例え揺らいでしまっても
「わ、あ」
突然ディーアに腕を引かれ、呆けた声と共に私の腕から籠が宙へ放り出される。
ぱさり、ぱさりと薬草が散らばり落ちるけれど、ガサガサと林が揺れる音に掻き消える。
何が、とディーアの背中越しに視線を巡らせた先、林の奥から見慣れたおばあさんが飛び出すように現れた。
「え、お、おばあさん!? どうしたんですか!?」
「子供が、村の子供がこちらに来ていませんか……!? 一人、行方がわからなくって……!」
自分の身を顧みず林を突っ切って来たのだろう。
傷だらけで地面へと転がり込むおばあさんに慌てて駆け寄れば、顔を真っ青にしてそう訴えられ、ディーアと顔を見合わせる。
今日はずっとここに居たけれど、子供なんて見かけていないし、クラヴィスさんもアースさんも何も言っていなかった。
林へ採取に行っていたディーアも見かけていないようだ。
「いえ、こちらには……」
「そう、ですか……一体どこに……!」
おばあさんの体を支え、草木を払いつつ少しでも落ち着くよう背中を撫でながら答えるが、おばあさんは落胆と焦燥を露わにする。
村から離れたこの場所にも尋ねに来るぐらいだ。村人総出で探しているんだろう。
それでも見つかっていないとなると、事は深刻か。
「最後に見かけたのは何時の何処か、わかりますか?」
「今朝の、湖の近くです……!
水汲みに行っていて、一緒に居た子が言うには、振り向いたら居なくなっていたと……!」
「湖……」
振り向いたら、という点が気に掛かるが、湖の近くで行方知れずになった、となると湖で溺れたか?
時間は既に昼近く。本当に溺れたのなら生存は絶望的だろう。
ディーアも私と同じ考えに至ったらしい。
おばあさんが見ていないのを確認した上で、私へ向けて小さく首を振る。
でも、それをおばあさんに告げるわけにもいかず、軽率に励ます言葉も出せず、ただ口を噤む。
「──して、どうする?」
異変を察したか、クラヴィスさんと一緒に出て来たアースさんが、真っすぐ私の肩へとのしかかる。
静かな場所だから今の会話も聞かれていたようで、状況は把握できているらしい。
こちらの判断を仰ぐように視線を向けられ、小さく息を吐いた。
私がどうするかなんて、わかり切ってるでしょうに。
「探せる?」
「任せい」
短い問いかけに応じたアースさんは、ふわりと飛び上がり、私達の頭上を旋回する。
そして一周、二週としたところで何かを見つけたようにピタリと止まった。
「向こうじゃな……魔物が傍におる。連れ去られたか?」
「そ、そんな……!」
湖ではなく林の奥を睨みつけ、呟かれた言葉におばあさんが悲鳴じみた声を上げる。
溺れたのでは無いらしいのは良かったが、魔物に連れ去られたとなると危険な状況に変わりは無い。
この時代のノゲイラでは寒さの他に、魔物の被害も深刻な問題だった。
畑を荒らされる事もあれば、時にはこうして人が連れ去られる事も多かったと聞く。
特に日々の生活で手一杯な村では、できる対策なんて限られている。
だからこそ、おばあさんが絶望を抱いてしまうのも無理はない。
「龍さん」
でも、今ここには私達が居る。
私の頭上に留まるアースさんへ一声かければ、心得たとばかりに頷いた。
「時は一刻を争う。ワシだけで行ってこよう。
あの様子では命があっても怪我はしておるはず。
お主らは何があっても動けるよう準備しておいてくれ」
「わかった、気を付けてね」
勢いよく飛んで行くアースさんの背中を見送る。
私は何もできない。二人に頼むとしても、どちらも満足に動けないんだ。
一緒に行っても足手まといになるかもしれないなら、アースさんに言われた通り、ここでできる準備を整えていた方が良い。
散らばった薬草を手早く集め、籠へと乱雑に詰める。
それと同時、ディーアへと指示を出した。
「ディーア、今の内におばあさんを家に送ってあげて。
もしかしたら近くに魔物がいるかもしれない」
あの村は今、私達が現れた事によって、魔物に対する警戒を強めている。
村の子供達も皆、気を付けるよう言い聞かせられていたはずだ。
それなのに襲われ、攫われたとなれば、それ相応の理由がある。
狩りが上手くできず飢えていたのか、育ち盛りの子でもいるのか。
何にせよ、ノゲイラに生息する魔物の多くは群れで行動する。
新たな食糧を求め、まだ近くをうろついていてもおかしくない。
そんな状況で無力な老人を一人で帰すのは危険すぎる。
魔物が近くにいるかもしれない今こそ主の傍を離れたくないだろうに、ディーアもおばあさんがここに居るのは危険だと思ったか。
こくりと頷いたディーアは、おばあさんへと手を差し伸べる。
そしてよろよろとその手を取るおばあさんへ、私は静かに告げた。
「……生きて返す、と約束はできません。でも、必ず村へお返します」
アースさんは何があっても動けるように、と言っていた。
いつも気遣ってくれる心優しい龍が、私を安心させる言葉を告げず、心構えをしろと言ったんだ。
だとしたら、最悪の事態も覚悟しておかなければならない。
私の言葉で全て理解したのだろう。
おばあさんは苦い表情を浮かべ、深々と頭を下げた。
「あの子をお願いします」
震える声で私達に託したおばあさんを抱え、ディーアは林を駆け抜けていく。
その背を最後まで見送る事はせず、小屋へと戻る私にクラヴィスさんは表情一つ動かさずに問いかけた。
「ここで動けばどうなるか、わかっているんだな?」
「……元々、長居はできないってわかってましたから」
ここで動けばどんなリスクがあるかなんて、わかってる。
わかっているけれど、見捨てる事なんてできないから。
笑みを作ってみせる私に、クラヴィスさんは「なら良い」と頷いた。




