早速ですが帰りたい
──神話の時代、魔物が蔓延る大地に現れ、人々を救い導いたとされる双星の神、アスラとルテラ。
そして二柱の神に力を与えたとされる精霊達を祀り、信仰を捧げるアステラ教は、この世界で最も布教されている信仰とされている。
トリメルス教会もその信仰を捧げる場の一つで、シェンナード王国時代から存在する教会だ。
ただ、この世界では過去に人並外れた偉業を成し遂げた存在を神として祀る事も多く、最近だと異世界の英雄も神として祀られており、王都には彼を祀る神殿も存在する。
信仰の違いで揉めたりしないのかと思ったが、アステラ教自体、二体の神を祀っているため少しだけ考え方が多神教に近いのだろう。
聞けばアステラ教の信徒が他宗教の祀り事に参加していても問題視されないし、なんならそれが普通らしい。
例えば私が行う予定のハレの儀は異世界の英雄が由来の行事だが、場合によってはアステラ教の教会で行う事もあるぐらいだ。寛大過ぎない?
おかげで宗教関係に気を揉む事が少なくて有り難いんだけどね。
お祭りとかも気軽にできるので、屋台とか積極的に広めさせてもらいましたわ。オルガ糖で作る綿あめは子供達にだけでなく大人達にも大好評です。
夏祭りは今回の準備もあってほとんど皆に任せっきりだったからなぁ。秋の収穫祭は去年よりも盛り上げられるよう頑張らねば。
今から戦場に赴くというのに、ノゲイラの事を考えてしまったからだろう。
とてつもなくノゲイラへ帰りたくなって来たところで、荘厳な教会が見えて来た。
手入れの行き届いた真白の壁が聳え立ち、星を描いた窓が太陽の光を反射する。
結婚式が執り行われるからだろう。多くの花が飾られた教会は、これから訪れる幸福を表すかのように華やかで、式の会場としてこれ以上の場所は無いと思わせる美しさがある。
ルーエの母親や友人が押し切ったのも、ここ以上に素晴らしい式場は無いと思ったからだろうか。だからって勝手に決めるのは良くないが。
「どうした、もう疲れたか?」
「……少しノゲイラに帰りたくなっただけです。お父様こそ、お顔が強張っておられましたよ?」
ノゲイラに帰りたいと思った事、それから侯爵夫人とその友人に対する反感が表に出てしまったのだろう。
言外に顔が普段の物に戻っていると指摘され、小さな溜息と共にこちらも指摘し返す。
するとクラヴィスさんは窓の外へと視線を向けて、呆れたように呟いた。
「何、厄介事が来ただけだ」
クラヴィスさんが見ている視線の先を追うと、教会の前に誰かが立っているのが視界に映った。
傍に数名控えさせ、こちらを見ている深緑の髪をした初老の男性は随分身なりが良く、一目で身分の高さを窺える。
「侯爵直々のお出迎えとはな」
「あれが……」
どうやら彼がルーエの父、マシェウス侯爵その人のようだ。
あの様子から察するに、私達が来るのを待っていたのだろう。
きっとクラヴィスさんに話があるんだろうなぁ。しかも侯爵直々に待ち構えているなんて、余程の事に違いない。
初めて見る侯爵の姿を記憶したところで、クラヴィスさんに名前を呼ばれてそちらへ視線を戻す。
「ルーエの所へは一人で行きなさい。カイルをそちらに付ける」
「わかりました」
予定ではクラヴィスさんにルーエ達の所へ連れてってもらう事になっていたが、こうなっては仕方ない。
カイルなら貴族間のやり取りにも慣れているから、そっち方面のフォローをしてくれるだろう。
多少不安を抱きながらも大人しく頷くと、クラヴィスさんの肩に居たアースさんがそろりと私に顔を近付けた。
「今回使う幻は少々強めじゃから何も感じられんようになるが、ワシはずっと近くにおるからの」
「……うん。ありがと、アースさん」
気を遣ってもらっちゃって申し訳ないなぁと、尻尾で優しく私の肩を撫でてくれるアースさんについ気が緩む。
ノゲイラではすっかり受け入れられていて好きに飛び回っているアースさんだが、王都ではそうはいかない。
姿を見せるだけでも混乱が生じる可能性だってあるため、強い幻術で念入りに姿を隠さなければならないし、領館や人が多く紛れやすい街中でも無い限り声を掛けることすらできないだろう。
気付けば姿は見えなくなり、ついさっきまで居た空間に手を伸ばしても指先には何も感じない。
それでも、傍に居てくれるとわかっているから、とても心強い。
頑張らないと、と改めて気合を入れて顔を作ったところで、馬車が止まり、頬へと手が伸ばされた。
「何かあればアースを通じて知らせなさい。すぐに向かう」
「はい、お父様もありがとう」
化粧を崩さないように注意しながらも、優しく頬を一撫でされ、くすぐったさから思わず小さく笑ってしまう。
入れたばかりの気合が抜けてしまいそうになるけれど、何事も無かったかのように馬車を降りたクラヴィスさんから手を差し出され、どうにか淑女らしい所作で馬車から降りる。
後ろに続いていたカイル達が乗っている馬車も止まり、中から降りて来たフレンの手に用意してきた贈り物があるのを確認していると、侯爵がにこやかに近寄って来た。
「おぉユーティカ公爵! お待ちしておりました!」
「わざわざ侯爵自ら出迎えていただき、感謝致します」
「あぁいや、連絡を頂いた際、丁度時間がありましてな。是非お話したいこともありまして……して、そちらが?」
噂の養女が目の前に現れ、好奇心を抑えきれないらしい。
取り繕ってはいるが、如何にも興味津々といった様子を隠しきれていない侯爵が自然を装って私へ注目を向ける。
ルーエより少し薄い緑の瞳が一瞬、私の全身を観察するように動いたのに対し、私はただ笑みを深めた。
「我が娘、トウカになります。トウカ、こちらはマシェウス侯爵だ」
一瞬だったとはいえ居心地の悪い視線だ。本当なら思いっきり顔を顰めたいぐらいだ。
だが今は全力で猫を被らなければならない。外だからというのもあるが、ちょっとでもしくったらどこかから聞きつけたルーエがお説教しに来そうなんだもの。ルーエならやりかねない。
そのため、クラヴィスさんの紹介を受けた私は、笑みを崩さぬまま、ルーエに叩き込まれた令嬢の挨拶を行った。
「初めまして。わたくし、ユーティカ公爵家のトウカ・ユーティカと申します」
「これはこれは、ご丁寧にありがとうございます。私はリバート・モルガ・マシェウスと申します。
娘からお話は聞いておりますよ。才に溢れる素晴らしい主だと」
いくら年齢に差があろうとも、侯爵より公爵の方が地位が高いのに変わりはない。
そのため私から頭を下げる事はせず、ただにこやかに挨拶を述べる。
初めて他人へ挨拶したが、反応を見る限り、侯爵の目には良く映ったらしい。
僅かに驚いた様子を見せた後、侯爵は微笑みを浮かべ、私と視線を合わせるよう腰を折った。
「仕える主は自分で選ぶと言って、騎士にまでなってしまうような娘です。
どうなる事かとずっと心配しておりましたが……ユーティカ公爵や貴女のような方に仕えられてあの子はとても幸運ですなぁ」
子供である私に向けて胸に手を添え、心から嬉しそうにそう語る侯爵。
クラヴィスさんとは仲が良いわけじゃないって聞いてたから身構えていたけど、この人ただの良いお父さんでは?
奥さんの強行にクラヴィスさんだけでなく私にも謝罪の手紙を送るような人だし、少なくとも悪い人ではなさそうだ。
娘の行く先を案じる父の姿に、表情は変えないまま内心安堵していたら、クラヴィスさんがコホンと咳払いした。
「それで侯爵、話とは?」
「そ、そうでした。申し訳ない、娘の結婚式とあって私も浮ついているようです……どうぞこちらへ。
少々込み入った話になりますが、トウカ様も同席なさいますか?」
「いえ、式の時間もあるでしょう。娘はルーエの元へ案内して頂きたい」
「では、この者が案内致します」
流れるように別行動が決まり、クラヴィスさんは手だけで後ろに控えていたカイル達へ指示を出す。
事前に話していた通り、アンナとフレン、ウィルの他にカイルもこちらへ付き、スライトだけがクラヴィスさんに付く。
こうして見ると人数差がすごいなと、他人事のように思っていたが、侯爵や案内の従者さんも同じように思ったらしい。
侯爵と従者さんが数秒視線を交わしたかと思えば、彼等の表情はあからさまではないものの、僅かに和らいでいた。多分過保護で微笑ましいとでも思ってるんだろうなぁ。
「また後で」
「はい、お父様」
そんな短いやり取りの後、いつもと違って重なるだけだった手が離れていく。
さて、細かいフォローはカイルに任せるとして、私は私の頼まれ事を済ませるとしますか。
今もどこかで見ているだろう私の従者のために、従者さんに案内されるまま教会へと足を踏み入れた。




