青天の霹靂ってやつです
春の温かな日差しが射し込む秘密の庭園で、元気良く動き回る艶やかな黒。
出会ってから四年の月日が経つが、まだまだ小さなその両肩にどれだけの重責が圧し掛かっていることか。
民のため、領地のため、国のため。
日々努力を怠らず懸命に、未来を照らす明るさを持ち続ける尊き人。
私が心から支えたいと思った二人目の主。
だというのに、私の生まれがそれを邪魔する。
手元にある王都から届いた手紙を握りしめる。
貴族の娘として生まれたが、騎士として腕を磨いて来たこの人生。
仕えたい主に出会い、守りたい主に出会えたこの人生を、私は誇りに思っている。
けれど両親にとっては、行き遅れの困った娘でしかないのだろう。
『戻ってきなさい』『相手はこちらで探しておく』『お前に幸せになって欲しいから』
そんな内容が長々と書かれた手紙と似た物が主にも届けられたらしい。
主は私自身の意思を尊重してくれるけれど、両親にそんな期待は一切持てない。
婚姻の話は貴族にとって生まれたその時から付いて回る物。
特に貴族の娘にとっては、婚姻こそが役目であり幸福であると、そう考えられている。
いくら私が騎士で在ろうとしても、いくら私の幸福を示しても、凝り固まった考えはそう簡単に変わらない。
言葉を連ねても、行動で見せつけても、あの人達は私が頷くまでその善意を押し付けてくるだろう。
いっその事破り捨ててしまいたくなるけれど、それでは解決にはならない。
私が婚姻を結ばない限り、こういった手紙は送られ続けるのだから。
──だからこそ、その申し出はとても誰にとっても都合が良く、ずっと考えていた物だった。
「でも、本当によろしいの? 貴方の人生にも大きく関わるのよ?」
「君でなければこんな事言わないさ」
主の元に私の両親からの手紙が届き、その内容を知ってこちらに来たらしい。
この庭へとやって来てすぐ、私へ手紙を渡しながら告げられた申し出について問えば、いつもと変わらぬ顔で頷かれる。
つまりこの男は正気なのだ。正気で私にこんな申し出をしてきたのだ。
言葉を飾る事も無く、何か特別な物を送るわけでもなく、ただ一つの提案を私へ捧げている。
赤が似合う長年の友人ならば、もっと雰囲気を作れと叱りつけるのが目に浮かぶ。
元気に鉢植えを運んでいるあの子であれば、それこそ鉢植えを投げつけるかもしれない。
時折子供とは思えない大人びた表情で微笑むあの方であれば、困ったように顔を引き攣らせるだろうか。
普通の女性なら、こんな業務連絡のように告げられても、喜びより怒りが勝るだろう。
けれど、それに対して期待も憧れも無い私には、飾らないただの申し出はとても気が楽だった。
「それに、これはあの方達のためにもなる」
「……そうね、いつか役に立てるかもしれないわ」
私の事情だけでなく彼の事情もあるだろう。
けれど、それ以上に私達は知っている。
主があの方を見つめる瞳を。あの方が主の隣で微笑む姿を。
例え待ち望んでいた花では無くなったとしても、あの方達が幸福であるならそれで良いのだ。
その時のために、必要になった時に必要な物が揃えられるように、できる事はしておきたいのだ。
「俺と人生を共にするのは嫌か?」
「嫌なら今頃貴方の頬を張り倒しているわよ」
「なら良かった」
明確な返答をしていなかったから、彼も不安に思ったらしい。
珍しく素を露わにしている彼に頷いて見せれば、安堵したように息を吐き、緩く微笑む。
ほんの少し頬が赤く見えるのは、日に照らされているからだろうか。
何だか顔が熱くなって来たのを誤魔化すように、私も緩やかに微笑み返しておいた。
「──というわけで、私シドとルーエの結婚をお許しいただきたく」
「どういうこと!?!?」
はい、異世界に来てから気付けばもう四年が経っていましたトウカです。
今日も今日とて土弄りに勤しんでいたら、ルーエから大事な話があると言われ、執務室にてシドから爆弾宣言がされました。突然過ぎない?
「シドとルーエが!? いつの間に!? 皆知ってたの!?」
「し、知りませんよ!? いつの間にそんな事になって、えぇ!?」
「私も知らなかったけれど!? どういう事さルーエ!」
執務室に女子三人の混乱が響き渡る。
煩かったのか居合わせたカイルがちょっと顔を顰めているが、知ったことか。
だって開発やら研究ばかりしてた私だが、ここ数年ルーエにそんな様子なんて無かったんだもの。
シドだって昨日までノゲイラの調査に行ってたし、ここ最近二人が一緒に居た所なんてほとんど見かけてないし。
実を言うと、そういうのって主人であるクラヴィスさんか私が段取りを組んだりした方が良いのかなーとか、思ったりもしていた。
研究ばかりでそっち方面の勉強は疎かになっているけれど、この世界の貴族は、特に女性は遅くても二十四歳までに結婚しないと行き遅れと言われ、結婚が難しくなるというのは私でも知っている。
結婚するもしないも本人が決める事だけど、ルーエは今年で二十二歳になるから多少気にはしていたんだよね。これでも私だってルーエの主なので。
だがしかし、この展開は全く想像していなくて頭が付いて行かない。だってそんな雰囲気無かったじゃん。完全に仕事仲間だったじゃん。
受け止め切れていないのは私だけでなく、同僚であるフレンや、長い付き合いがあるはずのアンナも同じようだ。
三人揃って困惑を露わにルーエへと詰め寄れば、ルーエはいつも通りの表情で、何の気なしに言ってのけた。
「先ほどまとまりましたので」
「「「先ほど!?」」」
先ほど決まったのなら、そりゃあ誰も知らないわけだ。納得です。じゃなくてだね?
「先ほどって、さっきシドが庭園に来た時じゃないよね!?
何か話してるなとは思ってたけど違うよね!? その後すぐに執務室来たよね!?」
「それですね」
「マジ!?」
「お嬢様、言葉遣い」
「本当!?」
「はい、よろしい」
なんとこの結婚はこの十数分の間にまとまったらしい。
結婚ってそんなに早く決まる物だったっけ。
それとも私達の知らない間に愛を深めていたってやつなのか。マジで?
元々クラヴィスさんの配下として付き合いもあっただろうし、私達がわからなかっただけでそういう感じだったのかもしれない。
けれど結婚の宣言をしている今も二人の間には甘い空気なんて欠片も無くて、俄かに信じられずにいるとクラヴィスさんが小さく咳払いをした。
「トウカ、まずは認めるか認めないか明言してやりなさい」
「そ、そっか、えっと、何を言えば……お、おめでとう!? 全力でサポートするね!?」
「ありがとうございます、お嬢様」
混乱も困惑もしているけれど、これは二人が決めた事だ。
反対する理由も認めない理由も無いのだからと、よくわからないなりに祝福の言葉を贈る。
そんな私の言葉を、ルーエは嬉しそうに微笑んで、シドも静かに微笑んだまま頭を下げて受け取ってくれた。
うん、もうちょっと良い言葉を選べたら良かったなと思います。急すぎて思った事しか言えないんだわ。
「私からも祝福を。それで、シドはその立場のままで進めるつもりか?」
「いえ、今の自分ではルーエのご両親は納得して頂けないでしょうから、そろそろ戻そうかと思っております」
「なら陛下へはこちらから伝えておこう」
「お手数おかけいたします」
是非とも事情聴取もとい、お茶会をさせてもらいたいのだが、クラヴィスさんとシドの会話に引っかかりを覚えて首を傾げる。
言われてみれば、ルーエはマシェウスという侯爵家の出身だから、結婚するとなれば相手にはそれなりの地位が求められるだろう。
ノゲイラ領主で公爵であるクラヴィスさんの配下で腹心なシドだけど、だからといって爵位とかは無かったはず。
いくら当人同士が決めた事でも、ご両親が納得しないまま押し切るのは難しいだろう。
シドの今の立場では侯爵家とは釣り合わないと反対されかねないのも何となくわかる。
けれど、立場を戻すってどういうことだろう?
周りを見るが同じく引っかかりを覚えているのはフレンだけのようで、これ以上疑問を増やしたくなくてクラヴィスさんへと問いかけた。
「立場ってなんですか?」
「……あぁ、君が知る機会は無かったか」
何を? ともう一度首を傾げる私を見て、ルーエがはっとシドへ視線を送り、シドはばつの悪そうに目を逸らす。
もうすっかり夫婦だなーと思っていると、今度はクラヴィスさんから爆弾発言が降って来た。
「シドは現宰相エルフォン伯爵の次男だ。
ノゲイラへ来る際、私に付いてくるためにとエルフォン家へ絶縁状を残して来ている。
エルフォン伯爵も先王殿下も正式には受け取らず、陛下も保留状態にしていると聞いているから、すぐにでも元に戻せるだろう」
「……はい?」
「あの頃は爵位など持っていると主に同行できませんでしたからね。
何も持たないただのシドとしてここへ来ましたが、今ではその必要もありませんし、良い機会です」
うんうんと頷くシドを視界に映しつつ、瞬きを繰り返して告げられた事を反芻する。
えぇと、つまり? シドは良い所のご子息で? 家を捨ててクラヴィスさんに付いて来て? 家はそれを認めてなくて? 結婚を機に家に戻るって事で?
「シドいなくなっちゃうの!?」
「籍を戻すだけです。私は主の元から離れませんよ」
てっきり実家に帰らせて頂きます的なアレかと思ったが、違ったらしい。
それなら良いかと安堵と共に、どんどん進められていく話に思考を放棄した。もうね、問題があったら解決すれば良いんだよ多分。




