違う私達の同じもの
宿の裏口の外、近くの茂みでうずくまっていたカミラさんをゲルダさんと一緒に支え、ゆっくりと食堂に戻る。
空気の入れ替えは効果があったようで、今のところ落ち着いているらしい。
カミラさんの様子を見つつ軽く中を確認したが、コリンさんはまだ来ていなかった。
呼びに行ってもらって数分もしてないんだからそりゃそうだ。
「本当に、ご迷惑をおかけしてすみません……なんで、こんなに……」
「気にしなくて良いの! ほら、水飲みな?」
「うん……ありがと、義姉さん……」
夫婦にとって大事な事だろうし、できれば二人が揃ってから話した方が良いかなと思っていたけれど、原因が分かった方が良いだろうか。
実の弟より可愛がってくれてそうな義姉もいるしなぁ。
親身になってくれる親族が一緒なら、カミラさんの精神的な負担も軽くなるかな。
「落ち着いて聞いてくださいね。恐らくですが……妊娠していると思います」
「にっ妊娠!? カミラちゃんが!?」
目を大きく見開いたゲルダさんへ、しっかりと頷き返す。
カミラさんは呆然と自分の腹部へと手を当てていた。
「ちょっと言いにくいかもですけど……月のものは来てます?」
「い、いえ……そういえば、まだ来てない……?」
「なら、可能性は高いと思います。
もうしばらく様子を見てみないと断言できませんが」
「……コリンと、私の子供が……ここに……?」
単なる生理不順もあり得るけれど、この症状に生理も遅れているとなるとほぼ確実だろうか。
アースさんも診てくれたし、ほぼ間違いないとは思うんだけどねぇ……でも、医者でもなんでもない素人が診ただけの話だからなぁ。
期待させておいてってなったら申し訳ないから、予防線だけ引かせて欲しい。検査キットとか無いから何とも言えないんだよ。
ここが未来ならノゲイラから取り寄せたりできたのだが、そんな物はまだ存在しない。
再現、はちょっと難しいかな。あれは魔法も使ったけど科学方面の技術中心だったし。
幸いな事に、カミラさん自身は子供を望んでいてくれていたようだ。
そっと自分のお腹を撫で、自分の身に起きた始まりを理解した彼女の頬は自然と緩んでいく。
けれど、ハッと気付いたように顔を上げ、ユリアナさんの方を見たかと思うと慌てて頭を下げていた。
「お見苦しい所をお見せしてしまい、申し訳ございません……!」
貴族相手に不敬を、と思ったんだろう。
今の彼女は一人だけの体ではなくなったのもあって、余計にそういった方向へ頭が回ってしまうのかもしれない。
でも相手はユリアナさんだからなぁ。
カミラさんの行為が不敬になるんだったら、私達なんてとっくにしょっ引かれているだろう。何度適当にあしらった事やら。
現に、カミラさんを気遣ってくれているのか、匂いが届かない離れた所にいるユリアナさんは、カミラさんの謝罪に対してきょとんとした後、朗らかに笑って告げた。
「いいえ、構いませんわ。今は自分の事を考えなさいな。
母親の精神が安定していないと、子の魔力も安定しないと言いますもの」
妊婦を刺激しないようにと、普段より声色に気を遣ってくれているらしい。
優しい声色で善意の助言する彼女には悪いが、妊婦の重荷になるような間違いは訂正しないとだ。
「それ、あまり関係無いそうですよ」
「そうなの?」
「妊娠した女性の精神は不安定になるのが常ですからねー。
多少不安定になるぐらいなら問題ないそうです。知り合いの医者が言ってました」
ノゲイラで病院を設立するに当たり、産婦人科ももちろん設けていた。
とはいえ、私から見てこの世界の医学は随分と遅れている。
そのため病院の設立だけでなく各分野の研究にも力を入れていて、その際に聞いた話だ。
魔力が存在するこの世界では、生まれ持つ魔力の多さも人それぞれ。
魔力が多ければ多いほど才能があると言われていて、貴族では魔力の多さも重要視されるらしい。
だからこそ、何が魔力の量に繋がるか、昔から多くの人が研究して来たという。
その中でユリアナさんの言った話は昔からある研究の一つだ。
元々、魔力は精神状態に大きく影響を受けるとかで、精神の安定が魔力の安定に繋がるんだそうだ。
そのため母親の精神が安定していないと、胎内の子の魔力に影響を及ぼすと考えられていた。
だが、女性ホルモンの関係で妊婦が情緒不安定になるのなんて仕方のない事だ。
確かに精神が不安定になると魔力が乱れはするが、生まれて来る子供の魔力にはそれほど影響無さそうっていうのが最新の研究結果だったはずだし。
もちろん、ストレスが多いと酸欠とか栄養不足といった肉体的な影響があるから、気を付けるに越したことはないけどね。
気にし過ぎるとそれこそストレスになっちゃうから、子供の魔力がどうとかはあんまり気にしない方が良いと思います。
強いて言うのなら、母体の魔力が暴走でもしたら関係ありそうだが、その心配は無いだろう。
そもそもの話、普通の人は暴走するほどの魔力を持っていない。
クラヴィスさんのように桁違いに魔力が多かったり、呪いなどで無理矢理引き起こされない限り魔力の暴走は起こらないのだから。
とはいえ、妊娠初期の超デリケートな時期なわけだから、気を付けておきたい事は山ほどある。
コリンさんが来るまで諸注意でも話しておこうかと思ったが、丁度良いタイミングで駆け付けてくれたらしい。
勢いよく開いた扉から転がるようにコリンさんが現れ、ユリアナさんを見て一瞬固まっていたけれど、カミラさんの今にも泣き出しそうな顔に慌てて駆け出した。
「エディシアさん! カミラは、カミラは助かるんですか!!」
「ディーア、何て言って連れて来たの」
『申し訳ありません、奥様の一大事だとお伝えしました』
「そりゃそうなるかぁ」
後ろから付いて来たディーアに聞けば、軽く頭を下げながら文字盤を見せられる。
ディーアもまだ未確定だからと言葉を濁して連れ出して来てくれたはず。
それならそういった表現になるよねー。一大事に間違いも無いわけだし。
しかし相手は命の危険を顧みず、魔物が蔓延る森へ薬草を取りに行くような人だ。
放っておいたら暴走しそうだな。うん、すぐに言おう、今すぐ言おう。また薬草を取りに、とか無茶されても困る。
「大丈夫です。といっても大事なのは間違いないんですけど」
「な、何が、カミラに一体何があったって言うんです!」
「掴みかからないでくださぁい! 揺らすなぁー!?」
「コリン、少し落ち着きなさい」
「これが落ち着いてられますかぁ!?」
一応命の恩人相手なのだが、相当混乱しているらしい。
コリンさんは私の肩を掴み、ぐわんぐわんと頭を揺らしてくる。止めてください酔う。
クラヴィスさんに制止されても止めないコリンさんに、どうしたものかと回って来た視界で考えていたら、小さな笑い声が響いた。
誰ですか笑ってるのは。こちとら笑ってる場合じゃないんですけどー?
「ご、ごめんなさい、つい……」
笑い声に気を引かれてコリンさんが手が止まったところで、クラヴィスさんがべりっと私の肩からコリンさんの手を引き剥がす。
助かったと安心しつつ、笑い声の主を探して周りを見れば、カミラさんが小さく肩を震わせていた。怒るに怒れないじゃん。
「なんでしょうね、コリンがこんなに慌ててたら、私が落ち着いちゃいました」
先ほどまで泣きそうだった表情は一転、にこにこと笑みが浮かんでいる。
あの様子だと、続きは私が告げる事じゃなさそうだな。
こちらも微笑んで頷き返せば、コリンさんは困惑した様子で私とカミラさんを何度も見比べた。
「え、何、ホントに何? 大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫。あのね……妊娠、したかもしれないんだって」
「……にん、しん……? にんしん、妊娠……!?」
きっとコリンさんの頭の中は沢山のエラーが出てるんだろうなぁ。
顔色が青くなったり赤くなったり白くなったりまた赤くなったり。
数秒ほど一人百面相していたかと思えば、バッと立ち上がり両手の拳を空へと突き上げた。
「や、ったぁああああああああ!!!!」
大層嬉しそうで何よりだけど、この距離で叫ぶのは止めて欲しかったなぁ。
静寂からの叫びだったから余計に効いたのか、キーンと耳鳴りがするものの、顔には出さずその場を離れる。
全身で喜びを表すかのように、カミラさんの周りを飛び回りはしゃぐコリンさん。
そんな弟の喜びように少し冷静になったのか、ちょっぴり呆れた顔で、それでも嬉しそうにしているゲルダさん。
そしてそれを微笑ましそうに、幸せそうに平らな腹部を撫で、見守るカミラさん。
今は、彼等の時間だ。落ち着くまで待っていた方が良い。
静かに、音を立てて注意を逸らしてしまわないようにクラヴィスさん達の方へと近寄れば、きっと私の耳を心配してくれているのだろう。
私と同じように見守る姿勢に入っていたクラヴィスさんとディーアから労わるような視線を向けられる。
だが、私はそちらではなく、食い入るようにカミラさん達を見つめるユリアナさんが目に入った。
「……そう、よね……」
「……気に障りましたか?」
いくら寛大な心を持っているとしても少々騒がしかったか。
二人で手を取り合い、喜びを分かち合うコリンさんとカミラさんを見て、苦しそうに何か呟いたユリアナさんに問いかける。
──問いかけた。けれど、あの瞬間、垣間見た表情で全てわかっていたのだと思う。
私と彼女には、何もかも違うけれど、同じ物が一つだけあるのだから。
「……心配しなくても彼等を咎めたりしないわよ。ただ……」
「……ただ?」
「……羨ましいと、思っただけ」
きつく自分の腕を抱き、零した言葉。
その言葉の真意を暴かれないように、彼女はツン、とすまし顔を取り繕う。
「それより! クラウン、今日こそ良いお返事がもらえるかしら」
「……その件でしたら、何度来られようとお断りさせていただきますが」
「もう! つれないんだから!」
いつものように軽くボディタッチしようとしたらしい。
腕へと伸ばされた手に、クラヴィスさんは身を引いて自然な動作で避ける。
同時に告げられた拒絶の言葉に、彼女はいつものように笑みを張り付けた。
「でも、私とどこかへ行きませんこと?
彼女達もその方が落ち着けるでしょうし、我ながら良い考えだと思うのだけど」
「申し訳ありませんがお断りいたします」
「また主の傍を離れられないって? ちょっとぐらい良いじゃない。
ね、エディシアも、少し従者を借りるぐらい良いでしょう?」
きっと彼女も訓練したのだろう。
自身が美しく見られるよう作られた笑みは、先ほどの憂いなど一欠片も見つからない。
願いがどうであれ、思いがどうであれ、行いがどうであれ、彼女は貴族なのだから。
守られ庇われ──いずれ帰ると定めていた私とは違い、彼女はこの世界しか知らない人だ。
ならばその在り方も、この世界の貴族が定めた物しか知らない。
彼女が直面している問題の結婚、そして先ほど目の当たりした妊娠。
どちらも貴族に籍を置く女が頭を悩ませるもので、きっと彼女も悩んでいるもの。
「それはできません。彼は、私にとって必要な存在ですから」
私は、そんな悩みを一欠片も抱かなかった。
教えを授けられても、誰も私にその責務を求めなかったから。
そんな私が彼女にできる事なんて、これしかない。
「ユリアナ様、次を見ては頂けませんか。彼は誰にも渡せないのです」
クラヴィスさんとユリアナさん、二人の間に立つ。
そして同じ女として、貴族の娘として彼女と向かい合った。




