世界と渡る者
例え一〇メートル程度の距離であろうとも、幼女の足からすれば途方もない距離になる。
衝動的に駆け出したけれど、契約に巻き込まれないようにと距離を取られたせいでクラヴィスさんがとても遠いです。
全速力を出してるのに全然距離が縮まらないんですが。幼女の足が短いのか、シドの跳躍がおかしいのか。どっちもだね。
ふと後ろを見ればすぐに駆け寄れる距離に早足で付いてくるシドが居る。
大人しく運んでもらおうかとも思ったが、ここまで来たらもう意地だよ。私が風になるんだよ。
ぜぇはぁ息切れしながら走り続け、どうにかクラヴィスさんの姿がはっきり見える距離まで辿り着き、痛む肺に構わず声を張り上げた。
「クラヴィスさん……!」
「……トウカ」
頭を垂れる東洋龍に触れていたクラヴィスさんが振り返る。
わぁ、まるで芸術品と見紛う美しさに疲労が陰りとなって儚さを演出している……ってそうじゃなく。
こんな風に疲労を表に出すところは初めて見た。やっぱり魔力を大量に使って消耗してるのかな。
軽い現実逃避は止め、青白い顔色をして立つクラヴィスさんを改めて見る。
今にも倒れそうな様子は無いけれど、だからと言って傍に行かない理由にはならない。
幼女な私じゃ支える事なんてできないけどね。それでも傍に居たいんだ。
最後のひと踏ん張りだと自身を奮い立たせ、腕と脚を大きく力一杯動かす。
相変わらずトテトテとしか走れなかったけれど、それでも着々と近付く私に対してクラヴィスさんは両手を広げて迎える姿勢を見せた。
……ん? このまま飛び込めと? 良いの? 良いのかコレ? い、いっきまーす!?
駆け寄る勢いそのままに、えいやと胸を目掛けて飛び付けば、私の脇の下に腕が差し入れられ軽々と抱き上げられた。
そして一度抱き直して態勢を整えると同時、額に人差し指と中指が触れて流れるように翻訳魔法を掛けられる。
スマート過ぎて一瞬訳が分からなかったよ。掛け直したって事は東洋龍との通訳再開だね?
【トウカ、と言ったか。
ワシはこれからアースと名乗る故、改めてよろしくの】
「私も名前を呼んで良いの?」
「契約の要は名付けだ。誰が呼ぼうと差し障りは無い」
改めて挨拶をされたのは良いものの、主以外が名前を呼んでも良いのか迷って確認すれば、頭上から言葉短く答えが返された。
名前を呼ぶ事自体が縛る行為に繋がるかと思ったんだけど、契約がなければ関係ないみたいだね。
まぁ、呼んでも良いなら呼んじゃおう。龍さんって種族名で呼ぶより名前で呼ぶ方が仲良くなれそうだし。
「それじゃあ……よろしくね、アースさん!」
【うむ】
にっこり笑顔を浮かべて名前を呼べば、東洋龍改めアースさんは目尻を下げて微笑ましそうに頷いてくれた。
うーんやっぱりおじいちゃん的雰囲気があるなこの龍。無意識のうちにおじいちゃん扱いしちゃうわこれ。
【それにしても……ふぅむ……契約した心地というのは、少々気恥ずかしい物じゃのぅ】
「そうなのか?」
【うむ。ワシは渡る者。寄る辺を持たぬ者。
しかし契約によってお主の元が一時的に寄る辺となったか。
何とも懐かしい……そうじゃな、遠い昔を思い出したわい】
「……もしかしてパパ、アースさんの言葉わかってる?」
「契約の影響だな」
「わぁ助かるぅ」
一人確かめるように呟いているアースさんの言葉を翻訳しようとしたが、その前にクラヴィスさんが反応を示す。
もしやと思って聞けば予想通りだったよ。翻訳魔法を掛けられたから契約しても言葉がわからないままかと思っちゃった。
この中で唯一言葉がわからないままのシドには申し訳ないが、そろそろ幼女の喉は限界である。さっき全速力で走ったのもあるし。
ついケホケホと軽く咳き込んでしまうと、クラヴィスさんは傍に控えていたシドへ視線を向けた。
「飲み物は馬車だったか」
「すぐに取って参ります」
「ありがとー急がなくて良いですよぅ」
指示を受け、駆け足で馬車の方角へと走って行くシドの後ろ姿に声を掛けておく。
契約を結ぶ時の跳躍程じゃあないけど、それでも速過ぎる。もう林に入ってったよ。私の声はちゃんと届いたのかな?
シドって五〇メートル走何秒なんだろう。あれで軽く走ってるみたいだからなぁ……本気で走ったらどうなるのか気になる。
シドが戻って来るまでは黙ってても大丈夫かなと一人ほっと息を吐いたのだが、そうもいかないらしい。
林へと消えたシドへ視線を向けたまま、クラヴィスさんがアースさんへと問いかけた。
「……それでトウカについて何を知っている?」
【やはりあの者は知らなかったか……まぁ、そうやって守るならばそれが一番じゃな。
知っている事は話すが、その前にお主の話を聞かせておくれ】
どうやら二人共、私について知っている存在だけになるのを待っていたらしい。
息を合わせたかの如く二対の視線を向けられ、私はもう一度息を吐いた。
せめて飲み物休憩は欲しかったなぁ……喋れないわけじゃないから良いけどさ。
自分もよくわからないけれど、と前置きし、私は違う世界から来た事や気付けば幼い子供の姿になっていた事など、これまでの経緯をアースさんに話す。
といってもほとんどわからない事だらけで曖昧な話しかできなかったのだけれど、それでもアースさんは何も言わず聞き続けてくれた。
【ふぅむ……なるほどのぉ……しかしこれは……ふむ……】
私が覚えている全てを話し終え、これで以上だと告げればアースさんはふわふわと浮かんで腕を組み、難しそうな声で独り言ちる。
何やら悩んでいる様子に、上手く伝わらなかったのかと不安になってクラヴィスさんを見上げたが、特にそういったわけでもないのか小さく頷かれた。
私、なんにもわかってないからね。説明といっても起きた出来事を話すしかできないし、これ以上の説明はできないよ。
元の世界に帰る手がかりを掴めるだろうか、元の姿に戻る方法を知る事ができるだろうか。
最初から私がこの世界の人間では無いことを見抜いていたアースさんに対して、そう期待を抱くのは仕方のない事だろう。
クラヴィスさんの腕の中、そわそわとしつつアースさんの回答を待っていれば、考えがまとまったのかゆっくりと息を吐いてから静かに語り出した。
【ワシらは世界を渡る者じゃが、そなたはワシらの仲間では無い。
だというのに世界を渡り、この世界に流れ着いた。
状況的にワシの渡りに巻き込まれたと考えるのが妥当じゃが……何とも不思議じゃのう】
「何が不思議なの?」
【……世界はありとあらゆるものが巡り巡って生きておる。しかしその巡りはいずれ弱まり淀むもの。
巡りが淀んでしまえば自然の巡りも淀み、世界は終わりを迎えてしまう。
それを防ぐためにワシら渡る者は世界を渡るのじゃ】
「……ほん?」
語られたのは何とも壮大な話で、私が呆けてしまったのは悪くないと思う。
いきなり世界の事とか言われてもポカーンなんですが。もしかして渡る者という役目らしき物についての説明か。
理解を求めてちらりとクラヴィスさんを見上げたが、その顔は真剣そのもので、私は黙って視線を戻した。みんな真剣そうだしお口チャックです。
【渡る者は強大な力を持ってして世界を閉ざす壁に風穴を開け、外と中の巡りを強制的に作り出す。
そうして残った力で巡りの弱まる兆しのある世界へと渡り、力が戻れば同じことを繰り返す。
世界を渡る際は必ず結界を張るが、極稀にその世界のモノを巻き込んでしまう事はある。
ワシらが紛れ者と呼ぶそれは人であったり物であったり、魂であったりと時によって様々じゃ】
渡る者は世界が滅ばないように世界を渡っていて、それに私は巻き込まれた。
完全には理解できないものの簡単に言ってしまえばそういう事なのかなと聞いていたのだが、どうもそれだけでは無いらしい。
アースさんはただでさえ深い眉間の皺をさらに深く刻み、酷く悩んだ様子で話を続けた。
【しかしトウカの縁を見る限り、ワシが元いた世界とトウカの元いた世界は違う世界。
同じ穴から流れ出たのならまだしも、別の穴から流れ出て同じ世界に辿り着くなど……例え別の渡る者がトウカの世界で渡りを行ったとしても、今この世界にワシ以外の渡る者はおらぬ。
トウカ自身にこの世界と強い縁が無ければ叶わぬ奇跡じゃろう】
「縁……ねぇ」
【とはいえ別の世界に縁を持つ事など、渡る者に巻き込まれて世界を渡った過去でもない限り普通は結ばれぬ。
その上、トウカの世界は魔の理から分かたれた人の世界だったのじゃろう?
理すら全く異なる世界に縁を持つ者など、この世界の命運でも握って無ければ在り得ぬ。在り得ぬはず、なんじゃが……】
何やら言い淀んだアースさんは、唐突にずいっと顔を近付けて来た。
思わずクラヴィスさんの服を掴んで縋りついてしまったが、アースさんは特に気にする様子も無く、ただただじっと私を見る。
そうして大きな瞳の中に満天の星空のような幾つもの瞬きが流れて行くのを固まって見ていれば、アースさんは離れながら深く息を吐き、ポリポリと頬を掻いた。
【何度見てもトウカは普通の人間じゃし、か弱い子供の姿にまでなっておる。魔力の一欠けらも持っておらん。
そのような運命にあるようには到底見えんからのぉ……これはもうワシにもわけがわからんわい】
まさにお手上げと言った様子で両手を上に向け、肩らしき場所を竦めるアースさん。
そりゃあ元の世界じゃ一般市民だったからね。この世界の命運なんて握ってるわけが無い無い。
握ってるとしたらクラヴィスさんじゃないかな。この人色々規格外っぽいし。正直、戦争で大活躍したとか言われても納得できちゃうよ。
実際数年前に隣国との戦争があったらしいし、それならただの魔導士だって言ってた人が領主になるのもわかるよね。
「子供の姿になったのは渡りの影響ではないのか?」
【渡りは渡るだけで、姿形は変わらぬよ。
可能性があるとすれば世界の加護じゃが……うーむ……】
世界を渡った事もだけど、幼児化したのも重要な事だ。
思考が飛んでいた私に代わってクラヴィスさんが質問してくれて、それにアースさんはそうきっぱりと答えたが、何やらまた悩みだした。
また別の単語が出てきたけど、一体何なんだか。
「加護ってなぁに?」
【世界からすれば自分の世界の者は我が子のような存在。
それ故、渡りに巻き込まれた紛れ者には無事にいられるよう元の世界から加護が与えられる。
しかしそのほとんどは肉体を変えるような強大な加護では無くての……見たところトウカに与えられた加護は魂の部分にある。今の姿とは無関係じゃろう】
「では、何か別の力がトウカを子供にしたと」
【そう考えるのが妥当かのう……これ以上はワシにもわからん。すまんのぅ……】
そう言ってアースさんは長い髭を弄り、申し訳なさそうに私に頭を下げてきた。
いやぁ……私ってば何だか色々と変な事に巻き込まれてたみたいだね?