序章
某新人賞で第一次選考通過と言う評価を頂いたものです。
それは自分の誉れであり励みでもありますが、この後に書いて投稿したものは全て箸にも棒にも掛からず……。
これが最高傑作にならないように精進します。
赤褐色の砂の大地。空は鮮やかな青色で、浮かぶ雲は白く綿菓子に似ている。
風が吹いて、立てられた幾つもの濃紺の旗を翻した。旗に描かれているのは、大きく開いた蓮の花。
その旗の下で、女が一人腕を組んでいた。長身で細身ながら程よく筋肉を付け、女性的な丸みと共に肉の鎧を硬質な素材の鎧で包んでいた。項で纏めた髪は
金属に似た銀色。瞳は深い海を思わせる青鋼石。右腰に携えた刀の柄は白銀に輝き、細長い刀身を包む鞘は漆黒に塗られている。女の名前は、冴翊鋼
雅。先日、漸く二〇歳を踏んだばかりの若い武人である。
鋼雅は視線を四十五度、空に向けた。そして瞼を下ろし、耳を澄ませる。四方八方に立てた旗を、風が嬲る音がする。その音の向こうに、鋼雅は低い音を捕らえ
た。
近いな。
「あと二千里、ってところかしらね」
鋼雅の背後に、女が一人現れた。濡れ羽色の髪を肩に流し、色白の細い身体を包むのは葡萄色の単衣の着物。藍色の帯に、白い房飾りの着いた匕首を挟ん
でいる。
「奴等の足なら、もうすぐ決戦ね。こっちも準備に入らないと」
「そうだな」
「楽しみ?」
女のその言葉に、鋼雅は顎に手をやった。何かを考える時の、彼女の癖だ。
「楽しみと言えば楽しみだが。しかし愈牙殿、それは些か不謹慎ではないか?」
「愈牙殿なんて言わないで頂戴。前世からの付き合いじゃない? ねぇ、幻不」
幻不。その名前を聞く度、鋼雅は苦笑いしてしまう。
「冴翊幻不様は我等刃の英雄だぞ。貴殿が優の長と言えど、軽々しく口にして良い名前ではない。それは貴殿も分かっているだろう? 塔画」
突然、女――愈牙が笑い出した。高笑いに近い。
「じゃあ言わせて貰うけど、その塔画様も、優の英雄なのよ。軽々しく呼び捨てしないで頂戴」
「参ったな」
鋼雅は頭を掻いた。その隣で、愈牙は溜息を吐く。
「全くよ。生き返ったのかと思ったら身体が小さいし。産まれたてだし? 記憶そのままで生れ変った事を理解したら、産まれた家系は自分の子孫で、よりによって
生前の自分は英雄扱いなんですもの」
「自分の名前を口にする場合は敬称を着ねばならんし。まあ、天馬に産まれなかっただけ良いと思うんだな。塔画」
「様よ。塔画様。英雄なんだから」
愈牙は砂の地平線に目をやった。じきに、地平線の向こうから自分達が倒すべき敵がやって来る。今も昔も変わらない、最大の敵が。
「転生して、兵率いての戦いは何回目だったかしら」
「十回は越えているだろうな。天馬の一部は私達が何者なのか、気付いたのではないか?」
「でしょうね。戦い方がそのままだもの。それに、貴女に至っては外見もね」
長身、細身、筋肉質。銀髪と青い瞳、なんて以前と全く一緒よ。
「刃の長の基本的体型らしいな。悪くは無いぞ。脚の長さも腕の長さも、以前と同じ程度で使い易い」
鋼雅は、自分の左腕を見ながら言った。以前と同じ程度とは言ったが、少し長いかもしれない。これからまだ成長するとも考えられる。
「速い。流石天馬だ。足は衰えていないらしい」
先程耳にした低い音が、大きくなっている。近づいて来ているのだ。
「さて、兵に声を掛けて来るか」
「必要無いと思うわよ。半鐘係りが気付くわ」
愈牙が空を仰いだとき、カーン、と鐘が鳴った。出撃を伝える鐘である。
「ほらね?」
愈牙は微笑み、袖から取り出した白い羽の扇子を手の中で弄んだ。
各天幕から、兵達が武器を携えてぞろぞろと出て来る。馬番が馬を厩から外し、兵が其々の馬を迎える。
鋼雅も、背布を翻した。
厩から放された鋼雅の愛騎が駆け寄ってくる。自分の出番である事を理解しているのだ。それは黒い鉄の鱗に覆われ、水晶の角を持った麒麟。野を走っていた
ところを鋼雅が拾ったのだ。麒麟は人に懐かない性格の為、麒麟を駆るのは、現在は鋼雅と、過去には刃族の英雄だけ。
「行こう、槙永。出陣だ」
鐙に足を掛け、槙永の背に跨る。
「お前とは、これで何度目の出陣になるんだろうな」
手綱を取り、右手で首を撫でてやる。
「不老不死とは、難儀ものだ」
貴女も似たようなものでしょうに、と槙永の声が脳に聞こえた。
「今度転生しても、私の愛騎をやって欲しい」
お引き受け致しましょう。槙永は笑う。
鋼雅は手綱を握り締め、集まった兵に向かい、声を上げた。
「出陣!」
それが、一番最近の前世。