無垢の脚本
圧倒的に力不足を感じ、ベタな学園物で表現力を磨く練習用に書いています。
二人の恋愛がどのように成就するのか楽しみに思えるような作品にしたいですね。
平成31年4月16日に加筆修正しました。
私は想っている女性がいる。
太陽の様に眩しい笑顔は、いつも私の心を照らす。
鈴を転がすような声で、私の名前を囁いて欲しい。
会いたい、触れたい、ずっと側に居たい。
その願いは不可能だ。
理性は無情に現実を突きつける。
彼女と私の人生は決して交わらない。今までもそうだった。これから先もずっと。
そんな事、誰よりも分かっている。それでも逆転はある、どんな時でも。
悲恋、喜劇、もしくはメロドラマなのか。どんな舞台を演じるのか。私の脚本はまだ白紙なのだから。
セミの鳴き声と運動部の掛け声は、エアコンの効いた図書室にまるで壁から染み込むように聴こえてくる。
水蘭女子高等学校はインターハイ常連の部活動もあり、運動部は放課後になると、回遊魚の様にグラウンドで練習に励んでいた。
どちらも真夏によくやるものだ。文系の道をひた走る私には、一生理解出来ないんだろう。
大海を泳ぐ魚が、草原を走るライオンの気持ちを理解できないのと同じだ。生きる世界が違うという事は、価値観の共有も出来ないのだ。この場合、私はライオンではなく、ひ弱なモルモットと言ったところだけれど。
ポニーテールを結んでいたゴムを外す。セミロングの私の髪は支えを無くして扇の様に広がった。
同時に私の気力も髪のように四散した。今日はもうペンを握ることはないだろう。
視線を窓の外、競泳水着の女生徒に移す。
女生徒はプールサイドにあるベンチに腰をかけ、キャップを外す。キャップの中にあった黒髪は、重力に逆らえず腰の辺りまで流れていく。その表情まではここから伺う事はできないが、いつもの様に整ったお顔をしているんだろう。
内藤彩先輩……。こんなに離れた場所から見ているだけで胸が高鳴るのが分かる。
ある時から二階にある図書室の窓際によく座るようになった。クーラーが効いている、というのは建前でもちろん内藤先輩を見つめる為だった。
内藤先輩とは、何の接点も無かった。学年も違えば部活動も違う。だから私はただこうして眺める事しかできない。
本来の目的である脚本執筆は、目の前の新品同様のノートが全てを物語っている。そろそろ本腰を入れないと、文化祭には間に合うまい。
「沙耶〜! またここにいた」
私を含めた生徒達が一斉に注目する。図書室の入り口にセミロングの黒髪、黒縁メガネの如何にも文系な女の子が見える。我が演劇部の部長殿、佐野 亜香里だ。
廊下を走ってきたのだろうか、夏服の白いセーラー服につけられた紺色のスカーフは乱れていた。
ずんずんと私の所までやってきて机に広げたノートを取り上げる。
「部長、図書室では静かにしてください。恥ずかしいですよ」
「あのねぇ、部室では集中して作業出来ないって文句言うからわざわざ見に来てあげてるの!」
確かに。おっしゃるとおりですございます。
部長は手にしたノートをペラペラ捲るとため息をついた。
「沙耶、これは何?」
私の目の前でノートの表紙を人差し指で指している。ノートには『生徒会主催演劇(仮) 渚 沙耶 作』と書かれている。
私が書いたわけではない。部長からノートを貰ったときに既に記入されていたのだ。
はぁ、全く。義務教育を終えた人間の質問とは思えない。
「ノートですよ、部長も毎日使ってますよね」
「そんなの知ってるわよ! 何で白紙かってこと!」
いちいち声が大きい。冗談が通じない人だなぁ。
「なかなかアイデアが湧いてこないんですよ、ゴメンナサイ」
合掌。私は何というか火が入らないと書けないタイプなのだ。
「どうするのよ、文化祭までそんなに日数ないわよ」
ノートを丸めてバンバンと机を叩いている。周りの生徒も何事かとこちらの様子を伺っている。
「分かってますけど、本当に筆が進まないんですよ。あと五月蝿いんで机叩くの止めてください」
流石に私も危機感を持っていた。なんと言っても脚本の方向性すら決まっていないのだ。
部長は両手を机について顔を私の方へググッと近寄せる。
「このままじゃ私の脚本を、貴女が主演で演じてもらうことになるなぁ」
二重の大きな目は全く笑っていなかった。
私はつばを飲み込む……。部長の脚本なんて怖くて見れたもんじゃない。宇宙人とか平気で出てきそうじゃないですか。
「いやいや、それは無理ですよ。そもそも私なんかじゃ役不足でしょ」
「そうかな? 小柄だけど顔は可愛いし舞台に上がってもなかなか行けそうじゃない?」
小首を傾げてそんな事を言い出す部長。
冗談でしょう、舞台に出た事もあるけれど主演なんて柄じゃない。脇役で出ただけでも心臓が口から飛び出すほど緊張したんですからね。
「無理ですって。だいたいこの脚本執筆だって引き受けたこと、正直後悔してるんですから」
そう、文化祭で行われる生徒会主催の演劇の公演。このお芝居の脚本を部長は引き受け、下請けに投げたという訳だ。
「私は貴女の才能を認めているのよ。脚本のデキに関しては二年生ながら県下でもトップだと思ってる」
部長は腕組をすると急に真剣な口調で褒め始める。
「それはどうも、ありがとうございます」
深々とお辞儀する。何だか嫌な感じがする。こういうときの部長は、何かしら無理難題を持ってくるのだ。
「けれど今度の文化祭のお芝居は、各部活動の代表が役者になって演じる。練習時間もそれなりに必要なんだから」
全く、なんでそんな面倒な事を思いつくのだろう。素人が見るに耐える芝居をするのは至難の業だ。
これも私の執筆が進まない原因の一つだ。
部長は急にスイッチを切り替えたようにテンションを上げ、
「だから私は沙耶に朗報をもってきたの。この度、主役は私が決めてしまいました」
正直このノリについていくと精神が疲弊する。
しかし、漠然と脚本を書くよりはキャストが分かったほうが書きやすい。キャストの持つ魅力や雰囲気は舞台を成功させる重要な要素なのだ。
練習して身につくようなものではなく、表現し難いがキャストの色とでも言うのだろうか。その色に合った脚本を作るというのは理に適っているだろう。
「それは確かに有り難いですね。で、その不幸にも主役に抜擢された可哀想な生徒は誰ですか?」
部長は眼鏡を中指で押し上げる。これは校内でも有名人を持ってきたのだと直感した。
「聞いて驚くな、水泳部の三年、内藤彩よ。」
待って、ちょっと待って。
「な、内藤先輩ですか?文化祭出ないって噂だったのにどうしたんです」
「私が頼み込んだのよ。演劇部のエースが脚本書くからってね」
どうだ、恐れ入ったか! と部長の顔には書いてある。ドヤ顔、写メ撮っておきたいレベルの完成度ですね。そういう頼み方、めちゃくちゃ私にプレッシャーなんですけど。
それにしても……。
内藤先輩。
とくん。
心の中で呟くだけで心臓の音は敏感に反応する。私にとって最も特別な名前なのだから。
「そ、そうですか。綺麗な方ですから主役にぴったりですね」
「でしょう、成績優秀、容姿端麗、あの娘のパワーなら周りが大根でも人参位までは押し上げてくれるわ」
部長の中では大根より人参のほうが格付けが上らしい。キラキラと目を輝かせて両の拳を握りしめる。
でも言いたいことは十分に分かる。部長より私のほうが、彼女を見ている時間は長いのだから。
「よし、じゃあ今から会いに行くわよ」
「ええ! 今から! ど、どうしてですか?」
頓狂な声が出て自分自身も驚いた。
「沙耶、声が大きい。だって本人に会ったほうがインスピレーション湧くでしょ」
心の準備もできていない私の手を掴む。
「善は急げ、さっさと行くわよ」
部長はいつも強引だ。ただ不思議なことに部長は割と生徒に好かれているのだ。何故か分からないがこの部長に巻き込まれると良い結果に恵まれる事が多いのだ。
嫌々ながらも淡い期待を胸に抱いて涼しい図書室を後にした。
グラウンドは燃えていた。もちろん火事ではない。太陽から降り注ぐ熱線は地表を容赦なく焼いている。四十度はあるのだろうか。
そう言えば蟻なんかはどうして平気なんだろうか、地表はもっと暑いはずなんだけど。いや、無理だ。余計なことを考えられる暑さじゃない。
「部長〜、日傘は役に立ってます?」
部長はサンフラワー柄の日傘をさしてちょっとしたお嬢様の様だった。
「日傘がなかったら火傷しそう。しかし運動部って別の生き物なんじゃないかしら」
文系は皆同じことを考えるんだろう。この砂漠の様なグラウンドで半日外にいるなんて正気の沙汰とは思えない。
「午後と言っても尋常な温度じゃないですからね」
プールの近くまでおよそ三分、私は割と限界だった。プールサイドのフェンスに右手をかけ、倒れ込みそうになる体を支える。
「運動不足なんじゃない?流石にバテ過ぎじゃないか」
日傘をしているのに汗だくの部長に言われたくないですね。私の装備は頭に置いたハンドタオル一枚なんですから。
水蘭高校のプールはグラウンドの一番校舎側の端にある。
間近で見るプールは涼しそうだ。カナヅチの私でも水浴びしたいとおもわせる。塩素っぽいプールの匂いが微かに香る。競泳水着を着た女生徒達は割と真剣に練習に取組んでいるようだ。
「えーっと、あ! いたいた。彩〜、ちょっとこっち来て」
声が大きいですって。水泳部の視線が手を振る部長に集まる。こういう堂々とした所は役者向きだ。私は無意識に部長の影に隠れる。正直目立つのは嫌いだ。
「そんなに大きい声で呼ばないで、亜香里。練習中なのよ」
透き通る様なこの声は内藤先輩だ。それだけで心が踊る。人間なんて単純なものだ。
「ごめんごめん、例のうちの脚本家を紹介しとこうと思って」
「エースとか言わないで下さい。そんな大したものじゃないんですから」
毎度毎度ハードルを上げられたら、そのうち棒高跳びになりそうだったので釘をさしておく。もう二本位刺してしてもいい。
「あら、貴女……、そう、彼女が期待の脚本家さんね」
私の事を内藤先輩が話しているなんて。
部長の背中越しに先輩を覗くと、水泳帽を取りこちらを見て柔らかく微笑んでいた。長い髪は水に濡れ、水滴がプールサイドに染みを作っている。すらっと伸びた磁器の様に白い手足や競泳水着も当然濡れている。
私はあまりの恥ずかしさに目を逸らした。こんな間近で会った事すらほとんど無かったのだ。刺激が強すぎる。
ましてやプールはグラウンドの土が入り込まないようコンクリートの基礎が高めに打ってある。必然的に私達は下から見上げるような形になっているので目のやり場に困ってしまう。
「そそ、この娘が渚 沙耶。うちの脚本家ね」
部長に紹介されて多少焦るも、考えておいた挨拶を返す。
「どうも、渚 沙耶です。今回は舞台に立っていただけるそうでありがとうございます」
借りてきた猫の様に先輩にペコリとお辞儀をする。顔を上げると顎に右手を当て、なにか考えている内藤先輩。
真剣な先輩の表情は触れると斬れる様な鋭さを一瞬放っていたが、すぐにまた笑顔になると、
「三年の内藤 彩よ。どうしても出て欲しいって亜香里に頼まれて渋々ね。相当にしつこくて私が折れたのよ」
ため息をつく先輩から、ゆっくり視線を部長へ移す。
「ドヤ顔してた割には随分と力技で了承させたみたいですね」
部長は私から目を逸らすも未だ強気だ。
「と、とにかく了承は貰ったんだから舞台には出てもらうわよ」
こういう無理矢理に人を動かすのは部長の得意技だ。そもそも私が脚本を書くことだって似たような経緯を辿っているのだ。
「それなんだけど、少し条件をつけさせてもらうわ」
思いがけない内藤先輩の言葉に部長が反応する。
内藤先輩は真面目な顔つきをしているけど……なんだろう、少し笑ってる?
「何を今更、無理な条件で断れると思ったら大間違いよ」
あー、結構こぎつけるのに手間がかかったんですね。その表情からは、二度と手放さないわ! という決意が見て取れる。
「断ったりなんかしないし、そんなに無理な条件でもないわよ」
「……言うだけ言って」
内藤先輩は部長の言葉を聞くと、こっちを見る。先輩の大きな二重の瞳が私の瞳と綺麗にぶつかる。
私絡みの条件だ! と脳が信号を出す。私の口が脳から受けた信号を、言葉に変えようと筋肉を動かす前に、美しい声でとんでもない内容が私の耳に飛び込んでくる。
「渚さんを舞台に出して。ちょい役じゃなくて準主役でね」
な、な、な? 何を言い出すんですか! あまりの条件に私の脳からは正常な信号が送られない。
「よし、その条件で決まり!追加の条件は無しだからね」
即答で了承する部長。あ、あんたらね。
「ちょ、ちょっと部長!そんな簡単に受けないでください」
「契約成立ね、うーん! 乗り気じゃ無かったけど楽しくなってきた」
内藤先輩はやる気だ。当事者の私が納得してないのに話が進んでいく。不味い、ここが正念場だ。
ちょっと待った! と右手を伸ばす。
「お二人共! 少し待って下さい! まだ私は良いなん……」
話の途中で突然部長は私の肩に腕を回すと、プールと反対方向に向きを変えさせられた。
「沙耶、よく考えてみるんだ。彩が出るだけで舞台はほぼ成功だ。ここで彩がへそを曲げてみろ。残りの時間で舞台を完成させるのは難しい」
ぐっ、確かに。脚本は白紙、主演も決まっていない。改めて絶望的な現状を思い知る。
「幸い脚本さえ完成すれば沙耶は演出補助。どうせ舞台のそばに居るんだから練習時間は十分ある」
ぐぐっ、こういう理詰めの上手さに毎回舌を巻く。反論する道を潰しながら私を追い詰めるのだ。
「渚さんは私とお芝居するのがイヤ……なのかな?」
突然聴こえる内藤先輩の悲しそうな声に振り返ると、悲しそうに下を向いていた。何でそんなにショックを受けてるんですか!
脳が最優先で指令を出す。部長の腕を振りほどくとプールサイドのフェンスを両手で掴む。
「先輩! そんなことないです! 嬉しいですよ。一緒にやりましょう。だからそんな顔しないで下……」
先輩の顔はすでに満面の笑みに変わっていた。
「それじゃあ渚さん、これから宜しくお願いね」
や、やられた。こんな簡単な手に引っかかるなんて……。
「彩はやっぱり役者の素質あるよ、いや素晴らしい。良かった、良かった。私の責任もこれで概ね解決だ」
部長の本音が漏れてることに突っ込む気力も無い。
だけど……。
内藤先輩は笑いながら部長と話を続けている。
だけどあの笑顔が間近で見られるなら、それは幸せなのかもしれない。
不思議と太陽の暑さが気にならなくなっていた。
それは内藤先輩という私の太陽が花の様に笑っていたからなのかも知れない。
稚拙な文章に時間をかけて頂きありがとうございました。
至らぬ点ばかりですがご指導等コメント頂ければ幸いです。