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獣の罪



「……相変わらず面倒な場所だね、ここは」



 トウカ様から離れた途端、群がって来た者達をある程度撒いた所で小さく独り言ちる。

 どうせ平民の自分を繋ぎにしてトウカ様に取り入ろうという魂胆だろう。そんな姑息な真似をする奴がまともなわけがない。

 こういった場に慣れていないフレンを行かせていたら、すぐに囲まれ大変な事になっていただろう。

 残して来て良かったと心底ほっとしつつ、菓子の並んだテーブルへと近付いた。



 令嬢達で少々賑やかなテーブルは相当売れ行きが良いらしい。

 着色料を使って色鮮やかに仕上げられた菓子の類に令嬢達は楽し気な声を上げ、はしたなくない程度に楽しんでいる。

 確かに見た目は中々良いが、普段ノゲイラの料理長が作る物を見ている身としては少々物足りなさを感じてしまう。


 旬ではないから仕方ないが、やはりトウカ様の好きな果物を使った物はあまりなさそうだ。

 ノゲイラではいつでも手に入るため忘れがちだが、それが普通なのだと改めて思い出す。

 随分疲弊しているようだから、少しでも気分が上がる物を持って帰りたかったのだが、仕方ない。


 無駄な時間がかかってしまっているため、できるだけ早く戻ろう。

 そう思い、小さく食べやすいマカロンを幾つか取ろうとした時、後ろから聞き覚えのある声がした。



「アンシャリア・ローゼン、ちょっとよろしくて?」



 事前に共有されていた来客者一覧にその名が無かったから気を抜いていた。

 参加できないはずなのに、強い伝手があったのか、それともわざと伏せられていたのか。

 どちらにせよ面倒だが仕方なく振り向けば、見覚えのある女が立っていた。



 最後に見たのは何年前だったか。

 扇で口元を隠しているが、明らかな嫌悪の宿った青の瞳がじっとこちらを見つめてくる。


 風の噂で社交界からも弾き出されていると聞いていたが、どうやら本当だったらしい。

 古い型のドレスと必要最低限の宝石を身に纏った令嬢──今は子爵夫人か。

 記憶の中の姿よりも随分草臥れている姿に何とも言えない感情が湧く。


 あの頃はいつも高級なドレスを身に纏い、新しい宝石を買っては周囲に自慢し、何も持たない私を見下していた。

 生まれを蔑まれ、唯一の家族だった母を殺され、娘という奴隷にされたあの頃。

 だからこそ、この身に流れる同じ血に嫌悪を抱き、抗ったのだ。



「こちらに来なさい。ここで話すには目立ち過ぎるでしょう?」



 目立つよう仕向けておきながらいけしゃあしゃあと。

 本音を言えば無視してさっさと離れてしまいたい。

 だが、身分を捨てて平民に戻った自分と、既に他家に嫁いでいて最悪は逃れたこの女では明確な地位の差がある。

 ここで無視すれば自分だけでなくクラヴィス様やトウカ様にまで害が及びかねない。


 周囲の視線もある今、目立つのはもう避けられないが女の言う通り場所を変える意義はある。

 人目さえ無ければ静かにさせる事もできるだろうが、それはあちらも勘付いているはず。

 どうせ最低限の人目を避けられるだけで、誰かしらの視線はあるだろう。


 そもそも、ほとんどの力を失ったこの女にできる事など限られている。

 ここは余計な騒ぎを起こさないよう適当にやり過ごし、身分差による義務を果たして手早く片付ける方が良いか。

 ため息を吐きたくなる衝動を抑えて、仕方なく女の後を付いていった。




 バルコニーへと連れていかれたものの、やはりこの色は目立つのだろう。

 朱が二人揃っている。ただそれだけで好奇の目線が向けられる。

 目の前の女もそれには気付いており、居心地の悪さから扇を口元に当てている。



「相変わらずね、ここは……手短に済ませましょう」



 私達が集まればこうなるなど事前にわかっていただろうに考えすらしなかったのか。

 自ら招いておきながら周囲が悪いと言わんばかりの態度は、苛立ちを通り越して呆れすら抱く。

 考える事をしないから、私のような搾取され続けた者に食い破られると想定できなかったというのに、何年も経った今も変わらないようだ。



「貴女のせいでお父様は陥れられ、クロノア家は没落してしまった。

 そのせいで私も旦那様もそれはもう苦労させられているの。今こそその罪を私達に償うべきではなくて?」



 何を言い出したかと思えば、この女は未だ現実を見ようとしないらしい。

 自らの罪に対し正しい裁きを受けたというのに、陥れられたなど言ってのける精神に感心すらしてしまう。


 いかなる罪を犯していようと一族を守る事が正しいとでも思っているのか。

 実父だったクロノア男爵の罪の証拠を手に入れ、密告し、一族を没落させた私が許せないのだろう。

 弱者の血肉の上に居座り、甘い蜜を食らって生きる事が当然だと育てられた者は、いつまでもそう在り続け、奪われた恨みだけを吐き続けている。


 やはりこの獣は一生理解できそうにない。

 気が合うというべきか、こちらもこうして同じ場にいるだけで反吐が出そうだ。

 互いに嫌悪と憎悪しかない間柄だというのに、それでも要求してくる厚顔さにただ呆れていると、女は苛立った様子で告げた。



「簡単なことよ。ただ私をあの子供に紹介すれば良いの。私が貴女に求めるのはそれだけよ」



 私の態度が気に食わないのだろう。人目を気にして喚く事はしないが、言葉の端々に粗さがにじみ出る。

 あぁやはり、近寄ってくるにしては露骨に嫌悪を示しているなと思っていたが、狙いは私ではなくお嬢様か。

 ノゲイラと繋がりを持ちたくとも、クロノア家の事を良く知っているクラヴィス様には近付けない。

 特に社交界から締め出されたこの女はこれしか思いつかなかったのだろうが、お粗末にも程がある。



「さっきからだんまりを決めて、それで逃れられると思っているの? 何か言いなさいよ……!」


「──『今後一切関わるな、言葉も交わしたくない』そう告げたのは他でもない貴女では?」



 あの時、私から告げようとする前に告げられた言葉を、一言も間違える事無く繰り返す。

 愛しく大切な我が主に近付きたいだと? あの方にお前のような者を近付けさせるとでも?

 何より、こんなくだらない茶番に巻き込むなんてもってのほかだ。



「それに、貴女はユーティカ公爵家に紹介できるような方ではありません。失礼致します」



 全く、昔からこの女と関わると碌なことが無い。

 無駄な時間を過ごしてしまったと、その場を後にしようとすると、我慢の限界が来たのか女が喚きだした。



「平民がこの私に向かってなんて口の利き方を……!

 いくらあの方が後ろについていようと、お前はただの平民なのよ!? わかっていて!?」


「だから、何だと言うのです? 貴女のような犯罪者と関わりたい者がいるとでも? 誰も近寄ろうとしない貴女に?」



 平民だから、貴族だからなど関係無い。主から危険人物を遠ざけるのも従者の役目だ。特に犯罪者など、問答無用で退けられて然るべきだ。

 それは貴族の席にしがみ付いているこの女もわかっているはずなのに、犯罪者呼ばわりされたのが気に食わないらしい。

 事実を述べただけの私に対し、今にも掴みかかって来そうな勢いで詰め寄ってくる。



「好き勝手言って、犯罪者は貴女でしょう!」


「判決をお忘れですか。私は貴女方とは違い無罪となりました」


「お前がお父様のお手伝いをしていたのは知っているわ! それなのにお父様を売って罪から逃れたのでしょう!」



 これで手を出そう物ならこちらとて正当防衛をできたのだが、その理性だけは残っていたようだ。

 後一歩踏み込んでくれれば静かにできたものを、女は踏みとどまり、周囲に聞こえていようと構わず喚く。

 私を犯罪者にし、周りを味方に付けようとしているのだろうが、私達に気付く者であればあの事件も知っている。

 知らないとしても調べればすぐにわかるというのに、無意味な行為だと気付こうともせず、女は私を睨みつけた。



「お前は自分が助かるためだけに、由緒あるクロノア家を没落させた! お前が罪を償わなければ誰が償うというの!」


「……また、全て私の罪だと言い続けるのかい」



 変わらない、本当に変わっていない。

 人はここまで変わらないのかと驚くほどに、何も変わろうとしていない。


 あの時もそうだった。全てを知っていながら何も知らないと言い張り、全てを愛人の娘である私に押し付けようとした姉妹達。

 他の妹達は修道院へと送られ、クロノア家と関わりのある他家へ嫁ぎ、唯一貴族に残った者として多額の賠償金を命じられた姉だった女。


 犯した罪の重さから取り潰しは妥当であり、関わっていたこの女や子爵家が苦しむのは自業自得でしかない。

 それなのにこの者達はずっとこうだ。自分に罪は無いと思い込み、責を誰かに押し付け、その上で自らの正当性を主張する。

 私達に在るのは罪だけだというのに。



「そうよ! お前は罪を償わなければならないの! それなのに、どうして私が……!」



 結局、自分の幸せしか眼中に無い。機会を与えられても変わらないのだ。

 旦那がとか、家がとか、どうでもいい。この獣はただ自分の欲のために足掻き、堕ちて行くだけ。

 それが過ちだと気付く日は、きっと来ないだろう。


 怒りや恨みといった負の感情で染まりきった青の瞳を静かに見下ろす。

 先ほどまで鋭く睨みつけて来ていたというのに、私に見下ろされて怯えた色を見せるのはあの時が焼き付いているからか。

 自分から近付いたというのに、後ろへ後ずさりする女へ無礼とされない程度に顔を近付けた。



「私に罪があるとしても、それは私のモンだ。あんたの罪はあんたが償いな」



 背負った罪の重みで堕ちて行くしかない、背負った罪を知ろうとしない愚かな女。

 どれだけ足掻こうと決して届かないのに、欲に駆られて手を伸ばし続ける獣。

 目の前の存在が叫ぶように、私に罪があるのならそれは喜んで背負っていこう。

 だがそれは私の罪だけであって、お前達の罪なんぞ知ったことか。



「このっ……!!」



 以前のように荒い言葉を吐き捨てた私に、女の顔が真っ赤に染まり、手を振り上げる。

 喚く女の声は聞こえても、私の言葉はこの女以外聞き取れなかっただろう。

 周囲からすればどこまで行っても私が絡まれた被害者で、この女は祝いの席に水を差す迷惑な客となる。


 だからまぁ、一発ぐらい殴らせて、こちらの様子を窺っている警吏に押し付けてやろう。

 そう思っていたのに、聞き馴染んだ柔らかな幼い声が聞こえ、私は振り降ろされた女の手を払いのけた。

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