明かす人、隠す人
広場で大道芸が始まり、休憩がてらそれを眺めることしばらく。
日も暮れて来てそろそろ帰るか最後に一回りしていこうかなぁと、ふと周りを見れば、ディーアの手に収まる文字を綴る魔道具が視界に映った。
画面が何か反応しているようだが、そこに明確な文章が書かれる事は無く、短い文字が浮かんでは消えてを繰り返している。
多分、あの画面のように本人の中で無意識のうちに言葉が浮かんでは消えてしまっているのかな。
そっとディーアを覗き見るが、心ここにあらずといったところか。
いつもなら視線を向けただけでもすぐに何かしら反応が返ってくるのに、ディーアはぼんやりと大道芸の方を見ている。
──なるべく普段通りにしているみたいだったから触れなかったけど、これは私から切り出した方が良いのだろうか。
こういう時どうするのが正しいのかなんて、抱えている事情やその人の性格によって違う物だ。
けれど、一瞬浮かんだ文字達の中に確かに私の名前があったから、私はアンナへと視線を向けた。
目が合ったアンナに向けて、視線だけでディーアをそれとなく示し、緩く手を振る。
指示らしい指示はほとんどないけれど、昨日同じような立場だったアンナならわかってくれるだろう。
現に、アンナはすぐに頷きルーエとウィルへ合図を送り、戸惑うフレンを連れて静かに離れてくれた。
護衛の関係もあるからそれほど距離はないけど、声を発するのが私だけなら気を付ければ良いだけだ。
でも直接的な言葉は使わずにってなると、どう切り出したら良いんだろう?
知らぬうちに傷付けてしまわないように且つ、周りに聞かれても困らないようにでしょ? え、むずくない?
頭をフル回転させて言葉を探すが、ディーアが周りが距離を取っている事に気付いたようで、何か言われる前にと、とにかく思いついたままの言葉を告げた。
「例えばさ、ディーアは私が人間じゃなくても仕えてくれるよね」
うん、我ながら意味不明というか唐突過ぎるというか。こんな風に切り出されても困るだけでしょうが私ぃ……!
例え話から始めるとしてももっと良い例え方があっただろうに、私の頭は肝心な時に限ってポンコツらしい。くそぅ、こんな事ならしっかり考えてれば良かった……!
ディーアからしても意味不明だったんだろう。ぽかんと私を見下ろすディーアに、慌てて挽回から入る。
「た、例え話だから! 極端な話だからね! 人間ではあるよ!?」
『そこは疑っておりません』
とはいえ、私のポンコツ具合がちょっとはディーアを緩めてくれたのだろう。
冷静なツッコミと共にいつもの困った主を見る微笑みが向けられて、さっきより普段の雰囲気が戻って来ている。
このままでいてくれた方が私としても話しやすいなぁと思いつつ、ディーアの手を緩く引く。
「……アンナにも言ったんだけどさ、話したいなら聞くし、話したくないなら言わなくて良いよ。
隠し事があるからって崩れるような関係じゃないって思ってるから」
繋いだ手を引いて、距離を縮めてもらって、大道芸に沸く人々の雑踏に消えてしまう声で私の思いを告げる。
聞き耳を立てていなければ聞き取る事なんてできないだろう子供の声を、ディーアはどう受け止めたのか。
眉を下げ、今にも泣き出してしまいそうな顔をしたディーアはそっと魔道具を差し出した。
『その隠し事が、穢れた物でもですか』
あぁそうか、ディーアはその隠し事を嫌っているんだ。
それでも私が気になっているだろうから、話すべきか悩んでいたんだ。
アンナもそうだったけど、ディーアもディーアで律儀だなぁ、なんて、真面目な従者へ向けてただ頷く。
「ディーアはディーアだからね」
きっとその隠し事にはエルフォン伯爵家が深く関わっているんだろう。根深い何かがあるんだろう。
知りたくないと偽るつもりは無い。気になる物は気になる。
だが、それでも。穢れた物だとディーアが忌む何かがあったとしても、私ができる事は変わらない。
「さっきの例え話を引き出すなら、ディーアが実は魔物でしたって言われても、私にとってディーアはディーアなんだよ。
私の知らない過去があって今のディーアがいるんだから、私は受け入れるだけだよ」
過去を変える事はできないし、話す事で整理がつくならまだしも、話したくない事を話させて傷付けたくはない。
それに、ディーアとルドルフさんの様子を思い出す限り、ある程度片が付いている事なんだと思う。
大きな問題を今も抱えていて、苦しくて、困っていて、助けを求めているわけではないのなら、それで良い。
「私はディーア達が大好きで大切なの。一緒に居られたら楽しいし、傍に居てくれるのが嬉しい。
流石に私を裏切って剣を向けられたりしたら悲しいけどさ、そういうのじゃないでしょう?
だからさ、その隠し事のせいで離れたりしないなら、それで良いって思っちゃうかなぁ」
今回の事もだが、どうして初対面の私に忠誠を誓ったのか、どんな素顔をしているのか。ディーアの事で私が知らない事なんて沢山ある。
クラヴィスさんのように昔から一緒にいたわけではないのだから、知らない事の方が多くて当たり前だ。
それでも今一緒に居て、これからも一緒に居てくれるなら、それで良いんだ──いつか私がさよならをするその時まで。
『もし』
小さく浮かんだ文字が視界に映る。
何だろうかと首を傾げていると、数秒の沈黙を置いて、ゆっくりと文字が綴られた。
『もし、その隠し事が原因で貴女の前から姿を消したら、どうしますか』
離れないでと言ったから、離れたらどうするか聞いたのか。
なんだか幼い子供の試し行動みたいだなぁと思ったが、根本的なところは同じなんだろう。
綴られた文字は機械的な物なのにどこか幼さが窺えて、つい笑ってしまった。
「想像できないなぁ……そんな事しそうにないじゃん」
『だから、もしもの話です』
「そうだねぇ……その時は……うん、探すと思う」
想像はできない。だけど大切な誰かが何も言わず自分の傍からいなくなったらどうするかなんて、一つだ。
「探して、探して、見つかるまでずっと探して、見つけたらもう一回傍に居てくれるように手を伸ばすよ」
だって、ディーアは優しいから。
私が手を繋げば、振り払うことも跳ね除けることもできない、そんな優しい人だから。
それでいて探して欲しいと望んでいるだろうから、私は手を伸ばそう。
「だからその時は、私の手を取ってね」
カラカラと、何でもないように笑って願う。
結局これは人の優しさに付け入るのが前提だ。
手を伸ばした先で、ディーアが手を掴み返してくれなければ、私達は手を繋げないだろう。
でも、きっとそんな時は来ない。来てもきっと、私の手を掴んでくれる。
そう信じているから、ただ笑って願うだけに留めれば、ディーアは泣きそうなまま笑って頷く。
そして少し考える素振りを見せた後、ゆっくり私の前に跪いた。
『自分にとってそれは、知るべきでは無かった事だと思っています。
誰も知らずに、誰も気付かずに、人知れず消えてしまった方が良かった事だったと思っているんです』
一呼吸おいて画面に浮かんだ文字には明らかな嫌悪が滲んでいる。
傾いた日差しが作った影の中で、昏い感情を孕んだ瞳が揺れて。
『だから、このままでも良いですか』
ディーアは明かさない事を望んだ。
『気になっておられるのは重々承知しております。貴女に言っていない事が、沢山あります。
でも、それでも、貴女に言えないまま仕えさせて頂けますか』
「もちろん」
わかっていた。多分そうするだろうと思っていた。そうしたいだろうと気付いていた。
だからすぐに頷いて、ディーアにいつも通り笑いかける。
「これからもよろしくね」
『はい、トウカ様』
あの場に居させたクラヴィスさんは、きっと知っていた方が良いと考えているんだろうけれど、私は知らないままでいよう。
ディーアが明かさないと決めたなら、二度と聞く事もしないし、二度とああいった場面にも立ち会わない。
緊張が解れたのか、ほっと一息吐いているディーアを見ながら、私はそう心に決めた。




