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追憶

 夏の終わりが近付き、少し日が沈むのが早くなっただろうか。

 紅が滲む空を見つめたまま、黙って執務室を出ようとするシルバーへ問いかける。



「本当に行くつもりか」


「あぁ……行かなきゃならねぇ、そう俺の魔眼が言ってる」



 シルバーの魔眼が映した光景。

 断片的に視えたというその崩壊は、今も鮮明に記憶に刻まれているのだろう。

 声色は落ち着いているが、いつになく張り詰めた空気を纏う友人にかける言葉が見つからず、口を噤む。



 街の景観、逃げ惑う人々の様子──そして何より、はっきり視えたという大聖堂。

 魔眼が映した光景から拾い上げた破片のような情報が正しければ、崩壊が起きるのはノゲイラではない。


 だからこそ、シルバーは危険を承知で行くと決めたのだ。

 唯一魔眼を宿すが故に、唯一崩壊を視てしまったが故に。

 もう国を守る責務など背負わなくて良いというのに、この男は永久に背負い続けるのだろう。私と同じように。



 そう考えかけて、自嘲気味に小さく笑う。

 違う。生まれた時から責を担う私と、生きて責を背負うと決めた彼は全く違う。


 彼は純粋に誰かを救うために駆けるだけだ。

 生まれも育ちも関係なく、ただ救えるとわかっているから駆け出すお人好し。

 その人柄が多くの者を拾い上げ、惹き付け、育んで来た。その真っすぐな心根が、多くの若者に未来を与えていた。


 私とは違う。背負うモノこそ似ているけれど、違う歩み方をする者。

 それでもその生き辛さを、苦しさをお互いに理解できてしまう同類。

 せめてその荷がこの地で少しでも減らせたら良いと思っていたが、結局、彼も自ら背負い続けるのだろう。



 引き止めず、黙る私に何を思ったのか。

 愛する者達を奪われても善良な心を失えない友人が、ぽつりと名前を呼んだ。



「そういや、よ」


「なんだ」



 妙に歯切れの悪い言葉に、空から視線を外しシルバーへと向き直る。

 扉に手を掛ける直前だったらしく、伸ばしていた手を迷った様子で手を降ろした彼は、銀の瞳をこちらに向けた。



「お前さ、本当に治ったんだよな」



 紅の光を受け、本来の姿に見える友からの問いに、再び口を噤む。



「時々、お前の周りにどす黒いモンが纏わり付いてやがる。

 あの病に関するモンなのかまではわからねぇが、良いモンじゃねぇのは確かだ」



 相変わらず視なくて良い物まで視てしまうその瞳に、何度肝を冷やしただろうか。

 探るように、というより実際探っているのだろう。

 人の身でありながら何もかも見通そうとする銀の瞳から少し目を逸らせば、シルバーは顔を顰めた。



「どうやって治したかも全然話そうとしねぇし……嘘じゃねぇんだよな?」


「……嘘ではない。ただ、あの奇跡はもう二度と起こらない」


「だから何も言わねぇってか? あの病に怯えている奴がどれだけいると」


「わかっている。治療法は準備してある」


「なら」


「だが、本当に治るかは試してみなければわからん」



 魔力を持つ者が、特に魔力が多い者が怯える病。

 誰より死に物狂いで治療法を探していただろうその病について、今でも知りたいと思っているのだろう。

 意味の無い口論染みたやり取りを言葉で切り捨てる。

 私の言葉が全て真実であると魔眼で視て、追求を止めたシルバーが深く溜息を吐いた。



「……誰かがあれになるのを待つしかねぇ、か」



 再現自体はあの病が癒えた後、すぐに取り掛かっていた。

 治った者として、治してもらった者として、その方法を再現するのは義務だと思った。

 しかしこの方法は、成功したとしても末期状態の者には間に合わない──シルバーが求めた時には遅かったのだ。



「準備してあるなら良いさ。お前が再発するのが一番厄介だし」


「……そうだな」



 何故お前は助かったのか。何故家族は助けられなかったのか。

 問い詰めたいだろう、詰め寄りたいだろう本心を押し殺し、明るい表情を取り繕う彼に、私はただ頷く。


 全てを失い、今も癒えぬ傷を抱え続ける彼に掛ける言葉など無い。

 救われたこの命を誰かのために使いきれない私には、何も言える事は無いのだ。



「間違っても隠すなよ。お前に何かあれば嬢ちゃんが悲しむぞ」


「……あぁ」



 魔眼の影響か、野生の勘でもあるのだろう。

 既にいつもの調子に戻ったシルバーが扉を開けながら釘を刺す。

 それに肯定も否定もせずにいれば、彼は肩をすくめて呆れたように笑った。



「嘘が下手だなぁお前」


「お前にだけは言われたくない」


「そりゃそうだ」



 カラカラと、普段通りの大らかな笑みを残し、シルバーは扉の外へと出ていく。

 独りになった執務室は普段の賑やかさが嘘のように静かで、机にそっと指を這わせた。



「……嘘、か」



 嘘は吐いていない。確かに病は治っていて、治療法も準備してある。

 しかし隠し事をしているのには気付いているのだろう。

 苦々しく笑って出て行ったシルバーの後ろ姿を見送り、傍に置いてある髪紐を手に取った。



 奇跡を元に用意した治療法は、私より魔力が少ない者でなければ使えない。

 もし私が再びあの病に侵されても治す事はできない。

 だが、それが何だというのか。



「私に奇跡はもう必要無い」



 私に起きた奇跡。それは二度と伸ばされてはならない救いの手だ。

 あの手を掴み、縋り、救われたあの時を知る者は、今では私の他に一人だけ。

 誰も知る必要は無い。誰も知らないで良い。あの思い出は、私達だけが覚えていれば良い。


 奇跡など要らない。夢はもう、十分過ぎるほど見せてもらった。

 私の選択が全てを変えてしまうとわかっているが、最愛を犠牲にしてまで見続けたくない。

 だからもう良い。もう十分だ。



「……すまない」



 誰へ向けた謝罪の言葉だったか。

 自分でもわからぬまま呟いた言葉は、静かな執務室に溶けて消えた。

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