私達だけが知る可能性
ローブの下で隠れているアースさんが、つんつんと私の背中を尻尾で押す。
それは私とアースさんで決めた合図の一つで、私は示されるがまま軽く手を振るう。
どうやら周囲の音を軽減する魔法を使ってくれたらしい。
ふっと小さな光が散ったかと思うと、鍛冶場から聞こえる音が遠ざかって行った。
話せなくはないけど結構うるさかったもんねぇ。
私が魔法を使ったと判断したのだろう。ラルズさんは納得したように頷いていて、はたと小首を傾げた。
もしかしてなんだけど、私が魔物を倒した魔導士だと思われてたりする? しそうだね?
私達が兵士達に話に行った時、ラルズさんの姿は無かったし、旅人の魔導士が倒した、とだけ聞いていたのならそう勘違いもしちゃうか。
まぁ、その方が色々と都合が良さそうだから訂正はしなくて良いでしょう。
もし手柄とか気にする相手ならちゃんと訂正するけど、クラヴィスさんだしなぁ。絶対気にしないよあの人。
「それで、お話というのは?」
「実は……貴女方が倒した魔物ですが、どうやら森の主に近い存在となっていたようです。
それまで目立った行動の無かった魔物達が、昨日から縄張り争いを始めたのが確認されました」
あの魔物、結構大きかったからなぁ。見た目も熊ですっごい怖かったし。
人間もそうだけれど、自分達より強い魔物が森に住み着いた、なんて元々住んでいた魔物達からしてもたまったものではなかったろう。
下手に刺激すれば自分達の命が危ないし、棲み処を追い出される破目になりかねない。
だからこそ息を潜めていたんだろうけれど、その強者が居なくなったとなれば話は変わる。
ただ元の森に戻ったのなら良かったが、兵士達が人手不足で討伐が出来ずにいる今、増える一方の魔物達だ。
いつの間にか大きくなっていた群れ同士が、縄張り確保のために争い始めたとしても仕方ない状況だろう。
とはいえ、それをわざわざ伝えに来るなんて、それ相応の理由があるに違いない。
「縄張り争いに負けた魔物が街へ来るかもしれないと?」
「いえ、学者によればその可能性は低いとの見立てです。
移動するにしても別の森があるので、そちらだろうと」
お前達が魔物を倒したからだ、とでも責められるのかと思ったが、そうでもないらしい。
揉めずに済みそうで内心ホッとする私を他所に、ラルズさんは本題に入るつもりなのだろう。
すっ、と眼差しに鋭さを宿し、真剣な表情で私達を見据えた。
「縄張り争いをしているのなら、手負いの魔物も大勢いるはず。
そう考えた我々は、これを機に魔物の討伐に打って出る事に致しました」
「……なるほど?」
ラルズさんの考えも理解はできる。
縄張り争いで命を落とす魔物は多い。生きていても四肢が欠損している場合だってある。
しかし、それが危険な試みなのは私のような素人でもわかる事だ。
彼等の想定通り、手負いの魔物達を手早く対処できれば良いが、場所が場所だ。
森の土地は限りがある。縄張り争いをしているぐらいだから、群れと群れの距離も近いはず。
戦っている最中に後ろから別の魔物に襲われでもしたら大変な事になる。
私が抱いた懸念は彼等の中でも挙がっていたのだろう。
何とも言えない反応をした私に、ラルズさんは反感を見せる事無く、ただ静かに頷く。
「危険は承知です。しかし、これ以上は街に及ぼす影響が大きすぎる。
それはザイラに来たばかりの貴女方でもわかる事でしょう」
「……そのようですね」
この状況では未だ森は危険が多く、踏み入る事などできないままだ。
既に街では薬草不足などの問題が生じている。
街の住人からすれば、生活に大きく影響が出ているんだ。
このまま放置していたら魔物への不安だけでなく、対処できない兵士、ひいてはこの街を治める領主への不満が溜まっていってしまう。
ただでさえ戦時中の今、民の不満が溜まり続ければ、いずれ街は機能しなくなっていく。
かといって戦争に終わりが見えない以上、兵士の不足は変わらず、待っていても状況が悪化するのみ。
だからこそ、彼等は危険だとわかっていても、僅かな好機を逃すわけにはいかないのだろう。
しかも、今この街には戦える人間が居るとわかっているのだから、尚更だ。
「ですから貴女方の腕を買い、依頼したい。
我々と共に、森に巣くう魔物を討伐して頂けないでしょうか」
やっぱりそう来たか、と自然と詰めていた息を吐く。
どう返事をしたものかと言葉を探そうとするが、ラルズさんが畳みかけるように言葉を連ねた。
「報酬はご用意しますし、例え失敗したとしても貴女方を責めるような事は致しません。
お恥ずかしながら、ザイラの兵士の多くは魔物と戦った事が無く、人手も足りていないのです。
どうかお力添え頂けませんか」
私が知っている頃にはシドやスライトが居たからそういった事はなかったけれど、今回のように兵士が足りない場合や練度が低いといった問題がある地域では、荒事に際して旅人を頼る事も多かったらしい。
旅人からすれば報酬としてある程度まとまったお金が手に入るし、兵士達に恩を売る事ができる。
場合によっては、その土地の権力者とも繋がりを持つ事が出来るだろう。
命の危険が伴うが、その分美味しい思いもできるというわけだ。
今回の場合兵士に同行して、という話だから、一人で森に放り込まれるわけでもなく、失敗した場合のペナルティも無い。
これだけ良い話なら、多少腕に自信のある人であればすぐ引き受けるだろう。
私も、街の状況が良くなるなら引き受けたいところだが、慎重にならざるを得ない事情がある。
「少し、時間を頂いても? 仲間と話してきます」
「え、えぇ勿論! ですが、できれば早く返事を頂けると助かります」
ラルズさんは私達がすぐ引き受けると思っていたんだろう。
一度持ち帰りたいと告げた私に一瞬顔が強張ったが、すぐに取り繕う。
装備や剣を見た感じ、それなりに地位は高そうだけど、一番上の兵士ってわけじゃ無さそうだしなぁ。
上から絶対了承させて来いって言われてそうだ。中間管理職って大変だね。
私だって、コリンさんの時のように個人の助けになる程度ならすぐに頷いていた。
だが、今回の相手はこの街の兵士だ。つまり、国営組織の一つという事。
規律正しいか、緩いか。地域によって特色はあれど、魔物の討伐を行う場合、必ず報告書が提出されるはず。
討伐に用いた予算、兵士の編制、討伐対象の魔物。多岐に渡るその報告内容の中には協力者の存在も記される。
要するに、私達の存在が記された報告書が王都へと届けられてしまうわけだ。
これが未来のノゲイラなら、領主権限でちょちょいと誤魔化しちゃうんだけどねぇ。
今は権力なんて一切関係無いただの旅人だし、ザイラの報告書がどのように書かれているかもわからない。
そもそも報告書って書く人の裁量に任される部分があるからなー。どんな内容が書かれるかなんて、見当もつかないです。
写真なんて無いこの時代、顔を知られる可能性はほぼ無いとは思っている。
クラヴィスさんは偽名で、ディーアの名前もごく一般的な名前だ。知られた所で痛手にはならない。
しかし、魔導士でもある王子が行方知らずになった後、突如現れた旅の魔導士に対し、誰一人疑念を抱かないとは限らない。
きっと心血を注いで探しているはずだ。
どんな些細な手がかりだろうと、藁にも縋る想いで調べるはずだ。
──シドならそうすると、私は知っているから。
どうしたもんかなーと小首を傾げながら、ディーアと一緒に隣の打ち合わせスペースへと顔を出す。
アースさんが魔法を使ったから、何か話しているのは気付いていても、内容までは聞こえていなかったのだろう。
ロバートさんとの打ち合わせを中断し、どうした、と目線だけで促してくるクラヴィスさんに簡単に説明する。
「どうします?」
「……丁度良い、引き受けよう」
少し悩んだ素振りを見せていたが、了承の返事が返って来たのに、つい眉を下げてしまう。
さっき魔物の素材が足りないって言ってたもんねぇ。まさに渡りに船って感じか。
それに、優しいクラヴィスさんの事だ。魔物の被害を知ってしまっては放っておけないだろう。
でも、大丈夫なのかなぁ。
可能性が低いとはわかっていても、可能性があるのに変わりはない。
そう私が心配しているのもお見通しなんだろう。
クラヴィスさんは徐に席を立ち、こちらに近付いたかと思うと、私達だけ聞こえるように声を潜めて告げた。
「旅の魔導士などどこにでも居る。
戦争下でなければメイオーラの魔導士も旅をしていたぐらいだ。
例え協力したところでそう目立ちはしないとも」
メイオーラの魔導士、と言われてシルバーさんの事が脳裏を過る。
昔から知り合いだったようだから、もしかしてこの頃にはもう出会っていたのだろうか。
長年の敵国を旅するなんてすっごい危険そうだけどさ、シルバーさんならやりかねないよね。
「それに、注視されるとしたら西部だ。
北部に属するこの街まで調べるほど熱心な者は居ないだろうよ」
「……そう、ですね」
二人が戦場から姿を消したあの夜、彼等は西部にあるメイオーラとの国境から、北部の辺境にあるノゲイラまで移動している。
しかも月の無い夜空を、黒い翼で飛んでいたんだ。
例え誰かが空を見ていても、それがクラヴィスさんだなんて考えもしないだろう。
西部にはクラヴィスさんが移動した痕跡なんて欠片も存在しない。
それなら最後に目撃された戦場付近から、シェンゼ西部を中心に探すのがセオリーというもの。
北部に属するザイラまで目を向けられる人なんてそう居ない。そう、誰もが思うだろう。
シドは、クラヴィスさんを見つけられなかったのかな。
誰も、この人の元へ駆けつけられなかったのかな。
クラヴィスさんは、今もまだ誰も求めていないのかな。
まるで誰も自分を探さないとでもいうような言葉に寂寥感が襲ってくるけれど、私はただ、ラルズさんの元へと向かうクラヴィスさんの背を追うしかできなかった。




