明るく手を振り合って
太陽が昇ったばかりの早朝、普段なら門番がいるだけの城門前の馬車が並び、広場には城中の人達が集まっていた。
何度か見たことのある光景だが、今日はいつもと違って私も見送られる側だ。
迷う事無く馬車の前でカイル達と最終確認しているクラヴィスさんの元へと近寄れば、いつものように片腕に抱き上げられる。
「おはよーございまーす」
「おはようトウカ。眠そうだな」
「そりゃあ朝早いですもん」
体を包む人の温もりに瞼が重くなり、くわぁと欠伸が漏れる。
早く寝たり顔を洗ったりしたけど睡魔はそう簡単には諦めてくれないらしい。
もういっその事このまま寝ちゃおうかなぁと思ったところで、首元にひんやりした物が通ったのに意識がはっきりとした。
「っアースさん! 声かけてからにしてよ!」
「む? すまんすまん」
肩の辺りからひょっこり顔を出す東洋龍の心にもなさそうな謝罪に溜息が出た。おかげでちょっと目が冴えたけどさぁ。
春になったとはいえこの時間帯はまだまだ寒く、アースさんが巻き付いた際に乱れた首元へ冷たい空気が入って来る。
こういう時アースさんが温ければなぁってしみじみ思うわ。いっつもひんやりしてるもん。やっぱり蛇と一緒なのかしら。
せっかくアンナが着込ませてくれた上着もこれでは台無しである。
もぞもぞと首元を弄っていると、気付いたクラヴィスさんが片手でさっと整えてくれた。ありがとー。
「寝ていても良いんだぞ?」
「出るまでは起きてる」
「……無理はしないように」
この一ヶ月を思えばせめてしっかり見送られたいというもの。
それなのに寝かしつけるように頭を撫でるのはやめてください。寝ちゃう。
先ほどアースさんによって冴えた目はどこに行ったのやら。
再び重くなってきた瞼に力を入れてどうにか見開き、確かな疲労が見て取れる城の人達を目に焼き付けることに専念した。
突然の王都観光が決まって一ヶ月、準備に引き継ぎにと、それはもう城中大忙しな一ヶ月だった。
城の皆には色々と無理をさせちゃったなぁ。元々建国祭のために準備は進めていたけれど、私も行くというのは彼等にとっても寝耳に水である。
私が城から出ない理由は城内でも知られているためとても心配されたし、その上長期間ノゲイラから離れるわけで、それはもう念入りに準備してくれたようだ。
ただでさえ留守を任せるので大変だろうに、ここ最近の彼等の忙しさは申し訳なくなるほどだった。お土産いっぱい買ってくるからねぇ……!
皆が準備をしてくれたおかげで引継ぎも無事間に合ったし、何かあっても魔法で手紙を送り合えるためどうにかなるだろう。
物体を転移させるのはすごく難しく、高度な魔法らしいがクラヴィスさんがいれば何のそのである。
手紙以外にも荷物とか人とか転移できたら王都に行くのもこんなに準備しなくて良かったんだけどねー。手紙が限界らしい。残念。
期間が長い分人手も多く、シドはもちろん、私付の人も全員行くし、スライトを筆頭に護衛も大所帯だ。
騎士が合計三人に兵士が十二人とは、普段なら騎士を一人ぐらいしか連れて行かないのになぁ。私のためだろうなぁ……。
護衛を増やした分他は最低限のようだが、それでも普段の倍にはなっているだろう。普段が少なすぎるんだよ。
ちなみに、料理長のディックも同行するそうだ。
何でも王都の料理を知りたいとクラヴィスさんに毎日のように頼み込み、三日前に漸く同行の許可をもぎ取ったらしい。あの人らしいよねぇ。
しかし、異世界の料理を数多く作れるようになったディックは料理の世界で有名になっているため、スライト達からすれば護衛対象が増えるわけである。そりゃ同行も渋るわ。
私からすれば慣れない味より慣れ親しんだ味が食べられるから有り難いんだけどね。何かやらかさなければの話だが。
ディックも良い大人だし、誓約書も書かせたとか言ってたし、大丈夫だろう。きっと。
先ほどから料理人達の「迷惑をかけない」「落ち着いて行動する」「絶対一人で行動しない」といった子供に言い聞かせるような声が聞こえてくるが、いつものことなので気にしない。うん。
騒がしい一帯だけ視界に入れないようにしていると、馬車の方で何かしていたシドがこちらにやってくる。
挨拶をしようにも半分以上眠気に支配されつつある今、口を開くのも億劫で、緩く手を振れば微笑みと共に小さな会釈が返って来た。
なーんでみんなこんな朝っぱらからシャキッとしてるんだろうねぇ。コーヒーとか無いのに。紅茶はあるけどさぁ。
「主」
「あぁ、出立する」
幾ら決意を以って目を開けていても、優しい手付きで撫でられ続ければ耐えるのなんて子供の体では厳しいわけで。
すっかりふにゃふにゃしていたところで聞こえた単語に、うっかり手放しかけていた意識を掴む。
今こそ推定五歳の意地を見せる時。
馬車に乗り込むクラヴィスさんの腕から少し身を乗り出し、冷たい空気を精いっぱい吸い込み、重い腕を大きく振り上げた。
「いってきまーす!」
行ってきて、帰ってくる。この約束を告げる短い言葉だけは皆に言っておきたかった。
長く留守にすることになっても私達の帰ってくる場所はここだと示しておきたかったから。
まだ薄暗い空に幼く元気な声が高らかに響き渡る。
それまで静かだった分、想像以上に響いてしまったけれど、むしろそれが良かったのだろう。
私の子供らしい呑気な明るい挨拶に使用人の一人が手を挙げた。
「いってらっしゃいませー!!」
「どうかお気をつけてー!」
「温かくして寝るんですよー!」
一人が切り出した途端、後に続けと言わんばかりに次々と温かい声が返ってくる。
こういった時、本当は粛々と見送り見送られるのが正しい在り方なのかもしれない。
だけど身内しか居ない今はどうでも良くて、馬車の窓から見えるように抱き上げてくれたままのクラヴィスさんを見上げる。
言葉が無くとも私が求めている事は伝わっていたようで、小さな子供の手の上で大きな大人の手が緩く振られた。
「行ってくる。留守は任せた」
「お帰りをお待ちしております」
賑やかな後ろと違い、いつもと変わらないカイルがゆっくりと馬車の扉を閉める。
同じ馬車に乗っているのはクラヴィスさんとシドだけで、ルーエ達は別の馬車に、ディーアは馬に乗って行くようだ。
座席に私用だろうクッションやら毛布やらがセッティングされていて、睡魔の誘う力が増したのがわかる。
寝る準備バッチリじゃん。完全に見越されてるじゃん。大当たりだよ。
「トウカ」
「や」
「全く……」
傍から見ていても限界なのは丸わかりだろう。
頭上から名前を呼ばれただけでも寝ろと言っているのは明らかだが、一音だけで拒否すれば呆れた声が聞こえてくる。
中身まで子供だなーとか思ってるんじゃなかろうか。失礼な。
クラヴィスさんの膝に乗り、腕で支えてもらっているのを良い事に、馬車の窓へとへばりつく。
窓越しで聞き取り辛いけれど確かに聞こえる皆の言葉を一つ一つ記憶に刻み、ゆるゆると手を振り続ける。
見送ってくれる人達の中には泣き出している人まで居て、まるで今生の別れのような状況に苦笑いが出た。そこまで感傷的になるとは思ってなかったよ。
そうしている内にも時間は進み、馬車がゆっくりと動き始める。
整備された道を走り始めた頃にはもう皆の姿は見えなくて、窓から離れたところで毛布に包まれた。
「寝なさい」
「ふぁい」
返事と共に出た欠伸は毛布で隠したけれど、やはり子供の体は随分前から限界だったらしい。
移動しようにも体は言う事を聞いてくれず、促されるままクラヴィスさんの胸に体を預けて本日二度目の眠りに就いた。




