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よろしく、またね

 頬に当てたハンカチに涙が染み込んでいく。

 前髪で隠しているなら勝手に触れるのも良くないよね。どうしたもんか。

 とりあえず左側だけそっと拭っていれば、至近距離のこげ茶色の瞳と目が合った。



「……っ、ぁ」



 ひゅっと息を呑む音に続き、酷く掠れて声にならない音が微かに耳に届く。

 本当に私が泣かせてしまったのかもしれない。近付かない方が良かったかも。

 心当たりは全くないが、ハンカチだけ押し付けて離れようかと思ったところで、目の前の彼が微笑んだ。



「あ、の?」



 柔らかく、温かく、満たされたような、そんな笑み。

 初対面の男性が自分を見て泣き出したかと思えば、涙を流したままへにゃんと微笑まれるなんて、どういう状況だよこれ。

 良くわからない状況に固まっていると、私達の様子を静かに見守っていたクラヴィスさんが軽く咳払いした。



「トウカ、この者がディーアだ。今後君の専属護衛となる」


「あ、例の! なるほど!?」



 何がなるほどだと言われれば困るが、妙な空気に妙な言葉が突いて出たのは仕方ないだろう。

 確か昔受けた毒のせいで喋れないんだっけ。なるほどなるほど。さっきから全然喋らないのはそのためと。

 黙っている理由はわかったが、それはそれとしてどうして泣き出したんだろうか。

 一つ謎が解けても変わらず残る謎に首を傾げるけれど、私を置いてクラヴィスさんは続ける。



「彼女が私の花、トウカだ。意味はわかるな?」



 前にも宝だと言われて思ったが、そうやってやけに大それた呼び方は止めた方が良いと思うんですよねー。

 聞かされるこっちが恥ずかしいし、これが養父と養女の関係でなければ勘違いされてもおかしくない発言だもの。

 何だよ私の花って。相手が相手なら口説いてるのかって思われちゃうよ。素で言ってるのが恐ろしい。


 若干呆れる私を他所に、ディーアは跪いたままクラヴィスさんを見上げ、深刻な様子で頷く。

 先ほどまでの微笑みとは打って変わった様子に、脳裏に一つの疑惑が過ぎる。

 私の従者になるのが泣くほど嫌だったりするのでは? でも笑ってたしなぁ……よくわかんないね!



 しかし専属護衛になれば、一日中傍に居てもらうことになるわけで。

 調合が得意だと聞いて以来、ポーション方面でも力を貸してもらうつもりだったから、滅茶苦茶こき使うことになりかねないわけで。

 それなのに嫌々私の傍に居てもらうのは申し訳なさすぎるよねぇ……!?


 護衛や侍女に関わらず、この城の人達には休憩や休暇をちゃんと取るよう配慮しているつもりだが、職場における人間関係というのは儘ならない物。

 クラヴィスさん達的には決定事項らしいけど、無理強いするのは良くないです。

 今なら拒否したって良いんだよと口を挟もうとしたのだが、ディーアから差し出された小さな魔道具に言葉は押し戻された。



『ディーアと申します。

 既に聞いているかもしれませんが、自分はあまり声を出せません。

 話す際はこの魔道具か筆談でさせてもらうことになると思います。すみません』



 彼の片手に収まる画面に規則正しい文字が瞬き一つする間に現れる。

 仕組みはわからないが、多分これもクラヴィスさんの作った魔道具だろう。

 これなら問題なくコミュニケーションが取れるなぁと思いつつ、どう切り出そうかと迷っていたら、続いて現れた文字に息を呑んだ。



『今後、貴女の力となれるのなら、俺は何でもいたします。

 どんな事でも命じてください』


「は?」


『この命尽き果てるその時まで、俺の全て御身に捧げます』


「──っ、重すぎるって!? 初対面だよね!?」



 既に覚悟を決めておられるのですがどういうことですかねぇー!?

 少なくとも初対面の子供に誓うような事じゃないと思うのですけれどー!?



 先ほどまでぽろぽろと涙を流していたのは誰だったか。

 瞬きに押されて流れた涙をそのままに、嘘偽り無い本心だと訴え掛ける真剣な眼差しを向けられ、ひぇっと漏れかける。この人本気だよぉ……!?

 思わず首元で黙っていたアースさんに助けを求めようとするが、自由気ままな龍は私の視線など意に介さず、興味深そうにディーアを見つめている。助けてよぉ……!


 というかディーアってクラヴィスさんの部下だよね? 影の一人なんだよね? 主以外に忠誠誓うようなこと言ってるけど良いの?

 誰か助けてくれそうな人を探すついでに周りの反応を窺うと、いつもと変わらないクラヴィスさんの横でウィルが困ったように頬を掻いていた。



「あれは良いんすか?」


「構わん。元々そのつもりだ」



 あははー、既に了承済みだったわ。どうして許可したんですかね。

 いずれ居なくなる私にそれほどの決意を固める必要なんて無いのだが、私が異世界の人間だなんてディーアが知っているはずもない。

 幸いなのは誓いを立てる程なら嫌われては無いだろうってことか。嫌いな人に命を懸けるなんてしないよね? そうだと言ってくれ。



 予想外の忠誠を誓われて反応に困るが、かといって拒絶するのもいかがな物か。

 だってディーア、私の反応が良くないからか悲しそうな顔してるんだもの。背後に犬の幻覚が見える……!

 これはもう、大人しく受け取っておく以外なさそうだね……? 良いんだよね……?



「えぇと、こういう時になんて返せばいいのかわからないんだけど……トウカっていいます。こっちはパパの契約獣でアースさん。

 これからよろしくね、ディーア」


『こちらこそ、よろしくお願いいたします。トウカ様、アース様』


「……ふむ、よろしくのー」



 返し方がわからず無難に自己紹介をしておいたが、これで良かったのだろうか。

 呑気なアースさんの声とは裏腹に、もっと気の利いた言葉は無かったか不安に駆られる。

 しかし彼からすれば、受け入れられただけで十分だったようだ。

 ぱぁっと明るい笑みを見せるディーアに戸惑いながら、私もどうにか笑みを返しておいた。困った時は笑っておけばいいのさ。


 それにしても忠誠を誓われるなんて産まれて初めてだわー。しかも初対面だし。本当に良いのかなぁ……。

 思わぬ繋がりができたことに遠い目をしていたら、ウィルが私とディーアを眺め、しみじみと呟いた。



「これで俺はお役御免っすねぇ」


「……そっか、代理だったもんね」



 ウィルが私の傍に居たのは、ディーアが来るまでの代理としてだ。

 ディーアがこうして私に仕える以上、本来の仕事に戻るのだろう。

 わかってはいたけれど、二年も一緒に居たからちょっぴり寂しいなぁ。

 そう思ったのは私だけではなく、近くで控えていたフレンが愕然としていた。



「し、師匠! 居なくなっちゃうんですか!?」


「だからその師匠呼びはやめてくれって……まぁいいや。

 護衛じゃなくなるってだけでフレンの特訓もまだ見なきゃならねぇし、ちょくちょく顔は出すさ」


「じゃあこれからもずっと見てもらえるんですか? 見てもらえますよね……!?」


「主命だからなぁ……フレンが自分の身を守れるぐらいになるまでは見ねぇと」


「やったー! これからもずっと師匠と弟子ですよー!」


「それは勘弁してくれ」



 あまり乗り気ではなさそうな師匠に対し、とてもやる気に満ち溢れた弟子がはしゃぎまわる。

 それもそのはず。強くなりたいとフレンに何度頼み込まれても、ウィルはずっと断っていた。

 結局主であるクラヴィスさんが了承し、主命でウィルが付きっ切りで教えることになったが、二年経った今もウィルは変わらない。


 フレンのことが嫌いとかではないみたいなんだけどねぇ。

 訓練の際に本人が気付かないような小さな怪我をした時なんて、薬を用意してきっちり手当をしていたほどだ。

 それでいて普段はなるべく関わらないようにしてるんだから、不思議である。過保護なのか関わりたくないのか、どっちもなのか。



 まぁ、ウィルがどうであれフレンには頼りになる兄貴分として懐かれているから、逃れようがないだろうけど。

 フレンのタフさは折り紙付きである。滅多な事じゃめげない、しょげない、諦めないだもの。じゃなきゃクラヴィスさんを味方に付けられないって。


 きっと影の仕事に戻っても、カツラを外して髪の色が変わっていても、フレンならウィルを捕まえられるだろう。

 クラヴィスさんの前でもお構いなしに喜ぶフレンを、どうにか落ち着かせているウィルに侍女二人と顔を見合わせ笑い合う。

 そして二人が落ち着いた頃合いを見計らい、一旦のけじめをつけるためにウィルを呼べば、察したウィルがこちらに向いて僅かに姿勢を正した。



「二年間ありがとう。これからもよろしくね」


「また何かあれば言ってください。

 ディーアさんがいりゃあ、んなこと早々無さそうっすけど」



 私の言葉を受け取り、左胸に手を当て綺麗な所作でお辞儀をするウィル。

 普段は一切しない、本当の従者のような素振りに驚いたが、口調はいつもと一切変わらなくて、入りかけた力が抜ける。

 彼らしいといえば彼らしいのだが、何か締まりないなぁ。


 だけど仮初の主従だった私達はこれぐらい緩い方が良いのだろう。

 早速仕事を用意されているウィルに見送られ、私達は緩く手を振り合い、新たに仲間入りしたディーアを連れて執務室を後にした。またねー。

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