戦支度はしっかりと
私がどこから来て、どこへ帰るつもりなのか。
まだクラヴィスさんとアースさんしか知らないその事実を、スライトに話す事はできない。
だから、誓いを受け取らない理由を教えられず、納得もしてもらえなかったけれど、理解はしてくれたようだ。
ちょっぴり残念そうなスライトに連れられ町に戻ると、クラヴィスさんも戻ってきていた。
私達が一緒に戻って来たのを見て、どこに行っていたのか察したらしい。
クラヴィスさんは私を抱き上げ、スライトに一言問いかけた。
「もう良いのか」
「あぁ」
間近で交わされる短いやり取りと共に何やら視線を感じるが、無視だよ無視。
いつか居なくなるからというのもあるけれど、この世界、誓いの類って大抵魔法が絡むんだもの。
お互いの了承がなければ成立しないはずだが、魔法を用いた契りを破ったりすれば、即刻魔法による罰が下される。
そのため約束一つするのも慎重にしなければならないのである。さっきみたいなのは特にネ!
それに、誓いを受け取れなくとも、守らないでとは言っていない。
スライトもそれをわかっているんだろう。
クラヴィスさんが町長さんにお礼の品を渡されている間、いつものように騎士として傍に控えるスライトと目が合えば、困ったような笑みが返された。我儘な護衛対象でごめんよー。
その後、町長さんをはじめとする町の人達に見送られながら町を出発。
時間調整は上手く行ったようで、日が沈み切る少し前に王都へ到着した。
領館に着く頃にはすっかり日が沈んでしまったが、すぐに落ち着けるわけではない。
荷解きを済ませて式の準備を進めないといけないし、両家への手土産の最終確認など、する事は山積みだ。
とはいえしっかり荷造りしていたから紛失や破損といったアクシデントは無く、事前に誰が何をするか段取りを組んでいたのもあってスムーズに終わった。やっぱり準備って大切よねぇ。
そうして迎えた二人の結婚式当日。
会場であるトリメルス教会は領館からそれほど遠くはないけれど、遅刻は絶対に許されない。
それに、式の前にルーエと会う約束もしているので、朝早くに起きて支度にとりかかった。
参列者は祝いの場に邪を持ち込まないよう、服やアクセサリーで銀色を身に付けるのが決まりだ。
そのため淡い薄紫色のドレスを纏い、髪に銀のリボンを編み込む事にしている。
ちなみにこのドレス、私の初めての公の場だからと馴染みの職人さんが仕立ててくれた物で、繊細な刺繍で花が描かれており、派手過ぎないものの上品さを演出した一品だ。
とても素敵だがただ一点、心配なのは着る本人が一般人という事である。
ドレスは最高でも、着るのが私だからなぁ……クラヴィスさんと並ぶのも考えるとどうやっても悪目立ちしちゃいそうでさぁ……。
恐らく珍しい黒髪だからだろうが、私がクラヴィスさんの実子だという噂は未だまことしやかに囁かれている。
ウィル曰く、ノゲイラにずっと引きこもっていたのも合わさって、噂が噂を呼び、私がクラヴィスさんに似た美人だと思っている人も少なくないそうだ。
だから実子じゃねぇっつってんでしょうが。変な期待しないで頂きたい。やだやだ、絶対変な視線向けられるんだよめんどくさい。
「お嬢様、もしや緊張なさっていますか?」
「んー? そりゃあ多少はしてるけど……もしかして全くしてないと思ってた?」
「お嬢様はお嬢様ですから」
私が変な顔をしていたからだろう。髪を結ってくれているアンナの何とも言えない答えに渇いた笑いで返す。
ノゲイラじゃ大人に混じって仕事してるもんね。限られた相手だけとはいえ商談とかもしてるもんね。
でもね、アンナ。貴族社会の場に出るのはこれが初めてなんだよ。そりゃあ緊張ぐらいするとも。
普段している仕事は、言ってしまえば、やらなきゃいけない事をやっていれば良い。
私がしている研究や開発の大半は、あの世界の知識を元にした物だ。
ゴールはわかっているのだからそこまでの過程を明確にするだけだし、ノゲイラは必ず誰かが助けてくれる。
勿論、この世界に合わせた新しい物なんかも開発しているけれど、それもどういった物が作りたいかはっきりしている。
だが、貴族の世界はそう単純にはいかない。
自身を飾り力を誇り、煌びやかな言葉を送っては相手の内を探り、笑顔を張り付け優雅な仕草であしらう。
時には味方を作って、時には敵を作って、時には敵と手を取り合って、時には味方を裏切って。
ドレスや装飾品は鎧であり、言葉や表情、仕草の一つ一つが武器となる貴族の戦場。
いつ誰が敵になるかわからない、持てる全てを背負い、その身一つで立たねばならない孤高の舞台。
それが社交界であるとルーエは教えてくれた。
子供だから多少は許されるかもしれないが、今後、いつこういった場に出るかはわからない。
社交界に噂は付き物。特に表舞台に出て来ない者の噂であれば、たった一つの噂がずっと一人歩きしていきかねない。
そのせいで悪印象を持たれてしまったら、ノゲイラにまで悪影響が出てしまう。
式は新郎新婦が主役だから前哨戦に過ぎないけれど、それでもここで躓いたら確実に後に響くだろう。
本番である披露宴を土台が崩れかけている状態で迎えたくはない。
ルーエに色々叩き込まれ、お墨付きももらっているが、果たしてこの初陣を乗り越える事ができるのか。
全て記憶できるっていっても、実際に行うとなるとわけが違うからなぁ。根っからの庶民がお嬢様を取り繕えるかどうか。心配しかないんだわ。
「大丈夫ですよ。お嬢様はルーエの指導を乗り越えたんですから、心配いりません。
フレンも、いつまでそうしてるんだい。何があっても狼狽えるなって言われてるでしょ」
「そ、そういわれても……! あんな立派な教会で、しかも披露宴は私達も参加するって思ったら……!」
フレンの言った通り、式は普段と変わらず侍女として傍に控えてもらうが、披露宴には二人にもドレスを着て参加してもらう事になっている。
披露宴は余程の事情が無い限り、他家の使用人は会場に入れないらしく、一緒に来ても別室で待機するか、付けるとしても一人だけなんだそう。
その枠も、顔を隠しているためそういった場に出られないディーアの代わりに、ウィルが護衛として付くため空いていない。
どこに居るかは知らないがアースさんは近くに居てくれるらしいし、ディーアもディーアで影からこっそり守っていてくれるそうだが、傍に居るのが一人だけなのは少し心許ない。
そのため二人には参加者として傍に付いてもらう手筈になっているわけだ。
ルーエの友人だからか、侯爵夫人から正式に招待も受けているので、変にねじ込むよりリスクが少ないんだよね。
部屋の片隅で私と同じく、というより私よりも緊張していそうなフレンを見ていると、ちょっと申し訳なさが沸き上がってくる。
でもなぁその最終決定下したのパパンだしなぁ。護衛として頼りになるようになっちゃったしなぁ。
先日、模擬試合でノゲイラの兵士達を次々と投げ飛ばしていたフレンと、それを苦々しく見守っていたウィルの姿を思い出し、私は苦笑いする他無かった。
いやーホント、スカートを翻して戦う姿はまさに戦乙女って感じだったよ。強くなっちゃったなぁ……。
「いくらルーエさんのお祝い事だとしても、周りが貴族だらけの中で平然となんてしてられませんよぉ……!」
兵士数人がまとめて掛かって来ようと平然と対処していたフレンでも、貴族の戦場に赴くのは不安らしい。
以前王城で務めていたといっても、下っ端だったらしいからねぇ。
今こそ公爵令嬢付きの侍女として働いているが、その令嬢が全く貴族らしくない令嬢である。
しかもほぼ身内の集まりが多いお茶会の類にすら参加せず、ほとんど領地に引きこもっているのだから余計にだろう。
「魔物の相手をするよりマシだと思いなさいな」
「そりゃそうですけどぉ……!」
それは違うくない? という突っ込みは内に秘め、温かい紅茶で呑み込んでおいた。
フレンもどんどんルーエ達に染まってきちゃったねぇ。四年も一緒に居たらそうなるかぁ。
そんな風にちょっとだけ遊んでいたからだろうか。
不意にノック音がして、気を取り直したフレンがすぐさま対応する。
そうして開いた扉から、薄紫のタイが目を惹く式典用の衣装を身に纏ったクラヴィスさんが現れた。
「準備はできたか?」
「はーい、おっけーでーす」
例えば王家が金色を用いるように、貴族にはそれぞれ家紋の他にその家を現す花や色などがある多い。
ユーティカ家は家紋以外にそういった物は特に無かったそうだが、エディシアの花で石鹸や油、染色など多岐に渡る商品を開発、販売して来たからだろう。
いつの間にかノゲイラは薄紫色、ノゲイラを治めるユーティカ家も薄紫色という認識が定着していた。
今回は他家の結婚式という事で、お互い薄紫を身に纏っているのだが、注目すべきは色だけではない。
クラヴィスさんのタイ、そして私のドレスの生地は、どちらもノゲイラでここ数年作れるようになった生地で、ふわりと溶けてしまいそうなほど柔らかな手触りと、薄っすら輝く光沢から雪を意味する銀花と名付けた新商品だ。
一見シルクにも似たこの生地は、この世界の最高級と謳われる生地と比べても遜色ない物になっている。
生産体制も数か月前に整い始めたばかりのため、市場にはまだほとんど流通しておらず、見る人が見れば喉から手が出るほど欲しい事だろう。
ちなみに披露宴に着る予定のドレスは、今着ている物とは違って薄紫から深紫のグラデーションが華やかな物を用意している。
今回ルーエの花嫁衣裳にも取り入れたが、この世界でグラデーションはあまり馴染みの無いデザインだ。
そこで結婚式にてルーエの花嫁姿を多くの人に見せつけてもらい、披露宴で私が同じ技術を用いたドレスを着る事で、ノゲイラが作り出した新しいデザインだと示そうという算段である。
生地もさることながら、今回の件で職人さん達が白熱した結果、大量のデザインが出来上がったからなぁ。
フレンとアンナのドレスもそれぞれ別の技術やデザインを用いており、そちらも是非、といったところです。忙しくなりそうでワクワクするぜ。
「……思っていたより緊張していないようだな」
先の事に思いを馳せ、内心ほくそ笑んでいたのが表情に出ていたのだろう。
近くで小さな笑いが零れたのに気付き、顔を上げると、私の前に白い手袋に覆われた手が差し出される。
どうやらこれは、ここからきっちりエスコートされる流れらしい。
まだ気を抜いていたかったなぁと思いつつ、慣れ親しんだ手にそっと自分の手を乗せた。
「では、行こうか」
「はい──お父様」
口角を上げ過ぎないように、重ねた手に力を入れ過ぎないように、所作の一つ一つを意識して。
ルーエに叩き込まれた淑女を全力で装い、優雅な所作で椅子から立ち上がり、クラヴィスさんに微笑みかける。
流石のクラヴィスさんも私の変わりように驚いてくれたらしい。
微かに目を見開いた後、作られた完璧な笑みを返してきた。やめてくださいあまりの眩しさに虚勢が崩れちゃうでしょ。




