せめてもの
少し重い空気になりつつも、カミラさん達へ妊娠にあたって気を付ける事を話し終えた頃、アースさんが戻って来た。
どうやらラルズさんが偶然出くわし、追いかけてくれたらしい。
何を話したのかまでは聞こえなかったそうだけど、遠目から見て多少落ち着いていたと聞き、ホッとした。
決してこれで解決とはいかないだろう。
ユリアナさんにとってはまた一から仕切り直しになっただけなのだから。
それでも、駆け出した彼女の傍に駆け寄る人が一人でも居るのなら、少しは安心できる。安心、したい。
それから数日、ユリアナさんは宿に姿を現さなかった。
それも仕方のない事だろう。
私に拒絶され、私に諭され、私に突き付けられた。
会いたくないと思って当然だ。会いに来る理由も無くなった。
──けれど彼女は、ある昼下がり再びやって来た。
「なんだか久しぶりね」
「……お元気そうで何よりです」
いつものはきはきとした明るさは無く、いたたまれない様子で笑みを作るユリアナさんに、私も似たような表情で礼を返す。
どう接すれば良いのか測りかねているのはお互い様なんだろう。
何をどう切り出すか、悩んでいるらしいユリアナさんに、私もとりあえずで口を開いた。
「クラウンでしたら今は居ませんよ。
近くの水汲み場の調子が悪いとかで、少し前に様子を見に行ってくれています」
傍からすればクラヴィスさんは常に顔を隠している怪しい旅人だが、ユリアナさんの一件で野次を飛ばしたりしていたから、街の人達も多少話しかけやすくなっていたのだろう。
ついさっき、水が出ないから一度見てくれないかと数人が頼みに来て、ゲルダさんの頼みもあって二人は出かけて行ったばかりだ。
「あら水汲み場が? それは、手間をかけさせたわね……」
本当なら公共施設である水汲み場の管理は領主が行う物。
そのため領主に申し出て対応してもらうような案件なのだが、誰かが直せてしまえば問題にすら無い。
街にもよるけど、領主に訴えに行くのって結構大変だからなぁ。
誰が領主に話に行くか決めたり、話に行くにも領主側に伺いを立てて予定を調整したりと、手間もかかるし時間もかかる。
それなら解決できそうな人にまず頼ってみようってなっちゃうよね。気持ちはわかる。
「場合によってはそちらに話が行くと思いますよ」
「わかったわ。その時は私がお父様に直接伝えましょう」
「ありがとうございます」
クラヴィスさんでも対応できない状態なんて早々無いと思うけれど、もしもの時はユリアナさんが伝えてくれるというのは心強い。
色々必要な段階をすっ飛ばして直接領主に伝えてくれるなら、通常より早く対応してもらえるはずだ。
特に水汲み場なんて生活で必要不可欠な施設だからなぁ。
他の所は使えるみたいだから生活出来なくなるほどの問題ではないとしても、少しでも早く直ってくれた方が街の人達としても嬉しいだろう。
「そう遅くはならないと思いますが、ここで待たれますか?」
仕事の早いクラヴィスさんの事だ、きっとすぐに帰って来るに違いない。
現場に連れて行くまでも無いだろうと手近な席を勧めようとしたところで、小さく呼び止められた。
「……あの、ね」
「……はい、何でしょう」
「もう、良いの」
意を決した様子でそう告げるユリアナさん。
何が、なんて問わなくともわかる。言いたい事も、伝えたい事も。
「もう良いのよ」
「……そうですか」
次を見つけた様子では無いものの、それでも次に目を向けてくれたのだろう。
どこか晴れやかに微笑むユリアナさんに、私はただその決断を受け止める。
私には何も言えない。そうなるよう仕向けたのは私なのだから、何も言う資格はない。
「それよりエディシア、貴女さえ良ければ色々教えてくださらない?
私は知らない事ばかりだから、色んな事を知りたいの」
「……私に教えられる範囲で良ければ」
「それでも良いの。お願い」
だから、彼女にできる事があれば引き受けよう。
春までのほんの僅かな間だけど、彼女が幸せな未来を見つけ出せるように、少しだけでも手伝えたら。
そんな自分勝手な罪滅ぼしなんて知りもせず、ユリアナさんは嬉しそうにしていた。
そうして私はユリアナさんの相談相手になったわけだが、彼女の中で私は経験豊富な知識人といった認識らしい。
確かに彼女が抱えている物を理解できる存在だし、貴族令嬢にしては多種多様な知識を持ってる自覚もあるけどねぇ。
そこまで経験豊富では無いと思います。むしろ貴族令嬢としてはユリアナさんと一緒で経験が少ない方だよ。
それでもルーエに叩き込まれた礼儀作法は彼女にとって有益な物になってくれたらしい。
まず初めに礼儀作法を教えてくれと言われ、一から教える事となった。
ルーエありがとう。ユリアナさんには優しめに教えるね。ちょっとルーエのやり方はスパルタだったから、そのままやるのは流石に、ね。
聞けば昔から伯爵家で雇われている家庭教師は居るけれど、あまり熱心に教えられていないらしい。
最近は妹の方に掛かり切りだとかで、ユリアナさんは最低限の礼儀作法を叩きこまれた後はほとんど自習だったとか。なんだそれ。
姉妹が多くいるから仕方ないのかもしれないが、もうちょっとどうにかならないものなのか。
人選とか費用とか考えたら手間っちゃ手間だけどもねぇ……一人で何人受け持たされてるんだろうか。それはそれで大変そうだ。
家庭教師を増やす事もできないとなると、ザイラ伯爵家の財政事情はそこまで良くないのかもしれない。
ザイラなんて大きな街を治めてる家だから、結構裕福だろうなぁとか思ってたんだけどなぁ。
ユリアナさんの結婚相手に随分年上を挙げるぐらいだし、それなりに苦心しているのだろう。
でも、未来じゃ結構良くなってたと思うんだよね。
私は開発メインであまり関わっていなかったが、確か商売の関係でそれなりにノゲイラと親交もあったはず。
王都に繋がる要地ってのもあるだろうけど、割と早い段階で道路の整備にも取り掛かってくれてたし。
道の整備には相当な額の資金が必要になるが、それが実現できる程度の財源は確保できるわけだ。
この数年で軌道に乗った、と言ったところなのだろうか。
そう考えたらユリアナさんの未来もちょっとは明るい……か……? うーん、楽観視はできないよなぁ……。
そんな事を考えつつ、食堂に人が居ないのを良い事にユリアナさんへ礼儀作法を教えていると、クラヴィスさんとディーアが戻って来た。
どうやら無事に水汲み場は直ったらしい。
街の人からのお礼だと、籠に果物やら野菜やらを詰めて持って帰って来た二人に、ユリアナさんは教えたばかりの礼儀作法を用いて謝罪した。
「……今まで迷惑をかけて、ごめんなさいね」
きっとけじめのつもりだろう。
ほんの一言だけだったけれど、貴族である彼女がするには十分すぎる謝罪で。
「貴女が良き相手を見つけられる事を願っております」
「……そう言ってくれたら嬉しいわ」
淡々と、何事も無かったかのように、当たり障りの無い言葉を告げるクラヴィスさん。
いつもの彼女を躱す時と変わらないその態度に、ユリアナさんは晴れやかに微笑んだ。




