一緒に乗り越えて
クラヴィスさんにも手伝ってもらい、大急ぎで回復のポーションを調合していると、アースさんが戻って来たのだろう。
背後で大きな物音と共にアースさんの声が聞こえ、調合し終えたばかりのポーションを掴み、パッと振り返る。
厳しい顔をしたアースさんの背に、ぐったりとした子供が見えて。
早く手当てを、と動こうとした、のに。
この目が映した光景にひゅっと呼吸が飛んだ。
ぼとり、ぼとりと垂れ落ちる紅。噎せ返るほど強い血の臭い。
魔物に食い散らかされ、大量の血を溢れさせる抉れた腹部。
折れた骨が飛び出し、僅かな肉だけで繋がっている腕。
辛うじて息はしているけれど、その灯火はそよ風でも掻き消えてしまいそうで。
その場で脚が止まってしまった私の代わりに、クラヴィスさんがその子を受け止めた。
「魔物は」
「仕留めた。群れを追われ、この辺りに流れ着いたらしい。
あの種族なら毒の類はもっとらんはずじゃ」
用意していた水で傷口を洗い流し、手早く処置を始めるクラヴィスさん越しに血塗れの子供を見る。
十歳ぐらい、だろうか。まだまだ幼いその子供の肌は、血を失いすぎて真っ白になっている。
傷はポーションだけでなくクラヴィスさんの魔法もあるから、どうにかなるとは思う。
でも、傷を塞げたとしても、あの出血では。
動かなければ、と。何かしなければ、と思うのに、指先が冷たく強張り動かない。
気付けば浅くなっていた呼吸が苦しくて、ぐるぐると回らない思考が気持ち悪くて。
助けると決めたのに、何もできず立ち竦む。そんな私を漆黒が貫いた。
「君は造血のポーションを。傷は私が塞ぐ」
「っぁ、はい……!」
冷静な瞳に射抜かれ呼吸ができて、落ち着いた声が出した指示に意識が傾く。
そう、そうだ。薬を持って行かなきゃ。急がなきゃ。
血から意識が逸れたからだろうか。ぱっと弾けるように動いた脚で、薬を保管している棚へと駆け寄った。
あの子を助けるには、傷を塞ぎ、血を補わなければならない。
しかしポーションは服用した本人の魔力を糧に効果を発揮する。
回復と造血、両方のポーションを使うにはあの子の魔力が足りない。
あまり使わないからと、奥に仕舞っていた造血のポーションを手に、子供の傍へと近付く。
見ればアースさんの補助を受けながら回復魔法を使ってくれているらしい。
千切れかけていた腕はもう繋がり、腹部の傷も塞がり始めている。
これなら、大丈夫。ちゃんと処置をすれば助けられる。
本当は飲ませた方が全身に回ってくれて効果が高くなるけれど、意識が無い今は飲ませるのは難しい。
だから、震えてしまう手でポーションを傷口へと注いだ。
「……っ…………ぁ……」
「……少し持ち直したか」
「じゃが、まだ血が足りんようじゃ」
「す、すぐに追加作ってくる……!」
造血のポーションによって多少血が補われたのだろう。
肌が白から青に変わり始め、微かに声も聞こえたけれど、アースさんの言う通りまだまだ足りない。
やっぱり効果が十分に発揮されなかったんだ。でも少し猶予が出来たと思えば良い。
急いで調合をするべく素材をかき集めるけれど、一つ、素材が足りない事に気付いた。
足りないのはヘティーク湖でも取れる苔の一種。
この小屋では設備が不十分で保管が難しく、必要になる薬も少ないからと常備せずにいた物。
誰かに取りに行ってもらう? クラヴィスさんも、アースさんも手が離せない。
それに造血のポーションに使うには、それ専用の取り方がある。私が取りに行かないと。
でも、採取しに行って、それから調合を始めて、間に合うんだろうか。
不安が過るがどのみち取りに行かなければと、採取道具を手に扉へと振り向く。
その時、タイミング良くおばあさんを送り届けたろうディーアが戻って来るのが見えて、咄嗟に叫んだ。
「ディーア! お願い、造血のポーションの調合進めておいて! 私は足りない素材取って来る!」
「外に出るならワシも──」
「アースさんはクラヴィスさんの補助してて! すぐ戻るから!!」
ディーアには一度説明しながら調合して見せた。
最初の作業は簡単な物ばかりだから、任せて大丈夫なはずだ。
そう、同行しようとしたアースさんを振り切り、自分が何を口走ったかも気付かないまま外へと駆け出した。
林の中を走って、走って、記憶を頼りに苔が生えている場所へ走って、走って。
服が濡れても構わずに、泥が飛んでも構わずに、ナイフを使って苔を採取し、また走る。
ほんの数分の事だ。けれど、数分も掛かってしまっている。
これ以上、私が時間を費やすわけにはいかないと、ひたすら走る。
息を切らして戻った小屋では、ディーアが素材を追加するタイミングまで調合を済ませてくれていたらしい。
焦る気持ちを押さえつけ、調合の進み具合を確認してから持ってきた苔を追加し、最後の仕上げを施す。
私ではなく、ほとんどディーアが調合したような物だから、効能は通常の物だろうけれど、それでも十分なはず。
出来上がった造血のポーションを少量匙で掬い、子供の口へ含ませれば、こくり、と小さく喉が動いた。
「頑張って……ゆっくり、ゆっくり飲んでね……」
少しずつ、少しずつ、吐き出さないように、自分に言い聞かせるように呟きながら、慎重に匙を傾け飲ませていく。
傷の方はクラヴィスさんとアースさんが治してくれたからだろう。
新たな出血が減り、中で十分な血が巡り始め、子供の肌がみるみるうちに血の色を取り戻していく。
追加で調合したポーションも全て飲ませ終えた頃には、子供の呼吸は落ち着いたものになっていて、細く息を吐き出しながら匙を器にカランと置いた。
もう大丈夫。ちゃんと助けられた。もう、心配ない。
安心して良いのに、未だに震える手を握りしめていると、誰かの手が私の手へと伸ばされる。
顔を上げればクラヴィスさんがこちらを見つめていて、え、と小さく声が漏れた。
「あ、の?」
「……少し、外の空気を吸ってこい。何かあれば呼ぶ」
気遣ってくれているんだろう。
交わっていた視線が逸れ、私の手を一撫でした手が離れていく。
クラヴィスさんだって額に溢れた汗が垂れるほど疲弊しているのに、良いのだろうか。
ちらと、アースさんに視線をやれば、彼も同意見らしい。
血で汚れた体を浮かせ、外に出たアースさんは先導するように私を待っている。
良いのかな。甘えてしまっても、良いのかなぁ。
躊躇いはあるが限界なのも確かで、アースさんの方へふらふらと歩き出せば、アースさんは私と距離を保ちながら小川の方へと向かっていった。
どうやらアースさんは血を洗い流しに来たらしい。
小川に浸かり、自身に付いた血を落とすアースさんの傍らにしゃがみ込み、静かに流れる川をぼんやりと見つめる。
紅に染まった水は流れに従い遠ざかり、風に吹かれて染みつきかけていた臭いも消えていく。
そこでようやく、意識が戻ってきた気がして、深く、深く息を吐き出した。
「……すぐに動けなくて、ごめんね」
「……いいや。お主には酷だったろうに、よく頑張ったぐらいじゃよ」
気遣われ、慰められ、何も言えなくなって、沈黙が流れる。
アースさんとの静寂なんて、いつもなら何てこと無いのに、今はどうしても耐えられなくて。
ぽつり、言葉が零れた。
「私、さ」
言わなくて良いのに、胸に秘めていれば良いのに、溢れて、零れて。
「皆に守られてたんだなぁ、って思って、さ」
あの人は私の知っているあの人じゃない。
そうわかっているのに、どうしても重ねてしまったから、どうしても思い出してしまったから。
「人が死ぬ所も、誰かが大けがしてる所も、見て来たよ。
この世界ではそれが当たり前で、私の世界とは違うってわかってて」
誰かの欲のために虐げられてきた人を知っている。
死んでも利用され、死体すら残さず消えるしかなかった誰かを知っている。
策略のために無意味な戦争が引き起こされ、失われた命が大勢在ったのを知っている。
そんな理不尽な死が身近にある世界だと、私は知っていた。
「わかってた、つもりだったのに、わかって、なかった」
覚悟していたつもりだった。覚悟できていたと思っていた。
でも、そんな世界を直視しないように守られていた私の覚悟なんて、虚栄でしかなかった。
「ずっと、命だけじゃなくて、心も守ってもらってたんだなぁって思って、さ」
シドが、ルーエが、アンナが、フレンが、ウィルが、スライトが、カイルが。
誰かが私を守ってくれていた。誰かが傍に居て、庇ってくれていた。
アースさんが、ディーアが──クラヴィスさんが、私をずっと、守ってくれていた。
その事実を、はっきりと認識して、思い出してしまって。
「なんだか……帰りたく、なっちゃった」
ぽつりと、溢れ、零れてしまったんだ。
「……帰りたい、か」
「……わかってるよ。大丈夫。まだやる事がある。だから、まだ帰らない」
自分のしなければならない事はわかっている。
この時代でクラヴィスさんとディーアを助け、守る事。
あの場所に帰りたい気持ちは消えないけれど、あの場所に帰るために必要な事だとわかっている。
だから、大丈夫。
そう言い聞かせ、私は自分の頬を思い切り叩いた。
「っ、よし! さ! 戻ろう龍さん! これから忙しくなるよー?
今も村の人達はあの子を探してるだろうし、早いとこ帰してあげないと!」
突然の行動にピクリと跳ねていたアースさんだが、私がいつものように笑ってみせたからだろう。
「そうじゃなぁ」と頷いて、いつものように私の肩へとのしかかった。
ちょっと待って、貴方さっき川に浸かってたよね。おいこら。




