決別
残酷描写注意です。
再び空で数多の魔法がぶつかり合い、眩い輝きと共に音だけが地上に落ちる。
先ほどとは違い魔法は落ちて来ない事に気付いたシェンゼ軍は、下がりつつあった前線を押し上げるべく各々前へと進めていくが、戦場の魔物達は私達しか目に入らないようだ。
肉壁に埋まりつつあった視界に炎が舞い、一体、また一体と倒れていく。
それでもオネスト一人では手に余る数に違いなく、私を止めようとしているのか死兵まで押し寄せて来ている。
空からの攻撃が止まない限りそちらに手を割く事は出来ない。
オネストもそれがわかっているため黙って魔物達の相手をしているが、限界が近いのだろう。
徐々に追い詰められている状況に無理矢理別の魔法陣を描こうとするが、迫る二つの気配に手を止めた。
「主! ご無事ですか!」
聞き慣れた従者の声と共に銀の一閃が走る。
地を滑り躍り出た騎士がその勢いのまま剣を振るえば、目の前にあった巨体が真っ二つに切り裂かれた。
「すまない、死兵に手間取った」
「いや、丁度良い時に来てくれた」
血を軽く振り払い、私と魔物の間に立ち塞がるスライト。
突如現れた邪魔者に魔法が飛んでくるが、それはスライトに続く形で現れたシドによって弾かれる。
「シドじゃねぇか、久しぶりだな」
「オネスト殿? 何故貴方がいてあのような魔法を使わせているんですか?」
「だってやるっていうし魔道具で力強めてっし、問題ねぇだろ」
「だからといって放置して良い物ではないでしょう……! 主も! 我等の知らぬところで命を張らないでください!」
着いて早々苦言を呈されたが、オネストの言う通り問題無いため軽く無視し、今なお降り注ぐ魔法を相殺し続ける。
主人の行いに心配はすれど、シェンゼ全体からすれば最善でもあるためそれ以上は何も言えないらしい。
スライトと共に魔物を押し退け、多少距離が開いたところでシドは私の横へと戻り、背負っていた弓を手に取る。
それに黙って魔力で作り出した矢をつがえてやれば、呆れたように溜息を吐き、目にもとまらぬ速さで次々と魔物を射抜いていった。
胴を、肩を、腕を、脚を、様々な位置を射抜かれた魔物は状況を理解できないまま体勢を崩し、いつの間にか二本目の剣も抜いていたスライトが手早く切り伏せていく。
あまり使っているところは見ないが、教えた通りしっかり手入れしているのだろう。
洗練された魔力を携えた魔剣は鋭く舞い、空からの攻撃が止んだ頃には十体近くの魔物が新たに地に伏していた。
──兄の忘れ形見を、私の子を、お願いいたします──そう託されてもう何年だったか。
これまでの戦闘に加えシドとオネストの援護があったとはいえ、その実力はもう他の騎士と一線を画しているだろう。
契約の代償に本人が望んだ事だが、私の元に縛り続ける事が彼のためになるのか。
ちらりと視線だけでこちらの無事を確認しつつ、残りの魔物を相手取る青年に、遠い昔託された思いが過ぎる。
【これはまた酷いもんじゃな】
思考が逸れかけたその時、不意に繋がった声と現れた影に空を見上げる。
死兵だけでなく魔物という命に対する冒涜を彼も許せないのだろう。
魔法が止み、何も無くなった世界を悠々と泳ぐ龍の魔力は荒れていて、普段の穏やかさは一欠けらも感じ取れない。
口調だけはいつもと変わらないが、それでも声色はいつになく冷たく、ただ静かに奥にいる魔物を見つめていた。
【ふむ、面倒な結界を張っておるのぉ……害を与えれば呪いが掛けられるようじゃ。お主らは手を出すでないぞ】
「アースは破れるのか?」
【ちと厄介じゃがな。全く……魂まで蝕むとは忌々しい事を……】
やけに狙われやすい動きだとは思っていたが、対策はしてあるようだ。
空に現れたアースの姿を初めて見たオネストが隣で固まっているが、気にせずアースの様子を窺う。
どうやら彼でも一筋縄ではいかないらしい。契約を通じて明らかな迷いが伝わってくる。
しかし、その瞳がこちらを見下ろした途端、その迷いは打ち払われた。
【……主よ、もしやその男はあの者達の縁者か】
「師と弟子だった。他もほとんどが教え子だろう」
【ならばその男に向かわせてくれ。縁が故か、結界も呪いも効かんようじゃ】
分体の居ない今、アースの声は私にしか伝わらない。
だからこそ彼の龍が何と言っているのか、私の言葉を待つオネストに、ただ短く問うた。
「……オネスト、彼を殺せるか」
この男の力量を疑っているわけではない。この男の覚悟を信じていないわけではない。
ただ、全てを奪われ全てを殺し、怒りを頼りに立ち続けたこの男の灯まで消してしまうのではないか。
そう思ったのだが、彼はもう何もかも決め切っていたようだ。
「……そりゃあ願ったり叶ったりだ」
鈍く輝く銀の瞳が、再び魔力を溜め始める彼だった魔物へと向けられる。
地を這いずるような低い声で返って来た答えに頷き空を見上げれば、アースは静かに戦場を見渡した。
【ならばお主らはあの者の下へ。他はワシが請け負う】
その言葉とほぼ同時、真上から降って来た魔法によって周りの魔物が真白の光に包まれる。
以前からわかっていたが、死兵や魔物の存在は余程彼の忌諱に触れるらしい。
いつになく激しい魔力が渦巻く魔法を合図に駆け出したオネストに続き、私達も大地を蹴る。
先へは進ませまいと立ち塞がった魔物は瞬く間に光に包まれ、跡形も無く消えていった。
あの清らかな魔力ならば迷う事無く安寧の地へ向かえるだろう。
振り返らずに速度を上げていくオネストに並べば、彼はただ前を見据えていた。
「で? あのドラゴンは何て言ってんだ!?」
「彼に結界と呪いが施されているが、お前には効かないらしい! 私達は支援もできん!」
「なら周りの奴らをやってくれ! 何人か魔導士が付いてるはずだ!」
オネストだけでなく追従する二人にも聞こえるようアースの言葉を共有する。
そのままメイオーラの本陣へと突入すれば、私達を先導して駆けるオネストの姿に気付いた兵士が声を上げる。
その声はどこか呆然としていて、彼が裏切ったと理解できる者は極僅かのようで、伝達などできないまま我々の侵入を許していた。
「オネスト・ファルム! 貴様、陛下を裏切るつもりか!?」
「先に裏切ったのはてめぇらだろうが……!」
怒号飛び交う混乱の中、真っ青な顔で剣を手に取った兵士を水で軽く押し退ける。
見ればオネストとは戦えないと、現実を認めたくないと、半数近くの兵士が困惑に揺れているようだ。
愛国心溢れる忠義の魔導士として知られているオネストが裏切り、敵国の将である私を引き連れ本陣を突っ切っているのだから、そうなるのも無理は無い。
しかし一人、突然の裏切りに困惑することなくただ怒りを向ける者がいた。
「奴らは国のためにその身を捧げたのだ! 貴様とてメイオーラの発展を望んでいたではないか!!」
「俺達の願いはこんな血生臭ぇもんじゃねぇんだよ!」
「これだから下賤の者は……! 貴様等どうした! 反逆者だぞ! オネスト・ファルムを、あの化け物ごと──」
魔物達について知っていたのだろう。知っていて見殺しにしたのだろう。
戸惑い逃げ出そうとする兵士達を叱責し、こちらへ迷いなく兵を仕向けようとした名も知らぬ将の言葉は最後まで続かず、スライトの放った一閃で首が飛んでいく。
オネスト達の願いを穢すのを嫌ったか、私を侮辱する言葉を嫌ったか。どちらにせよこれで騒音は止んだ。
馬上で血が溢れ、音を立てて転がり落ちた首に、我先にと逃げ出す兵士達を無視して更に奥へと突き進む。
そしてようやく彼の近くに辿り着いたが、周囲を囲む異様な仕切りに思わず顔を顰める。
布に魔法陣を描き仕切りとして使い、それを元に結界を施しているようだが、それにしては漂う魔力が悍ましい。
付いているはずの魔導士はあの中にいるのだろうか。
嫌な予感がしたが呪いの類は見受けられず、オネストが余計な魔力を使う前に結界ごと仕切りを薙ぎ払えば、辺りに異臭が広まった。
「こ、れは」
四肢が千切れた女。首が折れ曲がった男。下半身の無い老人。
彼等の血が変色したのか、一面黒く染まった地面を覆い隠すように数え切れないほどの遺体が転がっている。
その中心で呻く魔物の足元には一人の少女が座らされていて、その左右には顔を隠した魔導士らしき人が二人立っていた。
敵が攻め込んできたというのに魔導士は二人共ぴくりとも反応せず、ただただ少女を見下ろしていて、警戒する間も無くオネストが駆け出す。
「エル……!」
あの少女を知っているのか、駆け出したオネストに向けて魔導士達が魔法を放つ。
それを防ぎ魔導士達を氷漬けにしてやれば、大した抵抗も無く動きを止める。
護衛にしてはやけに弱いが、一体何だったのか。
警戒しつつオネストが抱えて連れて来た少女を見れば、少女の閉じた瞳からは黒い血が溢れていた。
「この子供は……」
「……ロジィの、弟子の妹だ」
生気の感じられない白い顔に、淀んだ黒が溢れて流れていく。
それは到底生きている者が流して良いものではないのに、少女はオネストの腕の中で静かに瞼を上げた。
その瞳は濁り切っていて、何も映さない瞳が虚空を見つめ続ける。
エル、と小さく零れ落ちた自身の名にも反応せず、ゆるゆると開いた口が声にならない何かを告げる。
それを皮切りに頭上で数多の魔法が放たれた。
──もう死んでいる。死した上でこの子供は、ここに居る者達は利用され続けていたのだ。
上空でアースによって防がれ爆ぜる輝きの中、少女の体が大きく震え出す。
そして口から夥しい量の濁った血が溢れた少女を抱いて、オネストは炎を作り出した。
「……すぐに、兄貴も送るからな……良い子で寝てろよ」
予想はしていたが、やはり魔法に長けた者を魔物にし、血の繋がりを使って魔物に命令を出していたか。
殺され、肉体を奪われ、家族を使役する道具として動かされ続けていた少女が紅蓮の炎に包まれていく。
これで少女は終われる。そう思ったが、あちらもそう簡単には終わらせるつもりは無いらしい。
氷漬けにしていた魔導士の魔力が急激に高まったかと思えば、肉体が歪み始め、氷を砕き、奇声を上げて地面に落ちた。
今は人の形を保っているが、放っておけばあの魔物達のような異形に至るのだろう。
一人は腹部が、もう一人は右腕が人ならざるモノへと成り果てた異形がこちらに向かって蠢く。
それと同時に周囲で倒れていた者達までも動き出していて、シドとスライトが前に躍り出る。
魔物といっても成りそこないで、死兵といっても既に肉体は限界を超えている。
大した事のない魔法は軽く掻き消えされ、崩れた肉体で這いずる死者達を軽く振り払われる。
強いて言えば数だけが多い彼等に向けて魔力を練り上げていれば、背後で少女だった炎を最期まで抱き締めていたオネストが立ち上がった。
「……あいつらは頼むわ」
できるなら、叶うなら自分が全て終わらせてやりたかったろう。送ってやりたかったろう。
耐える思いに微かに揺らぐ銀の瞳が真っすぐ上へと向けられる。
契約主を失ったためか、魔法を止めて呻き声を上げていた魔物が、肥大化した瞳をぎょろりと動かしていて。
二人の視線が交わったその刹那、世界に紅が舞った。
膨れ上がった肉体を足場にし、魔物の周囲を回りながら駆け上がっていくオネスト。
その後には炎が走り、渦となって巨体を取り囲んでいく。
時折剣を介して魔力による杭を打ち込まれても、自身を囲む紅が肉体を絞めつけ燃やしていても、魔物となった彼は暴れない。
ただ大地を覆う紫の炎を見下ろした瞳に穏やかな色が見えて、私は左胸に手を置いた。
その身に一体どれだけの者が繋ぎ合わされたのか。
歪んで混ざり、淀んだ魔力に体を奪われても、自身を失わなかった彼を黙って見つめる。
銀の残滓を散らす炎が高く舞い上がり、振り下ろされた剣が陽光を受け輝いた。
「……っとに、お前は最期まで手の掛かるガキだなぁ……!」
焼き尽くす音に混じり、震えた言葉が微かに響く。
剣が突き立てられたと同時に魔力の杭が一斉に炎となって燃え盛る。
灼熱の業火に身を任せた彼が少しずつ消えて逝き、浄化された大地には身を焦がしながらも剣を突き立てるオネストだけが遺された。
「……自分ごとやったか。馬鹿が」
「俺、は……おめぇほど……器用じゃねぇ、からよ」
息も絶え絶えといった様子で軽口を叩くオネストに近付けば、あの業火を思わせる熱が肌を撫でる。
まともに自分の守りを固めずに、あれほどの業火を作り出せばそうもなるだろう。
支えにしていた剣を抜き、そのまま地面へと座り込んだオネストの横に立つ。
怒りはまだ晴らせていないけれど、母国への心残りはこれで終わったようだ。
少しだけ晴れやかな顔をしたオネストはゆっくりと剣を持ち上げ、自分の肩へと刀身を乗せる。
「んじゃ、俺は死ぬわ」
「……あぁ」
そう、快活な笑みを浮かべたオネストは、自ら腕を切り落とし、鮮やかな血をまき散らして倒れていった。
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