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我儘だとわかっていても

 何が幸せか、なんて人それぞれ違う物。

 権力を持つ事を幸せだと思う人も居れば、権力を捨てる事を幸せだと思う人も居る。

 誰かと一緒に生きていく事を幸せだと思う人も居れば、独り静かに生きていく事を幸せだと思う人も居る。


 何が幸せだ、なんて一概には言えないだろう。

 全く同じ幸せなんて一つもないだろう。


 それでも、可能性から目を逸らし、あり得ないだなんて否定しないで欲しい。

 自分の事を後回しにして、まだ宿してもいない子供の事ばかり考えないで欲しい。

 これはそんな私の我儘だ。だから、反感を抱くのも当然の事だった。



「っ、そんなの、貴女が恵まれていただけじゃない!」


「……そうですね。私は恵まれていました」



 両手を握りしめ、肩を震わせるユリアナさん。

 溢れそうになりながらもどこか抑えられた怒りを、私は静かに受け止める。



 ある日突然何も持たない子供になって、何もかも違う世界に流れ着いた。

 そんな私がこうして生きて来られたのは、あの時クラヴィスさんに出会えたからだ。

 もしそれが違う誰かだったなら、私はきっと、あの冷たいノゲイラの地で死んでいただろう。


 あの日あの時、クラヴィスさんが見つけてくれて、拾ってくれて、手を取ってくれた。

 きっとそれが私の最大の幸運なんだろう。

 その幸運が在ったから、私はこの世界で幸せだと笑えている。

 その幸運が無かったら、私はこの世界を恨んでいたに違いない。



 何もかも出会いに恵まれていたから言える事。それは事実で否定もしない。

 それでも、私は貴女に同じ事しか言えないだろう。

 傍に居て、手を繋いで、愛してもらった私にはその守り方しか知らないから。



「ユリアナ様からすればこの在り方は異質でしょう。貴族に相応しくないと思うでしょう。

 それでも、こんな幸せの在り方が存在する事だけは覚えていてください。

 どれだけ腹立たしく感じても、知らないでいるより知っていた方が選択肢が増えるはずですから」



 お節介だと、過干渉だと非難されても構わない。

 盲目的に一つの在り方を正しいと思わないで。

 魔導士に拘るあまり、掴めたかもしれない未来を踏みにじらないで。

 王妃になるのが正しいと教えられ、信じて疑わなかった彼女のように、ただ一つの道だけを正解だと思い込まないで。

 彼女の家族でも無ければ友人にもならない私には、そんな自分勝手な願いを押し付ける事しか許されない。



「知らないわよそんなの!」



 私に幸せの価値観を押し付けられても、彼女にとっては迷惑でしかなかったろう。

 理解できないと拒絶の言葉を残し、ユリアナさんは食堂を飛び出していく。

 その背を追う事もせず、私はカミラさん達へと頭を下げた。



「こんなおめでたい時に騒がしくしてすみません」


「い、いえ……」



 恐らくこれでクラヴィスさんの事は諦めてくれるだろう。

 でも、ちょっと……良くなかったよなぁ……。


 傍からすればただの幸せ自慢みたいな物だったし、彼女に伝えたい事が伝わったのかも定かじゃない。

 もっと言葉を尽くせば良かったのだろうか。それとも何も告げずに放っておく方が良かったのだろうか。

 もし彼女が目を付けた相手がクラヴィスさんでなければ、こんな衝動的に動いたりしなかったのだろうか。

 なんて考えたところで、カミラさんが心配そうに扉の外を見て呟いた。



「ユリアナ様は、大丈夫でしょうか……」


「……わかりません。でも、追いかけられたくないでしょうから」



 貴族の在り方を知らないカミラさん達も。

 貴族の在り方を知っていても、貴族の娘が悩む事と縁遠いクラヴィスさん達も。

 どちらもわかるけれど確かな幸福を得ている私も、追いかけたところで彼女を苦しめるだけだ。


 誰も追いかけられない。追いかけられる人はいない。

 それでも、心配する事ぐらいは許して欲しい。



「龍さん、少しの間で良いから見て来てくれない?」


「……お人好しじゃのぉ」



 肩に戻ったアースさんへ小声で頼めば、呆れた声色でそう告げられ、再びどこかへ飛んで行く。

 本当にお人好しなら、あんな風に彼女の逆鱗に触れる言葉は告げなかったろう。

 私はただの我儘な人間だ。欲張りな人間だ。

 そんな人間だから、誰かが傍に居てあげて欲しいなんて、自分勝手な願いを抱いてしまうんだ。





 ──愛なんて、貴族には縁遠い物だと教えられた。

 最初は母が妹を生んだ時、父はただ「女か」と告げ、見舞いにも行かなかった。

 母はそれが当たり前だと言っていて、諦念の眼差しで生まれた妹を見つめていた。


 それぞれの役目を担い、責務を果たし、互いの利益を求める。

 愛なんて求めたところで返って来ない。期待するだけ無意味な物。

 私がザイラ家で学んだのはそういった物で、周りもそれが正しいと教えていた。


 他の家も変わらない。どこも同じだ。どこも変わらない。

 そのはずなのに、彼女は違うという。



 彼女は沢山の物を持っている。

 貴族としての教養も旅人としての知識も豊富で、自由に生きる事が出来る人。

 きっと沢山の物を与えられたのでしょう。きっと彼女が言うように愛されて育ったのでしょう。


 私もそんな恵まれた環境にあったなら、こんな事しなくて良かったのだろうか。

 なんて思ってしまうのは、私だけが取り残されているからだろうか。



 特出して魔力が多いわけでは無いけれど、貴族としての基準を満たしている姉達は次々と嫁ぎ先が決まっていく。

 まだ幼い弟であり長男であるあの子は、次期当主としての未来が決まっている。

 自分より魔力が多い三つ下妹なんて、もう嫁ぎ先の候補を選ぶ段階にあるらしい。


 姉達も弟も妹も、皆それぞれ価値がある。

 けれど妾が産んだ五番目の娘で、魔力が少ない私には、貴族として高値が付く価値は無いに等しい。

 唯一「人を見る目はある」と父から評価ををもらったが、そんなのが何になるというのか。



 兵士達を西の戦場へ送ると決まった時、父は珍しく私の意見を聞いて来た。

 残って指揮権を握らせる兵士は誰が良いか。そう聞かれ、私はラルズを推薦した。

 昔から顔馴染みの彼は、真面目で面倒見の良さもあるし必要とあらば愛想も振舞える。

 武官の家の出とはいえ平民と変わらぬ暮らしをしていたようだし、街の人々と高官の間を取り持つのにこれ以上の適任は居なかったろう。


 でもその程度、私が言わずとも他の誰でもわかる事。

 相手が実父だったから耳を傾けてくれたけれど、魔力も少なく教養もさしてない私の意見など、誰が耳を傾けるというのか。



 結局、私には若さという期限ある価値しかなくて、そんな価値を求める誰かへの貢ぎ物にしかなれない。

 見知らぬ誰かに貢がれる前に、私は自分の価値を作りたかった。



「──ユリアナ様!」


「……ラルズ……」



 目的地も無く走った先、誰かに腕を掴まれ呼び止められる。

 振り返れば焦った様子のラルズが居て、短く息を吐いた。



「……使用人の方が困っておられましたよ。とてもじゃないが追い付けないと」


「……そう、悪い事をしたわね」



 使用人、と言われてようやく老いた使用人が一緒に居た事を思い出す。

 年もあるだろうが、確か足が悪いんだったか。

 我儘なお嬢様に振り回された挙句置いて行かれるなんて、なんと不憫な使用人だろうか。



「……クラウン殿の事ですか」


「……えぇ、エディシアからもう止めろと言われたわ。次を探せって」



 まるで自分が被害者だと言わんばかりの態度に、ラルズが少し顔を顰める。

 そうだとも、クラウンには最初から断られていたのだ。

 それでもお構いなしにしつこく付きまとっていたというのに、感謝ではなく恨み言を言う女に苦言の一つや二つ言いたくもなるだろう。

 しかしお嬢様相手に苦言など言えるわけもなく、黙る彼に対して私はただ吐き捨てた。



「良いわよね、もう決まった相手が居る方は。私みたいにみじめな思いをしなくて良いんだもの」



 別に、明言されたわけではない。

 けれど彼女が幸せを語る時の眼差しは、彼に向ける眼差しと同じ物だったから、きっとそうなのだろう。



「探せ、なんて簡単に言うわ。もうずっと探しているのに……」



 彼女に言われるまでも無く、ずっと探し続けていた。

 自分に来る縁談がどんな物かわかった時から、ずっと、ずっと。


 寝物語で語られる白馬の王子様に憧れた事もあった。

 いつか私だけの王子様が現れてくれるかもしれないと。

 でも、現実はそう甘くない。



 私と同じ、魔力が少ない友人は、遠くの街へと嫁いで行った。

 遠縁の家で本家の血筋が薄れてきたからと、十七の誕生日に嫁ぎ先へと送られた。

 密かに想い合っていたという使用人は、彼女が嫁ぐ前に姿を消していた。


 私もいずれこの街を離れて、どこか遠いところへ行く事になるのだろう。

 見ず知らずの誰かにこの身を暴かれる事になるのだろう。


 そうなる前に、彼女の言う通り、魔導士に拘らず相手を見つければ良いのだろうか。

 そうできたなら、私は彼女のように誰かと愛とやらを抱けるのだろうか。


 そんな未来、想像した事もなくて、想像できもしなくて。

 ため息を吐く私に、ラルズは掴んでいた手を離した。



「自分には、貴族の事はよくわかりません」



 離された手がだらんと落ちる。

 その手に、ラルズは改めて手を差し出した。



「ですが、案外近くに居るかもしれませんよ」



 妹との縁談が来ていただろうに、良く言うものだ。



「……そうだと良いわね」



 それでも、昔から変わらず差し出される手を取ってしまうのは、彼の手があまりにも温かいからだろう。

 目当ての男に振られて傷心しているのだと言い訳して、私は彼の手に自分の手を重ねた。

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