距離、少し
「──蜂だ!」
「オ、オレ! 虫は無理ー!!?」
鎧をがちゃがちゃと鳴らし、騒ぎながら逃げ惑う兵士達。
良く見れば確かに十匹程度の蜂がブンブンと飛び回っている。
あの数だと近くに巣があるのは間違いなさそうだ。
とりあえず事前に用意していた液体の殺虫剤を取り出し、辺りへと振りまく。
本当は霧吹きで吹きかけた方が良いけれど、液体の状態でもある程度効果を発揮してくれたらしい。
こちらへと逃げて来た兵士を追いかけていた蜂が、急に方向転換して別の兵士へと向かっていった。
「皆さんこちらに来てくださーい! 虫除けしてありますよー!」
「た、助かったぁ……!!」
厳密にいえば虫除けでは無いのだが、混乱状態の時にそんな細かな違いは気にしてられない。
だからわかりやすく虫除けと叫んだところ、効果は大きかったようだ。
先ほど虫は無理だと叫んでいた兵士がいの一番に駆け出し、私の足元へと飛び込んで来た。はーいもう大丈夫ですよー。
「蜂と言えば蜂蜜……!?」
「あー……あれミツバチじゃなさそうだから蜂蜜取れないと思うよ」
「なんじゃつまらん」
続々と兵士達がこちらへと逃げて来るのを横目に、アースさんが顔を上げて期待に満ちた声で呟く。
ノゲイラでは養蜂もしていたから、アースさんからすれば蜂は甘い物を作る有難い虫でしかないのだろう。
しかし飛んでいる蜂は緑ばかりの森の中で異彩を放つ赤色に、黒い斑点模様の体をしている。
間近で見てみないと正確な種類までは言えないが、あの柄は元の世界でいうスズメバチに似た魔物のはず。
だから追加の殺虫剤をばら撒きながら否定すれば、アースさんは残念そうに戻って行った。期待させちゃってごめんねー。
「巣は……あの木だな。赤い木の実が生ってるやつ」
「あーありますね。あれならまだ小さい方かなぁ」
私が安全確保をしている間、レイジさんは巣を探していてくれたらしい。
示された先を見れば、あの種類にしてはまだ小ぶりな巣が木の枝に作られていて、巣を守るように何匹もの蜂が飛び回っている。
「この森じゃあんま見かけなかったからなぁ……最近西の森から移って来たばかりなのかねぇ?」
「あ、あれも魔物なんですか!?」
「おう。普通の蜂なら巣を水で浸すなり何なりできるんだが、あの蜂は魔物なだけあって魔法への抵抗力が高くてな。
簡単な魔法は防がれるし、毒針も持ってやがるし、厄介な相手だよ」
「毒ぅ!?」
「数は限られてますが解毒剤もあるので、刺された人は言ってくださいねー」
「あんたも持って来てたか」
毒と聞いて青ざめた顔をしていたから、安心させようと解毒剤を取り出した所、レイジさんも持って来ていたらしい。
お互い確認し合ってみたが、十人程度はどうにか治療できる量はありそうだ。
まぁ、この辺りで素材も取れたから、作ろうと思えばもっと作れるでしょ。
でもアナフィラキシーショックは怖いので、刺されないように注意はしてくださいねー。
「下手に刺激したり近付かなけりゃそう襲われねぇが、こいつらどこにでも巣を作るからなぁ……。
ここは西の森より街と距離が近いんだ。放っておいたら街に巣を作られちまう」
「という事はこれも対処しないと、ですか……」
たかが虫と言っても魔物であり、人を襲う事もある存在だ。
漏れなく今回の討伐に含まれるはずだが、何か問題でもあるのか。
今まで兵士達を引っ張る立場だったラルズさんが戸惑っているように見え、小首を傾げた。
「今までこういった事は無かったんですか?」
「いや、何回か聞いた事ある。大体兵士が対処してたはずだが……」
「……恐らく経験がある者は出払ってますね」
「やっぱりか」
予想通りだと頷くレイジさんに、ラルズさんは苦々しく顔を顰める。
なるほどねー、経験者が居ないからどう手を出すべきか迷っていたって感じかぁ。
「火を使うか……?」
「でも、燃えた蜂が飛び回りでもしたら森が火事になりませんか?」
「動きを止めるにしてもあれだけ飛び回っていたら……」
どうすれば良いのかわからず、ちらちらとクラヴィスさんへと視線を向ける兵士達。
もし専門家が居るなら一旦放置しておいて、後日駆除を依頼しても良いのだが、この様子だとザイラには居ないだろう。
実際の所、数が多いため巣を丸ごと魔法でどかんとやってしまうのも一つの正解ではある。
しかしその方法でやるには、ある程度火力が無いとむしろ巣を刺激し、更なる危険を招いてしまう。
兵士達の魔法を見る限り彼等には難しそうだから、やるならクラヴィスさん主体に、なんだけど、クラヴィスさんには休憩してもらいたい。
となれば、ここは私が頑張るとしようかな。
軽く息を整えてアースさんへと顔を寄せる。
私の意図を察したアースさんがするりと尻尾で背を撫でた。
「ワシの出番か」
「ううん。駆除はこっちでやるんで、巣を結界で覆って欲しいです。
襲ってくる蜂がいたら追っ払ってください」
「ちゃちゃっとやらんのか?」
「それも良いんですけどね。今回は彼等に経験を、と思いまして」
わざわざ結界なんて張らずとも、クラヴィスさんやアースさんなら魔法ですぐに片付けられる。
だが、今後の事を考えれば、今ここで全員が対処方を知っておいた方が良い。
経験不足だと自分達でも認識しているのなら、尚更だ。
「ラルズさん、対処法は知っているので、兵士の方々に私の指示を聞くよう命令してください。
それなら部外者の指示ではなく、貴方の指示になりますよね?」
「……お気遣い感謝します。全員、聞け!」
気遣いというか、文句を言わず動いてもらえるようにしたいだけなんだけど、まぁいいや。
とりあえず主となる巣を覆う結界はアースさんの物で良いとして、問題は巣の外にいる蜂達だ。
正直、飛んでいる蜂を狙って仕留められるのは、この中だとクラヴィスさんかアースさんだけだろう。
頑張ればできなくも無いだろうけど、無理に難易度の高い事を強要しても消耗するだけだ。
そのため魔法が使える兵士達には飛び回っている蜂を狙うのではなく、様々な場所に水の壁を作ってもらう。
そして水の壁に飛び込んで来た蜂がいれば、一匹一匹丁寧に水で溺死させていくよう指示を出した。
「ただの水の壁で何ができるんです? 簡単な魔法は破られると言っていましたよね?」
「魔物といっても一匹一匹の保有魔力は微量なんです。
まとめて何十匹も飛び掛かってきたら話は別ですけど、相手が数匹だけなら破られたりしませんよ。
その間に他の兵士の方々は枯れ木を集めておいてください。数人はこちらを手伝ってくれると助かります」
魔法で活躍しているクラヴィスさんと違って、私は今の所ただついて来ているだけだからか。
訝し気な兵士に説明しつつ、採取した材料から必要な物を取り出す。
レイジさんと違って私は身元の知れない自称薬師みたいな感じだろうからなぁ。
別にこれで動かないならそれでも良いのだけれど、ラルズさんが近くにいるおかげか、その兵士含めそれ以上は誰も突っかかって来ず、全員作業に入っていった。
度胸があるんだか無いんだかわかんないね。
「……?」
「ん、ディーアは良いよ。クラウンさんの傍にいてあげて」
私が何かするとわかってか、ディーアがこちらへと寄って来る。
それなりに量が必要なので手伝ってもらいたい気持ちはあるけれど、今回は兵士達に経験させるのが目的でもある。
調合自体もすり潰して混ぜるだけなのもあり、ディーアにはクラヴィスさんの傍に居てもらい、私は手早く周りの兵士達へ素材を配っていった。
「皆さんにはこれをすり潰して混ぜてもらいます。
人数分の道具は無いので、手近な石とか木を使ってください」
「い、石と木? えっと、何でも良いんですか?」
「はい、すり潰せれば何でも。混ざった液体が薄紅色になったら出来上がりです」
「リーシェの実とアギの根っこ? んなモン混ぜて何ができんだ?」
「簡単な殺虫剤です。
効果は弱めですが熱に強いので、煙に混ぜて使おうかと」
「煙に……?」
「煙で巣を覆って蜂達を窒息死させるんです。
殺虫剤も混ぜるので、すぐ片付くと思いますよ」
ノゲイラでは良く使われていた殺虫剤だが、この辺りでは知られていなかったのだろうか。
ラルズさんだけでなくレイジさんも興味深そうに覗き込んで来るけれど、手を止めずに簡単に説明する。
「煙が流れると効果が減ってしまうので、できれば結界などで広めに覆ってください。
一応木箱でもできなくも無いんですけど、巣に近付かなきゃいけないので危険ですからね。
広めにしておけば警戒するだけに留めてくれるので、そう破られる事もありません。
で、飛び回ってるのを捕まえつつ、数を減らしてから巣の本体の撤去に入りましょう」
「なるほど……勉強になります」
今回の責任者ともあってか、兵士の誰よりも真剣な表情で話を聞くラルズさんについ苦笑いが出る。
勉強熱心なのは良い事だけど、ちょっと距離が近いかなー。
手元を覗き込もうとして近付いちゃっただけなんだろうけど、大して仲良くない人と距離が近いのはちょっとなー。
無意識だろうから咎めるのも面倒で、それとなく距離を取りつつ出来上がった殺虫剤を器に溜める。
さて、本当は防護服無しでやるのは避けたいが、そうも言ってられない。
幸いまだできたばかりの小さな巣だからどうにかなるだろう。
丁度枯れ木が集まったらしいので、小さめの火を起こしてもらい、出来上がった殺虫剤を少量振りかけ蒸発させながら巣を煙で覆っていく。
殺虫剤の効果も合わさって効果は覿面だったようだ。少しすれば次々と蜂が墜落し始めた。
「上手く行ったみたいですねぇ」
兵士達から感嘆の声が聞こえて来るのを聞きつつホッと一息吐く。
知識はあっても実際にやるのは初めてだったからなぁ。何とかなりそうで本当に良かったぁ。
やってみて把握できたのか、兵士達が率先して煙を起こし、結界の中が煙で埋め尽くされていくのを眺めていると、ラルズさんが隣に来て感心したように呟いた。
「……エディシアさんは知識が豊富なんですね」
「あー、まぁ、色々と旅して来たのでー」
とても感心してもらえているようだけど、あの蜂についてはクラヴィスさんに教えてもらった事だからなぁ。
殺虫剤もディーアが教えてくれたやつだったっけ。材料が手に入りやすくて便利だって教えてくれたんだよねぇ。
……あれ? ってことは私が今やったから二人は知ってたって事なのか? やらかした?
これ以上は深く考えないようにしよう。そうしよう。
そう視線を彷徨わせた先、不意にクラヴィスさんと目が合う。
その表情はどこか不安気で、どこか不機嫌そうで。
どうかしたのかと聞きたくても距離がある。
だから小首を傾げて疑問を投げかけたけれど、返答は無く、何も無かったかのように視線を逸らされた。
「……何かあったのかな」
「……さぁて、なんじゃろうなぁ」
指導のためか、後方にいる兵士達の方へと向かうクラヴィスさんの背を見ながら呟けば、アースさんはゆるりと尻尾で私の背中を撫でる。
その言葉はまるではぐらかすかのようで──これは、明らかに何があったか知っている。
詰め寄りたくなるけれど、ラルズさんが近くに居る手前、独り言で誤魔化すのも限界がある。
だからそれ以上は何も追及できないまま、巣を撤去し始めたラルズさん達の手伝いをする他無かったのだった。




