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氷の王

 忙しなく行き交う兵の中、見覚えのある後ろ姿を見つけ足をそちらへと向ける。

 老いても変わらず隙の無い背中に声をかける前、こちらの気配に気付いた彼が振り返った。



「おぉ、クラヴィス殿! お待ちしておりましたぞ! シド殿もお久しぶりですな!」


「フォルテ卿」


「お元気そうで何よりです」


「なぁに! まだまだ若い者には負けませんとも!」



 シェンゼ王国将軍、マークス・コル・フォルテ侯爵。

 今年で六十になるというのに相変わらず最前線を好んでいるのか、快活な性格を表したような声と笑みで迎え入れ、握手を求める彼に軽く応える。


 どうやらまた兵と親睦を深めると言って仕事を手伝っていたのだろう。

 彼と共に居た兵士達が、私を見て露骨に怯えながらも期待している視線を向けてくるので、状況把握も兼ねて案内を頼む。

 人が良いフォルテ卿はすぐに請け負ってくれ、兵達に一言詫びを入れて砦の方へと颯爽と向かっていく。

 フォルテ卿の行動に困っていても断れず、かといって引き離した私に礼を告げる事もできない兵達がこちらへ深々と頭を下げるのを横目に、先を行き過ぎるフォルテ卿を見失わないよう歩き出した。



「戦況はどうなっている」


「厄介、それに限りますな」



 案内されたのはメイオーラとの国境に建てられた砦の上で、何度も見て来た景色に混じる異物を見つけ、思わず顔を顰める。

 フォルテ卿もその異質さは既に知っているのか、いつになく難しい顔をして戦場となる平原を見据えていた。



「件の死兵共は動きが鈍いものの数が多く、どれだけ切り刻んでも動き続けまする。

 貴殿の報告通り燃やして処理しておりますが、まだまだいるようで」


「増えている様子はあったか?」


「今のところはありませぬ。問題は魔物でしょう」



 死兵を操る者の正体は未だ掴めておらず、その術も判明していない。

 病のように死体から死体へと移るのか。死体があればすぐに増やす事ができるのか。それすらもわかっていない状況だ。

 まともな対策はその肉体を燃やし尽くすのみで、実際それが実行された形跡だろう。

 私が到着する二日前に開戦したという平原は所々焼け焦げており、死体の一つも見当たらない。


 本来なら、死者は手厚く弔うべきだ。陛下も、先王陛下もそう望まれただろう。

 けれど死兵の在り方が不明のままでは、その慈悲で我等を腹から食い破る事になりかねない。

 今まで経験したことの無い異様な静寂を孕む戦場を見下ろし、歪なそれへと意識を向けた。



「確認できているだけでも三十を軽く超えており、そのどれもが見たことの無い魔物故、兵士達も戸惑っております。

 傾向として巨大な魔物は動きが鈍いが魔力が強大で、小さな魔物はそこそこの動きと魔力を持っているようですな。

 どちらも倒せぬほどではありませんが、放つ魔法が強力で肉体も頑丈。対処に人手と時間を割かねばならん状況です」



 あれが例の魔物だろう。歪な魔力を宿すモノ達は、遠目でもわかるほど大きなモノもいれば、人と変わらぬ大きさのモノもいるようだ。

 魔法で視力を強化して見てみれば、その姿はまさに異形の一言に尽きるモノだった。



「……歪だな」



 一体何人の命を犠牲にしたのか。

 歪んだ魔力は吐き気を催すほど禍々しく、変質した肉体は負荷に耐え切れず体液を溢れさせている。

 巨大な魔物にされたモノに至っては、複数人が無理矢理繋ぎ止められているのだろう。

 本来一つでなければならない魔力が幾重にも重なり、混ざり、反発していて、黙って視界を閉じた。


 あれは在ってはならないモノだ。誰もがそう理解するだろう狂気がそこに在る。

 彼女が見なくて良かったと、心の底から思い、軍議へと呼びに来た兵士に従いその場を後にした。




 砦内の一室に設けられた場には、既に数名の貴族が集まっており、軽く挨拶を交わして席に着く。

 一人、また一人と増えていくにつれ室内が俄かに騒がしくなっていくため、気付かれないとでも思っているのだろうか。

 こちらに向けられる面倒な視線と共に聞きたくもないのに微かに聞こえてくる会話を無視し、フォルテ卿や親交のある者達にここ二日の流れを聞く。


 どうせいつもの化け物だとか、そういった類の雑音だ。

 後ろで控えるシドが静かに怒りを噛み殺しているのに気付いたフォルテ卿がこちらへ視線を向けてくるが、緩く手を振って問題無いと伝えておく。

 これほど明らかな敵意を向けられて気付かないのだから、ただ飼われているだけの者達だろう。

 現に私と敵対している派閥の者でも大人しい者は大人しく、愚かな同朋とは関係ないとばかりに距離を取っている。


 取るに足らない者共を相手にしている暇など無い。

 地図と兵の動きを頭に叩き込んだところで、新たに即位されたばかりのグラキエース・マグナ・シェンゼ陛下が現れた。



「まずはユーティカ公爵、よく来てくれた」


「此度の遅参、お詫び申し上げます陛下」


「あちらが仕掛けてくるのが早かっただけだ。

 何より貴殿が持ってきた物資は非常に助かった。想定以上に怪我人が多く出ていたんだ」



 名を呼ばれ、席を立って形式通りの謝罪を告げれば、グラキエース陛下は微笑みを浮かべゆるゆると首を振る。

 当初の予定より多く持って来ることになったポーションが早速役に立ったようだ。

 続けて医療部隊を担当している者から報告が始まり、静かに着席する。


 やはり死兵に魔物と、普通の戦いではないため、負傷者も多く出ているのだろう。報告している医師から想定より早い消耗が窺える。

 確か彼女は材料がある限り作るよう指示を出していたか。あまりの量に持ち切れなかった分もあったため余裕はある。

 追加を手配することも視野に入れ、進む会議に耳を傾けた。



「傷が浅い者なら今日にでも動けるようになるでしょう。

 少なく見積もってもこれだけの兵は動かせまする」


「では南へ少し回していただきたい。

 昨日の魔導士オネスト・ファルムによる攻撃で砦の一部が破壊されまして。

 人的被害はなかったのですが、守りが手薄になっています」


「紅緋の獣は相変わらず人間離れしたことをする……」



 この砦には魔法を防ぐ結界が施されており、建築材には魔力耐性の高い鉱石を練り混ぜている。

 普通の魔導士ならば束になってようやく結界を無力化できるかどうかなのだが、結界を貫いただけでなく砦の破壊までするとは。

 ──大方、被害を減らそうとしたのだろうが、だからと言って砦を壊す方向に走るとは思っていなかった。



「彼についてはいつも通り、ユーティカ公爵に任せる。それで異論無いな?」


「……化け物には化け物を、ですからなぁ」



 あの男の相手ができるのは、同等以上の腕を持つ私だけ。

 以前の戦争で私が不在になった間、あの男が野放しになり、もたらされた被害は大きかったと聞く。

 グラキエース陛下が暗黙の了解となりつつある確認を行った際、小さく、けれどはっきりと告げられた蔑みに場の空気が凍り付いた。


 ある者は怒りを宿し、ある者は視線を彷徨わせ、ある者はこちらの様子を窺い、ある者は冷ややかに見つめる。

 雑音がいくら響こうがどうでもいい。しかし因りによってグラキエース陛下の前で行うなど、命知らずにもほどがある。


 上座から冷気を帯びた魔力が伝わってくるが、それを真横で受けねばならないフォルテ卿が哀れでしかない。

 完全に巻き込まれただけのフォルテ卿を救うべく、何の感情も乗せずに声の主へと視線を向ければ、引き攣った顔のモルヴォ伯爵が口を開いた。



「私は、魔物について申しただけの事。

 ユーティカ公爵の契約獣はどうなされたのですかな? 姿が見えませんが」


「我が契約獣は国の守りのために残してきているが、何か問題でも?」


「国の守り、というのならここに連れてくるべきではありませんか。

 そういえば……以前も王都へ連れてくるよう通達があったというのに、連れてこなかったと聞きました。

 もしや全て偽りで、実際には契約していない、など馬鹿げた事はありませんよねぇ?」



 馬鹿は何故馬鹿を繰り返すのだろう。

 わかりやすい言い訳から転じ、難癖を付けようとする愚者の発言に溜息が出そうになる。

 王が変わってもなお、あの後ろ盾が在り続けると思い込んでいるのか。それとも単に私へ敵意を宿しているのか。

 通達したはずの報せすら把握していない無能を始末する前に、グラキエース陛下が氷の笑みで突き放した。



「なんだモルヴォ伯爵、聞いていなかったか?

 ユーティカ公爵に契約獣を残すよう命じたのは私だ」



 不思議そうに、けれど冷たい表情で告げる彼は、きっと心から笑っているのだろう。

 民から太陽と謳われる温かさが微塵も無い視線を向けられ、モルヴォ伯爵が肩を大きく揺らす。

 その顔色は氷の中に閉じ込められでもしたのかと思うほど白く血の気を失っている。


 それもそのはず。今モルヴォ伯爵はグラキエース陛下の魔力によって包まれているのだから。

 以前より深度の増した青い魔力を眺め、感心している間にも、グラキエース陛下は優しい声色で丁寧に言葉を連ねた。



「以前ノゲイラで死兵が現れた事を考えれば、いつシェンゼ国内に奇襲をかけてくるかわからんだろう?

 その点、彼の契約獣は死兵の気配を察知することができる故、守りが薄くなる国内に残すよう命じたのだ。

 空を駆けることもできるというからな。兵を遣わすより素早く対処できる」


「向こうも契約獣が居るとなればそう易々と手を出す事もできませんからな。良い案かと」


「そ、う、でしたか……出過ぎた事を申しました」


「死兵に多数の契約獣とくれば、多少混乱も生じるでしょう。今一度情報の確認をせねばなりませんな」



 真冬にも勝る凍えた空気にも負けず、フォルテ卿が明るくそう締めくくって次の話へと持っていく。

 少々無理のある切り替え方だが、おかげで多少グラキエース陛下の心も落ち着いたようだ。

 室内を満たす魔力が凪いでいくのを感じ、ちらりと視線を向ける。

 先ほどまで氷の笑みが張り付いていたけれど、私と視線が合うなりばつの悪そうに片目を閉じるものだから、軽く笑みを返しておく。



 グラキエース陛下だけでなく、私もこのように穏便な形で済ませることはできなかっただろう。

 愚者だろうと大した役目が無かろうと、率いる部隊が存在する以上、処罰でもすれば今後の戦況に悪影響を及ぼしかねない。

 ただでさえ厄介な戦場だ。無意味な混乱をもたらすのは避けた方が無難だろう。


 お互い、フォルテ卿には助けられてばかりだな。

 昔から変わらず、豪快のようで繊細な気遣いをするお互いの師へ密かに礼を告げれば、何事も無かったかのように笑っていた。

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