一息ついて
魔物の全滅だけでなく、オネスト・ファルムを始めとする将の死亡によりメイオーラ軍は撤退。
後日メイオーラ王国は降伏の使者を送り、シェンゼ王国はこれを了承。
一部の者はこれを機にメイオーラ王国へ攻め入ることを提案したが、悪天候による食糧不足の懸念に加え、農耕期が差し迫った今、これ以上民に負担を強いる事を避けるためその提案は却下。
多額の賠償金を求めるのに止め、講和条約を結び、戦争はシェンゼ王国の勝利に終わった──それが表向きの結末である。
「腕の具合はどうだ」
ノゲイラへ帰還する道すがら、隣で馬を操る男に声をかける。
事情は軽く説明したが、元敵国の人間となるとそう簡単に警戒は解けないのだろう。
後ろに続くノゲイラの兵達から痛いほど視線を向けられても物ともしていない男が軽く腕を回した。
「ちぃと痺れはあるが、動かせねぇほどじゃねぇな。どんなポーション作ってんだお前」
「作ったのは私ではなくディーアだ」
「あー……あの顔隠してた奴か。調合師だったなそういや」
まだノゲイラに入っていないからと目深に被らせているというのに、動いた拍子にフードが外れかけているのを風で雑に直してやりつつ、軽く腕を視る。
以前と比べて魔力の流れも悪く、痺れも残っているとなると完全に元通りに生えたわけではないが、これだけ動くなら日常生活は困らないだろう。
とはいえ、ノゲイラに招く以上この男にも働いてもらうつもりだ。
暫くは慣れる期間として休息を取らせるが、必要なら腕の治療も行わねばなるまい。
──適当に傷を負え、と伝えただけなのにまさか腕を切り落とすとは。
腕が残っていたおかげで貴族共を黙らせるのは容易かったが、予定外の後遺症に小さく溜息が零れる。
例え片腕が使い物にならなくとも、この男ならば彼女が求めていた役割をこなせるとは思うが、これからの事を思えば万全の状態で迎え入れたかったものだ。
馬の揺れに伴い、髪を結う銀が視界に入る。今頃ノゲイラにも報せが入った頃か。
まだ暫くは掛かるだろう道のりに彼女の姿が過ぎり、次いでこの男を見て怪訝な顔を浮かべるだろう彼女がありありと想像できて、少しだけ馬を早めた。
アースさんの本体が空を駆けて行って数日後、メイオーラとの戦争は終わったらしい。
王都から来た使者がもたらした報せを聞き、ゲーリグ城は安堵に包まれた。
一応その日のうちに戻って来たアースさんから粗方片付いたっていうのは聞いていたけど、まだ続くんじゃないかとヒヤヒヤしたんだよねぇ。
聞いた話じゃメイオーラで有名な人が亡くなったらしく、一部の貴族がこれを機に攻め込もうとか言いだしたらしいからね。止めろ長引かせるな秋の収穫はもう始まっている。
ノゲイラから出兵しているのは元々武官の人達だけだったからそんなに影響ないけど、他の領地は民も戦争に駆り出されているはず。
特に西の領地は大勢割かれてるだろうから負担が大きすぎるだろうに、考え無しに突っ込もうとするんじゃないよ全く。
幸いほとんどの人はわかっていたようで、今回の戦争は多額の賠償金を請求して終わりだそう。
そこは領地を取ったりしないのかなーとも思ったが、取ったところでシェンゼ西部の取り分だ。
お偉い方が何を考えてるのかはわかんないけどノゲイラとは関係無いので、上が納得してるならそれでいいです。兎にも角にも収穫で大変なので。マジで。
何を隠そう、農業改革を推し進めたおかげで収穫量が爆発的に増加しちゃったのである。
クラヴィスさんが作ってくれた魔道具やら魔法やらで収穫速度は速くなっているものの、それでも多いから農家さん達は大忙し。
その報告やら収穫量やらを取りまとめたり、試作の肥料や品種改良した種なんかを試してもらった農家さんのとこには直接お話聞いたりと、城内も大忙し。
シェンゼ全域で悪天候があったなんて嘘のような大豊作に、皆嬉しい悲鳴をあげているわけだ。正に嬉しい誤算ってやつです。ここまで爆発的に増えるとは思わなんだ。
他の地域は残念な事に悪天候の影響で少々収穫量が落ちているらしいので、ここは他領へ格安で売るという形で貸しを作っておくのが得策かしらね。
前提としてノゲイラの皆が最優先ではあるが、そこまで戦争が長引かなかったのもあってそこまで苦しくは無いはず。その辺りはまたカイル達と詰めて行かないとなぁ。
本当はそういった仕事はクラヴィスさんの代理であるカイルの仕事なのだが、幼女の記憶力が良いもんで色々とやっておりましてな。
下手すりゃ調べるより私に聞いた方が早いもんだから、ここ最近はカイルだけでなく一部の文官から良く頼られています。これぞ生き字引ってやつ。
パソコンなんて無い世界じゃ情報共有も手間がかかるからねぇ。私も今期の成果を知れるので今後の予定が立てやすいんだ。どこにも相性ってものがあるからね、色々試さねばならんので。
領主の娘といえど推定五歳の子供に教えて良い物か、なんて思うような情報も頭に入っているけれど、その辺りはカイルの気遣いだろう。
明らかに自分から忙しくしている私に何も言わず、仕事の配分を調整しながら割り振ってくれている領主代理と共に、今日も私は書類を手に取る。
戦争に勝った事はもちろん喜ばしい事だ。育てた作物が焼かれる心配も、住んでいた場所を奪われる心配も無くなったのだから。
城内でも領内でも、戦勝を聞いて喜ぶ人は大勢いて、子供の頃戦争で故郷を失ったというフレンも心から安堵していて、クラヴィスさん達が帰ってきたら祝勝の宴を開こうという話もある。
それは良い事だと思うし、暗くしているより明るくいた方がずっと良い。それはわかっている。
だけどどうしても、戦争には嫌悪しかなくて。
どちらの国であれ犠牲者がいるんだと思ってしまって。
関係なんて無い見知らぬ誰かの生死だというのに、皆のように心からは喜べない私は、心から喜べるだろうあの人の帰りを心待ちにするしかなくて。
時折休憩に引っ張り出してくれるルーエ達に甘えながら、ただひたすらに仕事をこなす事しばらく。
誰一人欠けることなく──むしろ一人増やして、クラヴィスさんはノゲイラに帰還した。何で増えてんの?
「おかえりなさーい!」
「ただいま、トウカ」
いつものように皆でお出迎えして、いつものようにパパンの腕の中へと飛び込む。
まだ繁忙期真っ最中なのでもうしばらく忙しいとは思うが、これで心の方は多少落ち着くだろうか。
横で見ていた見知らぬ男性がぽかんとしているが、今はスルーしてクラヴィスさんを補充に専念する。
いやまぁ気にはなるんですけどね。何だかフード被ってるしワケありっぽいんだもの。クラヴィスさんが切り出すまでスルーあるのみでしょ。
首に抱き着きすりすりとしていたら、顔に硬い紐が当たる。
何かと思えば私が渡したあの髪紐で、ちゃんと使ってくれたんだなぁと頬が緩んだ。
「髪紐、使ってくれたんですね」
「あぁ、これには随分助けられた。ありがとう」
黒髪を飾る銀を指先でなぞりながら呟くと、背中を支えていた手で優しく頭を撫でられた。
よくわかんないけど役に立ったらしい。流石はアースさんの髭。もうすっかり生えてたしまた貰っておこうかな。
近くでふよふよと浮いているアースさんを見上げたところ、何かを感じ取ったようだ。
怪訝な顔をしながらもクラヴィスさんの肩へと乗ったアースさんは、尻尾で私の額を軽く突いて来た。
「もうやらんからの」
「ケチー」
「どうせワシと契約しておるクラヴィス以外まともに使えん代物じゃ。一つでよかろう」
やろうと思えば全く同じ物を作れるけれど、使える人が一人しか居ないなら量産する必要無いか。
突かれた額に手をやり軽く摩りつつ、ちらっと後ろの人に視線を向けてからクラヴィスさんへと視線を戻せば、言いたいことは通じたのかクラヴィスさんが歩き出す。
その後ろにはシドやスライトだけでなく、例の見知らぬ人もいて、クラヴィスさんに抱き着く腕の力を強める。
クラヴィスさんの事だから悪い人じゃないだろうけど、はてさて、一体どんな人を連れて帰って来たのやら。
何やら妙な空気を漂わせている兵士さん達へゆるゆると手を振り、今日はお祝いしよーねーと声をかけておいた。準備は万端だからねー。
場所は変わり、ゲーリグ城の執務室。
そこまで厳格に隠すつもりは無いのか、ルーエ達も居る中で顔の見えない誰かがフードを外す。
現れたのは紅い髪と銀色の瞳を持った壮年の男性で、その顔が露わになった瞬間ルーエとアンナがすぐ身構える。
「それで? その人はどういった方なんです?」
クラヴィスさんが何も言わず私の前に危険な人を連れてくるとは思っていないけれど、ルーエ達が警戒しているってことはそれ相応の人なんだろう。
明らかに不審人物な男性を視界に入れつつ問えば、クラヴィスさんに軽く促されて男性が口を開いた。
「えーっと、だな? 俺は、なんだ……そう! クラヴィスのオトモダチでな!
今回の戦争で色々あってノゲイラに移住することになったんだ!」
えぇ……何この人、怪しすぎるよ。明らかにワケあり過ぎて最早笑っちゃう。
それで誤魔化しているつもりなのだろうか。誤魔化すならせめてもうちょっとすんなり言えなかったのか。
しどろもどろすぎる男性をじっと見つめれば、男性はただ空笑いするだけだった。
「名前は、あー…………あのな、これは別に自分の名前を忘れたわけじゃなくてだな」
「馬鹿と呼んで構わないぞ」
「流石にフォローできないです」
自分の名前を言おうとして結局言えてないし、最終的に早口で言い訳している男性にクラヴィスさんから呆れの言葉が飛ぶ。
うん、これはお馬鹿と言われても仕方ない。ワケありで本名を名乗れないなら偽名とか考えておきましょうよ。ノゲイラに来るまで時間なかったの?
ここまであからさま過ぎると警戒していた方が馬鹿みたいだ。
何とも言えない微妙な空気にどうしたものかと思っていたら、クラヴィスさんが深い溜息を吐いた。
「……この男はオネスト・ファルム。メイオーラの魔導士だったが戦死したことになっている。
もうオネストとは名乗れないんだが、見ての通り嘘が吐けない奴だ。適当に偽名を付けてやってくれ」
「え、私が付けるの?」
「自分で考えるよう言っていたのに、結局思いつかなかったようだからな」
戦死したはずの敵将が生きていて、目の前にいるという事実に驚きも疑問もあるのだが、それより何で私がその人の偽名を付ける羽目になっているのか。
何一つ解決していない混乱をそのままに首を傾げていると、存在しないはずの人が申し訳なさそうに頬を掻いた。
「わりぃ……どう考えても縛りに引っかかっちまって」
「縛り?」
「魔法を強めるためのもんでな、嘘を吐いたり騙したりするのができないんだよ。
だからメイオーラの戦力削りながら戦うのもクラヴィスに情報流すのも大変でさぁ……やべっ!」
「……良く無事にこの人を連れて帰って来れましたね」
「私もそう思う」
情報を流していたってことは多分密告していたのもこの人なんだろうけど、そんな縛りあるのにスパイなんてしてたのか。よく無事だったねホント。
それに嘘を吐けないのにどうやって死を偽装したんだか。まぁ本人は、って話みたいなのでクラヴィスさんが偽装したんだろうけどさぁ……既に口滑らせてるけど色々大丈夫なのかしら。
メイオーラ内に流れちゃいけない情報が流れていないか少々心配だが、それより偽名を私が付けろなんて無茶ぶりは止めて頂きたい。
何が縛りに引っかかるかなんてわからないんですけど? 嘘吐いちゃ駄目なら偽名の時点でアウトでは?
オネストさん本人も自分で考えるのは諦めているのか、銀の瞳に期待を乗せてこちらを見つめてきている。せめて本人は諦めないで欲しいな?
「じゃあ……シルバーとかどうです? 銀って意味で、自分の目の色なら嘘じゃないでしょ」
「シルバー、シルバーな。よしいける! 俺はシルバー、よろしくな!」
「……大丈夫なんですかこの人」
「……これでも魔法の腕は確かだ。君の役にも立つだろう」
どうにか絞り出した名前を繰り返し、うんうんと頷くオネスト──もといシルバーさんに何だか頭が痛くなって頭上を見上げる。
クラヴィスさんも同じように眉間に皺を寄せていて、私はただ乾いた笑いを零しておいた。
きっとノゲイラ内では公然の秘密になるんだろうなぁ。大丈夫なんだろうか。
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