一度きりの出逢い
買い食いしたり売り出されている商品を見てみたりと、王都の市場を満喫すること暫く。
目的の花はもちろん、気になった物や珍しい物、お土産リストに載っていた物等を買ったりしていたら、すっかり大荷物になっていた。
「いやー買ったねぇ」
ルーエ達に促されるままベンチに座り、近くに置かれた荷物へと視線を向ける。
子供一人は軽く入っていそうな風呂敷は大きく膨れ、幾つも重なった箱は小さな山のようだ。
花はお店が屋敷に届けてくれるというのでお願いしたが、持ち帰りだったらどうなっていたことか。
フレンが軽々と持っていたからそこまで重くは無いんだろうけど、ちょっと買い過ぎたかなぁ。
「それじゃあ近くの大通りまで馬車を呼んできますねー!」
「お願いねー」
荷物を置き、すぐさま走り去っていくフレンに緩く手を振る。
まだ西市の半分も見て回れていないが、もうじき日が暮れ初める上にこの荷物だ。
そろそろ帰ろうと馬車を待つ間、ディーアに案内され着いたここは民の憩いの場らしい。
中心に在る大きな噴水を囲うようにあちこちにベンチが設けられていて、旅の吟遊詩人らしき人が奏でる旋律が水音と共に街の喧騒へと溶けていく。
今歌われているのは建国の物語だろうか。
弦楽器の音色と共に紡がれる詩を軽く聞き流していると、アンナが少し呆れた様子で息を吐いた。
「全く、お嬢様はお優しすぎます。まさか城の者達全員分買うつもりですか?」
「えー? 腐らない物しか買ってないし、まだリストに載ってた半分も買ってないよ?」
「……もしや写しでもお持ちで? あれは没収したはずなのですが」
「お、覚えてる分買ってるだけだよ! 写しなんか持ってません!」
ルーエにまで詰め寄られ、慌てて首を振る。
あの後見かけた時に使用人の人達が落ち込んでたのはそのためか。
てっきり怒られて落ち込んでただけだと思ってたけど、まさか没収されてるとは思わなかったや。
まだ買い出しは生活に必要な物だけで、こういった買い物はできていないと聞いていたから色々買ったけど、外でお説教は避けたいところ。
どうにか逃げ道は無いかと辺りに視線を彷徨わせていたら、今の私と同い年ぐらいの男の子が嬉しそうに手を伸ばす光景が視界に映った。
「あーちょっと喉渇いたかなー? 飲み物欲しくなぁい?」
「……わかりました。あの果実水でよろしいでしょうか」
「うん、おねがーい」
「ルーエ、後は頼みます」
「やっべ」
一応彼女達の主な私の要望を断ることなどできまい。
いつもより子供らしさ全開でおねだりし、先ほどの男の子の方を示せばアンナが溜息を吐きながら離れて行く。
しかし引き離せたのはアンナただ一人で、残ったルーエは心の声を漏らす私に微笑みを浮かべていた。やばいやばいあれは怒ってる時の表情だ。
「怒ってはいませんよ。ただ、どうかお気をつけください」
ディーアとアースさんに視線で助けを求めるも、無言で首を振られていた私にルーエがそう言って膝をつく。
その声は普段のお説教とはまた違う真剣な物で、私の前で跪き手を取る彼女の雰囲気に自然と背筋が伸びた。
「幾ら余裕があるとはいえ、無暗に与えてはいけません。
甘やかせば甘やかすほどに彼等はそれが当たり前だと思い込み、つけ上がり、いつかお嬢様を蝕む毒に成りかねないのです。
確かにお嬢様の優しさは尊い物ですが、それ故利用されてしまうこともご理解ください」
当たり前だと思っている物が何を代償に成り立っている物なのか。
それを忘れて要求してくる者は、どの世界にも多かれ少なかれ存在する。
そういった者達にとって、見返りを求めずただ与え応えてくれる存在は都合の良い寄生対象でしかない。
特に弱者を貪り強者に取り入ることが多い貴族社会では、私のような魔力を持たず地位だけある存在はただの美味しい餌として映るだろう。
そうなってしまわないように彼女はこうして忠告してくれている。
騎士の眼差しで令嬢としての在り方を教えてくれる温かい手を握り返し、しっかりと頷いた。
「大丈夫。ちゃんとわかってるよ」
純粋に周りを信じ、無垢な瞳で世界を見ている子供達と違い、私は汚い物も沢山見てきている。
だからその辺りはある程度見極められると思うのだけど、ルーエ達からすれば私の在り方は甘すぎて心配になるんだろう。
かといって皆にもうちょっと厳しく接するのは……できなくはないがあまり気が進まない。
だって残業代出るようにしたけど申し訳ないからって申請しない人多くてさぁ……脱ブラックを目指してる私としては申し訳なさ過ぎてさぁ……!
何より王都なんて次いつ来るかなんてわからないのだから、せめてお土産ぐらいは自由に買わせて欲しい。
まだまだ買いたいなんて言いにくい雰囲気にどうしたものかと思っていたら、不意に隣へ影が差した。
「お嬢さん、お隣良いかな?」
「あ、はいどうぞどうぞ」
歳は五十代か六十代ぐらいだろうか。
フードを被っていて一瞬しか見えなかったが、薄い金色の髪に澄んだ蒼の瞳をした男性に優しく声を掛けられ、少し身構えつつ横へと詰める。
街中で顔を隠しているってことは訳ありなのに間違いは無さそうだ。
離れた方が良いかなとルーエの様子を窺えば、驚いているのか目を瞬かせていた。もしかして知ってる人か?
繋がっている手を引いてこちらに意識を向けさせれば、ルーエはハッとした様子で静かに立ち、何も言わずに私の傍へと控える。
知り合いなのは間違いなさそうだが、これは離れた方が良いのか放置で良いのか。
視線すらこちらに向けず伏目で控えるルーエの反応に困ってディーアを見てみたが、こちらも少し伏目がちに控えていて、余計に混乱した。
えぇ……何この状況。二人共それはどういう表情なんだい。全然わかんないんだけど。
警戒しているわけでは無さそうだが、妙な反応を示す二人に困っていると、再び男性から声を掛けられた。
「よければこのお菓子をもらってくれないかな?
買ったは良いが食べられなくてね……どうしようかと困っていたんだ」
「えぇと……」
「……移る病でもなく、毒も無い。もらっておやり」
何か病気なのかフードの下に見えた顔色は酷く、本当に食べられず困っていたのが窺える。
しかし見知らぬ人にお菓子を差し出されて素直に受け取れるわけもなく、どうしたものかと戸惑っているとアースさんにそう促される。
アースさんが言うなら大丈夫かなぁと、念のため二人の方を確認するとディーアが小さく頷き返された。
視線は相変わらず合わないけど一応反応はくれるのね。この様子だとこの人はルーエ達というよりクラヴィスさんの知り合いなのだろうか。
おずおずと受け取りながら周囲へと視線を巡らせれば、近くで剣を腰に下げた護衛らしき人がこちらを見守っているのが見えた。
うーん……護衛がいるしルーエ達の様子を見る限り身分は高そうだ。だけど明かさないってことはお互い触れない方が良いのかなぁ。
相手がわからないまま繋がりは持ちたくないので、余計な詮索はせず手渡された焼き菓子の温もりを確かめる。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、もらってくれてありがとう。
……突拍子もないことを聞くけれど、君から見てこの都はどう映ったかな? 楽しめているかい?」
全く手の付いていないお菓子へアースさんの首が伸びているが、男性には幻影で何も見えていないのだろう。
本当に突拍子もない事を聞かれて思わず首を傾げたが、答えられない物でもないし、お菓子の礼だと思えば安い物だ。
「良い都だと思いました。
建国祭や継承式が近いのもあるんでしょうけど、皆が明るく活気付いていましたから」
「当日はもっと賑やかだろうね。
継承式が行われる時は、新しい始まりを明るく迎えようと多くの人が夜明けまで楽しんでいるそうだ」
「夜明けかぁ……起きてられるかな」
「私も前の時は夜明けまで起きてはいたけれど、ほとんど意識が無かったよ」
前というのは現国王の継承式の時だろう。
街へと向けた視線は柔らかく、当時のことを懐かしみ嬉しそうに語る横顔は愛し気で、出会ったばかりの子供が呟いた小さな不安すら大切そうに微笑む。
この人はあれだ、とても愛国心溢れるおじ様なんだわ。信用するほどではないけれど、警戒するのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
不思議とすんなり入ってくる温もりに自然と肩の力が抜けた私に何を思ったのか。そろりと頭に大きな手が乗せられた。
「なに、眠っていても良い、起きていても良いんだ。
良き日々が来ることを祈ってのことなのだから、それぞれが思い思いに未来を迎えてくれればいいのさ」
微かに震えているのはその身を侵す病からか。それとも見知らぬ子供に触れる緊張からか。
できれば後者であって欲しいと思うけれど、優しい顔には似合わない顔色がはっきりと見えて、香った薬の香りに胸に小さな痛みが走った。
もう、手遅れなんだろうなぁ。
ノゲイラでも精製しているこの痛み止めは強力だが微量の毒も含んでいて、体に大きな負担を与える代物だ。
本来ならこんな顔色の悪い人には処方しないのに、それでも服用していると言う事は、そうでもしなければ動けない状態なのだろう。
「さて、残念だが時間だね」
そうまでしてでも、新たな未来に沸く街の様子をその瞳で見たかったのか。
最早狂気にも似た愛情に何かをしてあげることもできず、ただ受け入れることしかできない私に、男性は変わらぬ微笑みで離れて行く。
何か言わなければと思っても、何も言えないまま遠ざかる皺だらけの手を視線で追った時、気付けば私の手に一つのリボンが収まっていた。
「これを受け取ってくれないかな」
「……どうして私に?」
「遠い地に居る、孫に似ていたんだ」
銀の生地に金の糸で繊細な刺繍が施されたリボンは、見るからに手が込んでいる一点物だ。
それが名前も知らない子供の手に在るのを見て、どうしてそれほど嬉しそうなのだろうか。
理由を訊ねても変わらぬ笑みでそう告げられ、断ることを選べない空気にリボンを緩く握る。
「……お孫さんとはもう会えないんですか?」
「……あぁ、もう二度と会えないんだよ」
あぁこれは、これ以上は踏み込んではいけない物だ。
声色は一切変わらないのに、温もりに溢れているのに、寂しい響きを宿す言葉にただ居合わせただけの私まで寂しさが溢れて来る。
「どうか元気で。家族と仲良く過ごしておくれ」
自分ではなく他者の幸福を祈る言葉はどんな思いの果てに告げているのか。
顔を上げた時にはもう席を立ち、歩き出した名前も知らない誰かに向けて私が返せるのはこれだけだ。
「大事にします」
答える前に去って行ってしまったその人にまだ届くだろうか。
護衛の人と共に遠ざかる背中へ向けて告げれば、人の波に消えていく背中が少し止まり、あの微笑みが返された。
「……寂しい人だったね」
いつの間にか弦楽器の旋律は止み、今度は大道芸を見て笑う人々の声で満ちる広場に私の小さな呟きが響く。
大切な物だったろうに、私達にしか残らないようなささやかな思い出であの人は良かったのだろうか。
見知らぬ誰かへの想いが籠ったリボンは軽いはずなのに酷く重く感じられて、吹いた風に飛ばされないようにそっと押さえる。
「……そのリボン、なるべく身に着けておくとよかろう。
魔法、というより祈りのような物が込められておる。持ち主に幸運を運んでくれるようじゃ」
リボンを見つめていたアースさんにそう教えられ、余計に重さが増す。
それなら私みたいな初対面の人間でなく、それこそ知り合いの誰かに託した方が良かったのでは。
クラヴィスさんの関係者だからと信頼してなのか、たった一度だけの繋がりだから後腐れなく頼めたのか。何にせよ受け取った側としては重すぎます。
「私が受け取って良かったのかなぁ……」
「お主に渡ったのも何かの縁じゃて。大切にしておやり」
言われなくとも大切にするつもりだったが念を押すように言われ再度心を決める。
正直ちょっと受け取ったことに後悔しかけているけどな。せめておじさんの名前ぐらいは聞いておけば良かったや。




