希望的観測
「さっきあの泥棒が転んだのは幻影ですか?」
「あぁ、突然目の前に巨大な穴ができれば誰もが足を止めるだろう。
そのまま躓いたから落としておいた」
「だからあんな風に暴れてたんですねぇ……」
商人達の見事な連携で泥棒が縛り上げられるのを横目に聞いてみれば、予想通り幻影を使ったようだ。
きっとあの泥棒の視界では底の見えない穴にでも落ち続けていたのだろう。
そりゃあわけもわからず暴れもするよ。さぞかし心臓に悪い体験だったろうなぁ……。
収穫祭に向けていつもより増している賑わいに乗じて犯行を行ったといったところか。
いつの間に幻影を解いたのか、穴なんてどこにも見当たらず呆然としている泥棒の近くには、いくつかのアクセサリーや小物が散らばっている。
商人達も犯人の顔を覚えているほどの常習犯なら、指名手配されていてもおかしくないだろう。
あれだけぐるぐる巻きにされていたら逃げられないだろうし、後は任せちゃっていいかなー。
私の足元にまで転がっていたアクセサリーを拾い上げ、近くにいた商人へと手渡す。
それを見た周りの人達が同じように散らばった盗品を拾い、商人の元へと集め出したのを見て、クラヴィスさんの手を引いてその場を去ろうとしたら、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「エディシアさん、クラウンさん」
「あら、ラルズさんじゃないですかーこんにちはー」
どうやら近くを巡回していた兵士達が騒ぎを聞きつけ駆け付けたらしい。
ラルズさんの後ろを見れば他の兵士も数人いて、商人から話を聞いているのが見える。
やっぱり魔物より人間の相手にする方が慣れてるんだろうなぁ。ラルズさんがこっちにいてもそれぞれテキパキ動いてるや。
「この度は犯人を捕まえてくださりありがとうございました。
一応確認ですが、お二人は怪我などされていませんよね?」
「無いですよー」
「それなら良かった」
何も言ってないのだが、ラルズさんは私達が捕まえたと確信しているみたいだ。
まぁ腕の立つ魔導士だって思われてるわけだし、現場に居合わせてたらそりゃそう思うよねぇ。
そうです、クラヴィスさんがやりました。事情聴取とかします? あ、しないんだ。話が早くて助かるわぁ。
「それにしても本当に助かりました。
あの犯人は逃げ足が速く、中々確保できずにいたもので……」
「そうなんですねぇ。お役に立てたようで良かったです」
何回も泥棒してたのに捕まってなかったっぽいもんなぁ。
白昼堂々と泥棒やるぐらいだから、よっぽど逃げ足に自信があったんだろう。クラヴィスさんの幻影で走るも何も無かったけど。
視界の端に映る犯人は兵士達に立たされていて、もう連行されるようだ。
お仕事頑張ってくださいねーと当たり障りのない言葉を送り、ラルズさんに背を向けたところで呼び止められた。
「あの」
「……どうかしましたか?」
何かあったのか。呼び止めた当の本人も困惑している様子にこちらも困惑してしまう。
本人も何を言うか困ってるぐらいだし、用事があるってわけでは無さそうだけど、どうしたんだか。
ちょっぴり居心地の悪い空気が流れ始めても続く沈黙にそわそわとしていたら、ようやく言葉を見つけたらしい。
浅く呼吸を整えたラルズさんが意を決した様子で口を開いた。
「その、ユリアナ様のお相手探しはどうなっていますか……?」
いつものはっきりとした口調とは違う、どこか頼りない声が微かに震えてこちらへ届く。
その問いかけは、時折他の人達からもされるものだ。
ユリアナさんの相手が誰になるか、この街に住む人であれば気になるのも当然だろう。
だが、ただ面白半分に聞くのであれば、こちらが答える義理も無い。
だからいつもはそういった質問をされても適当に流していたけれど、今回は違う。
ラルズさんのその問いは単なる好奇心からのものではないのが明らかで、私は隠す事はせず首を振った。
「まだ調査中ですね。ある程度絞れてきてはいますけど、決め手に欠けると言いますか」
「そうですか……」
私の返答にラルズさんは何かを飲み込むように沈黙してしまう。
もし好奇心からであればもっと聞いてくるだろう。
もし権力への欲求からであればもっと熱がこもるだろう。
粘りもせず、熱も無く、あるのは――諦め、だろうか。
となると、ここはこっちから一手切り出してみるのもありかなぁ。
ラルズさんの意識がこちらに向いていないのを良い事に、クラヴィスさんへ待ってもらうよう合図を出し、私は意識して少し首を傾げた。
「そういえばちょっと小耳に挟んだんですけど、ラルズさんってユリアナさんの妹さんと婚約してるんですか?」
ディーアが最初に資料を作ってきた時、ラルズさんのことももちろん調べていた。
戦争下で上の人間が出兵しているとはいえ、留守を預かる兵士のまとめ役にまだ若い彼が選ばれているんだ。
客観的に見ても彼がいずれ出世するのはわかること。一番上、とはいわずとも、それなりの地位に就くだろう。
だから知り合いだとかそういったのを抜きにしても、ユリアナさんのお相手に良さそうだと思ったのだが、唯一の問題点が妹さんとの婚約話だった。
ユリアナさんはラルズさんの事を妹の婚約者だと言っていた。
だからラルズさんの資料を見てすぐに「ラルズは駄目なの」と、自分の相手の候補から外していた。
けれど、ディーアの報告ではまだ婚約者候補でしかなかったから。
「……ただ候補に挙がっただけですよ」
やはりディーアが調べた通りまだ婚約者候補止まりで、それを本人も納得しているといったところか。
困ったようにそう緩く首を振るラルズさんの表情は、悔しさなどの感情は窺えない。
それどころか、彼の意識はこちらから遠ざかっているらしい。
少し目を伏せたラルズさんは、ここではないどこかへ意識を向けながら呟く。
「自分は昔からこのザイラを守る武官の家の出ですが、それだけです。
伯爵家に強く望まれない限り、私のような人間が選ばれることなどありません。
だから、自分は……」
自分は、何なのか。
零れかけた言葉を誤魔化すように、自身の手を握りしめ、何でもないと微笑むラルズさん。
その姿に私が何か言葉を掛ける前に、兵士達が彼を呼び戻した。
「では自分はこれで。
改めて、ご協力感謝いたします。失礼いたします」
そこに居るのはもうラルズという一人の男性ではなく、ラルズという一人の兵士なのだろう。
機敏な動きで敬礼をしたラルズさんは、自身を呼んだ兵士達の元へと駆け出して行った。
「……気になるか」
「まぁ……知人の将来が掛かってますからね、気にもなりますよ」
私が何を考えているかなんてお見通しなんだろう。
どこか優しい眼差しでこちらの様子を窺うクラヴィスさんに、曖昧に笑って頷く。
他の兵士達から頼りにされていて、個人の感情よりも役目を優先する自制心もある。
伯爵家も候補に挙げる程だから、上からの信頼も厚いのだろう。
ただ、妹さんは姉妹の中でも一番魔力が多いそうだから、伯爵家としては相手を吟味したいはずだ。
ザイラの人間であるラルズさんが候補に挙がる辺り、他家に嫁がせるのではなく手元に置きつつ良縁を、といったところか。
いくら信頼されていても、いくら手元に置けるとしても、ラルズさんはほぼ平民と変わらない出自だ。
だからこそ候補として挙げてはいるが、本命としては年頃の令息がいる良家との婚姻。
ラルズさんもそれをわかっていて、婚約者候補として動けずにいる。
――ユリアナさんはそれをわかっているのだろうか。
「どっちもどっち、ですかねぇ」
婚約者候補である限り、ユリアナさんはラルズさんを選ぼうとはしないだろう。
ラルズさんは立場上、自分から候補を辞することができないだろう。
個人的にはあの時誰に言われるまでもなくユリアナさんのところへ駆け付けてくれたラルズさんを推したいんだけど、なんだかなぁ。
伯爵家が婚約者を定めるか、それともあの二人のどちらかが一歩踏み出すか。
こちらで後押しでもできれば何か進むかもしれないが、あくまでもこれは私の希望的観測だ。
二人の想いがどこにあるのか、もう少し様子見しようと自分に言い聞かせ、私はクラヴィスさんと市場を歩き出した。




