてしまうのは必至だ。よって、髪の色を戻す事は出来ない。


 さて、これからどうしようか。雷馬は頭を右に向けた。そこに居たのは、


「?!」


「お目覚めですね」


 雷馬を呼び出したあの女だった。


 寝かされている雷馬の顔が女の腹の位置にある為、寝かされているのは床ではなく台なのだろう。寝台か、診察台か。若しくは調理台か。


「申し遅れました。私、空の民が長・柚亞仁(ゆあに)様の側仕えを勤めております琉葦芙(るいふ)と申します」


 琉葦芙は深々と頭を下げる。雷馬に敬意を払い、失礼の無いようにしているのかもしれないが、捕らえた事そのものが失礼だ。 


 空瑪が無ければ八つ裂きにしてやるのに! と雷馬は無表情の下で憤慨していた。


「犠牲になってもらう、って言っていたけど。何をするつもりなの?」


 何が何でも答えて貰うわよ、と雷馬は琉葦芙を睨みつける。


 それをどう感じたのか分からないが、琉葦芙は答えてくれた。


「我々の長、李亨洲(いにしま)様をこちらの世界に呼び戻すのです。その儀式の、」


「生贄になれって事?」


「はい」


 それは参った。三度目の人生、まだ始まったばかりだというのに。他種族の為に命を落とすなんて嫌だ。絶対に御免だ。


「貴女――琉葦芙もその儀式でこの世界に来たの?」


 そうなれば、最初にこの世界に来た空の民はどうやってこの世界に降りたのだろう。


「いいえ。私は空間を渡って来ました。貴女の部下の方々と同じ方法かもしれませんね。しかし、李亨洲様は一度、我々の祖国で亡くなっているのです」


「一度死んだ者を、別の世界に連れてこようというのね? 転生させたらどう? あたし達は不可抗力というか、自然現象だけど。剛神にはそんな技術があるのよ。


魂を凍結させておく必要があるけど、凍結しておかなくても出来なくはないのよ?」


 転生卵(てんせいらん)という特殊な卵を使った方法で、人体の(もと)が入った転生卵にその魂を降ろすのだ。静かな場所で十月十日、摂氏三五・六度で暖め


ていれば転生して産まれて来る。詳しい原理はよく分からないが、この方法を使って幻不の最初の腹心達は転生し、鋼雅と共に戦場を駆けた。


「しかし、凍結無しにそれが出来るのは亡くなってから一ヶ月の間。李亨洲様は、亡くなってからもう二十年も経っているのです」


「じゃあ無理よ。若しかしたらもう、何処か別の世界で何かに転生しているかもしれないじゃない?」


 転生卵を使うにしても、魂を連れて来るにしても、もう転生しているのであれば魂は動かせない。転生していないのであれば、話しは別だが。


 魂の道に国境は無い。勿論、世界と世界の壁も、彼等には無だ。彼等は何処へでも行き、何処かで転生する。普通は、記憶を全て消去された真っ白な状態で。


「それを、無理矢理引っ張って来るつもり?」


 あまり答えを聞きたくは無かったのだが、質問した直後、間髪空けずに琉葦芙は頷いてしまった。雷馬は、なんて非常識な! と脱力する。


「普通考えないわよ、そんな事。その、李亨洲様? その人だって、今は何もかも忘れて幸せに生活しているかもしれないのよ? それを無理矢理、魂を引っ張り


出す、なんて。可哀相だわ!」


「可哀相……?」

「ええ!」


 思った事を全て叩きつけて、雷馬はちょっとスッキリしてしまった。その反面、琉葦芙は表情を曇らせる。自分達の考えの誤りに気付いてくれたのなら、それで良


いのだが。


 しかし、


「李亨洲様は私達民を愛しておられましたから、私達の元に戻ることを望んでいらっしゃる筈です」


 ここまではっきり言えるのは、一種の才能かもしれない。


「アンタねぇ! 相手は記憶が無いのよ?!」


「貴女にはあるじゃないですか。前世の記憶」


「好きで記憶持っているんじゃないの! 絶対有り得ないのよこんな事! 想定外! 不可抗力! 超常現象!」


 どんなに喚き散らしても、望むべき姿が目の前にあるだけに、琉葦芙も譲らない。


「貴女に出来て李亨洲様に出来ない事はありません」


 え? そう来る? 大人に見えていた琉葦芙が、突然聞き分けの無い子供に姿をかえた。


「いや、だから、出来るも何も。やりたくて、こうなったんじゃないの。知らない間にこうなっちゃったのよ!」


「いいえ。何か策がある筈です。貴女が記憶を持っているのだから、李亨洲様だって」


「だーかーらぁ!」


 あたしは何も知らないし、やってない! しかし、そこまで言って雷馬は諦めた。これ以上、どんなに叫んでも到底理解して貰えないだろう。


「それで? 儀式って、どんな事するの?」


 やはり、祭壇に向かって巫女が祈ったり舞ったり、祝詞を唱えたりするのだろうか。


「床に魂を呼び出すモンを描きその中心に横になって頂きます」


「モン?」


「門である紋です」


 掛詞らしい。


「魔方陣みたいなものかしら」


「そうですね。そして、柚亞仁様が祝詞を唱えて李亨洲様を呼びます」


「はいはい」


「そして、モンからお出でになった李亨洲様の最初の食事になって頂きます」



―――7―――


 柘榴会本部から姿を消した幻不と塔画は、雑居ビルに居た。俗に言う瞬間移動である。ただし、この部屋に帰って来る片道だけに限られるのだが。


「あの光があったのは、パレスニュータウンね。イオンの近くよ」


 塔画がテーブルに市内の地図を広げ、光のあった場所に指を立てた。


 パレスニュータウンは商港付近に造られている住宅地である。現在は住宅が八割方完成し、住民の為の二四時間営業のスーパーマーケットも出来た。スーパ


ーマーケットは二週間前にオープンして営業をしているが、パレスニュータウン自体は未完成の為に入り口が封鎖されている。


「身を隠すには絶好のポイントだな」


 幻不は小銭を幾つか握ると、ジャケットを脱ぎ捨て、ベストの上に裾の長い上着を羽織った。


 昨夜着ていたものと同じもので、ナイロンか木綿の薄くて柔らかい生地で出来ている。前を止める釦は小さく、鳩尾までしか無い。異様に裾が長いワイシャツと言


った具合だ。


「行こう。中央駅から、バスが出ている筈だ」


「そうね、と言いたいところだけど、良いかしら? 休戦って、どういう事?」


 幻不は後頭部を掻いた。百文字以内で簡潔に説明して相手を納得させられる自信が無い。


「仕方無い。すぐに行きたかったんだが、速く行けば寄り道くらい平気か。敵の情報も貰わないといかんし」


「何、考えているの?」


 幻不は部屋を出ると、荷物も何も無い、ガランとした階段を上り始めた。


「それならコイツは無用だな。戻しといてくれ」


 後ろを見ずに小銭を放る。五百円玉一枚と十円玉が一枚ずつ。駅からパレスニュータウンの最寄りのバス停までの二人分の運賃だ。


「幻不!」


 自分の手の中に落ちて来た小銭を部屋に放り、塔画も立ち入り禁止のロープを跨いだ。


 組んで長い相方である。相手が何を考えているのか、大体見当が付く。しかし、それは余りにも無謀だ。剛神ならまだしも、この世界では騒ぎになる。階段を駆け


上がると、腰に巻き付けたウエストポーチに収めた道具が、微かに音を立てた。


「幻不!」


 今の貴女は鋼雅とは違う。身体が小さ過ぎるし、筋肉が少なすぎる。加速に耐えられる筈が無い!


 塔画が屋上に幻不の背中を見付けた時、騎馬と武器が乱れ合う戦場にも映えて響き渡る高音の指笛が耳を刺した。

 

 その直後、然程広くはない屋上に風が集い、渦を巻き、その中心に黒い影が現れた。それは大きく、この世界の競走馬より巨大だった。引き締まった身体は黒


い鉄の鱗で覆われ、額には水晶の角が輝いている。


 不老不死の愛騎、麒麟・槙永(てんえい)だった。


 背に着けている鞍は幻不が鋼雅であった頃に使用していた物と同じ物で、二百年の時を、主を待ち続けていた鞍は古びて施されていた装飾は見る影も無い。


 幻不は、ひょい、と槙永の背に乗った。


「乗れ、塔画」


 手を差し出して、麒麟の背に誘う。


 この世界で槙永を走らせれば騒ぎになる。わたしは麒麟に乗れる器ではない。今この場で何を言おうとも、幻不は手を引かないだろう。言った事は必ずやりとげ


る女なのである。


 塔画は腹を決め、幻不の手を取って槙永の背に跳び乗った。


「摑まってろ」


 幻不は手綱を掴んだ。槙永は馬のように操らなくても幻不の良いように動くので、この手綱は万が一の落馬防止用のシートベルトのような物だ。


 槙永は蹄に風雲を起こし、宙を蹴る。


 昼食時で賑わう繁華街を、一陣の風が吹きぬけた。


―――8―――


 それはビデオの早送りよりも速く、一瞬で周りの景色が変わった。左右を走り去る街並みを眺める事も出来ず、あまりの速さに塔画は呆然としていた。


「身体が壊れる程の加速はしないさ」


 私の身体がどのくらいの速度まで耐えられるのかは、槙永が知っているからな。幻不はそう言って、後ろに乗った塔画に目を向けた。


「何だ。あの程度で目を回したのか?」


 あの程度?! 塔画は叫びそうになったが、声が出る前に目に映ったものに息を飲んだ。


 幻不が槙永を走らせて来た場所は、


「浅木町?」


 異様な程に静まり返った浅木町の商店街だった。


 現在の時刻は午後十二時四〇分。賑わっていなくても、人の姿があっておかしくはない時間だ。しかし、どの店もシャッターすら上がっていない。人は勿論、野


良猫も、虫の姿さえも無い。


「見事なゴーストタウンだな。夜に来た時は感じなかったが」


 なあ? と幻不は塔画にでも槙永にでもない、第三者に声をかけた。


「スマリ」


 敵軍大将・スマリは塔画の目の前に立っていた。突然の敵の登場に、塔画は思わず身構える。


「必要無い」


 幻不は槙永の背から降りると、武器を取る事もなく、胸の前で腕を組んだ。塔画も幻不に倣い、槙永を降りる。


「言ったろ? 休戦協定を結んでいるって。天馬一人が結んだ契約は天馬全体が結んだ契約でもある」


「今は、貴女方との戦いを守る為に邪魔者を排除するのが第一ですから」


 そう静かに語るスマリの声は、今の身体の声なのだろう。女性的で柔らかな響きがあった。それは塔画としては、あまりにも新鮮なものだった。以前の、塔画の知


っているスマリは低くしわがれた声をしていて、その声で紡がれる言葉はたどたどしく、単語一つ二つを並べただけのものだった。しかし現在は、かなりの饒舌であ


る。


「雷馬が拉致された」


「邪魔者の、犯行ですか?」


「私はそうだと断定しているが」


 お前はどう思う?


「私達に何をせよと?」


 幻不が言わんとしている事は、宿敵も気付いたらしい。


「情報を貰えないか? 私達は相手がどんな奴なのか全く分かっていないんだ」


「でしょうね」


「こっちの情報収集能力がそっちより劣っているのは充分承知している。だから、簡単な事で構わない。教えて貰えないか?」


「そう言われましても、私達もあまり分かっていないんですよ」


 塔画の目の前で交わされる会話。それは、何だかテレビかスピーカーの向こうの物のように思えた。それ程、幻不とスマリが向かい合って会話している姿は異様


だったのである。


 ましてや、休戦とは。幻不は一切休戦に関する説明をしていないが、塔画自身、理解は出来た。スマリの、『貴女方との戦いを守る為に邪魔者を排除するのが第


一ですから』との発言から。天馬も、雷馬を拉致した者を倒す為に動いているのだ。納得はしたが、矢張り心中は複雑だった。この戦いは今まで、少なくとも塔画が


愈牙として人生を全うするまでは一度たりとも止まった事は無かった。剛神の何処かでは必ず一戦交えていた。

 それを、あっさりと「休戦協定を結んだ」とは。


「毒の砂漠の世界に、(うつほ)という種族がいるんです」


「うつほ?」


「体重を自在に操り、空を飛び、標的を潰す。私達が最初に彼等を発見したのは、二ヶ月前です」


「随分最近なんだな」


「ええ。しかし、数はあまり確認されていません。十人弱ですね」


「どの辺で、目撃されているんだ?」


「商港付近」


 スマリのその答えに幻不は満足げに唇の両端を吊り上げる。


「有り難う。助かった。他の連中にも言っておいてくれ」


 幻不は再び槙永の背に乗る。塔画もそれに続いた。


「必要無いとは思いますが、」


 スマリは幻不を見上げて、穏やかに微笑んだ。


「この程度で死なないで下さいね」


「お前もな」


 そして強い風が吹いた瞬間、幻不と塔画は浅木町から消えた。


―――9―――


「貴女とスマリって、どんな関係なの?」


「どんな、と言われてもな。敵同士としか言えんぞ」


 港のあらゆる場所に放置されているコンテナの陰に身を潜め、二人は周囲を伺った。槙永は「ご用があれば、お呼び下さい」と伝えて、姿を消している。


「昼飯時だからな、人がいないのは当然なんだが。どうする?」


 パレスニュータウンにいるのは分かった。しかしパレスニュータウンも結構な広さである。どこかの家に入っているのだろうとは考えたが、住人を待つだけの家は幾


つもある。それを一つ一つ調べていては、日が暮れてしまう。


「人に聞く、のも、良い策ではないわね」


 二ヶ月くらい前に異世界からやって来た(うつほ)という種族が潜伏している場所を知りませんか? なんて尋ねたら即刻、異常者扱いで通報される。


「参ったな。奴等が動くまで待っているのも、何か嫌だし」


「奴等?」


「スマリさ。奴等が雷馬を見殺しにする筈が無いからな」


 幻不は俯いて後頭部を掻いた。そして三秒程頭を抱えて唸ると、突然止まった。


「どうしたの?」


 幻不は突然頭を上げた。その動作には流石の塔画も驚いたが、次の発言にも目を剥いた。


「お前、今どのくらい力使える?」


「え?」


「だから、愈牙の頃と比べて、どの程度力が使えるかって聞いているんだ」


 愈牙の頃。つまり前世はその前に比べると三人共力が強い時期だった。一撃で大山を砕き、大軍を潰し、念じるだけで大地を動かした。しかし現在、幻不はそ


の五割の力も無い。


「二割か、三割……。そのくらいは戻って来ていると思うわ」


「その中で、探索術はあるか?」


「あるけど、大規模は無理よ」


「パレスニュータウンを探せれば充分だ」


 塔画及び優族の力は、植物と大気が関わっているものが多い。現在塔画が所持している探索術も、大気と同調して標的を探すものだ。生物は空気が無ければ


生きられないし、真空空間にいるのでもなければ空気から逃れる事は不可能だ。従って、大気と同調した塔画の眼から逃れる事は出来ない。出来たとしても、そ


れは空気の無い場所しかないのだ。


 塔画は左手を翳した。目を瞑り、邪念を払い、集中する。突然、左手の小指が崩壊した。水分が蒸発した泥団子のように、ぼろぼろと崩れて行く。次に、薬指。中


指、人差し指、親指。左手が全て無くなると、腕が肱、肩へと崩れる。地面に着いた両足も、爪先から無くなって行く。痛みは無い。ただ――こう言うのもおかしい


かもしれないが、無となる感覚だけがある。膝から先、足のある感覚が無くなるのだ。指を動かそうにも、指は無い。手を握ろうとしても、手が無い。そうしている間に


も。膝と両腕が無くなった。消滅は腰を越え、胸を消し、塔画の頭を崩壊させた。塔画の身体は、大気中に霧散する。塔画であった粒子はパレスニュータウンを覆


い漂いながらただ一点を求める。


 そして、粒子がある家屋に集まった。


 霧散したのは塔画の意識であって、塔画の身体本体は幻不の目の前にあった。瞼を下ろして、左手を翳したままの体勢で。


 この作業を見るのは初めてでは無い。鋼雅であった頃も、その前も何度も眼にしている。


 幻不は感覚が無くなる感覚に興味があった。何分、本職は戦争屋である――戦士、と言った方が聞こえは良いかもしれない。怪我をするのは得意技だし、腕は


流石に失った事は無いが、指を失ったのは何度かある。しかし、それには何時も激痛が伴った。塔画が感じている感覚が無くなる感覚とは異なるだろう。明らかに


。若し同じものならば、痛みや怪我を極力避けようとする塔画が進んで行う筈がない。


――暫くかかるな。


 左手を翳して三十秒。普通に考えれば長くはない時間だが、優族の探索術にしては時間がかかっている。詳しく調べる為に、深くまで入り込んでいるのかもしれ


ない。ただ黙って、塔画の意識が戻って来るのを待っていても暇なので、幻不は堤防の端に立って上着のポケットからアルミのボビンを取り出し、それに巻かれた


木綿の糸を三メートル程、解いた。それを、深緑色に澱んだ海に垂らす。


 刃の族の探索術である。


 優族が樹木と風を得意としているのに対し、刃は水と金属を操るの術を得意としている。


 吸水性に富んだ木綿の糸は、海水を吸い、幻不の力の調整で指先まで、水を届けた。そしてこの糸は、幻不の感覚器官の一つに変わる。糸を垂らして海水を


通じて探っていると、あるものにぶつかった。


「あった!」


 それと同時に塔画が声を上げた。


「北端の、東から三番目の家よ!」


「御苦労。私も見付けたぞ。生物である限り、何者も大気と水からは逃れられないからな」


 幻不は糸を引き上げ、海水を払う。


「行こう。北端の、東から三番目」


―――10――― 


 細長い布が腕に巻かれて行く。


 色は白で、包帯によく似た姿をしているのだが、素材が違う。馴染みのある柔らかく、滑らかとは言い難い肌触りは無く、実に滑らかで艶やかである。しかし通気


性は悪いらしい。巻かれたそばから布と肌の間に熱が篭る。


「これは、何なの?」


 起き上がらせた雷馬の身体に、一々空瑪を解いては巻き、解いては巻き。そんな事を繰り返しながら琉葦芙は布を巻いて行く。


 一度全て空瑪を解いてしまえば作業も楽になるのだろうが、それをしないのは、矢張り外部からの干渉や雷馬の逃亡を恐れての事だろう。


「私達、(うつほ)の正装です」


「正装?」


 この布ぐるぐる巻きが? これではまるでミイラではないか。


「この上に装布(そうふ)を着て頂きます」


「そーふ?」


「装飾を施した布の事です」


 それでは、これはアンダーシャツと言ったところだろう。


「どうして、こんなにぐるぐる巻きにするの?」


 雷馬は拉致された事も、生贄になる事も許してはいなかった。しかし、怒っても始まらない。しかもこちらは囚われの身だ。無駄に動いて、助かる可能性を無にす


るのも馬鹿らしい。それに、目の前にいるのは滅多に出会えない異世界の生物だ。これを期に、異世界の文化を学ぶのも良いかもしれない。幸い、琉葦芙は尋ね


た事は全て答えてくれる。若しかしたら、会話をするのが好きなのかもしれない。


「私達の世界は、大部分が砂地なんです。その砂は有害な物質を含んでいて、肌に触れるとかぶれるのです。地形上、風が強いものですから、砂が服の中に入


っても肌を傷めないようにする為です」


「普段でも、ぐるぐる巻きにするの? 大変じゃない?」


「最近では、布を巻くのは正装する時だけです。普段は、袖の長い服の袖口と襟に布を巻く程度です」


 毎日出かける度にこんな事をしていては、さぞ忙しかろうな、と思ったのだが、大切な時にしか着ないとなれば、何と無く分かる。現在の日本でも、大部分の人は


普段は着脱の楽な衣服を着る。日本独特の和服は一部例外も居るが、正月や七五三等の特別な時にしか着ない。この布ぐるぐる巻きも、こちらの世界の和服と


同じ立場なのだろう。


「この色は、私達にとってはとても大切な色なんです」


 まだ尋ねていないのだが、琉葦芙は(うつほ)の色の文化を語り出した。


「この世界で一番軽い物は何だと思いますか?」


「空気……。水素? ヘリウムかな?」


「私達は、雲だと思っているんです」


 世界で一番軽い物は雲。とは、中々面白い考えである。


 空に浮かび、けして落ちる事のない雲。風と共に流れて行く雲。


「私達がどんなに体重を軽くしようとも、雲より軽くはなれない。だから私達は、最も軽い雲を、神聖化するんです」


「だから、雲と同じ色の白を大切にするの?」


「ええ。これから着て頂く装布もこの色ですよ」


 目の前に居るのが琉葦芙一人とはいえここは敵陣営の真ん中である。随分呑気な捕虜だ。


 布を巻き終わり、平たい桐の箱から装布らしき白い布を取り出して、琉葦芙は考え込んでいるのか、黙り込んだ。


「どうしたの?」


 雷馬の問いかけにも、「いえ」と生返事を返すだけ。琉葦芙はそれから三〇秒。黙って考え込み、そして漸く顔を上げた。


「後程、私達の長に会って頂けませんか?」


「貴女達の長に? あたしが?」


「はい。強制はしません。本当に、貴女様が宜しければ」


「いいよ! 会ってみたい!」


 雷馬の反応に、琉葦芙は心底安心した様だった。


 それから琉葦芙の手により装布を羽織り、琉葦芙に先導されながら、空の長の居る部屋へ向かった。髪に空瑪を巻きつけられたままだが、気にはならない。


 敵の長に会う事も、陣営の奥地に踏み込む事も、恐怖は無かった。むしろ、好奇心がそれを上回っている。相手は、自分と同じ一族の長である。見上げず蔑ま


ず、同じ目線で同じ立場で接すれば、問題は無いだろう。


 ただし、空にこちらの常識が通じれば、の話だが。


 雷馬は少し、振り返ってみた。


 窓の無い、床も壁も天井も、白く塗られた廊下が何処までも続いている。廊下の終着点が見えない。


 今立っている場所から正確ではないだろうが、十メートル程後ろに自分が置かれていた部屋の扉がある。十メートル以上の廊下を持っているあたり、この建物は


相当広いようだ。


 病院、又は学校か。何れにしても一般的な家屋とは異なるものと推測される。


――何処なのかしら。此処。


 あれから何時間、何日経ったのだろう。出かけてくる、とは言っておいたものの、そろそろあの二人も心配しているのではないだろうか。


 いや、是非とも心配していて欲しい。


 このまま大人しくしていては李亨洲様とやらの食事になってしまう。転生して未だ十数年。こんなところで生涯を閉じるのは極力避けたい。それが天命であっても


、女皇のシナリオであったとしても、悪足掻きと往生際の悪さは全く変質していないのだから、どこまでも抗ってみせる。

 その覚悟はあるのだが、戦闘も策も、雷馬はどちらも不得意だった。戦闘は出来なくもないのだが、護身術程度だし、策など講じる前に頭が爆発してしまう。しか


し、ここはなんとしてでも抜け出さなくてはならない。何もせずに殺されるのは御免だ。


 琉葦芙が白い扉の前で立ち止まった。


 琉葦芙は身を少し屈めて扉に口を近づけ、


柚亞(ゆあ)()様」


 長の名前を口にした。


「琉葦芙で御座います」


 扉の向こうからの返答は無い。しかし琉葦芙は扉を開けた。


「!」


 部屋の中は真っ白で、異様な眩しさに雷馬は眼を覆った。廊下の照明が抑えられていたのか、それともこの部屋の照明が強いのか。眼の奥に激痛を覚える程だ


った。


「大丈夫ですか?」


 琉葦芙の声がする。雷馬は瞼の上から眼球を軽く押さえ、痛みが引いたのをみて目元を手で覆い、


「何とか」


 ゆっくり眼を開け、何度か瞬きをする。


 光を遮断していた手を外し、少しは慣れたが、未だに強烈な光に眼を顰めながら、雷馬は琉葦芙を探した。


「!」


 光の中に漸く琉葦芙を見つけた時、雷馬は思わず眼を開いてしまった。


 そこにあったのは、高さ一メートル弱の長方形の立方体で、その上に少女が縛り着けられていた。頭以外を、白い一枚の布が立方体ごと覆っている。少女の目


元は細い布で覆われてあり、布で隠されていない部分は鼻と口元だけだった。


 何とも、異様な姿である。


「私達の長、柚亞仁様です」


 立方体の隣に立った琉葦芙は誇らしげな顔をしているが、


「ゆあに……?」


 雷馬は眉を顰めた。


 しかし逃げ腰では相手に失礼だ。雷馬は姿勢を正す。正直、騙されていると思った。琉葦芙に、これが長だ、ただの人形を紹介されているのかとも思った。しか


し、彼女の真剣な表情からは、そんな事は考えられない。


「初めまして、柚亞仁さん」


「だ、あれ?」


 その声は低くしわがれていて、口調は幼い女の子のものに似ていたが、音自体は聞いていて心地よいものではなかった。


「貴女の部下に連れて来られた天空人、明の長・杏朱雷馬」


「てん、くうじん?」


「イニシマって人を呼び出す儀式の生贄になるんですって? あたし」


「いに、し、ま?」


 柚亞仁の口からその名前が出た直後。


 ごぷっ。


 深紅の液体が、口から溢れ出した。


「がふっ」


「柚亞仁様!」


 胸を上下させ、咳き込む柚亞仁の胸に、琉葦芙は手を添えた。


「どうしたの?!」


「発作です! 最近は落ち着いていたのに……。柚亞仁様。柚亞仁様?」


 琉葦芙は液体を吐き続ける柚亞仁の耳元で、柚亞仁の名前を呼び続けた。


「る……いふ?」


 呼び続けて数分。漸く、柚亞仁の口から言葉が出た。


「はい。ここに居ります」


「いに、しま、は?」


 李亨洲。


「いにしまは、どこ?」


 李亨洲を探しているのか、柚亞仁は少しだけ自由の効く首を精一杯動かす。


「いにしまぁ!」


 その絶叫と同時に、液体が口から飛び出す。その液体に伴って、何かが飛び出した。それは細かい物で、色も液体に似ている為か見逃してしまいそうなものだ


ったが、雷馬の目には確かに見えた。


――肉片?!


 もしかしたら、内臓の一部かもしれない。


「柚亞仁様、落ち着いて下さい。柚亞仁様! 亞灑亞(あせある)劉! 出て来なさい!」


 琉葦芙の声で先程自分が入ってきたドアが開き、琉葦芙の服と同じデザインの青い服を着た金髪の女が入ってきた。


瀬霧珠(せむす)を! 早く!」


 金髪の女・亞灑亞劉は七つ連なった緑色の珠を差し出した。琉葦芙はそれを受け取ると、柚亞仁の鳩尾にそれを押し付ける。


「げぅ!」


 それに、柚亞仁が呻く。一見、内臓を圧迫されて苦しんでいるように見えるのだが。


 亞灑亞劉もそれに加わり、雷馬の位置からは柚亞仁の姿が見え難くなった。


「ぎゃぁぁ!」


 しかし時折聞こえてくる声で察すると、容態はまだ安定していないと考えられる。


 琉葦芙と亞灑亞劉が緑の珠を柚亞仁の鳩尾に押し付け始めて、三分弱。やっと、柚亞仁な呼吸をするだけになった。


「御見苦しいところを」


 申し訳ありません、と琉葦芙は額の汗を拭きながら詫びた。


「病気なの? この人」


 病気にしても、ここまで暴れるのは尋常ではない。


「病気と言えば、病気なんでしょうね」


 琉葦芙と亞灑亞劉。二人揃って俯いた。


「願掛けを、御存知ですか?」


 琉葦芙の話によると、柚亞仁は願掛けをしているのだという。願掛けというと、『息子がサッカーの大会に優勝するまで禁酒する!』とか、『友人の病気が治るまで


煙草は吸わない!』等が一般的であるが、柚亞仁の場合は、


「李亨洲様がお戻りになるまで、自分も同じ痛みを味わい続ける、というものなんです」


「痛み?」

 二人は元の部屋に戻り、雷馬は台に腰掛け、琉葦芙は立ったままで話をしていた。


「私達の考えでは、魂は肉体の中にあってこそ安息を得るものなのです。その為、現在の李亨洲様。つまり、肉体の外にいる状態は、苦痛でしかない」


「その苦痛を柚亞仁さんは共有しようとしているのね」


「双子の、ご兄妹ですから。同じように育てられただけに、片方が苦しんでいるのは辛いのですよ」


 そこまで聞くと、何だか可哀想に思えて来た。しかし、そんな同情一つで命を差し出す気にはなれない。


――ああっ。どうしよう!


 このままでは極自然な流れで生贄にされてしまう。琉葦芙には信用され始めているようだし、この信用を裏切って、無駄な戦争が始まるのも避けたい。


――幻不ちゃんなら、塔画ちゃんならどうするんだろう。


 そう考えて、すぐに止めた。


 そもそも、幻不なら公園で琉葦芙を始末しているだろうし、塔画なら始めから声に応じなかった筈である。


 相変わらず、


――考え無しだなぁ。あたし。


 悔やんでも悔やみきれない自分の無能さを、雷馬はどこまでも悔やんだ。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ