いつも通りの日常を
あれから急ぎ目にノゲイラへ帰還した私は忙しい日々を過ごしていた。
結局王都に滞在したのは一ヶ月半にも満たなかったため、それほど仕事が溜まっていたわけではないけれど、国王の代替わりという大イベントの後である。
しかも天気が荒れたのは西だけじゃなく、ノゲイラのある北側でも起きていたようで、想定外の仕事が色々と溜まっていた。
うちは農業魔道具として農耕機を色々と開発していたから収穫が間に合ったが、他の領地は一部アムイを始めとした農作物がやられてしまったらしい。
肥料や品種改良をした種を一部売ったりしていたから以前とさほど変わらない収穫量になってはいるそうだが、国全体で見ると痛手も痛手である。
なんせ王位継承の儀が行われた時期と丸被りなんだもの。
収穫量が減ったのも痛いっちゃ痛いが、何よりも起きた時期が悪すぎた。
国にとって体裁というのは重要な意味を持つ。
それなのに、国王が代わった途端天気が荒れたなんてことがあれば、言いがかりやら付け入ろうとする人は一定数出てくるだろう。
実際西側にあるメイオーラ王国とは建国時に色々あったせいで、常日頃からいざこざが絶えないとも聞いている。絶対何か言ってくるよね。
七年前、シェンゼ王国とメイオーラ王国間で起きた戦争であちらは大軍を失ったそうだが、そろそろ元気になって来ていることだろう。
元気なのは良い事だが、それをこちらにぶつけられるのはいい迷惑だ。嫌な予感しかしないです。
幸い、国王が天気が荒れた話を聞いてすぐさま備蓄の確認を各地に命じてくれたおかげで、懸念していた食糧不足はどうにかなりそうだ。
ティレンテ曰く、先王が国王に提言したらしい。引退しても現役バリバリみたいだねぇ。国として良いのかどうかはわからないけど今回は有り難い。
ついでにどこかで不正が発覚したようだが、うちは知ったこっちゃねぇです。誰が捕まろうが一番大事なのは食糧の確保だよ。
そんなわけでこの二ヶ月、影武者さんのフォローどころではないほど忙しかった。
だって庭師のおじいちゃんが偶然交配させちゃって庭園で新種生えてたり、調合師の三馬鹿が酔っぱらって謎の物体を大量に作ってしまい処理に困ってたりと、色々あってそれどころじゃなかったんだ。
新種は事故だろうから仕方ないとはいえ、三馬鹿はお説教です。一体何を混ぜたらボコボコ鳴り続ける液体ができるの。怖いんだけど。
少し落ち着いてから様子を見ていたが、影武者さんはアースさんやシド達のフォローもあって上手くやっていたようだ。
誰一人疑うこともせず普段通り忙しく駆け回っていて、ちょっと拍子抜けしてしまった。
まぁ、アースさんが仲介してくれてるおかげでクラヴィスさん本人の指示が出ているわけだからなぁ。
出す指示は言葉のままクラヴィスさんの指示で、姿形も完全にクラヴィスさんそのものである。
あれだけ完璧に儀装できてるなら、私も違和感は感じても偽物だなんて気付いていたかどうか。マジで何で話してくれたのパパン。
あの人の考えはわからないがきっと何か意味があるんだろう。
姿形は同じでも、鮮明な記憶が否定するという不思議な感覚にも慣れて来た頃、いつものように庭園で品種改良中の作物の手入れをしていたら、ふらりとアースさんがやって来た。
「あれ、アースさんこっち来てて良いの?」
「また妙な気配がしてのぉ……向こうも一段落したようじゃし、念のため傍におろうかと思って」
「うげ、またぁ? 今月で五回目じゃん」
「微細な物も含めれば十は越えるのぉ」
ふわふわと近付き、剪定作業をしていた私の頭へと着地した重さに少し体が傾く。
ダイエットの甲斐あって元の重さに戻ったアピールをするのは結構だが、乗るなら肩にして欲しい。頭に乗られると負担が全部首にくるんだよ。
それにしてもまた妙な気配とは。面倒だなぁと顔を顰めている間にも、アースさんは肩へと移動していた。
「なに、今回も大した物ではない。また魔流に流され消えるじゃろう」
「一体何なんだろうね、その気配ってやつ。結局何も起きないし」
「さてのぉ……西から流れて来ておるようじゃが、力も無く目的すら失った迷い風に最早意味などなかろうて」
妙な気配というのは本当に妙な物だそうで、自然に近い魔力でありながら不自然に歪んでいるそうだ。
最初は例の魔導士がまた何かして来たのかと身構えたけれど、特にこれと言った害も無く、ノゲイラに近付く頃には掻き消えているらしい。
一応スライトが調査してくれているが、気配が消えた場所も流れて来た方向も、特に何か起きているわけでも無い。
害は無くとも鬱陶しさはあるので解決したいところだが、アースさんがわからない以上お手上げ状態である。
「最近の天気と関係あったりしないかなぁ。ほら、各地で悪天候が続いてるじゃん? 時期もぴったり合うよ」
西で豪雨が起きたと聞いて以来、嫌な事にシェンゼ王国のあちこちで悪天候が続いている。
嵐や日照り、雹など事象は様々だが、どれもそこそこ被害が出る程度には酷い物だ。
妙な気配が流れてくるようになったのも、天候が崩れ始めたのもおよそ二ヶ月前。何か関係あってもおかしくないだろう。
「無い、とは言い切れんが可能性は低いと思うぞ? 天候を操るなど普通の存在では肉体がもたんからの」
「ってことはアースさんはできる、と」
「あれ、結構疲れるんじゃよなぁ」
「してもらおうとは思ってないよ」
龍と言えば雨を操ったりしそうなものだが、気の乗らない様子で首を振る小さな龍に軽く笑って否定しておく。
品種改良や魔道具等の開発もあるが、アースさんが魔流を弄っていてくれたおかげでノゲイラの被害は少なく済んでいる。
そのため天候を操らなければならないほど切羽詰まっては居ないので、安心して欲しい。というか肉体が持たないとか恐ろしい事を聞かされて頼む人の方が少ないと思うよ。
「しかしお主ら、全く同じことを言うのぉ」
「クラヴィスさんも?」
「妙な天気が続いておるからの。ワシとて誰かが操っている方が納得できるわい」
きっと王都でも何か対策を講じているだろうクラヴィスさんの事が過ぎり、何気なく手元に視線を落とす。
確か西が一番酷く、二ヶ月の間に豪雨が十日、嵐が三度起こっているんだったか。
北は豪雨と雹が一日ずつ。南は嵐が起きた後日照りが続いて、東は三日続いた豪雨で土砂崩れが起きたとか。
調べてくれたシドが言うには把握しきれていない地域もあるそうだが、それでもこの崩れようは異常としか思えない。
そもそもこれほど天気が荒れることなど、シェンゼ王国の歴史上類を見ない現象だ。
妙な気配とやらがこの悪天候に関わっていてくれたら対策も見つかりそうな物だが、そう簡単にはいかないか。
ここ数週間で少しずつではあるものの落ち着き始めているようなので、是非ともこのまま鎮まって欲しい。
早い所だと来月にはアムイの秋撒きが始まるシーズンだからねぇ。他の農作物や畜産業も色々あるし、これ以上続かれると何もかもが駄目になる。
何より備蓄があると言っても今年分だけで、次のアムイが駄目になるとどこも厳しくなるだろうから。
「どこかにアースさんと同じ存在が居たりしない?」
「居らん。同朋なら気配でわかるとも。紛いモノはおるかもしれんが、紛いモノにそれほどの力は宿らん」
「紛いモノ? 何それ?」
自然現象に対してできる事なんて限られている。
だからいっその事アースさんのお仲間がやらかしているとかならまだ希望があるんだけどなぁと、冗談交じりに聞いてみれば、聞いたことの無い名称が飛び出した。
私のように、世界を渡る時に紛れてしまった紛れ者ならわかるのだが、紛いモノとは何だろうか。
首を傾げる私に、アースさんは少し考える素振りを見せてから口を開いた。
「そうじゃなぁ……ワシらになれんかったワシらじゃよ」
「主従揃ってなぞなぞが流行りなんですか?」
今は寝起きじゃないけれど、意味が良くわからない回答をきっぱり切り捨てる。
えぇ? って顔してるけどそうしたいのこっちだから。こっちがえぇ? ってなってるから。
「簡単に言ったつもりだったんじゃが……ふむ、覚醒しきれんかった存在とでも言うか。
ワシらのように世界を渡ることはできんが、それなりの力を持っている存在じゃよ。強い魔物とでも思っておれば良い」
「強い魔物ねぇ……」
強い魔力を持っていたり魔法が使える獣、それが魔物だ。
魔物の生態については不明な点が多く、魔物と思われていても実際はただ魔力が強いだけの熊だった、なんてこともあったらしい。
アースさんも魔物として認識されているが渡る者という別の存在だし、よくわからない生物を魔物として一括りにしている事も多い。
覚醒という事は、魔物には特異な進化の可能性でもあるのだろうか。
いずれ魔物についても調べてみたい物だが、そういった不測の事態が起こった場合、自衛方法が無いに等しい私では危険に晒されるだけだろう。
砂糖の魔物が居るなら塩の魔物だって居ても良いと思うんだよね。いつか探してみたいんだけどやっぱり難しいかなぁ。
もしその紛いモノが、アースさん並みの魔力を持っていたとしたら。
そんな仮定は突如隣から響いた爆発音によって掻き消えた。
「今日も派手じゃのぉ」
「おかしいなー今日は片付けだけで終わるって聞いてたんだけどなー」
爆発音と言っても、その音の方向は隣のポーション研究室からで、いつも通りの効果音に呆れから溜息を吐く。
ポーションは魔力を宿しており、無暗に捨てたりすれば環境に悪影響を及ぼしかねない。
そのため使わないポーションを処分する際には、その効能を打ち消す中和剤等を使ってから焼却するのが一般的だ。
だが、酔っ払いの馬鹿共が作り出した謎の物体はあのディーアですら困る代物だったらしい。
ディーアが解析し、謎の物体に使われた素材を調べ上げ、どうにか処分しても問題無いレベルにまで落とし込めてから焼却してくれていた。
三馬鹿が使った素材をちゃんと覚えていたら調べる手間も省けたんだろうけどねぇ。酔っぱらって覚えてないんだもんねぇ。
幸い、謎の物体以外の記録はちゃんと付けてくれていたので、在庫を照らし合わせてある程度絞りはしたが、どれをどれに使ったかまではわかるはずも無い。
今のところ毒になるような物は無いそうだが、あとどれぐらいあるんだっけなぁ……二ヶ月かけて七つ処分できて、後五つだっけなぁ……。
片付けだけで爆発音が鳴るなんて、どれだけダイナミックなお片付けをしているんだか。
ディーアだけでなく、見張りにルーエとアンナも派遣していたんだが、三人共無事かなぁ。三馬鹿は自業自得だから知らん。
一応様子を見に行くべきかと道具を片付け、フレンも連れて庭園を出ようとしたところ、研究室から出て来たディーアと鉢合わせた。
いつも穏やかに対応しているディーアの珍しく慌てている様子に何やら嫌な予感がしてきたが、文字が浮かぶ魔道具を差し出されそちらへ視線を向ける。
『トウカ様、申し訳ありません』
「音は聞こえてたよ……今度は何したの」
『今日も例の謎の物体を処分していたのですが、手が滑ったのか他の謎の物体に混ざり、動き始めました。
他の薬品を取り込む特性を持っているのか、残っていた謎の物体を全て呑み込み、別の薬品にまで近付いているため現在ルーエ達と共に抑え込んでいます』
一度では理解しきれず、二度繰り返し読んでようやく理解できた状況に、私は衝動のまま叫んだ。
「ねー! ホントに何混ぜたのあの人達ー!?」
「他の薬を取り込むとは、もしや意思でも持ち始めているのではないか?」
「うちの研究所で謎の生命体を産み出すな!!」
薬品が動き始めるってどういうことだよ! 何を混ぜたらそんな現象が起きるんだ! マッドサイエンティストみたいなことしでかさないでもらえます!?
馬鹿と天才は紙一重というが、この事なのだろうか。ある意味天才の所業だが、酔っぱらった結果がこれだよ。何してんのあの人達。
とにかく現場へ行かねばと研究室の扉へ手を伸ばすが、その手はディーアによって阻まれた。
『何が起こるかわかりません。トウカ様は別の部屋へ』
「その時はディーアが守ってくれるでしょ」
自衛手段は持たないが、私には優秀な護衛が居るんだ。その辺りは心配していない。
それより研究室には手塩にかけた素材や薬品がゴロゴロ転がってるんだよ。こんな馬鹿げた騒動で失いたくないわ。
一瞬固まったディーアの隙を突き、扉へと手を掛け思い切り開く。
そうして視界に飛び込んだのは、おどろおどろしい沼色のグロテスクな塊と対峙するルーエ達の姿だった。
「お嬢様!?」
「ごめんなさいぃぃぃぃ!!」
「手が滑ったんです! わざとじゃないんですぅぅぅぅ!!」
「禁酒します、一生酒飲みません、だから研究だけは、研究だけは!!」
アンナがこちらに気付き、驚きで声を上げたのを皮切りに、三馬鹿が騒ぎ出す。
その手には掃除用具や火かき棒等、様々な武器になりそうな物が握られており、沼色の塊から棚へと伸びる触手を振り払っていた。
「何アレ気持ち悪い」
口を開いて出たのはただその一言に限る。
今の私の身長ぐらいはあるだろうか、沼色というか紫がかっているというか、何とも形容し難い色彩を宿す塊は、うにょうにょと動く触手を操り新たな糧である薬品を狙って手を伸ばし続けている。
ルーエが結界を使ってくれているのか本体らしき塊は動いていないが、無数に伸びる触手は留まる事を知らず、アンナと三馬鹿達が切り捨て振り払っている。気持ち悪いとしか言えないよこんなの。
これこそ紛いモノじゃないかしら。なんて思いつつ、私は右手を突き出しアースさんへと叫んだ。
「やっちゃえアースさん! 塵も残さず消しちゃえ!!」
「こんな事に力は使いたくないがのぉ……」
良いからさっさと消し去ってください。あれは存在しちゃいけないんだよ。
渋りながらも動いたアースさんは、謎の塊を魔法陣に閉じ込め、真白の光によって全てを消し去ってくれた。ありがとう。三馬鹿はガチ説教です。




