油断は良くない
無事に蜂の巣を駆除し終えた後、丁度良い時間なのもあり、開けた場所で昼休憩を取る事になった。
兵士達は野営も慣れていないようで四苦八苦していたが、ここはレイジさんが面倒を見てくれるらしい。
人数が多いし、私達も手伝った方が良いのかなーと思ったりしたんだけどね。
「ずっと働いてたんだから休め」だってさ。レイジさんだってずっとガイドしてくれてるのになぁ。
とはいえ、クラヴィスさんの体調も心配なのでお言葉に甘える事にして。
慌ただしく駆けまわっている兵士達から少し離れた場所で、三人、ゲルダさんが作ってくれた軽食を食べていたわけだけれど、なんと私達、ほとんど無言です。
ディーアは仕方ないとして、クラヴィスさんも寡黙な人だから、元々私が喋ってるのを二人が聞いてくれてるっていうのが定番なんだけどさ。
いつもと違う雰囲気に思わず私の口もチャックしております。なんかすごく空気が重いんです。なんでぇ?
恐らくさっきのが原因だとは思うのだが、正直何が原因なのか、一切わかってないです。
何かしちゃったのかなぁと、クラヴィスにそれとなく聞いてみたりもしたけれど、「何も」の一言で終わらされてしまっている。
その反応は絶対何かあるじゃん。多分私、だよね? 気付かないうちに何をやらかしちゃったんだろ……?
ちらっとディーアに助けを求めたりもしたけれど、困ったように目元を細めて黙秘を決められてしまった。
アースさんも答えてくれなさそうだしなー。雰囲気的に怒ってるわけでもなさそうだしなー。
クラヴィスさんの事だから、問題になりそうなら話してくれるだろうしなぁ。
とても気になるが、話したくないのなら無理に聞き出そうとも思わない。
そのため話してくれるまでは触れないと決め、私は黙々と食事を終える事にした。
とにもかくにもまだ討伐が続くんだからね。しっかり食べて頑張るぞぉ。
兵士達も午前中で随分慣れたようで、順調に魔物を討伐していく事しばらく。
空に流れる雲が薄いオレンジ色に染まり始めた頃、洞窟に住み着いていた魔物の群れを討伐した所で、レイジさんがラルズさんへと声を掛けた。
「で、今回はこんなもんだが、どうするよ?」
「そうだな……今日はもう帰還しよう」
どうやら今日はこれで終わりらしい。
帰れると察した兵士達から、嬉しそうな空気が漂ってくる。
感覚的にまだ森を全部回り切れたわけではなさそうだが、もう良いのだろうか。
同じ疑問を抱いたらしいディーアと二人顔を見合わせていると、こちらの様子に気付いたレイジさんが斧を担ぎ直しながら頷いた。
「元々ある程度目星は付けてたからな。魔物が住み着きそうな所は大体回り切れた。
ちっせぇ巣になりそうなとこはまだあるが、今回で経験も積めたんだから、後はあいつ等だけでもどうにかなるさ」
長年この森に来ているのなら、どこにどんな魔物が住み着くかも手に取るようにわかるというわけか。
言われてみれば、レイジさんは泉の傍や木の実がある場所など、魔物が巣を作りそうな場所へ的確に案内していた。
住みやすい場所には必然的に強い魔物が住み着くだろうし、そういった場所を回り切れたのなら他はそこまで警戒しなくても良いか。
それに一番危険そうな魔物はあの時私達が倒し、群れになっている魔物は今回でほとんどが討伐できたはず。
知識面はまだ足りない所もあるが、魔物の解体にも慣れたようだし、これで私達はお役御免かな。
あと数回は同行する事になると思っていたから、ちょっと拍子抜けかもしれない。最初はもっと手こずるだろうなーって思ってたからなぁ。
ラルズさん達からしても想定より早く終わったみたいだし、兵士達の成長は著しいのだろう。
多分、クラヴィスさんが戦うだけでなく魔法を教えてたのが大きいと思うなー。
目に見えて成長してたもん。最後なんてクラヴィスさんは見てただけだし。
兵士達自身も自分達の成長を感じているのだろう。
疲労を見せつつも、明るい表情で魔物の解体を進める兵士達。
その表情は帰還を喜ぶそれだけでなく、確かな手応えを喜んでいるように見える。
──そう、その場にいた多くの人間の気が緩んでいたからか。
倒れていた魔物の一つが動いたのに、反応できたのはたった数人だった。
「エディシア!!」
クラヴィスさんの声が響くと同時、視界の端で黒い影が飛び出す。
その正体が何なのか。
思考が追い付くよりも先に淡い光を宿した壁が作られ、激しい衝突音が襲い掛かる。
「ガァアア!!」
「ひっ……!」
油断はしていた。自分は安全だとわかっていたから。
だからこそ、耳を劈く獣の声に緩んでいた喉から情けない音が漏れ出る。
先ほどの魔物の群れで、一体だけとどめを刺しきれていなかったか。
夥しい血を流しながらアースさんの結界に爪を突き立てる魔物は、牙を剥き出しにして咆哮を上げ続ける。
一番隙がありそうな相手を狙ったのだろう。最期に一人でも道連れにしたかったのだろう。
結界に阻まれてなお、その凶器を突き立て続ける魔物。
その足掻きは、横から飛んで来た短剣によって終わりを迎えた。
どさり。力無く地に落ちた魔物と同じく、脚に力が入らずその場に倒れ込む。
呆然と、短剣が飛んで来た方向を見れば、腕を振り降ろしたディーアがいて、こちらへと駆け出すクラヴィスさんが見えて。
緊張から解かれた心臓がどくんと脈打つのに呼応して、ぽろりと目から涙が溢れていった。
「……っ、ぁ」
「あ、だ、大丈夫! 怪我はしてないよ!」
涙が出たのは自分でも驚きだったが、周りの人達にとっても驚きだったらしい。
すぐさま駆け出し、無理に声を出そうとするディーアに慌てて両手を振り、精一杯無事を伝える。
いやーびっくりしたのと安心したのでぽろっと来ちゃったんだろうねー。心配かけてごめんよー。
しかし、これでも命の危険は何度か経験して来たはずだが、完全に意識外から来られると流石に心臓に悪いようだ。
現に何事も無かったというのに、目前に迫っていた牙は小心者な私にとって立派な恐怖として刻まれてしまったらしい。
大丈夫だとわかっていても、言い聞かせても震えてしまう手で雑に頬を拭った所で、アースさんがそっと呟いた。
「すまん、仕留めれば良かったかのぉ……」
「んや、大丈夫。ありがとね」
確かに結界で防ぐだけでなく、反撃までしていればこんな状態にはならなかったかもしれない。
でも、その場合私が全て把握した上で対処した事になりそうだからなぁ。
完全に油断してた手前、そこまでできちゃったら違和感を与えちゃいそうだ。
特に近くにいたラルズさんは、他の兵士に比べて経験もあるようだから、誤魔化すの大変そうだし。
ちらっと周りを見てみるが、特に誰も怪しんでいる様子は無い。
むしろこちらを心配していたり、魔物が仕留め切れて無かったと気付いて気まずそうにしているぐらいだ。
これなら咄嗟に結界を張れたって誤魔化せそうだなーと思いつつ、そろそろ立とうと脚に力を入れようとした時、目の前に見慣れた手が差し出された。
「立てるか」
「……ありがとうございます」
手の持ち主はやっぱりクラヴィスさんで、ほっと息を吐き、お礼を言いながら自分の手を重ねる。
私が多少力を入れた所でびくともしないその手を頼りに、よっこらせと腰を上げた──はずだったのだが、何故か私はへたり込んだままだった。あれぇ?
「……なんか……立てない、かも……?」
「……腰が抜けたか?」
「あー……多分そうかも」
ぐっ、ぐっ、と何度も力を込めても、私の脚は動こうとせず固まったまま。
その間にもクラヴィスさんが片手で軽く足に触れて魔法で診てくれたようだが、特に異常は無いらしい。
可能性の一つとして提示された原因に、なるほどなーと納得してしまった。
今までそんなの経験した事ないから断定するのは良くないと思うけど、痛みとか全く無くて、力が入らないって事は多分そういう事でしょ。
いやー驚き過ぎて腰が抜けるとか、本当にあるんだねー。それにもびっくりだよ。
「えーと……申し訳ありませんが少しだけ時間をください。すぐ何とかするので」
「いえ! 我々の不手際が招いた事です。こちらこそ危険に晒してしまい申し訳ありません……!
よければ私が背負います。どうぞ背に」
「え」
時間を食ってしまうのでとりあえず謝っておくか、と謝罪しただけなのだが、返って来た提案につい目を瞬かせる。
気遣ってくれるのは有難いが、ろくに知らない人に背負われるのはちょっと、なぁ。
それならクラヴィスさんかディーアに頼みたい所だが、ラルズさんはすっかりその気らしい。
こちらに背を向け、準備万端なラルズさんにどう断ろうかと言葉を探していたら、慣れ親しんだ香りに包まれた。
「っ、わ!?」
「お前達の手を煩わせる必要は無い」
背中と脚に腕が回され、引き寄せられると同時、浮遊感が襲い掛かる。
突然の事に呆然としていたら、次の瞬間には目の前にはクラヴィスさんの顔があって。
あぁクラヴィスさんに抱き上げられたんだ、と状況を把握できた時には、既にクラヴィスさんは歩き出していた。
「お、重くないですか?」
「……別に、君ぐらい抱えられる」
決して太っているわけではないが、人一人分の重さはしっかりあるんだ。
動けないから仕方ないとはいえ、療養中の人に運ばせて良いのだろうかと聞いてみたのだが、素っ気なく返されてしまう。
ちょっと冷たく感じる態度だけど、私を落とすつもりなんて一切無いのだろう。
回された腕はしっかりと私を支えてくれてるし、森の中という不安定な足場にも関わらずふらつく様子も一切無い。
流石は鍛えてるだけあるなぁ。ここは大人しく頼らせてもらおうか。
せめて邪魔にならないよう、そっとクラヴィスさんの肩へと頭を寄せ、行き先の無い手を胸元に収める。
すると背中に回った腕にぐっと力が込められた。
「どこかに掴まっていてくれ。その方が歩きやすい」
「……はぁい」
確かに、手が空いてるなら少しでも固定していた方が歩きやすいか。
一度だけアースさんを見れば、意図は伝わったらしい。
するりと私のフードから抜け出すと同時、アースさんは空気へと溶けるように姿を消す。
これでアースさんを間に挟んだりしなくて済むだろう。
周りの兵士達が何も気付いていないのを確認しつつ、首へと手を回し、フードが外れないよう気を付けながら隙間すら無くすようぴたりとくっつく。
そんな私に、クラヴィスさんは一瞬息を詰めたかと思うと、私の耳元で小さく呟いた。
「君は、本当に……」
「……なんですか」
「……いや、何でもない」
多分、恥じらいが無いのかとかそういう話かな。
僅かに見えるほんのり赤い頬と、伝わってくる心臓の音になんとなく予想がつく。
でも掴めって言われたし、何ならちょっと前まで膝の上が定位置だったりしたもんで、これぐらいなら平気というかなんというか。
抱っこで運ばれる経験だって何度もあるしなぁ。ノゲイラじゃ仲良し義親子として有名だったぐらいだしぃ?
──そうだ。クラヴィスさんに抱えられるなんて、元の時代では良くあることだった。
だから慣れている。慣れている、はずなのに──私の心臓まで煩いのは、あの頃とは体の大きさが違うからか。
きっとそうだろう。先ほどの恐怖もまだ残っているに違いない。
そう自分に言い聞かせ、私は両腕に力を込めてクラヴィスさんの首筋へ顔を埋めた。
前話にて感想でくださった疑問に答えさせて頂いております。
ほんの少しですが本編では出さない裏話的なのがあるので、興味がある方は見ても良いかもしれないです。
感想の返信は体力を消費してしまうので滅多にできない人間ですが、疑問等は答えれる範囲で答えたいなーと思ってます。
何かあればよろしくお願いします。




