人間、欲張りになってしまうもので
さて、偽名を考えろと言われてもどうしたものか。
この世界で一般的な名前を名乗るか、誰かの名前を借りるか、それとも元の世界にちなんだ名前でも付けるか。
どれにしたって呼ばれても反応できる自信が無いんだよなぁ。
これが知らない誰かだったらまだ切り替えができたかもしれないが、相手はあの二人だ。
ディーアはまだ良い。彼には声で呼ばれる事は無かったから。でも、クラヴィスさんは違う。
私が共に過ごしたあの人よりも若い頃だから、声の雰囲気は多少違う。
けれど、あの人に名前を呼ばれるなら『トウカ』以外あり得ない。
そう思ってしまうほど、私の記憶にはあの人の声が馴染み切っている。
だからホント、偽名って言われても滅茶苦茶困るんだけど、どうしたもんか。
シルバーさんもこんな気持ちだったのかなぁなんて思っていたら、頭を悩ませている私の肩にアースさんが乗って来た。
「大丈夫じゃって。この状況ではワシ等を頼る他無いとわかっておるじゃろう。
多少怪しまれたところで、それだけでワシ等と敵対するような奴ではなかろう?」
「それはそうだけどさぁ……」
不安になっていると思われたか、安心させるように尻尾で頭を撫でながらそう軽く話すアースさん。
確かに今のクラヴィスさんの立場なら、多少怪しくとも利用価値があると判断できれば受け入れてくれるだろう。
だけどさ、こちとら好き好んで大切な人から警戒されたりしたくないんですよ。負の感情とか向けられたくないんですよぉ……!
頭ではわかっている。あの二人は私の知る二人ではないと。
けれど声も、姿も、多少の違いはあれど間違いなくあの人達で。私からすれば二人は二人以外の何者でもなくて。
そんな二人から鋭い視線を向けられ続けるとか、苦痛以外の何物でもないです。あんまりひどいと泣いちゃうかもしれない。
結局のところ、私はそれが一番なんだろう。
あの人が素性の知れない相手を信用するはずが無いとわかっている。
あの人に別の名前で呼ばれる事に違和感があるから、偽名なんて考えられない。
大切な人に変わらぬ距離を求めてしまう、変わらぬ温かさを求めてしまう私の我儘。
割り切らなければならないのに、割り切るどころか欲張ってしまう私の甘え。
「困ったなぁ……」
幸いなのは、どれだけ怪しかろうと彼等は私達を受け入れる以外選択肢が無い事だろうか。
どちらもまともに動ける状態ではなく、治療する術を持った人間が目の前にいる。
多分こうして離れた今も、クラヴィスさんなら周囲の状況を見て色々把握しようとしている頃だろう。
これだけ場が整っているのなら、クラヴィスさんが取れる選択は一つだけだ。
髪の色も誤魔化して無かったから、異世界の人間だって気付かれてるだろうしなぁ。
アースさんの言う通り、どれだけ怪しもうとも受け入れる選択をしてくれるとは思う。
でも、できたら好意的に受け入れてくれたら嬉しいなーなんて思うのは、やっぱり欲張りだよねぇ。
そううだうだしている間にも、私の足は小屋の前まで辿り着いていて、アースさんの体が少し強張るのと同時、私も一度深呼吸をする。
最後に二人でアイコンタクトを取って、恐る恐る扉に手を掛けた。
「も、戻りましたー……」
ぎぃぃと大きな音を立てる扉から、そろーっと小屋の中へと入り込み、二人の様子を窺う。
動いたりはしていないようだが、何かやり取りはしたんだろう。
漂う空気は張り詰めていて、入った瞬間から観察するような鋭い視線が二人から向けられ、思わず背筋を伸ばしてしまう。
こういう空気は苦手なんですけどぉ……!
この状況で嘘を押し通さなきゃいけないんですか。マジですか。やだぁ。
「えーっと、自己紹介からでしたよね。えっと、その、あのー、こちらは東洋龍さんと言いましてー……あのですねー……?」
「がんばれ」
「ア、っと、っと、っ東洋龍さん! も! 頑張ってくれません!?」
流石のアースさんもこの空気は気まずいのか、か細い声援が飛んで来るけれど頑張るのは貴方もです。
怪しまれようがお構いなしに、二人の前で堂々と内緒話をするように顔を背け、小声でアースさんへとヘルプを求める。
びっくりしてるけど私達はこの時代じゃ運命共同体だからね。私の失態はアースさんの失態なんだよ。知恵を寄越してください。
「う、うむ! そうじゃな……! は、花の名前なんかどうじゃ? 女子には良く付ける物じゃろ?」
「は、花……エディシアとか……!?」
「こやつはエディシアという! よろしくの!」
「よろしく!!」
「……全て聞こえているが」
「デスヨネー」
勢いでどうにかなってくれないか、と思ったが、やはり現実はそう甘くないようだ。
心底呆れた様子でばっさりと切り捨てるクラヴィスさんに、苦笑いで返すしかなくなってしまう。
そうですよね、この静かさの中じゃ小声でも聞こえちゃいますよね。冷静に考えればすぐにわかる事だった。
「やっぱり無理なんだよ……ほら、いつもバレてたじゃん? つまみ食いとか、やらかしたのとか……」
「そうじゃな……隠し事が通じんのよな、この男……」
「というよりあの人相手に嘘を吐けないだけかも」
「だって後で滅茶苦茶怒られるんじゃもん」
どうせ聞かれているだろうけれど、気持ち的に顔を背けてアースさんと二人、小声でこそこそ話し合う。
そうだよね、後で詰められるから隠し事しないようにしてたもんね私達。過去のクラヴィスさん相手でも染み付いた癖は抜けないね。
ともかく、これで私達が素性を明かす気が無いのはわかってしまっただろう。
ちらっとクラヴィスさん達を見てみれば、警戒は解いていないものの多少張り詰めていた空気が緩んでいて、再度アースさんとアイコンタクトを取り、頷き合う。
これはもういっその事、ある程度事情を話してしまった方が良さそうだ。
ボロはとっくに出まくっているんだ。ここは素直に言ってしまえと、二人へ向き直り、すぐさま勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい! 色々と事情があって素性は明かせません! 名前も、教えられなくって……!」
距離は取ったまま、ただ詳らかに秘密である事を伝える。
私の告白を彼等はどう受け取ったのだろうか。
押し寄せる不安に言葉が閉ざされてしまう前に、これだけは知っていて欲しいと願いを叫んだ。
「でも、私達は貴方達を助けるためにここに来たんです! それだけは信じてもらえませんか……!」
信用なんてできないだろう。こんな怪しいだけの他人に命を預けたくなんて無いだろう。
でも、私達は貴方達を助けたい。助けになりたい。そう思っている。そう願ってここに居る。
それだけは信じて欲しくて、伸ばしたくなる手を握り締めて希う。
「一つだけ聞きたい」
返されたのは、硬く短い問いかけだった。
「お前は、この病を治せるのか」
横になったまま、私を見据えるクラヴィスさん。
私が知っている彼には無かった疲労と諦めに満ちていたその瞳に、微かな希望が灯っていた。




