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想いは願いを夢見て

 できれば私とスライトの二人だけにした方が良かったんだろうけど、ここはノゲイラではない。

 そのため暇そうにしていたアースさんと、事情を知っていそうなディーアにだけ付いて来てもらい、スライトの案内で町の奥へと進んでいく。

 町外れの方向に向かっているようで、進むにつれて民家は減って行き、人々の生活音も遠ざかっている。

 一体何処へ連れていかれるんだろうかと思っていた矢先、坂を上った先に広がった光景に小さく息を呑んだ。


 町の裏手にある林を切り開き、人の手によって拓かれた土地。

 小さな木の柵で囲われたそこには、彫刻の施された大小さまざまな石が並んでいて、ひやりとした風が供えられた花を揺らしていく。



 ここに、スライトの家族が眠っているんだろう。

 迷いなく進んでいくスライトの後を追い、私達も奥へと入っていく。

 木を埋め込んで作られた階段を上り、墓と墓の間に作られた細い道を辿り、一つの墓石の前でスライトが立ち止まる。

 そこには三人の名前が刻まれた墓石が鎮座していて、墓前には今日摘まれただろう色取り取りの花々が供えられていた。



「……俺の両親と叔父の墓だ。父の骨はここに無いがな」



 スライトはそう告げて、墓石の前に跪き、左胸に手を当て黙祷を捧げる。

 何か供えられたら良かったのだが、供えられそうな物は何もない。

 だから同じように両手を合わせて黙祷を捧げていると、スライトがおもむろに口を開いた。



「父と叔父も騎士だったんだ。

 この町は母の故郷で、父が利き腕に傷を負い、退役した後この町に移住したらしい。

 その後に俺が産まれ……お嬢の年頃までこの町で家族三人で暮らしていた」



 語り始めたのはスライト自身の過去で、漏れかけた相槌を口を閉ざす事で防ぐ。

 きっとこれは、何も言わずに聞いていた方が良いだろう。

 そう思い、私達はただ黙って、穏やかに語られるスライトの言葉に耳を傾けた。



「前線を退いても騎士として培った経験があったからだろうな。

 父は畑を耕しながら狩人として遠出しては獣や魔物を狩り、町の皆と共に分かち合い、助け合い暮らしていた。

 時間ができれば剣や魔法を教えてくれて、たまに叔父も王都から来ては俺と手合わせしてくれて」



 それはスライトにとって、とても大切な記憶なのだろう。

 墓石を見つめる横顔は当時を思い出しているからかとても優しげで、愛しげで。



「普通の、ごく普通の家族だったんだ」



 噛み締めるように、懐かしむように小さく零れた言葉が、静寂に包まれた墓地に消えていく。

 どれだけ大切でも、どれだけ惜しくても、ごく普通の家族に訪れた結末は既に目の前に示されている。

 だから、どんな事が起きたかはわからなくとも、続けられるだろう言葉はわかっていた。



「だが、あの時──飢饉が起き、流行り病で母が亡くなった」



 それは、スライトにとってどれほど辛い記憶か。

 一呼吸を置いて告げられた言葉には、聞いている側も苦しくなるほどの悲しみが宿っている。



「あの時は多くの人が命を落とした。隣の老夫婦も、幼馴染も、たくさん死んだ」



 時期から察するに、二十年程前に起きた大飢饉だろう。

 各地で悪天候が続き、多くの農作物が腐ったのを発端に起きたという大飢饉。

 シェンゼ王国だけでなく周辺諸国にも広まった疫病も合わさって、大量の死者が出たという記録を読んだ事がある。



「父は、必死に獣を狩っていた。

 自分の食事も儘ならないのに狩りに出かけて、それでも足りなくて、母を失って」



 王族や貴族、資産家のように権力や富があれば、力や金に物を言わせて食糧を得る事もできるだろう。

 だがそれができない民は、農作物が取れなければ狩猟に頼る他無くなってくる。


 きっとスライトのお父さんは町の人達のためにも狩り続けたんだろう。

 それなのに、それでも多くを失って、家族を失って。



「……不運は重なるものなんだろうな。町に魔物が現れた」



 その言葉に町の光景が脳裏を過ぎる。

 確かこの町に砦の類は無く、あったのは大人の腰程度しかない木製で出来た柵だけだった。

 王都の近くにあるが故、戦禍に呑まれることがほとんど無く、森からも距離があるため動物や魔物の被害も少なかったのだろう。

 平穏だったが故に、備えがまともに無い町に魔物が現れたとしたら──まさに絶望そのものだ。


 今も平穏な町が在るのだから、どうにか最悪の事態は免れたはず。

 だが、どうやって免れたのか。どうやって魔物を退けたのか。

 墓石に刻まれた女性と男性の名前の隣に、同じ年が記されているのが目に入り、唇を噛み締めた。



「町に魔物が現れるなんて今までにない事だったらしい。

 その上、飢饉や流行り病で疲弊しきっていた町に、魔物の襲撃を退ける力があるはずも無い」



 墓石を見つめたまま、冷静に語るスライト。

 そこに怒りは無くて、悲しみだけが在って。



「だから」



 言葉を詰まらせたスライトは、音が聞こえるほどに強く手を握りしめる。

 銀の髪で隠れて見えないその瞳には、その時の記憶が蘇っているのだろう。

 まるで泣くのを我慢している子供のような背中が、小さく揺れて、小さく震えて。



「だから父は、自らを囮に魔物を町から引き離した。

 町を守るために。俺を、守るために」



 彼の父親は、夫であり、父であり、最期まで騎士で在り続けたのか。

 会ったことが無くとも伝わってくる覚悟と生き様に、小さな手を握りしめた。



「三日後、要請を受けて駆け付けた王都の武官達が魔物を討伐してくれた。

 その中には叔父もいて、父が肌身離さず持っていた結婚指輪を持って帰って来てくれた──それしか帰ってこなかったんだ」



 ぽつりと、最後に零れた幼い言葉は空しく消えていく。

 帰って来て欲しかっただろう。居なくならないで欲しかっただろう。帰りたかっただろう。

 それなのに、手負いの古兵は息子を一人残し、骨すら帰って来れなかった。



「父が得意としていた魔法は、封印の類だったそうだ。

 叔父が持ち帰った指輪には封印魔法が刻まれていて、それが魔物の動きを封じていたらしい。

 そのおかげで騎士達に被害は無く、無事に魔物を討伐できたのだと聞いている」



 そう言ってスライトは腰に下げていた剣の一つへ手を添える。

 その剣は以前私が林の中で壊れた魔道具を見つけた際、封印を施すために使った剣だった。



「この剣は、俺が武官になった時のためにと、叔父が用意してくれた物だ。

 叔父の持っていた剣へ両親の指輪を組み込んでくれた、世界で唯一の魔剣なんだ」



 きっと、二人で息子の事を守れるようにだろう。

 柄の部分に銀色の小さな石が二つ、隣り合い、寄り添うように並んでいる。

 日を受けてきらりと輝いた光はどこまでも優しくて、無骨な指が愛しげに撫でていった。



「……ただ、叔父も魔剣は持ったことが無かったようで、主に会うまで碌な手入れができていなかったんだがな」



 苦笑い交じりに語られる思い出は、スライトと叔父の苦い思い出らしい。

 失敗ではあったけれど、楽しい思い出だったのだろう。

 少しだけ表情が明るくなったスライトに、こちらも少しだけ頬が緩む。


 でも、その叔父もこの墓に眠っているのか。

 目の前にある事実がどうしてもちらつく中、スライトはゆっくりと続きを語り始めた。



「叔父は──戦死だった。俺が十四になる前だった」



 スライトは再び墓石へと視線を戻し、少し間を空けて三番目に刻まれた男性の名前を見つめる。

 その眼差しは両親へ向けた物と変わらなくて、叔父もまた、彼の大切な人だったのだと伝わってくる。



「両親が死んだ後、俺は叔父に引き取られて王都に移住したんだ。

 俺は聞かされていなかったが、当時この町には幼い子供を養う余裕が無かったのもあったんだろう。

 町を出る時、町中の大人達が謝罪してきて驚いたのを覚えている」



 町からすれば、スライトは自らの命を賭して町を守ってくれた人物の形見だ。

 しかし飢饉が起きていた当時、人は自分が生きるのに精一杯で、いくら恩があっても他人の子供の面倒を見るのは難しかったはず。

 そこで叔父が引き取ってくれるとなれば、町にとってはまさに渡りに船。

 けれど同時に、心苦しくもあったから、何もわかっていなかったスライトへ謝罪したのか。


 複雑な事情がありそうなのに、町に対して昏い感情の類を抱いていないらしい。

 墓石の前から立ち上がったスライトには、家族への想いしか見当たらない。



「叔父は、父の件があったからだろうな。

 俺を武官にはさせたくなかったそうだが……父の背を覚えていた俺は、剣を取った」



 腰に下げた二つの剣のうち、先ほど手にした剣とは違う、もう一つの剣に手を掛ける。

 魔剣はあまり使っていないのか、持ち手が手の形にすり減るほど使い込まれたその剣に触れ、スライトは空を見上げた。



「誰かを守れる人に、助けられる人に成りたかった」



 守ってくれた背中は遠く、手を伸ばしても届きはしない。

 けれど、だからこそ幼いスライトが抱いた夢は、夢のまま今も輝き続けているのだろう。

 願いを告げる声は、揺るがない強さと遠い誰かへの想いが宿っている。



「叔父も俺を死なないようにと、子供の頃以上に鍛えてくれて……その頃には叔父からも勝利をもぎ取れるようになり、十六になれば武官へと志願する事に決めたんだ」



 シェンゼ王国では、武官への志願は十三歳から受け付けているはず。

 実技試験があるけれど、騎士の叔父に勝てるほど鍛えられていたのなら、すぐにでも武官になれただろう。

 それなのに、どうして十六歳まで志願しなかったのだろうか。

 疑問を感じて首を傾げかけたが、その答えはすぐに告げられた。



「叔父に、せめて十六になるまでは自分の庇護下にいてくれと言われて決めた事だったんだが……思えば、ずっと守ってくれていたんだろうな。

 十四の時、メイオーラとの戦争が始まって……叔父は深手を負った際に戦場に戻った第三王子に助けられ、殿下の帰還を王都に報せた後、命を落とした」



 十二年前の戦争となると、『無月の戦乱』とも呼ばれているメイオーラとの戦争だろう。

 確かシェンゼの第二王子が暗殺され、メイオーラへの不信感が高まり、戦争が始まったんだったか。

 しかもその戦争、第三王子の野営地が新月の夜、夜襲に遭って行方知れずとなってしまい、戦況が大きく傾いたらしい。

 メイオーラとの戦争の中でも特に長引き、一年後に第三王子が戻って来たのをきっかけに停戦した戦争だったはず。


 騎士として、戦争が始まる事を感じ取っていたのだろうか。我が子だけは守りたかったのか。

 シェンゼもメイオーラも甚大な被害が出たその戦争で、スライトはもう一人の親も亡くしてしまったんだ。



 何て言葉を掛ければいいのか、そもそも何も知らなかった私が言葉を掛けて良いのか。

 言葉が出て来ず、何も言えずにいる私を見て、スライトはふっと口元を緩めた。



「お嬢には感謝している」


「……え?」



 唐突に感謝を告げられて、思わず呆けた声が出る。

 特にお礼を言われるような事をした覚えが無いんだけど、何かしたっけ。

 私が戸惑っていようが構わずに、スライトは言葉を続ける。



「俺には戦う事しかできなかった。誰かを救う方法は剣しかなかった。

 本当は、助けたかったんだ。両親や叔父のような人を、もう失いたくなかった」



 誰もが戦えるわけではない。誰もが剣を取り、誰かを救えるわけではない。

 それでもスライトは望んだんだろう。

 助けたかった人はもう居なくとも、似た誰かを救うために、剣を望んだんだ。


 それと私がどう関係しているのか。

 それは更に告げられた想いを聞いて、合点がいった。



「だから俺は剣を取った。それ以外の方法があるとは思わなかったんだ」



 一歩、こちらへ近付いた拍子に、腰から下がった二本の剣が揺れて、カチリと音を立てる。

 剣以外の方法。それはきっと、ノゲイラの事だろう。

 向けられた金の瞳を見つめ返せば、眩しそうに細められた。



「お嬢のおかげで飢えに苦しみ病で死ぬ者が減った。

 子供が家族と共に健やかに育つのが当たり前になって、無意味な戦争も遠ざかって」



 ノゲイラで作り出し、広めていった知識の数々。

 本来ならもっと先の未来で起きていたはずの発展を、私はクラヴィスさん達の助けを得て、今この時代にもたらした。

 異世界の知識がこの世界に与えた大きな変化は、スライトの在り方にとっても大きな出来事だったんだ。



「俺にはできない方法で、多くの人を救ってくれた。

 何度願っても叶わなかった俺の願いを、お嬢が叶えてくれたんだ」



 飢えに苦しむ人が居なくなるように。戦争なんて起こらないように。誰もが未来を諦めないように。

 そう皆で夢見て奔走してきた日々が、スライトの願いも叶えていたんだ。



「いつか、礼を言いたいと思っていた。

 全てを話して、感謝を伝えたいと、そう思っていたんだ。

 ……それがまさか、今日になるとは思っていなかった」



 今日話すのは本人も予定外だったらしく、苦笑いしているスライト。

 まぁ、七歳程度の子供に聞かせるにはちょっと重い話だったが、相手が私だから問題無いだろう。

 スライトの家族が眠るこの町に来たのも、急遽時間の調整が必要になったからだと思うと本当に偶然だったんだろうし。

 もしかしたらクラヴィスさんがそうなるように仕向けたかもしれないが。流石に、ねぇ?



「……トウカ様」



 ここには居ない姿が思い浮かんだのは、私だけではなかったようだ。

 いつもと違う呼び方に顔を上げると同時、スライトは私の前に跪く。



「俺の主はあの方唯一人だ。ディーアのように、主を変える事はできない」



 急で驚いたけれど、きっとスライトなりのけじめなんだろう。

 強い意志の宿った眼差しで告げられて、後ろに下がってしまいそうになった脚をどうにか踏ん張って堪える。



「だが俺は、貴女の騎士としても戦うとここに誓おう」



 家族を愛し続けるスライトが、家族の前で誓ってくれている。

 ただそれだけでも十分過ぎる事なのに、主として誓いを立てられないからか。

 どこか苦し気なスライトが何か言う前に、私は笑顔で押し止めた。



「──じゃあ今まで通り、頼らせてもらうね」



 今まで通り。その言葉にスライトが僅かに顔を歪める。

 しかし私は気にせずに、そのままの表情を保ってスライトの手を取った。



「大丈夫。今までもこれからも、ずっと頼りにしてるよ」



 それ以上は誓わなくて良い。誓う必要なんて無い。

 本当は誰も、私に何も誓わない方が良いんだ。

 いつか居なくなる私に、誰も何も誓わなくて良い。


 それに、私は戦いに関しては全くわからない一般人だ。

 魔物の討伐とか、警備体制とか全部任せっきりだもの。

 わざわざご家族の前で誓わなくとも、元からスライトを騎士として頼って来ていた。



 だから、今のままで良い。今まで通りで良いんだ。

 クラヴィスさんの騎士として、私も守ってくれている。

 それで十分なんだ。その想いだけで十分だ。十分過ぎるから、こんなにも嬉しいんだ。



「……ありがとね」



 義務でもなく、責務でもなく、任務でもなく、自分の意思で守ろうとしてくれている。

 その誓いは受け取れないけれど、その想いが嬉しくて、小さく感謝だけ伝える。

 でも、やっぱり感謝ではなく受け取って欲しかったんだろう。

 不服そうなスライトに、張り付けた笑みは苦笑いに変わってしまった。スライトも中々頑固だねぇ。

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